• 7月9日・水曜日・雨のち曇り。台風による沖縄の惨害を思う。
    倫理学の課題は、人と人の関りのあり方、その規範、規則とはいかなるものかを検討、考究することにある、といはれる。こうして、人の振る舞い、挙動挙措、さらには生き方までもが示される。著しくその規範から外れたものは、ウマクいけば豪傑、偉人になりうるが、たいていは、ヘンジン扱いならまだしも、バアカと相手にされないか、アタマがチョッと?となる。教育現場での師弟関係は、普通、生徒への愛情と師への尊敬が基礎にあるべきなのであろう。私がここで、わざわざ『べき』と言ったことに、ご注意あれ。それが普通ではないからだ。ともあれ、そのような関係が築かれていれば、教師の厳しい指導も意図のとうりに受け止められる。そこでは、生徒自信が教師に謝し、身を改めるに手間は要らない。だが、生徒の目はゴマカセナイ。「私には、こうで。あのひとには、アアだった。」

    そんな追及を受けた教師こそ哀れ。これまでの言動の全てが明るみにだされ、矛盾を突かれ、その説明は支離滅裂となり、ついに陥落。あげくは、ダマレ!、の一喝のほかなくなるのだ。素直に謝ればイイモノヲ。あるいは、こうだ。生徒の不備、失敗、過誤を、これまた鬼の首を取ったごとく、「ヤッタ」と心に快哉を叫んで己が秘密とする。かくてそれを針小棒大にまで押し広げ、これをネタに彼を呼び出し、事情聴取がはじまる。それはさながら、わが年来の仇敵をようようの態で打ちとめるが思いに満ち、怪しげな喜びすら胸に秘め、勇躍、欣然、だがその顔貌には限りない憂愁を漂わせて彼・彼女に襲い掛かるというしだい。そのさまは猫が仕留めた獲物をネブルが様に時間をかけ、執拗だ。そのくせ、普段は時間がない、忙しいが口癖の御仁の指導だ。私は、少々、戯画が過ぎただろうか。だが、明瞭なイメイジを結ぶためには、このくらいがちょうど良い。しかし、当たらずとも遠からずのこのような絵図が描かれ、恐らくある人々からは、「ウン、そうだ」とも言われかねない、教育の現場がそんな事態にあるとしたら、それはどうしてだろう。これは、次回にて!と、少し、モッタイヲつける(前回の文章を、チョイと直した)。

  • 前回は、教師の資質の話であった。私の教師像とは、概ね真面目、義務感は強く、それだけに他者に対しては厳しい。そんなところだ。これは決して非難されるばかりのものでもなかろう。いな、むしろ褒められてしかるべき長所である。生徒には、時に厳しく接し、彼のうちにある人間的な弱さ、あるいは不正に気付かせ、これを矯正する事は、教科の指導以上に大切だ。ただ、ここにはある抑制と相手に対する配慮がなければなるまい。

    ここで思い出すのは道元のことである。彼は修行を怠けている弟子を、拳も欠けナンほどに打ち据え「只管打坐」(しかんたざ)を教え諭した。『正法眼蔵随聞記』での彼の指導は苛烈を極める。今、こんなことを実践しようものなら、それこそ暴力教師としての懲戒処分は免れまい。しかし、道元には、何としても弟子には真の悟りを開かせたい、という止むにやまれぬ祈りがあった。地獄に落としてはならぬという、心底からの愛があった。だから、彼の打擲は涙にまみれていたに違いない。ここには、現在の教育現場にはない、弟子と向き合う真剣さ、命がけの直向さがあるようにおもうが、どうか。そして、私の読んだ岩波文庫版では、和辻哲郎が解説を付していたが、それは西洋哲学を基礎に、だがわが国の宗教や文化をも素養として独自の倫理学を打ち立てた和辻の教育観の故であったのかもしれない。

    さきに私は、相手に対する配慮と抑制、と言った。道元に打たれる弟子には、師の思いと愛情とが痛いほど分かっていた。むしろ、かかる打擲をさせる己が不明、不甲斐なさを師に詫び、かつは涙したに違いない。これをも、ひとは暴力と言うのであろうか。いや、そうではあるまい。暴力とは、これを振るうものがわれを忘れ、怒りに任せ、ただ打擲する、あるいは何かの復讐として相手を殴る。これではないか。ここでは互いの信頼は消滅し、ただ憎しみのみが募るばかりだ。そして、それはたんに腕力だけのことではない。言葉であれ、態度であれ、おなじことだ。しかも、この種の暴力は、とくに教育の場でのそれは、生徒への指導、躾に名を借りてなされるだけに、しばしば巧妙かつ陰湿な形になりかねない。これを受ける被害者の精神的な苦痛、打撃は計り知れない。なんかエライ話しになってきた。道元ナンゾをだしたから、こんなことになったのだろう。疲れても来たし、今日も十分働いたので(?)、この辺にしよう。あとは次回につづく。7月2日・水曜日・久しぶりの晴れ。暑し。

  • 6月25日・水曜日・ゲリラ雨?
    チョイと、最近はこのパソコン遊びも中々面白くなってきたのか、いくらか積極的に向き合える気がする。何事であれ、進歩がなけりゃあ、その気にもならんし、第一興味が湧かん。教育とは、人をそのように導いてやる、そんな営みにみえる。新しい世界、未知の領域への一歩は、誰でも不安と恐れ、自分にそんなことが出来るのか、そんな気分に襲われるものだ。そんなとき、優れた指導者は、彼を励まし事の面白さを見せてやり、彼のどんなに稚拙な一歩でも、そのことをこれから広がる大きな世界への入り口として、ともに喜ぶ感受性があるのだろう。そんな指導者に恵まれた初心者こそ幸いなり。私の敬愛するファジイ理論の大家、向殿政男氏(明治大学名誉教授)が言ったことが思い出される。中学生のころ、数学の教師に「お前は数学がよくできる」と言われた一言に、エラク感激して、この先生の数学だけは頑張ろう、と意気に感じ、見事、本当に出来るようになったという。

    自分のことはさておき――もっとも自分のことを言っていたら、何も語れない――教師とはこうありたい。そして、誰でも教師を目指すものは、そのような資質を持ち、すんなりとソウナレルとおもいたい。が、私が見てきた先生方のなかには、エッ!、それはチョット?と思わざるを得ないような、何かどこか勘違いをなされているような御仁も少なくないようだ。たとえばこうだ。親御さんを交えた面談の折、その親に己が威厳を見せつけようというのか、ムヤミニ高圧的、居丈高に振る舞い、滔々とご高説を垂れ、はては生徒を泣かせて胸を張ったそうだ?嘘かまことか定かならぬところだが、彼を知る者はミンナ、彼ならソンなことをやりそうだ、というくらいの信憑性はある。今日は大分ハカが行った。と、威張りたいような気分になると同時に、もう面倒くさくなったので、本日のところはこれまで(次回に続く)。

  • では、人はどんなふうにして、その絶ちがたい思いをサッパリとするのか?その見事な例を、お目にかけよう。わたしの友人の話である。間違ってもらっては困る。私ではない。これはもう、キッパリと申し上げる。

    男子なら、タマ算を知らぬものはいない。誰でも皆、きまって左右に一つヅツ与えられ、これは古来より変わらぬ万古不易の法則として、だからそれを当たり前のこととして、ダアレも疑うことはない。誰かそれを疑ったりしようものなら、それは大変。こいつはどっか頭が変か、もしかしたらナ―んか、タマに支障があるのか、イヤイヤ、もっと重大な、人には言えぬ秘密があるんじゃなかろうか?何ぞ、カンぞとあらぬ疑いがかかるは必定。とくに若いモンがそんな嫌疑をかけられたら、それだけで彼の将来は、ジ・エンド。何故にそれ程の重大事が、かかるタマに負わされるのか?子供のころより、ナンシタル者メソメソシタリ、挫けたり、あるいは途方に暮れて泣き言をいおうものなら、それこそ世界のすべて、すなわち親父、センセイ、ガキ大将、はては母親までもがよってたかって、責め立てる。お前は男だろう、タマがついているんだろう、何を情けないことを言ってんだ、となる。これは、彼への励ましなのだろうか?あるいは虐めなのだろうか?それにしてもワカラン。どおしてこんな、シツケなのか教育なのか知らんが、やり方がわれわれの世代にはまかり通っていたのだろう。これはいまだに通じる仕込み方なのか。私は大学のウエイトリフイングの部長を長いことしていたが、そこでもこんな事がまかり通っていたのかも知らん。

    だから、である。これほどの威厳のあるタマに、何か不都合なことが起こってみたまえ。当のナンシは居ても立ってもいられるものではなかろう。事実、私は人に頼んで、スマホとやらで調べてもらったのだ。そおしたら、ジャアーン、いたのです。二つ玉でない人が。二十歳前後のその彼が、不安の極みの中で、こう訴えているのである。僕はドウやら、タマが三つらしいんです。どお成っちゃうんでしょう。大丈夫なんでしょうか?ここから広がる彼の想像、不安、イメイジの世界に付き合ってみたまえ。彼の内面の世界は、もはや絶望、生きる甲斐もうせ、それはさながらダンテがウエルギリウスに連れられて、地獄の門を潜るとき読まされた文言そのものではあろう。「汝、すべての望みを捨てよ」。

    しかし、わが友人は、言った。あのな、おれの右タマはな、綺麗なアアモンド型の、シッカリしたラグビイボオルなんだけれど、左はナンカそこに括れみたいなもんが入って、形が崩れかかってるんだ?このまま粉々になって、土星のようになったら、どおなっちまうだろう?と言いながら、でも彼の顔は、さして深刻でもない様子なのである。モウ、俺も古希を超えた。今更ジタバタしたって、始まらねえ。こうサッパリとしたもんだった。

    つまり、事を受け入れ、欲を捨てれば、人は静かになれる。ただそれは、己が体力の限界を突き付けられ、それは逃れられぬと思い知らされるときに初めて可能になることだ。若い身空では、そうはいかない。多くの未練と欲望と、何よりも有り余る可能性が、かれをとらえてはなさないからだ。しかし、年寄りにはそんなものは無縁だから、かえってあっさりとしていられる。ここに、年を取るということの強さがある、といいたいのだ(6月18日水曜日・雨)(この項、おわり)。

  • 6月11日水曜日。本日も雨。だからというわけではないが、今日も前回の話におつき合いいただこう。年を重ねれば、人は自然に熟するというものでもない。では、なぜ近頃の年寄は、いつまでたってもガキっぽく、なにか諦めのつかない、枯淡の境地にはほど遠いのだろう?しかし、これはなにも今に始まったことではなさそうだ。私がこれまでお付き合いいただいた、多くの先輩諸氏の、それはもうエライといわれた先生方でも我儘ほうだい、し放題の、といってご乱行とまではいかないが、―――そこまでいけば、コッチとらもモちっと尊敬もできようものを――マッ、私くらいの迷惑を人様におかけして、別段これといってお恥になることはなかった。ものの本には、そんな御仁はいくらでも出てくるから、今の年寄だけがことさら劣ったものとして、悪しざまに言われる理由もあるまい。

    では、一体なぜ、年寄りたちは、6,70歳になっても、耳従い、規矩(きく)をこえずと孔子が説いたごとき、静寂な湖水のような生活に入ることができないのか?ヤレヤレ、やっと、本題にたどり着いた。ここに至るまでに、すでに1時間—?ああ、疲れた。モウ、止めようかな。ナンか、バカバカしくなってきた。今日は老眼鏡を忘れて、眼も痛くなった。でも、これで帰っては、ミンナにナンか言われそうだから、もう少し頑張ろうかな。

    その答えは、こうだ。ある種の、といってそれは多くの場合でもあるのだが、年寄りたちは、諦める、格好よく言えば、諦念、断念の念を知らず、いつまでも未練たらしく、己が若き日の思い、希望、あの時の力等などにしがみつき、今でもそれが可能だと思い違いをしているからではないか。己を見つめよ。キミは、昔だって、大したことは出来やしなかったではないか。そのなん分の一の能力が、いま残っているというのか・・?ありやなしやのカネや権力?を駆使してみたところで、心からの共感と得心がなければ、人は動くものではない。そんな結果はたかが知れている。第一そんな大それた願い事を人にやってもらって、それが成就したとしても、今の君の人生上にどんな利益、意味があるというのか・・?君は後、一体、何年生きるというのか。まさか、永遠ではあるまい。そんなことに執着し、その行く末にハラハラ、ドキドキならまだしも、イライラしながら、眼を三角にし、ありったけの腹を立て、命より大事なカネの心配に明け暮れるという生活を、おくりたいのかい(つづく)。