2024年01月05日

2024(令和6)年1月5日・金曜日。晴れ。

謹賀新年 
年頭より痛ましすぎる惨事が重なり、それがまた、今年の我が国、そして世界、の行く末を暗示しているようでもあり、呑気に「おめでとうございます」などとは憚られるような思いに捉われております。しかし、それでもここでは「本年もどうぞ宜しく」と申し上げさせて頂きます。
こうした社会の諸事象については、今年も本欄であれこれ触れることになりましょうから、本日は年賀に関わる我がことについてのみ、一言申し上げるに留めたいと存じます。実は、一昨年、賀状での年始の挨拶は打ち止めにしたとは、すでに申し上げた通りです。それでも本音では、その到来を心待ちにしているところもあるのでしょう。昨年、今年とも百通ほど頂戴した賀状には、それぞれ心の籠った文面に思わず見入ったのですから。それにしてもです。当方からの賀状の労は省きたいが、先方からのは受け取りたいとは、いつもながらのわが心情の浅ましさに呆れると共に、苦笑を禁じえません。そして、このことをこうして明け透けに打ち明けて恥じぬというのも、わが老人力の開花、成長の証でありましょう。こうでなくては、傘寿の坂は越えられません。「己は楽を、ヒトには苦労を」という分けです。
頂戴した賀状の中には、元同僚(独文学者)からのこのような一通もあり、それには思わず手を打ちました。こんな添え書きがあったからです。「遅ればせながら春の叙勲たいへんおめでとうございます。「手紙」もいちいちうなずきながら拝読させていただいてます(学生にも愛読者がいました)」。特に喜んだのは、学生に愛読者がいたということです。それも、同僚が指示して読ませたのではなく、彼が自発的に我がブログにたどり着き、愛読者になったらしい。この文章ではそのように読めます。だから、何とも言えぬ良い気分になります。この「手紙」の広がりは、我が周辺をこえることほとんど僅か、と言うのが当方の予想でありましたが、それが案外そうでもないかも知れぬと憶測できます。これを大いなる励みとし、また支えともして、今年もせめて途中の立ち枯れだけは免れ、どうあっても年末まではたどり着くぞ、との並々ならぬ決意をもって、なんとかやってまいりたい。重ねての応援、ご支援を宜しくお願いし、新年のご挨拶といたします。


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