• 3月4日・水曜日・晴。花芽やや膨らむ。

    前回の文章の末尾は、書いた本人にとってもよく分からない。ならば、読み手はもっと分かるまい。あんな文になったのは、パソコンと3、4時間ほどの格闘の末、私はモウ疲労困憊。一刻も早く解放されたいとの思いに駆られたのであろう。さりとて、中途で投げ出すわけにもいかず、ともかく結論を急いだことがある。だが、最大の理由は私にも分からない領域で、なにやらエラソウナ事を言いたかったからかもしれない。それはともかく、前文をもう少し補足して、意のあるものにしたいという気になった。その結果はさらなる迷妄の闇に踏み入ることになるやも知れぬが、あと1回だけお付き合いを。

    「価値の普遍性」あるいは「普遍的価値」という言葉が難しい。だがこの言葉の哲学的な釈義はどうでもよろしい。ただ、ここで私のイメージしたのは、こんな風な事であった。例えば『地下生活者の手記』を読む者は、その主人公とまったく同一の、これはアイツだ、といえる人物を思い浮かべることはできまい。しかし彼に似た小心で、やたら自尊心だけが強く、傷つくことを恐れ、だから地下室に潜り込んでだれ彼構わず呪っていそうな、そんな人ならすぐさま思いつくだろう。しかもその指先が次第に自分の鼻ズラに向かってくる気配に襲われ、ギョッとさせられるかもしれない。事実、この作品をとうして、私はツマラン事と分かりながら争うわが卑小さと見栄、自分ではドウにも始末に負えない心情や恥辱を容赦なく明るみに引き出された思いに駆られた。誠に情けない次第であった。だがしかし、他方で、人間とはこのような存在なのだ。お前だけではない、と諭されたような気にもなる。にも拘らずこうして自分は許されて生きているのだ。ならば、他者に対してもそうでありたい。読後の直後は、確かにソンナ健気な気持ちを持ったと思う。本作品の成立契機は、合理的な社会建設を目指そうとする思想潮流に反し、人間の非合理を突きつけようとする意図に発したと言はれているようだが、そんな文学史的な経緯と説明などまるで知らなくとも、その意味は十分味わうことができる。こうして本作品は、とくに現代の市民社会に住まう人間の本質を見事に抉ったものとして、私は評価するのである。

    このように、一つの具体像を介して、ある場合には何処にも存在しない虚構を通じて人類全体に敷衍し、共感を喚起するのは、文学だけの特権ではない。絵画。ここではたった一個の事物、人物、風景が描かれながら、その具象の向こう側にある美その物を抽出させる。これを鑑賞する者は、しばしば画家の絵筆があまりに見事に対象を写し取る筆力に感嘆し、それに捉われ「マルで本物のようだ」「生き写しだ」と嘆声をあげるが、それはドウもちがう。これでは画家を褒めたことにはならないらしい。画家の努力は具象に寄りかかりながら、まだ見ぬ新たな美その物を現出させようとしているようなのだ。そこに写真と絵画との違いがあるという。ただ正直に告白しよう。このようなレベルで絵を見たことは、私は一度もない。残念ながら、それほどの鑑識力、審美眼は持ち合わせてはいない、と(ここまで来たら、音楽についても一言あるべきだが、これは絵画以上に我が感性の彼岸のことゆえ、割愛のほかはない)。

    どうであろう。以上の拙文で、前回の文章の意は、少しは満たされたであろうか(この項、ホントに終わり)。

  • 2月26日・木曜日・雨。

    この件について、もう一点補足して置こう。今回の事件は政府にとって政治的に失うべきものはなにもなかった。むしろ、得るところの多い事案であった。つまり、その取り組みは、断固としており、その後の世論調査に見るように、国民に安心感を与えることができた。しかも、後藤氏の生還に成功しておれば、内閣の支持率はいやがうえにも上昇したはずである。残念ながら、それは叶わなかったが、それは理不尽極まりない相手のゆえであった。それゆえ、国として今後はこのようなテロ組織の台頭を許さず、またその撲滅をめざし、世界諸国と協力して世界平和の実現に邁進していきたい。こうした政治アピールを国民や世界にむけて発信することが出来たのである。

    以上が、私の言う「政治と個」の問題である。政治とは徹底して全体であり、その意味で統計である。その事は、政治の主たる領分が立法行為にあることからも明だ。法の多くはすでに社会に生じた多様な矛盾、困難、不都合の除去を目指して、遅滞なく行政権の行使を可能にするために、制定されるものだとおもう。とすれば、除去されるべき事案が、その放置によって社会不安、延いては社会制度を危険に落とし込むか、あるいは社会の発展を阻害するほどに蔓延していなければなるまい。その意味で法行為は基本的に消極的な性質を帯びるといいたい。立法とは社会事象の後追を主とするようにしか見えないからだ(ただし、日本国憲法はこの点で刮目すべき意味があると言われる。これにより、全く新しい、理想的な国家建設を目指そうとしたからである。法工学と言う言葉を聞かされたような気がするが、要するにこれも同じ主旨のことであろう。だが、これらの問題はすでに我が能力をはるかに越え出たことでもあり、ここで打ち止め)。

    前々回、個の問題は文学や宗教の領域に属する、と私は言った。人の生活は社会的であるほかないが、しかし彼の幸・不幸はマッタク彼本人のものである。経済学や社会学の理論によってその幸・不幸のよって来る理由を説明されても、最終的に得心するか否かは彼の問題である。彼の生活は、そんな社会理論の枠を超え、様々に受け取られ、意味づけられて、彼一個の人生となろう。そこには彼だけの悲喜こもごもが詰まっているのである。

    この時、彼の人生は孤立し、孤独でもあろう。多くはそうに違いない。語ろうとも誰にも理解されず、かえって馬鹿にされ、嗤われるのがオチともなれば、絶望、孤独感はさらに募る。そうした人生の一場面を切り取り、「実は私の生活はこうだった」と誰かが告白し、それが自分のそれとは完全に一致しないにせよ、心情において触れ合い、理解できるカケラでもあれば、その人は慰められることだろう。文学や宗教の始まりは、このようなものではないか。宗教の謂れは、まずは目の前の自分の幸・不幸の理由を知り、ついで自分の生きている社会の成立やこの社会を包む世界の淵源から、ついには「人は何処から何処へ行くのか」を理解したいという、人間の本源にある欲求に始まったと聞いたことがある。こうした事を聞き知ることで、彼、彼女は今ある自分の生活、人生上の問題を理解しようとするのであろう。そうして己の不満、不幸、憤懣を解決しようとするのである。心の騒ぎ、激流を静めたいのである。

    私は文学、宗教の始まりをこんな風に理解している。それが本当にソウなのか、ドウなのかは知らない。でも、コウだとすれば、そのいずれも徹底して個に向き合おうとするものである、という私の言いたいことはお分かりであろう。

    だが、である。このように個に向き合った文学作品が、なぜ他者との共感を得られるのだろう。自叙伝を考えよう。そこで述べられていることは、まさに彼本人のことでしかない。彼にのみ当てはまることである。読み手とは、時代も処も違う人のことである。だが、共感とは、普通、ある種の類似性、共通性がなければ、成立するものではあるまい。してみると、それは場所や時代、地位や貧富、性差と言った(それがとても大事であることを否定しないが)事柄にまつわる外的な特性は、必ずしも重要事でないことになる。そうした事柄を全て取り除いてなお残らざるを得ない、人間本性の共通性に訴えてくるからだ、と言う他はない。それが今見たように、外的なことでないとすれば、そこには心の中の、しかも時代や場所を超越した森羅万象、喜怒哀楽、真理や価値観に訴える何物かがあるからなのだろう。私はここで、確かに困惑している。これをドウ命名してよいものやら、見当がつかないからだ。それでも、参考のために、ドイツのある哲学者にならって「価値の普遍性」という一語をふしておこう。言い古された言葉であろうが、名作とは他の一切の類比を峻拒した、どこまでも個性的、独一的な内容でありながら、同時にいつの時代、どの国民にも受け入れられる、普遍性を持った作品であるに違いない(この項終了)。

  • 2月19日・木曜日・晴。 

    まず、私がここで言う政治化、統計化の意味についてハッキリさせておこう。その事柄が散発的に発生するだけで、なんら集合的でなければ、その数がいくら多くてもそれは統計化されない。それは大量現象のなかで常に生ずる偏倚、誤差として処理される類のものである。たとえば貧困。それが完全に個人の怠惰、怠慢、寄生的気質等以外のものでないとすれば、社会はその貧困を個人の責任に帰して放置するであろう。そうした人たちはどんな社会、どんな時代にも、ある比率で必ずみられるものである。ドストエフスキーは『死の家の記録』の中で、目の前に差し出された酒か小銭と引き換えに、重罪犯の身分と自分の軽罪の地位とを交換している人の事例を報告しているが、例えれば彼らはそういう人たちであろうか。そして、そのような人の貧困を古典的貧困と呼んだ人もいる。

    これに対して、社会の仕組み、構造から必然的に生み出されるような貧困がある。豊かな田畑が少数の者達に独占されているというような仕組みである。ここではその仕組み、制度のゆえにいかな個人の努力もほとんど意味をなさない。ベトナム戦争期のベトナム農民はそんな仕組みの中で暮らしていた、と開高健はいう(『ベトナム戦記』)。これをここでの事に引き寄せていえば、大量に発生しているそうした貧困はその背後に説明され、回答されるべき意味をもった出来事になっている。その仕組みを変えない限り、その貧困は恒常的に、大量に発生しつづけるほかはない。その不平等や理不尽はやがて人々の意識に上り、問われ、その是正を求めて彼らは結束する。それが、政治化の意味である。

    さて、これらを頭に入れて(もしかしたら、以上は全く不必要な饒舌であったかも知れぬが)、例の後藤氏の場合を考えたい。本件に対する安倍政権の対応は、その後幾つか批判も出たが、それはここでの問題ではない(もっとも、後智恵の批判はいくらでも出よう。だが、そんな事は政府にとって何の痛痒も感じまい)。むしろ総理自身が陣頭に立ち、人命尊重の立場からヨルダンに対策本部を設け、日本政府の立場を世界に発信し、「イスラム国」の理不尽を訴えた。そのような対応は映像にみる限り、迅速かつ断固としており、国民にたいして訴えるものがあったであろう。事実、過日の世論調査では肯定的な数値が高かったのである。

    では、政府は何故これほどに手厚い対応をとったか。海外で事件に巻き込まれ、命を落とす国民はいくらでもいようが、その度にこのような扱いをされる訳はない。これについて朝日新聞は、ある教授二人の対談を掲載した。そこでは、海外で命を危うくされた日本人があれば、国家が彼らを救済するのは当然で、それは国内で路上に倒れた泥酔者を無条件で救急車を走らすのと同じだ、と主張されていた。これは、その後政府高官が後藤氏のシリア行を「蛮勇」としたことに対する一つの反応であったかもしれない。だが、私にはこの説に与することはできない。無条件で泥酔者を助けることは当然にしても、その泥酔を何らかの形でたしなめることは、やはりありえようからだ。

    朝日の対談には事の本質はない。この度の事件に対しては、政府は出来る限りの事をした、と私はおもう。だがそれは、安倍政権だからではない。どの政権であろうと、その巧拙はともあれ、この程度の対応はしたであろうし、またせざるをえなかったはずである。さもなければ、世論の支持を失うからだ。事は世界の注視する政治ショーとなった。全力で後藤氏を救出する努力、姿勢をまずは国民に、そして世界に示さなければならない。人命を重視し、テロに屈せず、民主主義の価値を守り抜く政府であることを見せ付けなければならないのだ。つまり、後藤氏の命を守る姿勢を示すことで、実は国民の生命財産(全体)を断固死守する、またそれができる政権であることを誇示したのである。とすれば、ここでの問題はもはや後藤氏という個人ではなく、国民という全体であった。

    しかも事はこれで終わらない。この度の有事で、政府はじつに多くの事を学んだはずである。現在のわが国の中東世界におけるプレゼンス、外交関係、彼らとの対応力、有事に対して行使し得る軍事的能力、そして世界の政治的、軍事的諸力に対するわが国の動員力が 現実にどの程度ものであるかを、机上での単なる演習ではなく、実践を通じて検証しえたのである。これは恐らく、集団的自衛権の問題に取り組む現政権にとっては、またとない好機であったであろう。以上は我がか細い脳髄が絞りだした単なるモウゲンである(この問題は次回にもう一回続く予定)。

  • 2月13日・金曜日・晴れのち曇り。 

    統治機構は前述のようなものとして存在する。それは現代の民主主義的政体をとる諸国において特にハッキリしていよう。あるいは、これに対しては、色々批判もあるかもしれないが、ここではそのように理解されたい。そうでないと、話が進まん。とすれば、政策の立案と遂行は国民的、国家的な課題に関わらざるをえない。その課題は何かと言えば、国民の潜在的、顕在的な、しかも切実な願望、欲求の他にはない。各政党はそれを掬い取り、その実現のための方途を国民に明示し、支持を取り付ける。最も説得力のある政策を提示しえた政党が多数を占め、政治権力を手にしうるわけだ。だがここには、大きな危険が潜む。ポピュリズム(大衆迎合主義)という危険である。これは民主主義という政治制度の宿痾であろう。であればこそ、国や時代の孕む困難を直視し、それと対峙し、一時の苦難、苦痛を敢えて主張し、国民を説得できるような政治のリーダーシップが切望されるのである。だが、これも難問。それが独善、さらには独裁へと傾斜する危険を、どう見分け、阻止するのか。その最大の防波堤は、国民の政治的な成熟でしかあるまい。

    またもや、話が回り道に落ちた。私が問題にしたかったのは、政治と個の関わりである。政治とは、前述来の通り、「統計」的な問題、集合的な問題をこそ対象とする。それがその本質だと思う。個々人を襲う、やりきれない困苦、悲惨の除去や不安のない日常生活の実現は、それが個のレベルにある限り政治は相手にすることはないだろう。たとえば、浅草には今日も寒空の下で一夜を明かすホームレス氏が多く見られる。闇金融に追われた人々が舐めた恐怖と悲惨は、それが統計的な問題になる以前には見向きもされなかった。今なお「滑り台社会」の底に喘ぐ多くの、だが政治化されないバラバラの個々人は見捨てられたままである。そうであればなおの事、社会や報道はそうした人々の困苦を掘り起こし、顕在化して、その現状と社会経済的な背景を明示し、これは明日の我々すべての姿なのだと警鐘を鳴らす必要があるのだ。これが、私の言う政治化の意味である。そのような文脈でみれば、この度の後藤氏についての政治の取り組みにはどんな意味があろうか。漸く、本題にたどりついたが、疲れたので、今日はこれまで。

  • 2月4日・水曜日。晴。立春に敬意を表したか、穏やかな一日。但し、明日の予報は、雪。

    前回の拙文を読み直し、エライ議論を始めたと後悔しきりである。といって、今更止めるわけにもいかない。何とか、始末をつけることにしたいが、その気持ちが進まぬ第一の理由は、後藤氏の殺害にまで事態が進んだことである。報道によれば、氏の此度のシリア行は、友人の湯川氏の救出、戦場下にある子供たちに寄り添い、その生活を捉え、日本の子供たちに知らしめたい、という意図に発したことである。それ自体には、批難されるべき謂れは一点もない。また、同氏は世界のジャーナリスト、イスラムの人々からも愛されていたようで、そういう人物の死を前にして、何事かを論ずるには大いに躊躇させるものがあるからである。ここでは、彼の死について語った兄の一言を引いておこう。今日までの日本政府はじめ世界から寄せられた救出の努力、支援に感謝すると共に、弟の今回のシリア行きはやはり「軽率であった」(indiscreet)(ジャパンタイムズより)。ここには、近親者のみが抱きうるなんともやりきれない痛惜の思いが滲み出ていよう。心よりご冥福をお祈りする。

    さて、私見によれば、政治とは全体福利の追求にある。即ち「最大多数の最大幸福」の実現である。ただしその中身は、前回述べたように、千差万別である。西洋的な民主主義の基準からすれば、まったく理不尽にみえる統治機構も当の国家にとっては真っ当な、かくあらねばならぬ組織でありうるし、そのようなものとして国民からも認知され、承認されうるからである。とすれば、外からのあれこれの批難、批判は要らぬ容喙にすぎない。ここに、いかなる政治組織も最終的には最大多数の国民からの支持を得ること、つまり彼らに対するその政治的な支配の正当性が認められなければ、短期的にはともかく、長期の存立は不可能であろう、と言いたいのである(本日はこれまでとする)。