11月14日・金曜日。晴れ。高市政権は安倍政治をなぞるようなところがあり、まず景気浮揚による自民単独過半数を達成し、出来れば憲法改正から右翼的な国家改造を目指しているのだろう。まさか戦前の天皇親政政治まで求めているとは思えないが、いずれにしろ個人の自立と自主性を尊重する民主主義的政治は大幅に改変されるに違いない。国民は経済発展に幻惑され、総選挙では間違っても白紙委任のような圧勝を政権側に与えてはなるまい。
11月17日・月曜日。晴れ。本日、中高時代の友人から2名の訃報を受ける。うすうす予感していたとはいえ、ほんの1カ月の間での事であれば、さすがに滅入る。獨協中学・高校の6年間を共に過ごした級友たちであった。ドイツ語組に属した我われはたしか34人ほどであり、組替えもなくそのまま卒業したのである。それゆえ縁は深い。現在存命なのは、10名に満たないだろう。
いずれも癌を病んでいた。それでも、旅に出、時折の会合には幹事役を引き受け、私など大いに助けられたものだ。ご遺族の悲しみは深かろう。だが、病床で長患いをせず、病と共生しながら明るく逝けたことは、一つの慰めではなかったか。それにしても、82歳とはそのような歳なのだと、改めて思う。合掌。
承前。その後の道行は文字通り「フーテンのマキ」となって、愛媛、福岡、愛知、大阪と渡り歩くが、その道中が平安であろうはずもない。「いじわるババアのゲイボーイ」との戦闘に備えて、胸元に剃刀を仕込んでは「カミソリ・マキ」の異名をとるなど波乱万丈。中でも圧巻は、新歌舞伎座(大阪)裏でやっと見つけた、怪しげな病院での睾丸の摘出手術である。次第に濃くなる髭の対処に手を焼き、同僚のタマ抜きの「すごい美人」に対抗するためもあって決断する。執刀医の言葉がむごかった。「簡単や、3万でええ。けど、引き返されへんで」。たしかに手術は簡単だったが、案の定、術後は傷口が膿んで、これを「ホチキスで止めて」仕事に出るオマケがついた。
この大阪での生活が、麻紀氏の転機となる。ゲイバー(ミナミ)で働く他に、キタではヌードショウの舞台に出るようになり、カルーセル麻紀と名乗った。左の太ももには牡丹と蛇のからんだ入れ墨が映え、時には本物が巻き付く「しなやかな体を舞台にさらすと、マスコミが食いつく」ようになってきた。こうして女優、タレントとして芸能界への道が開かれた。ただ、本人はストリッパーを自認してやまない。「皆嫌がって出来ない仕事をするのがあたし」だからだ。
記事には、胸も豊かで、首には蛇が巻き付いた麻紀氏の写真が載っている。その美しさには、凄艶で、ゾットさせるなまめかしさが漂うが、同時に何年もの修羅を潜り抜けて鍛えられた怖さもにじむ。これでは、ある種の男たちが絡めとられるのもやむを得まい。そんな麻紀氏を見込んだか、世話になったゲイバーのママから、店を出すから「ママとしてちょっと行ってくれない?」と言われて向かった先が、パリのパピヨンというゲイバーであった。
ボンジュール、メルシーしか知らない、パリでの生活が始まった。元々、音感に優れ、どこに行っても、土地の言葉をたちまちものにする才能にくわえて、持ち前の強さ、逞しさが彼女を支えた。学校ではなく、ジゴロみたいな遊び人たちから教えられる「悪い言葉」を耳できいて覚えた。「外国語を覚える時はそれがいいの。海外で悪口言われた時、(黙って)苦笑いするしかないなんて嫌。だから悪い言葉は知っておかなきゃ。フランス語だと、まずは「メルド!」。「くそったれ」って意味よ」(以下次回)。