• 7月23日・木曜日。晴れ。

    7月29日・水曜日。晴れ。昨日、熊本県をM7の大地震襲う。10年前の災禍再び。イオンモールの崩落に息をのむが、これはただ自然災害と言って済まされるものではあるまい。同時に、迫る酷暑とさらに大きな地震の可能性、そして台風の接近も取りざたされる中、救出、救援物資の搬送、瓦礫撤去等、なすべき仕事は山とある。しかも時間との戦いを迫られる。まずはお大事に、という他筆者には言葉もない。

    このところの炎暑、もはや言葉を失うような日々にはなす術もない。ただ、暑い、とうな垂れるばかりだ。欧州の熱波が、今度は我われを襲ったか。冷房の部屋から一歩出れば、籠った熱が絡み、窓からの熱風に朦朧となる。テレビでは、今日は酷暑日を告げる40度だ、しかも十市に迫ると言っている。ほんの数年前でも、40度を越えるのは、一夏で2,3日あるか無いかで、その土地はテレビでも新聞でも大騒ぎになったものだが、最近では40度を割り込んだ日は、今日はマシだ、といった気分になると言うのも、こちらの感覚が狂って来たのだろう。

    この状況は、ただ暑いと言ってへこたれ、テレビで熱中症に気をつけてください、と呼び掛けて済ませるレベルをはるかに越えて、本格的な対策をとるべき段階にあると思うのだが、これを報道するメディア、そこに出演する何でもご存知のコメンテータの皆さんからも、そうした声が聞かれない。であれば、政治がこれにまともに取り組もうとする問題意識は、全く見てとれない。何故だろうと、不思議でならない。

    だが、これは本当に、打ち捨てても良いことなのだろうか。ただ、こんな報告がある。本日(7/23)、都内では午後3時までに8歳から97歳の138人が熱中症の疑いで救急搬送され、うち13人が重症、2人が重篤だと言う(東京消防庁)。また、総務省消防庁によれば、7/13から7/19にかけた一週間の全国の熱中症による救急搬送人員は10857人であったらしい。こうした事態は、国旗損壊罪の問題よりも大したことのない、どうでも良いことなのだろうか。断じて、そうではあるまい。国民はただ今現在、文字通り、生き死にの問題に直面しているのだ。これを平然と放置し、自分の趣味のような事がらにかまけていられる内閣はじめ、政治全般の無神経さを、どう考えればいいのだろう。ただ、啞然とする。

    しかし、我われにはまだ希望は残されているようだ。中央政府に匙を投げても、地方政府には賢者はいくらでもいるからだ。朝日(7/13)に「気温下げる街路樹の効用 緑の日傘」(連載)の記事を読む。まさに、わが意を得たり。以下は初回記事からの要約である。

    所は杜の都仙台市である。先の大戦の大空襲によって焼け野原と化した当市は、以来、復興の一歩として目抜き通りに植樹を施し、緑の日傘を実現した。そこでは、「夏の日差しを避けて歩けるよう枝葉が重なり合う程度の剪定にとどめている」ような配慮がある。これから暑さに向かう夏前に、枝葉をきれるだけ刈り取り、丸坊主にして、何のための植樹か分からぬようなどこぞの市の扱いとは雲泥の差である。

    「気候変動に加え、ヒートアイランド現象が顕著になる中、世界の都市は、人の命や健康を守る街路樹の効用に着目し樹木の植栽を積極的に進めている。木陰が熱中症を防ぐうえ、気化熱で気温を大きく下げるためだ」。こうした知見は、今初めて教えられたわけではない。行政に携わる者にとってはもはや常識であろうが、多くは無視されている。あれこれの理由はあろうが、世界の都市、また仙台市はじめ先駆的な都市では市民の「命や健康を守る」ために実行されているのである。そうした市の識見と努力に感謝したい。

    「樹冠被覆率」なる言葉がある。樹木のつくる陰の面積が都市全体に占める比率を意味するが、これが30%になると平均温度は0.4度下がり、熱中症による死亡を4割減らせるそうだ。

     筆者がこれを言うのは、暑さは自然現象で、なるように任せる他はないと言わんばかりの国や行政の怠慢に対してである。以前にも言ったが、現下の温暖化対策は、中央・地方政府、企業、教育・研究機関、市民にはそれぞれなすべきことがあり、それらが一体となって取り組まなければならない。とくに国家の取り組みは、急務であろう。世界レベルの条約の制定、協力体制の構築、各国の適切な資金の供出、共同研究の数々を、もはや議論や言い逃れは止めて、実行していくことだ。そして、政府はそれに合わせた国造り、法整備、政策を勧めることだ。事柄が間に合ううちに、急げ(この項、終わり)。

  • 6月22日・月曜日。曇り。

    7月1日・水曜日。曇り。この一週間、立て続けの台風接近により、関東地方はカラリとした晴天を見ない。その分、熱暑を免れ、筆者には楽だが、他方、商売上難儀をかこつ人も多かろう。それ以上に欧州は、熱波に襲われ、大変なことになっている。WHO事務総長によれば、40度を越える暑さに、1300人の犠牲者を見たと言う。緯度が高く、これまでエアコンを必要としなかった都市部、ことに旧式のアパートの、しばしばトタン板に覆われた屋根裏部屋の生活は、想像するだけでも息苦しくなる。地球規模の温暖化対策は、急務である。この期に及んで、ちっぽけな領土的野心に取りつかれ、戦争ゴッコに明け暮れる大国の政治家たちよ、目を覚ませ、と言いたい。

    7月3日・金曜日。曇り。

    「マンション修繕 ナフサ不足直撃」(朝日6/22・月)の記事あり。この問題については、高市政権は一貫して「不足」はない。流通に目詰まりがあるだけだと言い張る。だが、スーパーでは、色の消えた袋詰めが増えて来たようにも見える。カルビー株式会社がナフサ不足のため、近く白黒の袋詰めに切り替えるとの報道に対し、政権はあろうことか、「売名行為」かと憤った。筆者はここに、政権の驕りを見る。一企業の純粋な経済活動に対し、脅迫まがいの言辞を弄するとは尋常ではない。そも、カルビーほどの企業が、何故、今さら売名行為をしなければならないのだろう。

    政権は怒る前に、まず事がらを謙虚に受け止め、丁寧な市場調査をすべきであった。大企業の政策転換である。ここにはそれなりの理由があるはずだと取れば、自ずと態度は違ったはずだ。現政権は総じて、自身の政策に素直に従わない動きに対して敵対的であるが、それは、自らの政策に対する確たる自信がないからなのだろうか。国家的な政策には、反対、反論、あるいは多少の齟齬は当然であり、そんなことは政権党たるものが知らぬわけもない。絶対の政策ならば、いずれ結果が出てくると、ドシっとしていれば良いものを、「売名行為か」と口走るとは、何たる狼狽であろう。

    現政権のこうした、どこか前のめりのセカセカした運営は、「皇室典範改正案」に加えて、「衆院議員定数削減・副都心構想」案の関連法案の扱いについても見て取れる。いずれも今後のこの国の明日を決定するような重要法案だが(ここには「国旗損壊罪法案」を含めたい)、十分な時間と熟議のないまま、いざとなれば衆院での与党絶対多数を頼りに、遮二無二押し通す腹のようだ。数さえ揃えば何をやってもよいことになれば、この国の民主主義は消滅する。国際政治は今や大国の力(武力・経済力)だけが支配する場となったが、わが国内政治では与党の「数の力」がすべてとなった。

    こうした事態を放置し、これを許せば、やがては政治家の頭に浮かぶあらゆる妄想が法律となって、自分の目指す理想の国家へと強引に引っ張っていくだろう。そこに至る過程で、これに逆らう国民はあらゆる口実と捏造によって、拘引・留置されるに違いない。そうした暗黒国家への転落を黙って見過ごせば、その不幸はすべてわが身に負わなければならない。これに対抗するには、健全な野党勢力を今一度復活させる他はない(この項、終わり)。

  • 5月18日・月曜日。晴れ。世には外国語、しかも何か国語でも苦も無く修得し、母語のように操れる、例えば『大泉黒石』(四方田犬彦・岩波書店・2023)のような才能のあることを時に聞かされ、かかる御仁には筆者はひたすら羨望と尊敬の念に打たれ、ただうな垂れるばかりとなるが、今やそれどころではない。昨日、犬語、葉っぱ語、果ては石語、パンツ語まで解する才能までおられるらしいことを知り、一驚させれられた。そして、これを紹介する東海林さだお氏は、こうおっしゃる。「人間、パンツまで叱ると、もうこわいものはなくなってくる。この世に叱れないものなどない、と思うようになる」(『ショージ君、85歳。老いてなお、ケシカランことばかり』18頁。大和書房・2022)そうだ。

    5月22日・金曜日。雨。

    5月29日・金曜日。晴れ。

    6月8日・月曜日。曇り。いつの間にやら、はや半年たつ。この間、知人、友人の物故者はすでに5名を数える。わが年齢を思えば、こうなるのは不思議ではない。もう3,40年前になろうか、どこで読んだか忘れたが、こんな話だった。近親者の逝去は、なにか艦船同士の戦闘に似ている。当初、襲ってくる砲弾は遠方に着弾し、まだ安心だが、次第に照準があってくる。これを読んだ時には、そんなものかと気にもしなかったが、今は相当にリアリティーがある。いつわが艦に着弾してもおかしくはない。といって、それを特段恐れているわけでもないのは、老人力のお陰だろうか。

    今回は、献本された書物へのお礼状である。読むにやや厄介だが、お付き合いいただけたらと思う。

    前略、長らくご無沙汰しておりますが、お変わりなく、いや益々、ご壮健のこととお慶び申し上げます。過日、と言ってももはや大分以前と申し上げるべきですが、ご恵贈頂いた新著、『ドイツ自由主義の歴史研究 三月革命期の社会科学者たち』(日本経済評論社 2026)の旺盛な探求心からも、その事をとくと感じ入った次第です。そこでは、ザッヘに肉薄する強靭な意志力、わが国の現在に対する歴史的・政治的な危機意識、またややもすると反自由主義的と評価されてきた、往時のドイツ経済学に対する軌道修正を図ろうとされる、経済史家としての領野からあえて一歩を踏み出し、未耕の地に斧鉞を入れようとされる大胆な学的関心に圧倒されました。

    では、その未耕の地とはいかなる領野でしょう。まずはスミスをはじめとする古典派経済学に対するドイツ側からの切り結ぶような批判的な受容過程であり、三月革命期のドイツ経済・政治・社会状況を見据えて、自国の近代化を図ろうと結集した革命諸勢力の多様にして、背反する利害の諸対立の諸状況の確認、さらにそこから三月革命の成果としての近代国家への転生を保証する法制度の確立=憲法制定への、これまた錯綜した足取りと、「ドイツ立憲国民会議」、「プロイセン立憲国民会議」での議論との格闘です。なんという、膨大にして難儀な作業でありましょう。であれば、そこで扱われなければならない諸課題、領域は、もはや経済史研究をはるかに越えて、必然的に「国家学・政治学・憲法学・経済学など社会科学の諸分野に関連」する一大領域でした。

    当方、大学を退いて早や10年余り。本格的な学術書に取り組むには、わが脳髄はだいぶ錆びつき、時に油をさし、十分の休養を取りながらの読書となりましたが、その甲斐は大いにありました。一つの事がらが理解されるとは、どういうことか、またいかにしてそれは可能か。このことを御著を通じて、改めて教えられたような思いです。

    また、本書中、私が特に興味を惹かれたのは、3章の考察でした。ここではプロイセンの自由主義とその市民的経済思想が取り上げられますが、それを私の関心に引き寄せて言えば、市民の経済的・政治的自立への希求と、その裏返しの様々な封建特権からの解放の闘争であったと申し上げたい。ここに、英仏に比したプロイセンの社会・経済の後進性がいやでも明らかとなります。それ故また、そこで構想された市民社会像は、世襲制と結びついた立憲君主制を容認した点に見られるように、封建的な残滓は清算できませんでした。

    ここには、フランス革命にみた、行き過ぎた自由主義に発する民衆の狂暴性、徹底した経済的自由競争が帰結する中産階級の解体と過激な労働運動の激発への懸念や恐怖も作動していたのでしょう。それらを制御する装置として君主制を存続させ、こうして政治権力の二元体制を編み出した。ここに至る国民会議の部会での議論はそれ自体、往時のプロイセン諸地域の経済・社会状況そのものを浮き上がらせ、同時にそれを見据える者の関心に応じて、法律・社会史・経済史・思想史的な構想物へと転生させる原液(今流行りの言葉で言えば、幹細胞とも言えましょうか)を提示しているようにも思われ、私には特に思想形成の醸成過程を見たような場面でした。

    国民会議は革命の突然の挫折により、解体します。しかしそこでなされた議論、あるいは成果は反動政府とてそれらを否定し、無視することは出来ませんでした。それだけ浸透力のある議論がなされ、訴求力があったのでしょう。プロイセン欽定憲法の骨子として継承されたのでした。

    プロイセン憲法が明治憲法のひな型であったことは、周知の通りですが、御著では、それと関連してドイツから移植された国家学、政治学が東京大学を中心として日本のその後の社会諸科学に決定的な刻印を記す次第が示唆されております。

    しかしここで留意すべきは、ドイツ国家学は市民的自由主義に対して抑制的で「官僚主義的・国家主義的特徴」を持ち、それによって我が国の市民的自由主義に対しても負の影響を及ぼしたのではないかとの通説に対して、その修正を強く迫ろうとされる点です。それは山崎哲蔵の言葉を介して示されます。ここでは確かに君主の主権を認めるが、それは絶対無限ではない。「その目標は国法によって政府・人民の権利義務を確定し、立憲主義の制度を設立する点にある」と。つまり、移植されたドイツ国家学にも英仏で育まれた自由主義的な民権思潮は豊かに息づいており、それははるかにスミスの経済思想を導入しようとした「三月革命期」の社会科学者たちの努力に繋がることだと了解されます。

    それにしても、学説史的研究の意義とは何かと時に自問し、すでに定まった評価に対する挑戦もまたその一つではないのか、と答えたい。それによってかつての作品が新たな脈絡でよみがえり、現代的な意味を与えられる。それはまた我われの視界を新たに開くと思われるからですが、如何でしょう。 まだ、申し上げるべき点はありますが、すでに長文となり、これ以上の饒舌は慎みたいと存じます。最後に、新著のご恵贈に改めて御礼申し上げます。有り難うございました。どうぞ、お元気でお過ごしください。

  • 4月27日・月曜日。雨。かなりの降雨を見たが、自然と思いは岩手・大槌の森林火災に至る。未だ鎮火せず、まとまった雨は今少し先らしい。かの地の人々にお見舞いを申し上げる。

    5月1日・金曜日。雨のち晴れ。

    5月7日・木曜日。晴れ。本日、朝日朝刊トップにごみ処理問題が上がる。ごみの収集、処理場施設の維持、更新、その予算にくわえ、現行施設の相対的な過剰と維持費の増大等々の問題である。つまり、住民の減少と高齢化した多くの地域社会において、現存施設は大きすぎ、にも拘らず維持費は経年劣化によって増すばかりか、原資となる税収減がのしかかっているのである。ここには、上下水道施設が直面しているのと同じ問題がある。

    これについては、ここでもしばしば指摘してきたが、市内の上下水道網の維持管理費だけで、自治体は財政危機に見舞われると言われて久しい。そして、ごみ問題には、収集から焼却他に要する多数の作業員の確保という、これ特有の問題があり、それが今や深刻になっている。要するに、我われの社会は、近い将来、生活を支える最も基礎的な土台が立ち行かなくなる危険に直面している。AIだ、軍事力だ、憲法だ、移民だと大騒ぎしている裏では、のっぴきならない問題が迫っているのである。

    5月11日・月曜日。晴れ。本日は、前回の文章の訂正である。大枠は変わらず、量的にはささいなものだが、内容的にはかなりの改変である、と言っておきたい。

    朝日新聞(4/5)にこんな一文を見た。「返却。病院で採血された6歳の息子。帰宅後、一緒にお風呂に入っていると、採血された部位をじっと見ながら、こう言った。「ママ、血ってどうやったら返してもらえるんかな。やっぱり取られた分は返してもらわんと」(神戸市・自分でたくさん食べて造血頑張ろう!・35歳)」。

    人間存在について、なんと直截に語られたことか。昼間、採血された腕をまじまじ見ながら、何か釈然としない許しがたい思いに捉われた。ボクは自分の血を病院にあげたのではない。何か知らないが、黙って血を抜き取られてしまった。これではいけない。このままにしていては、自分の重要な一部が盗まれ、ボクは壊されたままだ。それは自分に対する攻撃であり、否定だ。元の自分に還るには、取られたものはどうしても取り戻さなければならない。6歳の坊主の言葉としては、大分ひねてはいるが、その心はそういうことではないかと思う。

    かのイエリネック(1851-1911)(ドイツの国法学者)は言っている。己が所有物を奪われることは、ただその物を失うだけではない。わが所有権への侵害であり、ひいては自身の存在の毀損を意味する。それゆえ侵害された権利は回復されなければならない。たとえその損失が、高々1マルクであろうとも、放置してはならない。そのための費用がいかになろうと、問題では無い。ここには己れの人権と尊厳がかかっているからだ。これぞ『権利のための闘争』(村上淳一訳・岩波文庫)である。

    ひとは誰でも、生まれながらに自由平等で、生存し幸福になる権利がある。それは人間が作る法律以前に天(これは神とも自然とも理解される)から与えられ、誰からも奪われることのない権利とみなされ、生まれながらに備わった生得的な権利である。何人と言えども、これを奪うことは出来ないし、奪ってはならない。これが自然法で説かれた自然権の教えである。なお、社会の法律(実定法と言われる)は、この自然法を基に構成されると言われる。

    ここには説かれるべき多くの論点があるが、先を急がなければならない。各人に平等に付与されたこの自然権に基づいて、僧侶、領主、貴族らの特権的な権力をを認める身分的な封建社会を突き崩し、平等な市民社会を誕生させる社会理論が生み出された。それを指導したのが、T・ホッブスであり、J・ロック、J・J・ルソー達であった。とくにロックの言う自然権の中身は「生命、身体、財産」への権利とされ、それは誰からも、それゆえ国家からも侵害されてはならない。むしろ国家や支配者は、市民との契約を通じて(社会契約説)、市民の権利を擁護するものとして存在するのである。それゆえ、それを擁護できない政府、国家に対して市民は果敢に挑戦し、変革しうる権力を持つ。こうしてロックは、国家に対する市民の「抵抗権」・「革命権」を認めたのである。彼のこの思想が、世に言う「名誉革命」(1688。英国での無血による王権交代)の理論的な支柱となったのである。

    もとに戻ろう。かの坊主の直観ははるかに、17,8世紀の大哲学者の思想に直結していたのである。恐るべし、六歳児。筆者は正直に言おう。身体への侵害はあってはならぬとする生存権の主張は、天から直接与えられたと言うより、社会生活の中で、歴史的な過程の中で徐々に生み出されたものではないかと理解していた。つまり私は、生まれながらの生得的な権利の意味が分かっていなかったのである。権利とは、生の根源に根ざし、だからこれを侵害された時、誰であれ、幼児であっても、激しく抵抗する他ないのだと教えられた。人権とはかくも犯しえないものなのだろう(この項、終わり)。

  • 4月24日・金曜日。曇り。

    気象庁は先週(4/17)、40度を越える日を「酷暑日」と呼ぶことにしたと言う(ただ、正確にはこの言葉は日本気象協会が傘下の予報士130人に実施したアンケートを基に決定されたものらしい)。これまでは「猛暑日」と呼ばれた暑さに対して、こうした呼称が与えられた理由は、「極端な暑さへの注意喚起と熱中症予防啓発をより強化するため」であると言う。たしかに、「今日は酷暑日だよ」と言われれば、「そうか40度を越えた日か」と意識化され、それに対してより積極的な対応を促されるだろう。頻繁に水分を取り、エアコンの温度を下げ、不要な外出は控える、等々。言葉の力とはそういうものである。

    であれば、筆者は気象庁のこの決定を諒としたい。ただ、何を今さらとの思いが無くはない。国民は毎年襲いかかってくる、しかも年々強度を増し、期間も長引く猛烈な熱暑に、心身共に疲弊させられているのである。それは、酷暑日の選定に先立ち、役所の実施したアンケートによれば、炎暑日、厳暑日、極暑日、超猛暑日と言った「酷暑日」を越えた言葉が多数寄せられていることからも察せられよう。

    だが、この点で、気象庁を非難するのは、全くのお門違いというものだ。この役所に列島全体の酷暑日に対する具体的な対策、政策を実行させる予算や権限はまるでないからだ。それは中央政府、地方政府の仕事である。国、県、市町村、個人、また企業や研究機関も一体となって、それぞれやれることに取り組み、対応していく他はない。国家は世界と連携し、自然環境の保全や有機的な法整備と予算化を進め、自治体は森林・河川の保護と都市、町づくりを工夫する。企業の生産や個々人の生活は出来る限り省力化し、余分な化石燃料の消費を控える等々。公教育の意義も看過できない。こうした取り組み、さらには温暖化に対する全体的な構想、そういった諸点に対し一体どの政党が本格的に取り組み、明日の日本の国造りに邁進しようとしているだろうか。先の総選挙においてこれらが争点になったであろうか。それらをすべて放り出して、40度を越えた日を「酷暑日」というと言って、一体、何が改善されると言うのだろう。世の政治家先生らに、この事とくと伺いたい(この項、終わり)。