8月8日・金曜日。晴れ。
8月14日・木曜日。晴れ。残暑の厳しさは相変わらずだが、夜風には涼味がさしてきた。ただ、晴れにしろ、雨にしろ、その獰猛さには容赦がない。温暖化の影響であろう。
8月18日・月曜日。晴れのち曇り。常軌を逸した暑さと湿気に、ただうな垂れるのみ。外交人旅行者、とくに北欧からの人々は、この暑さに驚き、呆れかえっているとあった。インドでは氷河が解け、水没した町があったと、何かで読んだ。世界中がこんな調子らしい。
8月25日・月曜日。晴れ。蒸して、ただ暑い。当方の一日平均歩行数が、9千歩代から8千代の前半まで一気に落ちたが、暑さのせいか、老いたのか。
先に(7/18)、政治家はまずもって結果責任を負うべきであると言った。今回の参院選では、石破総理は自公合わせて過半数の議席確保を必達目標とし、だがそれは叶わなかった。であれば、総理の結果責任は免れない。これは現在、自民党内で吹き荒れている石破降ろしの言い分でもある。しかし、その勢いは党外には広がっていないように見えるのはともかく、筆者は騒ぎ立てている議員連中とは別の意味で、総理の結果責任をここで一言し、この項を閉じたい。
この件について、エッセイストの阿川佐和子氏が面白いことを言い、筆者は思わずうなずいた。石破降ろしの議員たちは、ひとまず総理を引きずり下ろし、自分たちの親しいヒトに成ってもらい、ポストを得ようと言った下心が見える。言われてみれば、石破降ろしの先頭に立つ連中は確かに要職から外されているのが多い。世耕氏などは、自分たち(安倍派4人衆)は政治的経験に富み、十分役に立てると、あからさまな売り込みを図る有様で(朝日7/30)、これには驚きをこえて、いたく感心させられた。なるほど、政治家、しかも大臣クラスの大物議員になるには、これくらいの厚顔、鉄面皮でなければならないのだろう。
曲芸師のように、脱法すれすれの隘路(あいろ)を渡って起訴を免れ、あるいは万が一、塀の向こう側に落ちかかっても、その罪を秘書に押し付け、また上手く言い逃れ出来さえすれば、ことは適法に処理され、問題はないとの言い分をどれだけ聞かされてきたか。直近では「モリ・カケ・桜」と、まるで打ちたての蕎麦をさかなに、花見酒に酔いしれる酔客の乱痴気に始まり、教会やら、裏カネやらの出し物まで見せつけられた。名優たちの演じる、滑稽の中にも、人間のそこはかとなき哀愁のにじむ江戸狂言でもあれば、笑いもし、涙を誘いながら、深く静かに人生を味わうことも出来ただろう。だが、ここで演じられたのは、嘘と隠蔽、ひとの命まで失い、くわえてむき出しな権力欲と保身と小心の、見るに堪えない醜悪さであった。
国民は、こうした自民党の回り舞台を、これでもかと拷問のように見せつけられてきたのである。そして、悟った。こんな政党に明日は託せない。その結果が、三連敗であった。だが、この事実を、どうしたことか自民党議員だけが分かっていない。それゆえ彼らは石破総理に責任を全て押し付け、彼を交代させさえすれば、党は復権できると思いたいらしい。これまで散々繰り返された、本の中身も変わらないのに表紙を付け替える愚を今回も重ねようとするのである。
石破総理の結果責任は、ここに始まる。総理は岸田政権からの統一教会、裏金議員の問題処理を誤った。その対策は、常に小出しであり、微温に過ぎ、徹底を欠き、今に問題を残した。これがすべてである。政権基盤の弱い石破総理には、強く出れば政権を失うという不安、恐怖があるのだろう。この恐怖心に付きまとわれて、自身の思いを成し遂げられていない。戦後80年の節目に首相談話を出したいと強く望みながら、党内にそれに対する反対派が渦巻くと知れば腰砕けになるのは、その一例である(因みに、村山談話の発出に際して、これが出来なければ首相を引くとまで覚悟したとは、村山氏の言葉である)。であれば、これは総理の弱さであり、己を賭けて理想に進むと言う情熱に欠ける。これでは、権力につきたいから、権力を得たと言われても致し方ない。だが、氏は自民党総裁を目指した時期には、とくに安倍氏に対して果敢に挑戦し、厳しい批判を浴びせて、ひるまなかった。それがときにタガの外れた安倍氏の行状を掣肘し、多くの国民の支持を得たのではなかったか。
その石破が総理になった。彼ならきっとやってくれる。国民の期待は大であったが、総理となった石破氏は、かつての自身の言葉を守らなかった。総理になったら、先ずは国会で野党と政策論争をし、その上で解散すると言っていたのに、即解散し、大いに失望を買った。政治家の唯一の武器は言葉である。言っていることとやることの違う政治家を、どう信じればいいのだろう。かつて、国民に分かりやすく説明しなければいけないと、安倍氏に迫った彼が、あろうことか裏カネ問題で沸く衆院選に政党交付金なるものを支給し、怪しげな説明に追い込まれた。これらは全ては石破総理の責任でなされたことであり、それが選挙結果に影響したとすれば、それは紛れもなく総理の負うべき責任である。
以上は、総理の負うべき結果責任の一端である。だがそれは、現在自民党内で取りざたされている文脈で総理を止めるべき理由になると言われれば、直ちに賛成はしない。それは筆者一人の思いではなく、国民の多くが抱くところであろうことは、最近いくつかの大手メディアでなされたアンケート調査で、石破支持の数値が上がって来ているところからも明らかであろう(この項、終わり)。