• 3月17日・木曜日。快晴。

    書とは、大小はともあれ、白紙に一本の墨線を引く事から始まる。そこに臨む書家の心境、決意を忖度することは、やり直しを許さぬ世界だけに、はなはだ興味深いものがある。

    ことに大作の場合、筆はもはや腕を離れ、まさに身体と一体となって、息をつめ、目指すイメイジを求めて、寸分の狂いも無く一気に運ばれなければならないだけに、そこには、逃れられない跳躍への決断と一つの格闘のドラマが演じられているに違いないからだ。

    しかし書は、身体技やその能力・美を競うスポーツではない。それまでの経験と培った技両を駆使し、書によってでしか表象しえない美を造出しようとする営みだと思う。もっとも、その「美」をドウ捉え、どのように意味づけするかは、書家の、いや芸術の世界の住人たちが等しく直面する問題であろう。そして、その深浅に応じて、そこから生み出される作品の深みと訴求力は、自ずから異なるはずである。

    亀甲会の理念は、断じて古代人の刻んだ甲骨文や金文の採掘、再現ではない。だから、これ等の文字がどれほど見事に模倣され、字面よく描かれようと、それだけでは作品としての価値はない。そうではなく、太古、人々が亀甲や鉄器に記して、神々の声を聴こうとする祈りの心を捉え、それを通じて作者の内面を鍛え上げ、現代社会に新たな精神の息吹、その美を送り届けようとする、そうした精神性が求められているようにみえる。

    ここで、一つ立ち止まって考えてみよう。古代人が文字を通じて神意を聴こうとするその祈りの意味と深さとは、どのようなものであろうか。彼らを取り巻く自然の酷薄さと獰猛さ、そこから身を守るにはあまりに乏しい技術や調度の類。考古学が教える知見によれば、金文が史料的に多数発掘される殷代(紀元前12世紀頃)には漸く王朝が成立したが、青銅器が主流であり、いまだ本格的な鉄器時代(紀元前750年頃と言う)には程遠い時代である。であれば、人々は不安定な政治もさることながら、それ以上に分けもなく突然襲来する、容赦の無い天候不順や天変地異、その結果の農業の破壊、疫病の蔓延等をどれほど恐れたことであろう。きのうまで人間を慈しんできた自然が、今日は憤怒の形相をもって怒り狂えば、ここに神意を見、これを傾聴したいとの思い、祈りは実に深刻であったに違いない。これは神話的世界の人々に共通の心性である。

    そうした祈りの意味を今に蘇らせ、我ら人間をはるかに超え出た何か大いなる力の存在に気づかせようとする、亀甲会の理念とその活動に私は共感する。と言うのも、このような祈りは、現代でも無縁ではあるまい。五年前の大災害は言うに及ばず、世界を席捲する気候変動の脅威、グローバルな経済活動の破壊は留まるところを知らない。人間は、今、自然に対して暴虐の限りを尽くし、やがてその復讐を受けるのではないかと恐れるからである。

    私は当会の活動理念をそのようなものとして理解するが、そこから生み出される作品世界は独特の意味と色調を帯びる。白紙に書かれた文字(これを私はモンジと発したい)は、それは紛れもなく書であり、同時に画である。だからそれは描かれるのである。そして、それが描かれたその瞬間から、用紙全体が作品として躍動し始める。墨線は踊り、余白には風や色彩が満ち、あるいは音がざわめき始めるのである。しかし、ハタと見据えれば、墨書はただ用紙に書き付けられて、静止したままなのである。

    どういう事か(以下次回)。

  • 3月11日・金曜日。雨模様の曇天。

    今日は、ラシクナイ話をしよう。いや、小さな声でつぶやこう。周りに聞かれると、嗤われそうだからだ。題して、芸術(?)。これほどわが身にとって縁遠い話題もそうはない。クラッシク音楽の聴力はまるで無く、絵画は対象がソックリ写し取られていれば、手も無く感心する手合いであるからだ。にも拘らず、蛮勇を奮わなければならぬ理由があるのだ。

    この月曜日、知人から招待状を頂戴して、亀甲会の書展のため上野の森美術館に行ってきた。一年ぶりの事である。本会については、昨年の今頃ここでも簡単に紹介し(もっとも、そんな事を覚えている御仁は皆無であるは承知の上だが)、また当会のホームペイジがある様だし、昨年、朝日新聞で京都の展覧会が報道されもしたから、ここではその説明は割愛しよう。ついでに「蛮勇の理由」をいえば、今年の賀状にまた我が「手紙」に書くように、との依頼(?)があり、昨年の文章が会の面々に中々好評であったと聞くに及び、小生、滅多に褒められたことが無く、この手のオダテニ滅法弱いものだから、あえて駄文を草する次第となった(この後、会合のため本日はコレマデ)。

  • 3月4日・金曜日。晴れ。

    今月1日・火曜、最高裁第3小法廷では、一つの画期的な判決が下された。認知症のために鉄道事故を引き起こした患者家族の監督責任をめぐって争われた事案であるが、最高裁は本件についての家族の責任は認められない、としたのである。その詳細については、ここでは触れないが、平成19年、愛知県JR駅構内で発生した91歳の認知症患者の事故死以来、遺族は家族を失った悲しみを癒すどころか、JR東海から突きつけられた780万の賠償責任問題の訴訟に巻き込まれ、今日まで八年間、不安と緊張の日々を過ごさなければならなかった。二審でこそ、賠償金は半減されたが、それでも下級審はいずれも家族の責任を認めていたからである。

    巨大権力や組織に対して、一家族が独力で立ち向かうその不安と恐れはどういうものであろうか。しかも八年間の長きにわたって。それを思うにつけても、この度のご家族の決意、これに纏わる困苦とその努力に対し、心よりの敬意を表し、また祝意を申し上げたい。同時に、弁護士、支援団体のこれまでの献身を多とし、これを大いに称えたい。こうした方々の戦いによって手にし得た判決は、今後、この種の悩みを抱える日本中の家族に大きな安堵を齎したからである。

    率直に言おう。下級審の判決が確定していたらドウなったであろうか。患者を抱える家族は介護の心労・経済的負担に加えて、徘徊に対する万全の対応を強いられる。それは具体的には、いかなる対策であろう。しかもそれらは全て老いた肉親に向けられるのである。残念ながら、私にはそうした事を事細かに思い浮かべる勇気もなければ、強靭な精神力はない。その挙句、家族は困憊と懊悩のあまり肉親の死を願う方向へと向かわざるをえないだろう。現在でもしばしば起こっている事件は頻発し、家族の精神的な荒廃は、結局この国の道徳率を根底から毀損するに違いない。それは『楢山節考』にはあった老親への痛切な愛情と謝罪の欠片も無い陰惨な社会の到来である。そして、それらの対策を実行する子世代は、自分の子供たちに同様の仕打ちをされるのではとの不安におびえ、かくて家族を基礎とした社会は著しく劣化するであろう。

    JR東海に、私は強い怒りを覚える。確かに振り替え輸送やその他諸々の費用が掛かったであろう。しかしそれを司法の場に引き出すとは何事だ。大権力が一家族に圧し掛かれば、手も無く意を通せるとでも思ったのであろうか。君たちは二審の判決を不服とし、最高裁に上告までして、結局裁判に負けた。そして、言った。「最高裁の判断ですので真摯に受け止めます」。ならば、事故で発生した諸費用はこんな事をしなくても処理できたのだ。こんなやり方で損害を回復するのではなく、事故に対する防止策の強化は無論だが、それ以上に、国や地域社会等々と協力して認知症患者を含めた、同種の事故に巻き込まれた人たちや家族の救済対策やそのための制度の確立を目指すべきではなかったか。それが公共事業に従事する会社の姿勢であろう。現在、認知症高齢者は520万人、9年後には700万人に達すると言われているだけに(NHK)、この種の事故は今後も不可避であるばかりか、急増するのは必至であり、それだけ抜本的な対策が喫緊の課題であろうからだ。まさか、その度にJR東海はこんな裁判をやって取り立て屋をやろうと言うのではあるまい。

    JR東海の諸君、君たち自身もやがては歳をとるのだ。その時、君たちは認知症に罹り、同じ事故に会わない、とは限るまい。その折、君たちは「介護家族の監督責任」を問われ、長期に及ぶ孤独な訴訟に巻き込まれて、遂に最高裁まで上告されたら、ドウされるお積りなのか。こんな裁判をやらかした君たちのことだ。キット、会社のためにあっさりそれをお認めになって、賠償金の支払いに応じられるのであろう。

  • 2月26日・金曜日。晴れ。

    本日のNHK昼のニュースによると、今年度の人口は昨年度に比して11万人減少したとの由である(1億2700万人・減少率0.7パーセント)。これはわが国にとって、国勢調査以来初めてのことであり、遂に我々は人口減少時代に踏み入ったようである。人口動態、その趨勢は慣性の法則の利きが強く、いったん動き出したその傾向はそう簡単には止まらない、とは安蔵氏の言である。とすれば、我々は覚悟して今後の事態に備えなければなるまい。

    人口数の維持のためには、女子が生涯で産む子供の数(合計特殊出生率)が2.1でなければならないとは、昔習った話だが、現在のそれは1.42(2014)であり、これは2005年の1.26よりも改善されているものの、少子化傾向は依然進行中である。この背景には、それこそ多様な要因が絡み、いずれにしてもこの傾向に歯止めをかけることは、歴代の政府の必死の努力にも関わらず、見込みは無い。死亡率以上に出産率が高いために人口が増えることを自然増というが、現在、わが国にはその見込みはほとんどなく、だから人口の回復を図ろうとすれば、国の移民政策の転換を考えなければならないだろう(そうした社会的要因で生ずる人口増を社会増という)。だが、これはこれで別の厄介な問題を抱えざるをえず、一朝にして決せられる政策ではない。殊に、安倍自民党は民族主義的なアイデンティティ-を重視する傾向が強いだけに、益々、困難である。

    こうして現政権が打ち出した対策、政策?が「一億総活躍社会」の創生であろう。その具体的な内容は、家にこもり、社会の片隅に追いやられている女性と老人層の労働・生産現場への狩り出しではないか。それが現実に動き出せば、税制・年金・社会保障関連等の改変を含めた未曾有の社会改造に繋がりかねない大事になろう。加えて、現在、わが列島を取り巻く地政学的な激変が、今後一層、軍事問題を政治のトップイッシュウに押し上げるはずだ。それは結局、国民の意識改革を目指した教育体制の見直しや精神教育の導入、それらを可能にする憲法改変が、政治日程に浮上するものと思われる。

    今日は、こういう問題を扱うつもりでは全くなかった。その準備もなかった。だから前回の話に、それなりの始末を着ければ、オワリ、とするはずであった。そこで、とって着けたようだが、以上を前回の老人問題に引き寄せて、無理にでも結論らしき事を言おうとすれば、こうなるのである。現政権が目論む政策は、果たして「高齢者が一団となって社会の不可欠な部分となりうるような条件を創造しうるであろうか?」。この引用文はここでの議論とは全く関係のない『生と死 極限の医療倫理学』(尾崎和彦著、創言社・2002、325頁)からのものである。にも拘らずこれを引くのは、政権の意図が老い先の限られた人たちの生を捧げるに相応しい条件でありうるのか、と問うてみたいからである。尚、本書については、近いうちに本欄で紹介したい。

  • 2月23日・火曜日、雨のちうす曇り。風ゆるみ、木の芽膨らむ。

    これは友人の安蔵伸治氏(明治大学教授・人口学者)から聞いた話だが、Y市の調査であったか、再就職の必要の無い定年退職者のうちには、公園のベンチで陽のあるうちから缶ビールを空け、日ならずしてアル中になる人が多いとのことであった。だから、わが退職後は、ソンナ研究をしてみたら面白いかもしれない、と進められたのだが、そのような研究上の手法や経験の無い私には、土台無理な話で、それなり打ち捨てにしてしまった。だから、それがどの程度の数値なのか不明だが、これは前便の中邨氏の話とも平仄が合っているようである。

    それにしても、安蔵氏の提案は興味深い。首都圏の退職者たちの一日の生活を、一年ほどかけて調査できれば、それこそ「天国と地獄」の様相がクッキリと見て取ることが出来るかもしれない。同時に、その対策が用意できれば、社会改革としても「一石二鳥」どころではない三鳥、四鳥にもなりそうな効用があるように思う。生き甲斐は若さを維持し、それだけでも介護医療を軽減し、彼らのもつ技術や経験知が若者を教育し・・・等々。

    こんなことは誰でも思いつく事で、ここでわざわざ言うほどのものでもない。ただ、言ってみたいことは、老人問題がこれほど急速かつ深刻な問題として浮上してきたのは、恐らく第二次世界大戦以降のことで、ここには栄養と医療、環境改善などによって長寿社会が実現されたためである。それゆえ、これ自体は誠にお目出度い話であるはずが、今やなにか在るべからざる事態、現象として、国も社会も右往左往している様に、私も一人の老人として不満を感ずるからである。

    大量現象としての長寿は前世紀後半頃、人類が始めて出会った事象であろう。『楢山節考』を深沢七郎が書いたのは昭和31年のことであるが、彼は山間に伝わる民間伝承から素材を獲たというから、貧困にまつわる棄老は昔からあった。しかしそれは、現在の老人問題とは根本的に違う。枯渇した食料事情の中で止む無く、口減らしとして遺棄される老人と、行き届いた環境の中で長寿を迎えた老人との差である。後者は紛れもなく現代の問題である。私の知る文学作品では、丹羽文雄『嫌がらせの年齢』(1948)、有吉佐和子『恍惚の人』(1972)、谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962)が思いつくが、谷崎が息子の嫁に懸想する色呆けた老人の痴態を造形したのに対して、前二書は老人介護問題をまともに扱った。そして、丹羽のそれは現代を予告する凄まじさである。

    「人生五十年」と言われたのは、いつ頃のことであったか。70年代には、既に「古希」の七十歳は稀ではなくなってしまった。統計によれば、わが国の百歳以上の人口は現在7万人に達し、1万を越えたのは1998年のことだと言う。たった18年間で7倍の増加である。大変な数、異常なスピードだ。ここには莫大な額の医療負担、介護問題があるに違いなく、その事があまりに大きく社会・政治経済の問題になりすぎて、その背後にいるさらに大きな数の健全で、活動力に富んだ、だからソノママ昔通りの老人と言ってはならない成人男女?の軍団の存在が閑却されているのではないか。要するに、わが社会は、老人の負の問題ばかりに囚われて、その背後にあるトテツモナイ巨大な可能性に対して全く目が届いていないのではないか。まだ社会、いな世界は、膨大な人々の50歳代以後の人生の豊かさを吸収し、生かしきるそんな社会にはなっていない。そのための仕組み、制度、法律その他関連する施策・施設造りは今後のことであろう。だが、それらが可能になる為には、社会プランやそれを支える思想、理念の構築が、今まさに求められているのではないか。