• 12月4日・月曜日。晴れ。下記の文章は、先月11/6(月)に粗方書かれていたが、ケリの着くところまで行けず次回発信としたが、前回記したように、その間色々あって、今日まで日延べとなった。それにしても、こんな些細なことでも思うに任せぬというのに、我われの日々の生活が、それでも破綻せずに、何とか維持されている不思議(筆者には、それはほとんど奇跡のように思える)を改めて感ぜざるをえない。ネット社会によってもたらされた便利と脆弱性が、益々、その感を強める。
    その間、久しぶりに時事川柳が浮かんだ。時事としては、もはや鮮度は落ちるが、そんな一事が現在の自民党裏金問題の先駆けだったかも知れないと、こじつけて掲載しておく。

    知らなんだ 閑人なのか 納税者 みつお

    律儀に納税する奴は、結局、閑人なんだと言われたようで、しかもその御仁、税を徴収する財務省の副大臣様と言うに至っては、怒りを超えた何か言い知れない哀れと共に、この国の行く末を、心底憂う。

    本日(11/6・月)、25℃と聞いた。ほぼ夏日である。霜月と書き、晩秋を迎えた今日の話だ。半そでのTシャツで歩く人たちがいる。交通機関や店舗にはクーラーが欠かせない。しかも、こうした状況をさほど変だとも思わず、慣れつつある我われの感覚も、おかしくなっているのだろう。
    と言うのも、テレビに映し出される、列島中の異常気象に人びとは一様に驚き、あきれるが、それ止まりのことである。このことを深刻にとらえ、政治を動かし、政府に対し問題を突きつけようとする気配もない。政府はそれを良いことに、打ち出す政策は経済発展ばかりであって、地球温暖化に対しては、Co2排出削減の数値やそれを達成するための技術、原発の再稼働、再延長(これ自体、安価な電力の安定供給が主体で、要は経済問題である)に限られ、温暖化に対抗した国のあり様、社会の仕組み造りについての議論や、それを実現するための総合的な対策はあるのだろうかと訝るばかりである。
    だが、こんなことで、本当に大丈夫なのだろうか。筆者の目下の懸念はこうだ。現在目の当たりにする異常気象が、自然界や我われの生活、ことに社会経済に対しどれほどの範囲で、またどのような影響を及ぼし、それがいかなる帰結をもたらすのか、そうした全容を我われは、恐らく、いまだ捉え切るどころか、その緒にもついていないのではないか。だからこそ、我われは呑気でいられるのであろう。そう言えば、過日の「折々の言葉」に、人間は本当に深刻な問題は考えることが出来ない、とあった気がするが、たしかにそうなのかも知れない。
    しかし、こんなことがいつまでも許されるはずがない。自然は、現在、様々な仕方で温暖化の歯止めなき進行と、それがもたらす多様な危険や脅威を、時にはシンバルや打楽器を打ち鳴らし、あるいはかすかだが、しかし決して聞き漏らすことは出来ない通奏低音を響かせ、我われに警告し続けているのではないか。まだ間に合う、大丈夫、などと言っていられる時間はないのだ、と。
    ニューヨークタイムズの「旱魃、パナマ運河干上がらせる」、「旱魃パナマ運河干上がらせ、交易阻害す」(11/3)は、その一例に過ぎない。水位の低下により、運河が捌ける船舶数は激減し、閘門内に航行可能な水量を満たす時間は延び、果てはホーン岬(チリ)経由での輸送を余儀なくされる。それによる費用の増加はもとより、航行延長によるエネルギー消費が温暖化、そして環境への負担をさらに加えるという訳だ。と言う次第で、温暖化による一つの障害が、その後いかなる広がりと連鎖を持って、他にどう影響するかを、我われはいまだ見通せていないのではないか(以下次回)。

  • 12月1日・金曜日。晴れ。本日師走の朔日と知り、呆然とする。

    先月12日(日)、金子ゼミナール卒業生たちが相集い、わが叙勲の祝賀を兼ねたパーティーが大学リバティータワー最上階で開かれた。70余名が参加し、遠方より駆けつけた卒業生も多く、中々の盛会であった。まずは、開催の労をとった幹事諸君らには、改めて深甚の謝意を表したい。勤務後の疲労を押し、貴重な時間を割いてのことであった。それだけに、感謝は尽きない。迷惑をかけた。どうも有り難う。
    本会は、私の大学退職の際に持たれて以来、10年ぶりのことである。今や、教え子と言うより、畏友でもある井上敬資より、この機会にパーティーでもどうかと持ち掛けられたとき(誓って言うが、当方から強制した覚えはないので念のため。但し、そんな顔つきだったかもしれない)、幹事たちの苦労を思い、一応、二の足を踏んだつもりである。
    それでも、「ウン、ヤロウ」と返したには、二つの思いが浮かんだからである。一つは、今や年金組になった連中も多い。どんなジイさん、バアさんになったものか、会ってみたい。それ以上に、コッチがいつ果てるか、分かったものではない。これはもう、生前葬儀みたいなモンだ。二つ目は、10年ぶりのことだ。お互い連絡も取れずに、会いたくても会えない連中も多かろう。これを機会に会わせてやろう、という慈悲である。
    わが狙いは的中し、席上「先生の言うように、久しぶりに会えました。これからは連絡を取りあって…」との声がいくつも寄せられ、その後、我が携帯には「本当に和やかな、良い会でした」と言ったメールも届いて、久しぶりに得意の一時を持ったところであった。ただ、「あんなに、嬉しそうなお爺ちゃんの顔を見るのは初めて」と、中学一年なった孫娘が、誰かに言っていたと知らされたときには、さすがにマイッタ。

    前月中旬以降、上記のような事情もあり、さらにはある大学から論文審査の依頼を受け、審査報告書の締め切りに押された上(何とか間に合わせた)、歯の治療に悩まされ、懊悩と多忙な日々を過ごした。そのため、『手紙』の発信が途絶えたことを、一筆添えさせていただく。

  • 11月6日・月曜日。曇り。
    11月10日・金曜日。雨。やや寒さを覚える。と言って、立冬の時期と言われる寒さではない。

    昨日(11/9)のニューヨークタイムズで、現在のガザの悲惨は想定内であり、これによってパレスチナの平穏は消滅し、戦闘は恒久的になった、とのハマス指導者の言葉を読み、ゾッとする。うすうす分かってはいたが、文字にして読むと、やはり衝撃的であった。彼らは平和なぞまったく望んでいない。それはそうだ。平和を願えば、あんな暴挙は、ハナからしなかった。
    その狙いは、イスラエル国民に突然の暴虐を加えて、彼らの憎しみや復讐心を最大限に煽って、ガザへの無差別な攻撃と、多くの子供を含めた市民への過剰な殺戮を呼び込む。その惨劇と、イスラエルの獰猛さを世界に見せつけ、それをテコに、周辺のレバノン、シリア他親パレスチナ諸国を抱き込み、当地を後に引けないような全面戦争に追い込んだ末、結局、イ国を消滅させることにある。イスラエルも同じ意思を持つとすれば、同地の平和は永久に来ない。今回のガザ侵略でハマスは消滅するかもしれない。しかし、それはハマスの絶滅にはならない。憎しみを糧にした第2、第3のハマスが誕生し、テロの世界的な拡散を呼ぶだろう。
    他方で、ウクライナ戦争がある。その結果次第では、ロシアの狂暴化は避けられず、欧州の安全が危うくなる。中国の海洋進出と周辺国との軋轢、中南米諸国からの、道中の信じがたい惨状をものともせずに押し寄せる、北米への移民圧力は放置できないほどらしい。
    世界中に紛争が起こり、その火種も尽きない。筆者には、これはなにか第二次時世界大戦前夜の様相に見える。それどころか、その後の火力、兵器の進化がもたらした、当時とは比較にならない残忍な破壊力を思えば、事態ははるかに深刻である。そして、こうした状況を丸ごと呑み込むような地球温暖化問題が迫っている。人類はこの挑戦に太刀打ちできるのだろうか。暗澹とする(この項、終わり)。

  • 10月30日・月曜日。晴れ。本日は10/16日付けの文章の続きである。

    前2回の論題は、要約すれば、こうなるか。殺虫剤の普及により、一時、環境衛生境の整わない地域、特にアフリカのような熱帯地方においても、蚊の発生、生息域が縮小し、マラリア、デング熱他の伝染病の蔓延が抑制されつつあった。かくて、人類の勝利が垣間見られたのである。しかし、近年、その潮目は変わり、人類と蚊との戦いは逆転の兆しを見せはじめている。これには、地球温暖化も影響しているという。それ以前には生存しえない寒冷な地域への蚊の進出、生息が可能になってきたからだ。その結果、これまでは一例の発症もなかったマラリアの感染が、合衆国で報告されているように、人類は、地域を超えた、世界的なレベルでの疫病蔓延に向き合わなければならい状況に陥ったのである。
    こうなった最大の原因は、記事によれば、どうやら進化過程にある蚊が、殺虫剤に対する耐性をより早く獲得できるかららしい。人類は蚊の進化のスピードに応じて、殺虫剤の効果を高める対策を取ることはとても出来ない。よって、このレースでは、人類の勝ち目はほとんどないということになる。
    その理由は、実にハッキリしている。殺虫剤の開発には膨大な費用と時間を要する。しかも、その毒性をただ強めれば良い、という分けにはいかない。生物界の環境を破壊するばかりか、人間自身が斃れてしまう。まずは安全性が確保され、同時に蚊に対して有効でなければならない。それらのバランスの取れた薬剤が完成したころには、すでに蚊は別のステージに変わってしまう。これが記事の大まかな要約である。
    かつて、蚊トンボのごとき、という言葉があった。何ら恐れるに足らない、つまらぬ相手だと、ののしる意味で使われていたような気がする。しかし、その最も弱小で、簡単にひねり潰せる相手にすら、我われは今や、最大の恐怖を覚えざるをえなくなった時代にあるらしい。これは、何とも皮肉ではないか。広大な知的世界を誇り、原子力や太陽系を超えて飛び出られるほどの技術力を持ちながら、地上の微小な世界に翻弄される始末である。とすれば筆者は言いたい。我われの知識や技術には、どこまで進んでも不完全と欠陥があるということであり、知識や技術が進めば、やがて一切合切の面倒、困難は解決されのだ、などと思い上がらないことだ。そのことを深く自覚し、何に対しても謙虚でなければ、いずれ我われは自分たちが仕出かした所業に押しつぶされ、結局は身を亡ぼすのではなかろうか。そして、温暖化は、紛れもなくその兆候の一つであるに違いない(この項、終わり)。

  • 10月23日・月。晴れ。蚊が媒介する疫病の世界的な蔓延の問題を取り上げているさ中、本日、朝日朝刊で「スズメバチ被害多発 温暖化影響?」、「巣が巨大化し働き蜂増 駆除中死亡も」の記事を読む。ここでは千葉県館山市、岐阜県高山市、大分県九重町の3例が挙げられているが、こうした深刻な被害は列島中で生じていることではないか。温暖化によって、熱暑のような特異な気象現象とは別に、人類は生物界からの多様で困難な挑戦にも晒されているのである。
    10月27日・金曜日。晴れ。本日は前回の続きのつもりが、以下のようになった。

    過日、ひょんなことから16,500歩を歩いた。荒川車庫から町屋を経て、隅田川沿いを下り、千住大橋を渡って北千住に至る道のりである。暖かな午後の日差しの中、桜トラムの車輛を右に見ながら、繁華街から取り残された静かな家並みに沿った道行は、結構楽しかった。町屋では、目当ての喫茶店が貸切のため、変哲のない珈琲館に入る。
    その後がいけなった。何の気紛れか、気づけば隅田川に出ていた。陽も落ちた隅田の川面を渡るそよ風と共に、川向こうのはるか彼方に瞬く千住の灯に誘われたのだろう。昔から、当方、チラつくネオンに弱いという習性もある。だが、ここではそればかりでも無くなった。ここまで来たら、もう戻れないからだ。南千住界隈の大マンション群の影絵をしり目に、ただ大橋を目指す他はなくなった。かつて鴎外が馬車で渡った橋だ。もちろん現在の橋ではない。
    千住市場の入り口では、芭蕉の句碑を読む。奥の細道に入るにあたり詠んだという、有名な「魚の目に泪」である。いよいよ千住の宿に入る。土曜の夕刻、これまでの静寂を破る雑踏であった。疲労は募る。丸井のレストラン街に上り、中村屋のカレーセットを取る。何かこの所、カレーばかりとなるが、別にイチロー氏にあやかり、あるいはカネがないと言うわけでもないのだが、どうもこうなる。
    春日部にたどり着いた後の帰途を、どうしたか記憶にない。バスに乗ったか、歩いたか。しかも、よく日はかなり疲労が残ったはずだが、携帯の記録によれば13,500歩を歩いている。別段、シニアオリンピックのような何かに出ようなどの、大それた意欲も計画もないのだが、齢傘寿を過ぎ、オレは一体何をしているのだろうと、しきりに想う。