• 5月28日・木曜日・晴。

    今日は、少々、英語の勉強をしよう。と言って、文法とかナンとか、そんな難しい話ではない。そんな話は、やりたくともコチラができない。英文を読んでいて、たまたま気付いたことを、チョイト、捻ったまでのこと。そこで、次の英単語を読んで貰いたい。

    involve・巻き込む、没頭する。involvement・参加、没頭、男女の親密な関係。

    absorb・吸収する、自分のものにする、没頭する。absorption・専心、熱中、没頭。

    immerse・浸す、深く巻き込む、没頭させる。immersion・浸すこと、熱中、没頭。

    fascinate・魅了する、とりこにする、興味をそそられる。fascination・魅了されること、夢中になること。

    intrigue・陰謀をたくらむ、不義(密通)をする、興味をそそる(fascinate、amuse)。名詞として、陰謀、策略、不義。

    何を言いたいのか、お分かりであろう。上記の単語は、いずれも「没頭する、我を忘れる」こと、状態を表そうとする点で、共通した意味を含む。もちろん、それぞれの言葉はそれ固有の由来と意味を持ち、それを基にして派生的に没頭、夢中の意味を帯びることにもなったのであろう。そうした言葉の語源や転生過程を探るという言語学的な探索は、それ自体、実に興味深く、人を「没頭・夢中」にさせる学問分野の一つであるが、ここではそんな事は、トテモ出来ない。

    ただ言ってみたい事は、一口に「没頭・夢中」といっても、そのあり方、あるいはそこに至る過程は全く違うということだ。つまり、それだけ多様な「没頭・夢中」があるということである。そうした事態が、上記の言葉の解釈を介して何とはなしに理解されそうな事が、私には面白いのである。

    例えば、invole。或る事に関わる内に、その人はそれに深く巻き込まれ、逃れられなくなって、次第に事の奥行き、深みを知るようになり、いつしかそれに夢中になる、というのはどうか。しかも、当初、事に対する興味はおろか嫌い、否、憎しみすらあったかもしれないが、にも拘らず、不覚にも、という事であれば、この語の意味はなお深まりも増そう。安倍公房『砂の女』の世界は、そんな一面を垣間見せてはくれないか。

    intrigueの没頭も、興味深い。この語は元々イタリア語(ラテン語の変形)の「入り組ませる」という言葉に発し、そこから「複雑―陰謀」の意味を持ったらしい(ジーニアス英和大事典)。Oxford Advanced Learners Dictionaryには、to make sb intersted and want to know more about sth.とある。つまり、入り組んだ事に関わった者は、モット知りたくなり、それが表世界の裏側にある陰謀めいた事態であれば、彼は「知りすぎた男」としてそこから今更抜け出ることは出来ない。彼はもはや「没頭・夢中」の世界の住人となる他はないのである。不義・密通にいたっては、なにをか言わん。

    このような解釈、あるいはコジツケは、他にもいくらでもできよう。どうか、ご自分なりの物語をつくってみたら如何か。ただ、一つだけ付け足しておきたい。翻訳書を読むとき、ただ「没頭・夢中」と訳されただけでは、原文ではどの言葉が使われ、だからそれがドンナ没頭・夢中なのかがハッキリせず、そうなればその状況やら背景、奥行きが読者の手から滑り落ちてしまうのではないか。たしかに意味は分かっても、手に汗は握られないのだ。恐らく、優れた翻訳とはそうしたニュアンスを余さず掬い取ったものをいうのであろう。そうした訳書にこそ出会いたい。

    こんな言葉遊びをやってみて、改めて思う。さきにも言ったが、たまたま英文を読む中で、intrigueに触れ、英語の類語辞書から幾つかの関連後を引き出し、その微妙な意味合いの違いをとうして、私は「没頭・夢中」の多様さを教えられたのであった。勿論、その限りでのことでしかないが、それでもお陰で、我が日本語の幅は広がり、深みを増したと思う。ゲーテは言った。「外国語を知らぬ者は、自国語をも解さず」。至言ではないか。

  • 5月21日・木曜日・暑し、風涼やか。

    前回の末尾がアアなったのは、パソコンとの四時間近い苦闘とシサクに疲れ、いい加減メンドウになったからであった。しかしそれは、矢部氏の本を読んでいない向きには、やはり唐突で、分かりにくい。今回は、コレを補足し、もう少し意のあるものにしておこう。

    ある事案を司法が判断しないという事は、その裁量権者の意のままに当事案が処理されることを意味する。つまり、それを所管する役所・行政の判断に委ねられる。たとえば、基地の建設、利用のあり方について、周辺住民が生活権の侵害、破壊を裁判に訴え、審議の過程で受忍の限度を越えた生活侵害の事実が認められても、司法がその当否の判断を回避し、政策当局の意思に委ねてしまえば、事態は何も変わらない。この場合、行政は何ら法を逸脱していないから、これをストップさせる国家権力・警察権力の発動はありえない。司法は法に書かれていることを実行するのみで、法の不備を正し、整備する仕事は立法府の職務である。

    裁判では、原告の住民たちは、こう訴えるであろう。「基地建設は、憲法で保障する国民が文化的な生活を送る権利を侵害し、憲法違反である」。憲法は国の最高法規であり、各法令、政令、条例はなんであれ、憲法の下に服属し、コレを越える権力を持たない。新法は憲法との整合性を問われ、そのチェックをするのが内閣法制局である、とは法律入門書のイロハだ。とすれば、基地建設が憲法違反という訴えは、重大である。司法はこれに真摯に向き合わなければなるまい。

    この問題を考えるにあたり、最良の事例は砂川事件(1955-57)である。米軍立川基地拡張に反対して燃え上がった闘争であり、流血の事態にまで発展した政治闘争であった。争点の第一は、米国軍の駐留は憲法九条二項に抵触するや否やであり、東京地裁では違憲としたが、高裁を飛び越え跳躍上告された最高裁では差し戻された。その経過については、ウィキペデイアでも何でも参照されて、お読み頂くことにして、ここでは矢部氏のつぎの指摘のみを引用しておきたい。「砂川裁判で田中耕太郎という最高裁長官・・・が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです」(p.44)。これに続けて、氏は言う。「安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです」。だから在日米軍は日本国内では、住宅地での低空飛行、米軍絡みの事故現場の封鎖(ここにはまた原発稼動の要請も含まれる)など何をやってもよいことになった、と。

    この主張の当否を判別する能力を、残念ながら私はもたない。だからこそ、メデイアは著者に反論しうる論客を揃え、討論の場を用意して欲しい、と願うのである。私の見るところ、事態は矢部氏の指摘される方向に進んでいるようにもみえる。とすれば、事は深刻である。

  • 5月14日・木曜日・真夏日、暑し。

     こんな例え話はどうだろう。れっきとした自分の家に、マンザラ知らないわけではない他人が住み着いて、戸主の君を差し置き、アーダ、コーダと横柄に暮らして、50年。彼には昔、たしかに、一方ならぬ世話になった。かくて、己が破産も免れた。だが彼には、こちらの生活が成り立つようになってこの方、誠心誠意、時には家族も投げ打ち、尽くしてきた。その事は、周囲の誰もが認めるところである。ミンナは言ってくれる。「オマエは良くやったよ。そろそろ独立して、対等の関係に立ってもバチはあたらネーンジャネーか。それにあの人だって、十分に分かっているよ」。

    それとは別に、明敏な君はこの50年の内に、十分察するところがあった。あの人が自分を支えてくれたのは、俺の明日を慮っての事ではなかった。ソンナ気持ちは、恐らく煙ほどもなかったに違いない。むしろ、俺を利用できるとフンだから、助けてくれただけなんだ、と。でも、恩義はオンギだ。これを忘れちゃ江戸っ子ジャねー。しかし、今後はこちらも言うべきことは言わせてもらおう。少しは、あの人の振る舞いも、改めてもらわなければ、俺も家族も身が持たない。

    こうして二人の間には、話し合いが始まるだろう。この両名がチャンとした大人であって、筋道の道理をわきまえておれば、それはケンカにはなるまい。それどころか、卑屈にならずに、率直に話し合いを申し入れた君の人格に敬意を表して、かえって二人の人間関係は信頼、友情に裏打ちされて、より深まりを増すことであろう。

    だが、である。事がそんなに簡単にいくなら、君は50年も待ちはしなかった。もっと早くに話し合いをもてただろう。話がコジレル可能性は常にあったのだ。先の「アーダ、コーダ」の内容が、あれを食わせろ、コレを買え、と言ってる分にはまだしも我慢はできた。だが、ここを建て増し、あの土地を買え、と言うに及んでは、君の財力が付いていけない。その無理難題は募るばかりとなっては、もはや万事休す。 

    この時、君ならどうする。私なら、「オマワリさーん」と駆け込み、お裁きにすがるだろう。こうなったら、過去の行きがかりを捨て、事を司法にゆだね、その結果に期待するほかはない。罪状は長期に及ぶ家屋の不法占拠、生活権の侵害・破壊、受忍限度を越えた肉体的・精神的苦痛等々であろう。これを訴状として訴えれば、そしてきちんとした調査に基づきそれが事実であると認定されれば、私は間違いなく勝訴になるにちがいない。これで負ければ、わが国に司法の正義はない、と断ぜざるを得まい。

    私は何を言いたいのか。正義とは、法律に基づいて事の曲直が糺され、こうして決着を見たなら、それに従って速やかに現状の回復なり是正が図られる事だと思う。それに対する妨害があれば、警察権力が断固としてこれを排除する事が出来ねばならない。決して、○○組、××一家なんかに負けてはならないのだ。

    社会の存立は正義の維持にある、と私に最初に教えてくれたのは、かのアダム・スミスであった。それはともあれ、正義が守られなければ、社会は存立し得ない事は確かである(ただ、ここで言う正義とは法の維持のことである。真・善・美につながる哲学や宗教的意味での正義は、私には論ずる能力はない)。その限り、全ての人間が勝手に、思いのまま振舞うことが出来るからだ(ホッブス)。そこで、現代社会では、最終的には司法が事の是非を確定するのである。

    にも拘らず、現代のわが国では、最も重要な案件につき司法はその判断を留保し、行政の裁量権に委ねてしまったのである(これを統治行為論といい、他に裁量行為論、第三者行為論が加わる)。かくてわが国は「基地」と「原発」を止められない国になってしまったらしい。興味のある方は是非、矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)をご一読あれ。また、マスコミは著者を呼んで、彼に反対する学者、政治家、官僚達と徹底的な議論をさせてほしい。本書を読む限り、わが国は完全に米国の属国であり、押し付け憲法を嘆く以前の悲惨さであるからだ。これだけ独立国の矜持があるなら、彼らは一刻も早く著者を論破し、その疑いを晴らす義務があるはずだからだ。

  • 4月24日・金曜日。はや穀雨。汗ばむ。

    かくて漸く御著の骨格、土台を据える所にまいりました。しかしこんな周辺的なことをグズグズ述べ立てていては、肝心の御著に対するわが印象記には行き着けません。乱暴に、一気に結論に参りましょう。本書の主題は、何と言っても、そのタイトルが示すとうり「戦間期」の欧州で台頭した社会経済の国家的改革の潮流、分けてもナチズムの運動とその理論的支柱となった経済思想体系の抽出、ついでそれらが天皇制を基盤としたわが国に移入されるに際しての、知的エリートたちの衝撃および吸収・反発の過程を点検し、そこから湧き上がるわが経済思想、社会改良政策の数々が論ぜられます。しかし、ここで重要な点は、ナチズムの理論を学ぶ学者、改革官僚たちがそこから「総力戦」の政策を編み出そうとする苦闘の過程(それも一つの論点であるにしても)ではなく、むしろそれを契機として、かかる一連の運動を包括する時代的潮流の中で、あるいはその圧力をうけて、欧州やわが国でいかなる経済理論、思想が生み出されてきたかを捉える点にあると言えましょうか。この意味で、本書は往時の経済思想の形成史を把捉したと申せましょう。

    それは同時に「戦間期」の評価に繋がる問題でもあります。第二次大戦はそれ以前と現在に挟まる「断絶の時代」であるのか、「連続の時代」であったのか。これについての評価、解釈次第では、第二次大戦に向き合う我々の姿勢は全く異なります。当時から今に引きずる問題をどう解決すべきか、との問いの前に引きずり出されるからです。もし連続説に立たざるをえなければ、我々は深く考えなければなりません。吾らを戦争に駆り立てたあの狂気は、機会と状況が揃えば、またもや発揮されるかもしれないからです。時代は、なにかそんな危うさを孕んでいると感ずるのは、私だけではありますまい。

    英書で出版された本書の意義は、改めて申し上げるまでもありません。それでも私は、ここで蛇足を付すことに躊躇しません。当該問題にたいし、本書はそれほどの学問的な功績を果たされたからです。その第一は、戦間期における日独経済思想の生成過程がそれぞれ綿密に辿られながら、しかもそれが本書の目的ですが、ドイツからのわが国への影響が比較経済思想史として明らかにされたところでしょう。両国の当時の思想史研究は、それぞれ別個なものとしてなされ得ても、この両者を突き合わせてわが国へのその受容過程を内在的に考究することは、恐らく外国人にとっては至難の業であるばかりか、日本人研究者にとっても並大抵のことではあるまいと存じます。先にわたしが「気の遠くなる研究」と申し上げたのは、そういう意味でした。

    内在的な比較研究の効力、有効性は本書の随所において認められます。一点だけあげれば、風早八十二の独日社会経済体制の比較論は、ドイツに比したわが国の生産力の劣勢、社会体制の遅れ、そこに住する国民意識の未成熟、それゆえ諸改革は政府主導の「上からの」ものにならざるを得ず、要するに近代化の遅れを白日の下に曝しました(p.229.)。この認識は彼のみならず、我妻他に通ずるものでした。であれば政府中枢は、例えば生産力の劣勢を労働条件の改善、教育に求めず、一気に天皇への忠誠といった精神論に解消する他なかった次第が明らかにされたのでした。

    そろそろ結びといたしましょう。本書は先にも申し上げたとうり、現代史の解釈とそれに伴う我々自身のたち位置を決定するためにも、重要な基盤を提示したと言う意味で逸することの出来ない研究成果を上げられ、しかもこれを英語で世界に発信されました。私は常々思うことがございます。「知」の貿易収支という点では、特に社会科学の分野においては、わが国は圧倒的な赤字を抱える途上国にある、と。しかしその潮目も、最近漸く反転の兆しが見られるようになってまいりましたが、本書はまさしくその隊列に加わるべき第一級の資格を有する一書として世界に送り出されました。私はこれを慶事として、心より快哉を叫びたいと存じます。

    ただ長いだけの雑文となったようです。これにて筆を擱きたいと存じます。いずれお会いできるときを楽しみに、どうぞお元気でお過ごしください。

     

     追伸。一点、気になっている事につき、お尋ねします。Vergeisternの日本読みについてです。ふつうこの言葉は「精神化」と訳されるようですが、私には、どうもシックリしません(ちなみに、御著p.76ではこの語は、Despiritualizingと英訳されており、これは精神的なものを奪う、という意味になりそうです)。ヘーゲルの精神を持ち出すのは大袈裟にしても、肉体に対して精神といえば、より高尚な意味を帯び、低次元の様々な欲求を制圧し、理想とする何物かを成し遂げる原動力のようなものを想起させます。あの人は意志が強く、精神が立派だ、というわけです。しかしゾンバルトのこの語を、そんな風に読むとまるで意味が通じなくなります。御著でも指摘されておりましたが、彼の資本主義の精神はヴェーバーとはだいぶ異なり、利潤追求に対して企業家は、一方で賭博的、冒険主義的でありながら、他方でその実現性を冷静に計算し、ハヤル心を抑制しうる精神力と合理性を兼ね備え、この両者の緊張を含んだ精神だ、と解されます。いわばここには、企業家の人間としての体温や血液を感じさせるものがございます。しかし、資本主義も盛期になると、かような冒険主義は否定され、経営の組織化、官僚化のもと、その意思決定はひたすら合理主義的になされる。ゾンバルトはそうした経営のあり方を、企業経営権を一手に握った経営陣とそのスタッフの指揮命令系統に属するものとみなし、これをVergaisternと呼んだ、と私は理解しました。とすれば、これは組織体の頭脳集団が他の身体部分を自由に駆使することですから(余談ですが、これはまさしく後のナチの指導者原理の先駆でした)、たしかに「精神化」には違いありませんが、いかにも分かりにくい。と言って、私に適訳があるわけでもありません。「指揮系統の肥大化」とも考えましたが、これもどうかと思います。

    ミスプリ、一つ発見しました。ご参考までに。p.87. Hon’den’s は、Hon’iden’sと思います。

  • 4月16日・木曜日。うす曇、陽ざし強く、汗ばむ。

    では、往時の先進資本主義は、実際、どう特徴付けられるのでしょう。御著では、生産と労働の科学的管理を提唱したテーラーシステム、その実践版とも目されるフォードシステムが言及されます。ただ、その実現には莫大な資金需要とそれを満たす金融制度、株式市場の整備、発展が不可欠です。起業家が生産、資本調達、経営管理を一手に引き受ける、いわゆる産業の将帥たちが活躍する時代は疾うの昔となりました。今や所有(資本)と経営の分離の時代です。これは一人格に統合されていた機能の分化であり、さながらそれは原蓄過程で独立生産者層の資本家階級と労働者階級への二極分解を想起させます。

    いずれにせよ、ここに両者の利害の対立が生じます。前者は投資に対する最大限の利益配分(配当分)を求め、後者は利潤追求もさることながら、企業自体の存立、その発展をこそ第一義といたします。その傾向は第一次大戦前後となれば、国内外の競争激化により、一層顕著となりましょう。経営規模は拡大し、企業内の制度化、官僚化はさらに進行して、経営者といえども勝手に恣意にまかせた決定、投資は難しくなりました。企業家の冒険心は殺がれざるをえません。そうした企業の変成の次第が「自動経済(autonomeWirtschaft)」(ラーテナウ)、経営の「精神化(Vergaistung)」(ゾンバルト)として描かれております。対して、経営から分離された株主たちの関心は、配当の極大化ですが、株主総会の権限がやがて少数の大株主(機関投資家)に握られ、大衆株主は権限の外に置き去りにされると共に、所有と経営の権力関係は後者にシフトしていく。その傾向は戦間期にいたって、特にドイツにおいては政治の介入のもとさらに強化されました。ナチの権力奪取(1933年)以降は、その独特の指導者原理と相まって、これが強力に推進されたからです。そこでは、社会的、国家的な利益の前に、私利の追求は抑制されるべきことが、声高く宣せらたのであります。

    ともあれ、このような形でマーシャルの騎士道精神、ケインズの自由主義の終焉が実現されると言うのは、後の時代から見れば、なにか皮肉めいてみえるのは、私の誤解でしょうか。そして、ナチスの国家体制、ここではその経済政策およびその基礎たる経済思想は往時のわが国の政府、軍部、高官、学者達にいかなる影響を及ぼし、それらがその後のわが国の戦時経済政策、社会体制さらには戦後のそれにどう引き継がれたかと言う射程から、比較経済思想史なる手法を持って論ぜられてまいります。かかる問題視覚そのものが壮大であるばかりでなく、その検討作業は考えるだけでも気の遠くなるおもいがいたします(以下次回)。