• 10月20日・金曜日。晴れ。あと10日もすれば霜月の声を聞く。それでもこの暑さは、一体なんだ。バスや電車はクーラーがかかり、半そでの乗客も多い。それらを変とも思わず、当然のように受け入れている我われの感性も、どこかおかしくなってきているに違いない。

    承前。前回の記事は「蚊は再び勝利しつつある」と題し、小見出しには「(蚊の)急速な進化は死を駆り立て、ウィルスを新たな次元へと引き連れる」とある。以下は、人類の健康にとって地球上で最も危険な生物、すなわち「蚊」に対する全面戦争を敢行している、ケニアの研究者集団についての報告である。彼らはヴィクトリア湖の数百マイルの湖岸線を対象に、昼夜を問わず、新生児、タクシードライバー、ヤギやその番人等から血液を採取し、蚊の媒介する寄生虫の特定に取り組んでいる。そうして得た知見は、人類に対する蚊の勝利を予見しているかのような不気味さである。
    1970年代以来使用されてきた殺虫剤は、子供の睡眠を守るなどそれなりの効力を果たしてきたが、その後は、進化した蚊は耐性を得たのか、ことに2015年にはその死滅は「歴史的に減少して、マラリアの発症、死亡例が上昇してきた」と言うのである。
    これには温暖化という気候変動を抜きには考えれない。かつては熱帯地域の疫病であったデング熱が、今やフランスや合衆国においても発症したようである。さらには、昨年の夏にはテキサス、フロリダ、メリーランドの諸州で、この20年間で初めて、9件のマラリアの感染が報告されたとある。
    これとの関連で、朝日新聞(10/9・月)の「酷暑避けた蚊10月に活発化」のタイトルの下、「35度以上だと休息 秋に復活?」するとの小見出しの付された記事が興味深い。ここでは、秋口になって、かえって活発になる蚊の生態と共に、普通、10月には休眠する蚊の卵が孵化し、あるいはその生息域が、ヒトスジシマカの場合、1950年頃の北限が栃木県であったものが、2016年には青森県まで延伸したとある。それどころか、その生息域はさらに北上し、ヒトスジシマカが「いつ北海道に定着してもおかしくない」というに至っては、蚊のグローバルな拡散と共に、疫病の蔓延を人類は覚悟しなければならないのかもしれない。

  • 10月11日・水曜日。晴れ。
    10月13日・金曜日。晴れ。
    10月16日・月曜日。晴れ。過日、将棋界では藤井八冠の誕生を見、かつて筆者もその世界のほんの周辺にあった者として(現在は、そこから完全に身を引き、愛棋家の一人である)、何か一言あるべきであろうが、今はそんな気の利いた言葉も思いつかない。ただ、達せられた偉業には、誰しも目もくらむほどであることは間違いない。ひとは、これ程の高みに達せられるものなのかと、改めて畏怖する。
    本日は前回の文章、特に末尾を改めた。

    温暖化が地球全域に与えている、容赦ない様々な惨害については、ここでも折に触れて報告し、人類は一刻も早く団結し、これを押しとどめる有効な対策を地球規模で実施すべきことを訴えてきた。しかもそれは、本音を言えば、そうした対策はもはや時期を失し、何をしようと無駄ではないのか、という不安に絡みつかれての訴えであった。筆者からすれば、事態はそれほど切羽詰まったものであるにも拘らず、世界の指導者はそんな危機には目もくれず、自国の利益、覇権の追求に狂奔し、そのためには通常兵器を超えて、いざとなれば大量破壊兵器や核兵器の使用も辞さずと言っているのである。ではここで、改めて尋ねたい。地球上の生命体の全てを危うくさせる熱暑、砂漠化、氷河の崩壊、凶暴な台風、海面上昇、地球規模の山林火災等を日々眼前にして、国家的覇権、経済利益に何の意味があるのだろうか。
    しかも、温暖化対策の切り札の一つとして、目下、世界は自動車のEV化に躍起となっているが、そのため半導体はじめ畜電池その他の生産に必須とされるレアメタル等原材料を求めて、地球のあちこちは広大かつ地中深く抉られ、特にアフリカでの乱開発の規模をみれば、目もくらむばかりである。それは同時に、環境破壊と共に、温暖化をさらに急進させることになるはずだ。かりに走る車のCO2は削減出来ても、それ以前のこうした問題を考慮する必要はないのだろうか。
    だが、大地を掘り起こし、石油、鉄鉱石などを採掘すれば、地中に眠るCO2や細菌、ウイルス類を解き放つことは、すでによく知られた事実である(例えばマクニール『疫病と世界史』(上・下)中公文庫)。その延長上で、現在、人類は病原菌にからむ新たな脅威に晒されかねないようである。デング熱、チクングンヤ熱、致死的な熱病の発生であり、再来である。従来、これらはいずれも、アフリカ、アジアで見られる、蚊が媒介するウィウルス感染症として知られていたが、問題は、以前には認知されていなかった地域でもその発症が報告されるようになったことである。
    たしかに人類は蚊との闘争において、殺虫剤その他の改良策により、この百年ほど明らかに優位にあったと言う。しかし「この数年、その進歩は停滞的になってきた。それどころか、それは反転してきたのである」と言われるに至っては、なにか底知れぬ恐怖を覚えざるを得ない(ニューヨークタイムズ(10/4・水)より)(以下次回)。

  • 10月4日・水曜日。雨。
    10月6日・金曜日。晴れ。昨日は一転、寒いほどであった。そして、本日はやや暑い。皆様、呉れぐれも体調管理に気をつけられよ。とは、当方こそ自戒すべき事なのだが…。本日は前回の文章を整えたつもりである。

    昨日(10/3)、12時半より、筆者の母校・独協学園の同窓会が原宿の南国酒家で開かれた。会場には独協傘寿会とある。つまり、今年八十歳を迎えた同一学年の独協卒業生が、一堂に会して旧交を温めたという次第だ。ざっと見渡して、5~60名ほどの会合である。この学年は、当時7組まであったらしく、一組50名として、350名ほどになる勘定だが、それから見れば、参加率は中々のものではないか。首都圏を超えた遠方よりの参加者もあり、本会がそれだけ心待ちにされていたことが分かる。企画、実行の労を取られた主催者、幹事には心よりお礼を申し上げたい。有り難うございました。
    本会は10年前、同一会場でたしか古希会(?)として開かれたが、筆者は出席と返信しながら、当日は止むなく欠席してしまった。閉会に当たり、主催者の、前回はもう少し盛会であり、参会者に若さがあった、との言葉が妙に心に残った。それはそうだ、本日この場に出席した皆のこれまでの星霜が、さらに10年、積み重ねられたのだから、と。そして主催者から、会としてはこれを最後とし、今後は各自で交流を持ってほしいとの言葉が添えられ、一本締めで締めれられた。
    会は15時半までの3時間であったが、終了後は、皆三々五々帰っていく姿が面白かった。まだ陽も高く、中秋とは言え、まだ青々とした葉を留めている大きな欅並木に覆われた表参道の賑わいの中(昨日の参道はインバウンドの影響か、人出はかなりのものであった)、どうしたわけか何事もない様子で帰宅についていくではないか。かつては二次会、三次会と続き、帰宅は決まって深夜に及んだはずである。そこそこのカネと暇もありながら、身体が付いていかぬ。誰もがそれを知っているので、互いに誘いもしない。あの連中が静かになった姿を見て、かすかな哀愁を覚えたものである。
    対する当方は、人混みの中、坂を下り、また昇って表参道駅まで歩くと、歩道に面した瀟洒なレストランが目に入る。早速、案内を乞い、そのテラスに陣取ると、おもむろに珈琲一杯とやった。こうして、樹々の間を行き来する車や人々の賑わいを眺め、読みさしの本を読んでは、2時間ほどを過す。〆て千円。店内では、ディナータイムの準備が始まり、あのまま居続けたら、もっと酷い目にあっただろう。
    その後、銀座線で浅草に回り、久しぶりに洋食のヨシカミに向かう。評判のステーキなどではない。そんな重いものはとても行けない。サラダ、スープセット、半ライスのカレーをとる。あまり上客でないのは承知の上だが、それでも馴染みでもあり、よく知るコックさんからは、暖かく迎えられたのは、嬉しかった。
    春日部着は22時半をこえていただろう。当日は、私にとっては殊のほか早起きであった(10時)。その上12時間の東京行はさすがに堪えた。普段であれば、歩くところを、欲も得もない、バスに乗る。携帯の歩行数をみれば、ほぼ9千歩。新聞、テレビをと思う間もなく、床についたのは、23時チョイ過ぎか。柄にもない早寝のゆえであったか、深夜に眠りが途切れ、小一時間ほどニューヨークタイムズと格闘していたら、朦朧となって寝落ちしていたようである。

  • 9月15日・金曜日。晴れのち雨。本日は、元に戻って前々回(8/28-30)の論題の続きである。
    9月20日・水曜日。曇り時々雨。不規則と疲労がたたって、腰を痛めた。これまでの経験から、一週間の苦痛を覚悟する。
    9月25日・月曜日。晴れ。オオアタリ。筆者の言が的中し、思わず手を打った。本日の朝日朝刊(9/25)一面を読まれたし。

    過日の日本政府による福島沖への原発処理水放流の決定に対して、中国政府は海を下水道化するなと猛反発した上、日本からの海産物を全面禁輸にしたのはご承知の通り。だが、中国政府は中国船の日本近海での操業を禁止するどころか、例年通りの旺盛なサンマ漁が行われている。当然それは汚染サンマであるから国内への搬入は禁止になる筈だが、そうはならない。その理屈は、同紙の見出しが示すように、「同じ海域のサンマに線引き」し、「中国船が取ると自国産」であるから安全であり、「日本船が取ると禁輸に」なる、との見事なまでのお説によるからである。
    そして、当ブログ(9/11・月の加筆部分)で、筆者はこう指摘しておいた。公海上で漁(と)られた魚介類は「日本船によるものだから汚染されている。それ故、それは輸入禁止になる」と。朝日では、筆者とほぼ同一の言葉と理屈が述べられているのに苦笑したが、それ以上に驚かされるのは、我が説は、一つの論理の進むところを述べたまでだが、中国政府は世界の目の前で、これを恥ずかしげもなく平然として実行する臆面の無さである。つくづく思うが、国家とはこれほどまでに鉄面皮なのか、それとも中国政府だからなのか。
    9月29日・金曜日。曇り。今なお夏日が続く。異常気象、極まる。

    承前(8/28‐30)。近年のカナダで見られる温暖化絡みの様々な惨禍は、地球規模で生じている気候変動の一環であって、同国に限った現象でないことは、人びとにはよく分かっていた。にも拘らず、この山火事の惨状には、これまで経験したことのない規模と、拡大の速さに度を失った。35年間をかけて、気候と山火事との相互関係を一途に研究してきたトンプソンリバー大学の一教授は言っている。気温の上昇は想定内であったが、「それがもたらした影響ははるかに深刻であり、頻繁であり、危機的である。これは狂気であり、さらに酷くなる」(前掲記事より)。南フロリダの海水温度は摂氏37.7度を記録し、これはなんとバスタブの理想的な温度だと言う。
    特に注目すべきは、北極圏の温度上昇の速度が世界の平均値の4倍にも達していることだ。それがジェット気流の不規則な流れを来し、そして大気圏の構造に凶暴な変動を与え、これまで経験したこともないような「記録破りの」高温、台風、雷雨、干ばつ等の気象現象を多々惹き起すらしい。そうした気候学的な説明は、筆者の手にあまるので省略するが、以上からも温暖化が地球レベルでもたらす深刻な影響については、今年、世界が目の当たりにした、カナダ他一連の惨状を見るまでもなく、何となくお分かりいただけよう。それにしても、こうした惨状をもたらした「今年の夏の大変異は(今後の)ターニングポイントであるのかもしれない」と記事は結ぶ。
    上との関連で、今一つ、今年の夏の異常な暑さを示す事例を付け加えておこう。南極海の氷の異変である。南半球の季節は、言うまでもなく、北とは反対の冬である。にも拘らず、そこでの氷は記録的に薄かったと言う(ニューヨークタイムズ・8/10・木・「記録的に薄い南極の海氷」より)。当記事には南極大陸の地図と共に、大陸の周囲に張る冬季の氷の海域が、40年間の平均に比べて100万平方マイル収縮した図が掲げられ、「今年は本当に違う。…この状況は突然の変異だ」と、ここでも研究者は上と同じように「突然の変異」に深い憂慮を吐露しているのである。
    その結果、南極大陸の氷河、氷床がその守りを失って、直接海洋に晒され膨大な氷塊が崩落し、海面上昇を引き起こす。かくて海洋システムの安定性は損なわれる。普通、海洋は大気中よりも温度上昇は遅く、CO2や熱を吸収するが、限度を超えれば海水温度の上昇による海流の混乱と停滞を呼び起こす。海洋生物へのその影響は計り知れない。多様なプランクトンは消滅し、アデリーペンギンの餌となるオキアミは減少する。皇帝ペンギンは海上の氷上に産卵し、その上で育成するのだが、薄い氷上ではそれが出来ない。成長前にヒナが海中に没するからだ。こうした事態は南極海周辺に留まらず、サンゴ礁の白化を挙げるまでもなく、海洋全体に及び、島嶼国や世界の沿岸諸都市を呑み込んでいく。
    折しもこの記事と同一紙面上に隣り合って、「山火事、嵐、洪水、欧州を襲う」、「焼けつく熱暑に続く避難、死亡」の記事が掲載されている。まさに地球全体が温暖化どころか、「沸騰している」のだ、と国連事務総長が呻いたその通りの状況を晒しているのである。
    このままでは、地球は滅ぶ(この項、終わり)。

  • 9月4日・月曜日。曇り時々雨。暑さやや緩むが、台風の影響で、蒸し暑い。本日は前回の続きを扱うところ、急遽、以下のような問題になった。 
    9月11日・月曜日。晴れ。依然として猛暑。本日は前回の文章にやや手を入れ、一段落を加えた。それが良かったか、悪かったか。

    過日の原発処理水の海洋への放流が、特に中国政府から、太平洋を下水道化するなと言う激烈な指弾を受け、日本からの水産物は全面的な輸入禁止に追い込まれた。全国の漁業関係者には、衷心よりの同情を禁じ得ないし、政府の手厚い対策は当然である。
    かの国の難癖、言いがかりには、今さら驚く身ではないが、ここではただ一点、お伺いしたい。日本近海の魚はすべて「汚染」されているというのだから、諸君らは自らの健康を考えれば、尖閣はじめ近海での漁は全面的に禁止されるのであろう、と思料するが如何か。それとも、諸君らの漁(すなど)る魚貝はすべて安全のゆえ、日本近海の漁は平常通り行われるのであろうか。その場合には、我が国の排他的経済水域から出た魚介類は、その時突然、安全になると言うことになるが、諸君はそうお考えなのであろうか。であれば、公海上の日本漁船による魚貝も安全でなければならないが、それは日本船によるものだから汚染されている。それ故、これは輸入禁止の対象になる、というのだろうか。
    こう辿ってみれば、中国政府は処理水による魚介類の汚染など、まるで心配していないことは、ハッキリしている。彼らは、近年の日本政府による対中国外交政策が不快でたまらなかった。クワッド(米日印豪)や米日韓の連合の強化、さらにはNATOとの連帯等は、地球規模での中国包囲網に見え、これを放置することは出来ない。これに何とか一矢を報い、打破する道はないか。この度の水産物の全面禁輸策は、そうした中国外交のカードの一枚に過ぎず、この点は、すでにあちこちで論じられていることである。我われはこれを、また始まった、くらいに考えていれば良いのである。
    それにしても、この度の中国政府の対応に対する日本政府の狼狽ぶりはどうだ。何かやるとは思っていたがこれほどになるかと嘆息し、まさに「想定外」の事態に直面させられたと言うのには(朝日新聞8/25・金)、甚だ心もとない。台湾のパイナップル、オーストラリアの鉄鉱石等に対する理不尽で、なりふり構わぬ報復的輸入禁止策はかの国の常套手段ではないか。外国からの自分たちに対する不都合な対策には、経済問題を政治化するなと声高に叫びながら、彼らこそ自国の巨大市場を盾に取り、そこに組み込まれて今更撤退も出来なくなった相手国に対して、政治的強権を駆使して、容赦ない禁止策、脅迫を振りかざし、自国の要求を有無を言わさず飲ませるのは、重々承知のはずではなかったか。
    それを今更想定外と言われては、わが政策当局は、一体、中国と言う国をどう考えていたのか。まさかそこまではやるまいと言う、中国政府に対する信頼、と言うより甘えがあったのかと不思議でならない。だが、自らの間違いは、国民に対しても、世界に対しても絶対に認めないばかりか、悪いのは常に相手側なのである。明々白々の事実を突きつけられても、常に悪びれない言い訳と誤魔化しが用意されている。であれば、どれほどの理不尽も平然とやってのける、それが中国政府なのではないか。
    誤解してもらっては困るが、筆者はその国民を非難しているのではない。国民レベルで言えば、中国人、日本人に変わりがあろうはずもない。同じように、善人もいれば、悪人もいる。しかし、国家としての中国は別である。我われはそういう容易ならざる国家を隣人として持っているのである。そのことを骨の髄まで悟りきり、交易はその覚悟の上で行わなければならない。筆者は露国に対しても同様に考えているが、そうであれば、そこから引き出される結論はこうなる。両国に対する経済的な依存性は徐々にうすめ、出来るだけ関わらなくともやっていけるような経済・政治体制を世界と共に築き上げていくことだ。両国に対する甘い考えは、我が国の安全保障及び経済的利害を根底から危うくするものだと覚悟すべきなのである(この項終わり)。