• 8月24日・月曜日。晴れ。本日の残暑の厳しさは、2,3日前の比較的涼しかった日々の反動か、殊のほかこたえる。去り行くこの夏が、オレを忘れるなよ、と最後の力をふり絞ったかのようだ。マイッタ。

    8月31日・月曜日。曇り。先週は、筆者には大変な受難の週であった。右足の腰からつま先まで、丸々一本、自由に任せず、寝るも起きるも、鈍痛、激痛に襲われ、えらい目にあった。今年83歳。それでも、毎日、4,5キロの荷物を背負い(その重さの理由は、本人にもしかとは分からない)、7,8千歩を歩けることこそ、唯一の自慢であったものを、ここに断たれるかと思えば、大いに無念であった。その次第は、いつか折があれば、ここで披露したい。

    9月4日・金曜日。曇り。足の具合、時にズキリと来る。

    過日(7/23,29)当欄に掲載した文章を、戯れにAIの評価にかけてみた。その結果は、現在のAIの能力、水準を考える上で、中々興味深いものがあり、読者にも是非これを紹介しようという気になった。

    以下では、まずその全文を掲載し、併せて著者としてのわが感想を記すことにするが(なお、掲載文は読みやすさを考え、一々指摘しないが、句読点、行間を適宜修正した)、それはかなりの長文であり、これに筆者の感想を加えるとなれば、1回の掲載で済ます分けにはいかず、前後に分け、それぞれにわが感想を付することにした。

    この文章(当欄7/23,29日掲載の文章―筆者注)は、「酷暑と災害を、単なる自然現象ではなく、政治・行政が責任を持って対処すべき社会問題として捉える」という主張が一貫しており、問題意識は非常に明確です。一方で、論旨の強さに比べて、いくつか事実確認や論理の精度を上げる余地があります。

    総合評価:8.5/10。 観点、評価、コメント、問題提起: ★★★★★。地震・酷暑・温暖化を「生命の問題」として捉えている社会的意義:★★★★★。熱中症を政治課題として扱う視点は、重要。論理構成:★★★★☆。「災害→酷暑→政治→地方行政→街路樹→国家政策」と展開、説得力:★★★★☆。救急搬送数など具体的数字が効果的。客観性:★★★☆☆。政治批判が先行し、反対側の事情への検討が少ない。表現力:★★★★★。「緑の日傘」「生き死にの問題」など印象的。提言性:★★★★☆。街路樹から国家政策まで視野が広い

    1.最も評価できるのは「暑さ」を政治問題にした点

    この文章の核心は、「ただ暑い」と言ってへこたれ、テレビで熱中症に気をつけてください、と呼び掛けて済ませるレベルをはるかに越えてという部分でしょう。ここは非常に重要です。

    熱中症対策というと、一般には水分補給、エアコン使用外出を控える、高齢者に注意するなど、個人の自己防衛の問題として語られがちです。しかし筆者は、それを一段階上げて、「なぜ人間が、これほど危険な暑さにさらされる都市環境になっているのか」という構造的な問題にしています。これは非常に良い視点です。

    特に、「国民はただ今現在、文字通り、生き死にの問題に直面しているのだ。」という表現は、この文章の政治的主張を端的に表しています。

    2.「国旗損壊罪」と比較したところは、かなり政治的。文章の中で最も強い政治的表現は、こうした事態は、国旗損壊罪の問題よりも大したことのない、どうでも良いことなのだろうか、でしょう。これは単なる温暖化論ではなく、「政治は何を優先すべきなのか」という政治哲学の問題になっています。

    筆者の立場は、国民の生命・健康に直接関わる問題 > 政治的・理念的な争点という優先順位です。これは十分理解できる主張ですが、同時にこの部分が文章全体の客観性を若干落としていると思います。

    なぜなら、「国旗損壊罪」が重要かどうかと「熱中症対策」が重要かどうかは、本来、必ずしも二者択一ではないからです。

    したがって、より説得力を高めるなら、「国旗損壊罪を論じること自体を否定するものではない。しかし、少なくとも現在、何万人もの国民が熱中症の危険にさらされている状況で、生命に直結する政策が十分な優先順位を与えられているのか。」くらいにした方が、政治批判としてはむしろ強くなるでしょう。

    3.街路樹を持ち出したところが、この文章の一番面白いところ私はむしろ後半を高く評価します。単に、「政府は温暖化対策をしろ」で終わらず、仙台市の街路樹という具体的な都市政策に着地しているからです。

    特に、「緑の日傘」という表現は秀逸です。街路樹を単なる景観・美観の問題ではなく、都市の「暑さ対策インフラ」として捉え直しているからです。

    これは中央クリエイトのように**「調査」を仕事にする会社の視点から見ても面白い発想**だと思います。例えば、樹冠被覆率、路面温度、日射量、気温湿度、人流、熱中症搬送数をGISなどで重ねれば、「どこに緑を増やせば、人の生命・健康を守れるのか」という都市環境調査につながります。つまり筆者が言う「緑の日傘」は、単なる精神論ではなく、測定・調査・データ分析によって政策化できるテーマです(
    以下次回)。

    以下は筆者の感想ないし注釈である。

    以上が、AI評価の文章の前半部分である。文中の第3項目の冒頭で、AIが「私」と言っている箇所が、自らを人間の一人称として自覚しているらしいと推測され、それが筆者には面白かった。彼はここでは機械ではなく、人間なのだ。ならば、そのつもりで彼の文章を読もう。

    彼の文章は、まず筆者の文章の問題意識、論旨に対する全体的な講評を記し、次いでその総合評価を点数化し、さらに各項目に分け、それぞれに★印を付する(最高点は5個)。同時に、その点数の理由を簡明に記す。分かりやすく、筆者にも参考になった。ここまでが、全体的な講評であろう。以下、その細目に移る。

    1.わが主張は現在の「暑さ」問題を、改めて政治的、構造的問題として捉え直そうとしているが、この着想は「非常に良い視点」だと評価する。現在の暑さは、人の生き死にに関わるほどであるにも拘らず、その対策は、概して、「水分補給、エアコン使用」等個人的な自己防衛の問題として解消されているだけに、重要だと言う。この指摘には、筆者自身、まさに然り、わが想いをよく読んだと、頭が下がった。

    2.ここでの指摘は、筆者としては、十全には承服しがたい。と言うのも、ここでのわが関心は、温暖化と国旗損壊罪を比較し、これを真正面の政治問題として論及しようとすることではないからだ。いかなる法益があるかも定かならぬ国旗問題に政治的エネルギーを費やし、他方、生存の問題にかかわる温暖化を蔑ろにしている政権の姿勢を追求したに過ぎない。ただ、AI氏はこの論点を見逃してはいないことを認めよう。「政治は何を優先すべきか」と言う政治哲学の問題を提示している、と言っているからである。

    3については、いささか面映ゆい。秀逸とされた「緑の日傘」は筆者の言葉ではなく、新聞記事からの引用である。ただここでのわが意図は、指摘の通り、「政府は温暖化対策をしろ」ではなく、先駆的な自治体では、温暖化に対して具体的な政策をもって対応し、それに応じて街づくりを進めていることを明示することであり、その意味で同氏は正しくわが意図を読み取った。のみならず、AI氏は、「緑の日傘」は単なる精神論ではなく、「測量・調査・データ分析によって政策化できるテーマ」だと言って、わが意図を超えたばかりか、捕捉してさえくれたのである(以下次回)。

  • 8月4日・火曜日。晴れ。この2日、有難いことに、涼しい日を持てた。深く息をし、休息する。だが、新聞は2頭のライオンの死を告げ、熱中症だと言う。アフリカ生まれの百獣の王もこれには敵わなかった。故郷のサバンナであれば、広大な大地の風と水辺と木陰に逃れられたものをと、無念であっただろう。欧州を襲った熱波は仏、スペインの山火事をよび、その激しさはまるで「世界の終わり」を告げるようだ(朝日8/2)。それでも、世界の指導者らは今なお、自身の領土的野心に執着し、この現実を見ない。ただ、欧州はさすがに目の色が変わった。ニューヨークタイムズ(7/31)には「欧州、気候変動により、切羽詰まる」の見出しが躍る。

    8月17日・月曜日。曇り。本日は、過日頂戴した、江戸期のキリシタン弾圧を主題とした論文への礼状である。本文を直接読まなければ理解しがたいと思うが、それでも本文から、当時の弾圧の凄まじさは窺われるのではないかと思う。

    残暑お見舞い申し上げます。過日(7/18)、社会環境学会会合の折、柳田さんより、キリシタン関係について、上智大学で先生が研究報告をなされると知らされ、ああ、お元気なのだとホッとしておりましたところ、ほどなく「元和9年(1623)江戸芝のキリシタン大殉教をめぐって」のご論考掲載の会報誌『キリシタン文化』(キリシタン文化研究会2025/5)を頂戴し、まずご厚志に御礼申し上げます。どうも有り難うございました。

    早速一読に及び、あれこれ考えさせられました。と言っても、私には当問題についての素養はまるでなく、知っていることと言えば、吉村昭のキリシタン弾圧の幾つかの作品や、遠藤周作『沈黙』他ほんの僅かなことでしかありません。よってその限りでの感想に過ぎぬことを、初めに申し上げておきます。

    豊臣から徳川に続く政治権力がキリシタンを禁教と定め、常軌を逸したともいうべき苛烈で陰惨な弾圧政策を推し進めます。御稿の「江戸キリシタン教会の崩れ」の一節にはこうあります。刑場に引出された幼子たちは、訳も分からず、玩具をいじりながら、むしろ楽し気に歩を進める中、事は始まる。「処刑次第 子ども惨殺に始まり、成人の火刑、斬首、磔刑執行。/最初に子ども、信徒女性の目の前で惨殺。18人の子どもたち 順次、上下左右に切り裂く、横に上下二つに切る、両足を切り刻む…処刑後、子どもの頭を彼らの手に結び付けた。/ついで、成人を磔刑、火刑、斬首刑に処した」(82頁)。

    不思議なのはなぜこれほどまでに、時の権力が執拗を極めた弾圧を明治まで続けたのか。ひとまずそれを、鎖国を国策とした政権が、国家制度の維持のために耶蘇教を禁じたものと解しますが、他方で西欧の文物への欲求は断ちがたく、出島を存在させます。その限り、その政策は、一貫しません。たしかにキリスト教はローマ帝国の国教とされる直前までは、大弾圧を受けますが、その後は時の政治権力の宗教的、理論的な支柱として体制を支え、中世において神政政治を確立します。つまり、カソリック教会は政治権力に対し必ずしも反権力なのではなく、むしろ親和的な教義を持っていた。秀吉、家康らがその教理を理解しえないはずもなく、事実、信長は当時の仏教勢力の対抗として、キリスト教の布教を許したと教えられております。この問題については、とうに解決済みのことかもしれませんが、私には不明のままいまだ燻っておりまして、その事が、御稿によって蘇った次第です。

    それにしても、キリスト教を受容したキリシタンの信仰も強靭です。ある信徒にとっては、生命以上の守るべき至上のものとなり、男女を問いません。棄教を迫り、惨殺、焚刑、磔刑の恐怖をものともせず、「聖母マリアの名を呼び残酷な苦痛に毅然として耐え、天を仰ぎ、途切れることなくイエズスとマリアの聖なる名をよびながら、霊魂を主に捧げ渡すまでこの残酷な苦痛を甘受し」、従容として死地に赴くさまは、神よ彼らを許したまえ、彼らは何をしているのか分からないのですから、と執り成しの祈りを唱えつつ逝ったという、シェンキビッチ『クウォ・ヴァディス』(1896)(ノーベル文学賞・1905)の一節を想起させます。そして、彼の本作品は国教となる直前のキリスト教受難史を主題としたものですから、こうした信仰の強さは、時代や国境を超えた、普遍的なものの様にも思われます。ただ、このことはキリスト教徒のみのことではなく、権力に反抗して焼身自殺を図るタイの僧侶、わが国では封建領主をとことん苦しめた、多くは農民である一向宗の戦闘のように、揺るぎない信仰を根付かせた信者にとって固有の心情ではあるまいか。であればここに私は、人間という存在の一つの特性―これを偉大と言うか、痛ましいと言うかはともあれ―を見る思いがいたします。

    しかしこうした境地に達した信仰心は、勿論、誰にも持てるものではありません。ある種の選ばれし者たちであり、しかもここでは身分や男女の別は問わない。たしかヴェーバーは、そんな彼らを称して、宗教的達人と言ったように記憶しますが、それは宗教的試練、困難に直面したその折に初めて判明する、そうした類のことでありましょう。多くはそれ以前に、早々と棄教し、体制に従う。と言って、私はそうした彼らを非難しようとは思いません。私自ら顧みても、それほど強固な信念の保持者でないことはともあれ、その場に置かれた人の立場、状況その他止むにやまれぬ事情のもとに転向、棄教の他はないからで、これもまた人間の姿だと思うからです。

    そしてここに、ユダ以来の裏切り者の出現するのも、人間という生き物の性でありましょうか。御稿では「気鋭の活動」家として布教に尽力した原主水の事例が報告されています。事が露見し、やがて捕縛された彼は額に烙印の上、「手足の指を切り落とされ」て追放。その後江戸浅草に居を移します。が、それもむなしく「元和9年下僕の密告により捕縛され、10月13日芝で殉教」、「火刑」の刑を受けました。ここで、興味深いのは、主水を裏切った下僕は、少年の頃から育てた「非常に信頼していた従者」であったことです。それが「遊蕩にふけり密告による懸賞金」「金貨三十枚」(刑死したキリシタンの立派な屋敷を含む)に目がくらみ、「第二のうらぎり者のユダ」となった。主水の無念もさることながら、人に対する信頼のはかなさを改めて思い知らされたことでしょう。

    以上、取り留めのない駄文を連ねてまいりました。まだ、書くべきことは残っているようですが、限がありません。申し上げたいことは、御稿にふれ、触発された点が多々あったと言うことです。 このところ、涼しい日々が続いておりますが、まだ暑さがぶり返すとの事、ご自愛の上お過ごしください。

  • 7月23日・木曜日。晴れ。

    7月29日・水曜日。晴れ。昨日、熊本県をM7の大地震襲う。10年前の災禍再び。イオンモールの崩落に息をのむが、これはただ自然災害と言って済まされるものではあるまい。同時に、迫る酷暑とさらに大きな地震の可能性、そして台風の接近も取りざたされる中、救出、救援物資の搬送、瓦礫撤去等、なすべき仕事は山とある。しかも時間との戦いを迫られる。まずはお大事に、という他筆者には言葉もない。

    このところの炎暑、もはや言葉を失うような日々にはなす術もない。ただ、暑い、とうな垂れるばかりだ。欧州の熱波が、今度は我われを襲ったか。冷房の部屋から一歩出れば、籠った熱が絡み、窓からの熱風に朦朧となる。テレビでは、今日は酷暑日を告げる40度だ、しかも十市に迫ると言っている。ほんの数年前でも、40度を越えるのは、一夏で2,3日あるか無いかで、その土地はテレビでも新聞でも大騒ぎになったものだが、最近では40度を割り込んだ日は、今日はマシだ、といった気分になると言うのも、こちらの感覚が狂って来たのだろう。

    この状況は、ただ暑いと言ってへこたれ、テレビで熱中症に気をつけてください、と呼び掛けて済ませるレベルをはるかに越えて、本格的な対策をとるべき段階にあると思うのだが、これを報道するメディア、そこに出演する何でもご存知のコメンテータの皆さんからも、そうした声が聞かれない。であれば、政治がこれにまともに取り組もうとする問題意識は、全く見てとれない。何故だろうと、不思議でならない。

    だが、これは本当に、打ち捨てても良いことなのだろうか。ただ、こんな報告がある。本日(7/23)、都内では午後3時までに8歳から97歳の138人が熱中症の疑いで救急搬送され、うち13人が重症、2人が重篤だと言う(東京消防庁)。また、総務省消防庁によれば、7/13から7/19にかけた一週間の全国の熱中症による救急搬送人員は10857人であったらしい。こうした事態は、国旗損壊罪の問題よりも大したことのない、どうでも良いことなのだろうか。断じて、そうではあるまい。国民はただ今現在、文字通り、生き死にの問題に直面しているのだ。これを平然と放置し、自分の趣味のような事がらにかまけていられる内閣はじめ、政治全般の無神経さを、どう考えればいいのだろう。ただ、啞然とする。

    しかし、我われにはまだ希望は残されているようだ。中央政府に匙を投げても、地方政府には賢者はいくらでもいるからだ。朝日(7/13)に「気温下げる街路樹の効用 緑の日傘」(連載)の記事を読む。まさに、わが意を得たり。以下は初回記事からの要約である。

    所は杜の都仙台市である。先の大戦の大空襲によって焼け野原と化した当市は、以来、復興の一歩として目抜き通りに植樹を施し、緑の日傘を実現した。そこでは、「夏の日差しを避けて歩けるよう枝葉が重なり合う程度の剪定にとどめている」ような配慮がある。これから暑さに向かう夏前に、枝葉をきれるだけ刈り取り、丸坊主にして、何のための植樹か分からぬようなどこぞの市の扱いとは雲泥の差である。

    「気候変動に加え、ヒートアイランド現象が顕著になる中、世界の都市は、人の命や健康を守る街路樹の効用に着目し樹木の植栽を積極的に進めている。木陰が熱中症を防ぐうえ、気化熱で気温を大きく下げるためだ」。こうした知見は、今初めて教えられたわけではない。行政に携わる者にとってはもはや常識であろうが、多くは無視されている。あれこれの理由はあろうが、世界の都市、また仙台市はじめ先駆的な都市では市民の「命や健康を守る」ために実行されているのである。そうした市の識見と努力に感謝したい。

    「樹冠被覆率」なる言葉がある。樹木のつくる陰の面積が都市全体に占める比率を意味するが、これが30%になると平均温度は0.4度下がり、熱中症による死亡を4割減らせるそうだ。

     筆者がこれを言うのは、暑さは自然現象で、なるように任せる他はないと言わんばかりの国や行政の怠慢に対してである。以前にも言ったが、現下の温暖化対策は、中央・地方政府、企業、教育・研究機関、市民にはそれぞれなすべきことがあり、それらが一体となって取り組まなければならない。とくに国家の取り組みは、急務であろう。世界レベルの条約の制定、協力体制の構築、各国の適切な資金の供出、共同研究の数々を、もはや議論や言い逃れは止めて、実行していくことだ。そして、政府はそれに合わせた国造り、法整備、政策を勧めることだ。事柄が間に合ううちに、急げ(この項、終わり)。

  • 6月22日・月曜日。曇り。

    7月1日・水曜日。曇り。この一週間、立て続けの台風接近により、関東地方はカラリとした晴天を見ない。その分、熱暑を免れ、筆者には楽だが、他方、商売上難儀をかこつ人も多かろう。それ以上に欧州は、熱波に襲われ、大変なことになっている。WHO事務総長によれば、40度を越える暑さに、1300人の犠牲者を見たと言う。緯度が高く、これまでエアコンを必要としなかった都市部、ことに旧式のアパートの、しばしばトタン板に覆われた屋根裏部屋の生活は、想像するだけでも息苦しくなる。地球規模の温暖化対策は、急務である。この期に及んで、ちっぽけな領土的野心に取りつかれ、戦争ゴッコに明け暮れる大国の政治家たちよ、目を覚ませ、と言いたい。

    7月3日・金曜日。曇り。

    「マンション修繕 ナフサ不足直撃」(朝日6/22・月)の記事あり。この問題については、高市政権は一貫して「不足」はない。流通に目詰まりがあるだけだと言い張る。だが、スーパーでは、色の消えた袋詰めが増えて来たようにも見える。カルビー株式会社がナフサ不足のため、近く白黒の袋詰めに切り替えるとの報道に対し、政権はあろうことか、「売名行為」かと憤った。筆者はここに、政権の驕りを見る。一企業の純粋な経済活動に対し、脅迫まがいの言辞を弄するとは尋常ではない。そも、カルビーほどの企業が、何故、今さら売名行為をしなければならないのだろう。

    政権は怒る前に、まず事がらを謙虚に受け止め、丁寧な市場調査をすべきであった。大企業の政策転換である。ここにはそれなりの理由があるはずだと取れば、自ずと態度は違ったはずだ。現政権は総じて、自身の政策に素直に従わない動きに対して敵対的であるが、それは、自らの政策に対する確たる自信がないからなのだろうか。国家的な政策には、反対、反論、あるいは多少の齟齬は当然であり、そんなことは政権党たるものが知らぬわけもない。絶対の政策ならば、いずれ結果が出てくると、ドシっとしていれば良いものを、「売名行為か」と口走るとは、何たる狼狽であろう。

    現政権のこうした、どこか前のめりのセカセカした運営は、「皇室典範改正案」に加えて、「衆院議員定数削減・副都心構想」案の関連法案の扱いについても見て取れる。いずれも今後のこの国の明日を決定するような重要法案だが(ここには「国旗損壊罪法案」を含めたい)、十分な時間と熟議のないまま、いざとなれば衆院での与党絶対多数を頼りに、遮二無二押し通す腹のようだ。数さえ揃えば何をやってもよいことになれば、この国の民主主義は消滅する。国際政治は今や大国の力(武力・経済力)だけが支配する場となったが、わが国内政治では与党の「数の力」がすべてとなった。

    こうした事態を放置し、これを許せば、やがては政治家の頭に浮かぶあらゆる妄想が法律となって、自分の目指す理想の国家へと強引に引っ張っていくだろう。そこに至る過程で、これに逆らう国民はあらゆる口実と捏造によって、拘引・留置されるに違いない。そうした暗黒国家への転落を黙って見過ごせば、その不幸はすべてわが身に負わなければならない。これに対抗するには、健全な野党勢力を今一度復活させる他はない(この項、終わり)。

  • 5月18日・月曜日。晴れ。世には外国語、しかも何か国語でも苦も無く修得し、母語のように操れる、例えば『大泉黒石』(四方田犬彦・岩波書店・2023)のような才能のあることを時に聞かされ、かかる御仁には筆者はひたすら羨望と尊敬の念に打たれ、ただうな垂れるばかりとなるが、今やそれどころではない。昨日、犬語、葉っぱ語、果ては石語、パンツ語まで解する才能までおられるらしいことを知り、一驚させれられた。そして、これを紹介する東海林さだお氏は、こうおっしゃる。「人間、パンツまで叱ると、もうこわいものはなくなってくる。この世に叱れないものなどない、と思うようになる」(『ショージ君、85歳。老いてなお、ケシカランことばかり』18頁。大和書房・2022)そうだ。

    5月22日・金曜日。雨。

    5月29日・金曜日。晴れ。

    6月8日・月曜日。曇り。いつの間にやら、はや半年たつ。この間、知人、友人の物故者はすでに5名を数える。わが年齢を思えば、こうなるのは不思議ではない。もう3,40年前になろうか、どこで読んだか忘れたが、こんな話だった。近親者の逝去は、なにか艦船同士の戦闘に似ている。当初、襲ってくる砲弾は遠方に着弾し、まだ安心だが、次第に照準があってくる。これを読んだ時には、そんなものかと気にもしなかったが、今は相当にリアリティーがある。いつわが艦に着弾してもおかしくはない。といって、それを特段恐れているわけでもないのは、老人力のお陰だろうか。

    今回は、献本された書物へのお礼状である。読むにやや厄介だが、お付き合いいただけたらと思う。

    前略、長らくご無沙汰しておりますが、お変わりなく、いや益々、ご壮健のこととお慶び申し上げます。過日、と言ってももはや大分以前と申し上げるべきですが、ご恵贈頂いた新著、『ドイツ自由主義の歴史研究 三月革命期の社会科学者たち』(日本経済評論社 2026)の旺盛な探求心からも、その事をとくと感じ入った次第です。そこでは、ザッヘに肉薄する強靭な意志力、わが国の現在に対する歴史的・政治的な危機意識、またややもすると反自由主義的と評価されてきた、往時のドイツ経済学に対する軌道修正を図ろうとされる、経済史家としての領野からあえて一歩を踏み出し、未耕の地に斧鉞を入れようとされる大胆な学的関心に圧倒されました。

    では、その未耕の地とはいかなる領野でしょう。まずはスミスをはじめとする古典派経済学に対するドイツ側からの切り結ぶような批判的な受容過程であり、三月革命期のドイツ経済・政治・社会状況を見据えて、自国の近代化を図ろうと結集した革命諸勢力の多様にして、背反する利害の諸対立の諸状況の確認、さらにそこから三月革命の成果としての近代国家への転生を保証する法制度の確立=憲法制定への、これまた錯綜した足取りと、「ドイツ立憲国民会議」、「プロイセン立憲国民会議」での議論との格闘です。なんという、膨大にして難儀な作業でありましょう。であれば、そこで扱われなければならない諸課題、領域は、もはや経済史研究をはるかに越えて、必然的に「国家学・政治学・憲法学・経済学など社会科学の諸分野に関連」する一大領域でした。

    当方、大学を退いて早や10年余り。本格的な学術書に取り組むには、わが脳髄はだいぶ錆びつき、時に油をさし、十分の休養を取りながらの読書となりましたが、その甲斐は大いにありました。一つの事がらが理解されるとは、どういうことか、またいかにしてそれは可能か。このことを御著を通じて、改めて教えられたような思いです。

    また、本書中、私が特に興味を惹かれたのは、3章の考察でした。ここではプロイセンの自由主義とその市民的経済思想が取り上げられますが、それを私の関心に引き寄せて言えば、市民の経済的・政治的自立への希求と、その裏返しの様々な封建特権からの解放の闘争であったと申し上げたい。ここに、英仏に比したプロイセンの社会・経済の後進性がいやでも明らかとなります。それ故また、そこで構想された市民社会像は、世襲制と結びついた立憲君主制を容認した点に見られるように、封建的な残滓は清算できませんでした。

    ここには、フランス革命にみた、行き過ぎた自由主義に発する民衆の狂暴性、徹底した経済的自由競争が帰結する中産階級の解体と過激な労働運動の激発への懸念や恐怖も作動していたのでしょう。それらを制御する装置として君主制を存続させ、こうして政治権力の二元体制を編み出した。ここに至る国民会議の部会での議論はそれ自体、往時のプロイセン諸地域の経済・社会状況そのものを浮き上がらせ、同時にそれを見据える者の関心に応じて、法律・社会史・経済史・思想史的な構想物へと転生させる原液(今流行りの言葉で言えば、幹細胞とも言えましょうか)を提示しているようにも思われ、私には特に思想形成の醸成過程を見たような場面でした。

    国民会議は革命の突然の挫折により、解体します。しかしそこでなされた議論、あるいは成果は反動政府とてそれらを否定し、無視することは出来ませんでした。それだけ浸透力のある議論がなされ、訴求力があったのでしょう。プロイセン欽定憲法の骨子として継承されたのでした。

    プロイセン憲法が明治憲法のひな型であったことは、周知の通りですが、御著では、それと関連してドイツから移植された国家学、政治学が東京大学を中心として日本のその後の社会諸科学に決定的な刻印を記す次第が示唆されております。

    しかしここで留意すべきは、ドイツ国家学は市民的自由主義に対して抑制的で「官僚主義的・国家主義的特徴」を持ち、それによって我が国の市民的自由主義に対しても負の影響を及ぼしたのではないかとの通説に対して、その修正を強く迫ろうとされる点です。それは山崎哲蔵の言葉を介して示されます。ここでは確かに君主の主権を認めるが、それは絶対無限ではない。「その目標は国法によって政府・人民の権利義務を確定し、立憲主義の制度を設立する点にある」と。つまり、移植されたドイツ国家学にも英仏で育まれた自由主義的な民権思潮は豊かに息づいており、それははるかにスミスの経済思想を導入しようとした「三月革命期」の社会科学者たちの努力に繋がることだと了解されます。

    それにしても、学説史的研究の意義とは何かと時に自問し、すでに定まった評価に対する挑戦もまたその一つではないのか、と答えたい。それによってかつての作品が新たな脈絡でよみがえり、現代的な意味を与えられる。それはまた我われの視界を新たに開くと思われるからですが、如何でしょう。 まだ、申し上げるべき点はありますが、すでに長文となり、これ以上の饒舌は慎みたいと存じます。最後に、新著のご恵贈に改めて御礼申し上げます。有り難うございました。どうぞ、お元気でお過ごしください。