2023年12月04日

12月4日・月曜日。晴れ。下記の文章は、先月11/6(月)に粗方書かれていたが、ケリの着くところまで行けず次回発信としたが、前回記したように、その間色々あって、今日まで日延べとなった。それにしても、こんな些細なことでも思うに任せぬというのに、我われの日々の生活が、それでも破綻せずに、何とか維持されている不思議(筆者には、それはほとんど奇跡のように思える)を改めて感ぜざるをえない。ネット社会によってもたらされた便利と脆弱性が、益々、その感を強める。
その間、久しぶりに時事川柳が浮かんだ。時事としては、もはや鮮度は落ちるが、そんな一事が現在の自民党裏金問題の先駆けだったかも知れないと、こじつけて掲載しておく。

知らなんだ 閑人なのか 納税者 みつお

律儀に納税する奴は、結局、閑人なんだと言われたようで、しかもその御仁、税を徴収する財務省の副大臣様と言うに至っては、怒りを超えた何か言い知れない哀れと共に、この国の行く末を、心底憂う。

本日(11/6・月)、25℃と聞いた。ほぼ夏日である。霜月と書き、晩秋を迎えた今日の話だ。半そでのTシャツで歩く人たちがいる。交通機関や店舗にはクーラーが欠かせない。しかも、こうした状況をさほど変だとも思わず、慣れつつある我われの感覚も、おかしくなっているのだろう。
と言うのも、テレビに映し出される、列島中の異常気象に人びとは一様に驚き、あきれるが、それ止まりのことである。このことを深刻にとらえ、政治を動かし、政府に対し問題を突きつけようとする気配もない。政府はそれを良いことに、打ち出す政策は経済発展ばかりであって、地球温暖化に対しては、Co2排出削減の数値やそれを達成するための技術、原発の再稼働、再延長(これ自体、安価な電力の安定供給が主体で、要は経済問題である)に限られ、温暖化に対抗した国のあり様、社会の仕組み造りについての議論や、それを実現するための総合的な対策はあるのだろうかと訝るばかりである。
だが、こんなことで、本当に大丈夫なのだろうか。筆者の目下の懸念はこうだ。現在目の当たりにする異常気象が、自然界や我われの生活、ことに社会経済に対しどれほどの範囲で、またどのような影響を及ぼし、それがいかなる帰結をもたらすのか、そうした全容を我われは、恐らく、いまだ捉え切るどころか、その緒にもついていないのではないか。だからこそ、我われは呑気でいられるのであろう。そう言えば、過日の「折々の言葉」に、人間は本当に深刻な問題は考えることが出来ない、とあった気がするが、たしかにそうなのかも知れない。
しかし、こんなことがいつまでも許されるはずがない。自然は、現在、様々な仕方で温暖化の歯止めなき進行と、それがもたらす多様な危険や脅威を、時にはシンバルや打楽器を打ち鳴らし、あるいはかすかだが、しかし決して聞き漏らすことは出来ない通奏低音を響かせ、我われに警告し続けているのではないか。まだ間に合う、大丈夫、などと言っていられる時間はないのだ、と。
ニューヨークタイムズの「旱魃、パナマ運河干上がらせる」、「旱魃パナマ運河干上がらせ、交易阻害す」(11/3)は、その一例に過ぎない。水位の低下により、運河が捌ける船舶数は激減し、閘門内に航行可能な水量を満たす時間は延び、果てはホーン岬(チリ)経由での輸送を余儀なくされる。それによる費用の増加はもとより、航行延長によるエネルギー消費が温暖化、そして環境への負担をさらに加えるという訳だ。と言う次第で、温暖化による一つの障害が、その後いかなる広がりと連鎖を持って、他にどう影響するかを、我われはいまだ見通せていないのではないか(以下次回)。


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