2024年03月04日

3月4日・月曜日。晴れ。
本日は、「承前」のつもりが、いつの間に下記のような主題となった。また、話が断絶してしまった。

過日の政倫審での岸田首相はじめ各政治家の弁明は、要するに自分には問われるべき責任は何もないと言ったにすぎない。ならば、この不祥事は誰によって引き起こされたのか。ただ、派閥事務方の会計責任者のみの失態だとでも言いたいのだろうか。いずれにせよ、彼らはこれをもって、国民には十分説明責任は果たした、と本気で思っているらしいのだが、そうした感覚が、筆者にはどうにも解せない。
百歩譲って、彼らの話がその通りであったとしよう。数億という裏金問題を生みながら、それを察知できないまま何年間も放置してきた、誠に迂闊な派閥最高責任者が、閣僚として、国家の何兆にも及ぶ大事業を過たずに完遂できるのだろうか。その裏には、いかなる不正、過誤が潜んでいるのか、知れたものではない。
それ以上に暗澹とするのは、糺すべき不正を放置したばかりか、それを利用してきた政治家たちが、国民の注視する目の前で、その全てを平然と部下に擦り付けて愧じないその姿である。正視に耐えない無残な場面であった。ここには廉恥心のかけらもない。こうした人間が国民の代表として、付託された権力をほしいままに牛耳り、政治資金規正法なる法律も政治家には害の及ばぬよう、知恵の限りを絞って骨抜きにし、それすら守らず、守れず、巧妙に逃げ切る仕組みを造ったのである。そのお蔭をもって、検察も彼らを無罪放免としたのであった。だから彼らは言い放った。「検察の厳正な捜査もと、自分にはいかなる不正もなかったことが明らかとなった」。
「悪夢のような民主党政権」とは、故安倍元総理の口癖であったが、この20年来の日本社会の経済、社会の停滞と悲惨は、自公政権の結果ではなかったか。こんな政治が、今後まだ何年続くのだろう。筆者の憂鬱は、政治家たちには様々な特権が幾重にも与えれながら、各地域には日々の食事に事欠き、子ども食堂に押し寄せる児童が多いという、そうした報道に接することである。このような子どもたちの多くは、学校での給食が最大の栄養源だというのである。しかも、彼らの命綱でもある子ども食堂の経営が、しばしば困難を来しているとも聞く。この落差を、我われはどう受け止めるべきなのだろう。


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