2015年の手紙
- 2015年12月24日
12月24日・木曜日・曇りのち晴れ。穏やかなクリスマス・イヴになろうか。しかし来年はいかに・・・? ここで感染症の発症過程をつぶさに論ずる事はできない。と言うよりも、私にはそんな力はない。科学論の理解に必要な限りで記すほかはないが、コレラの…(続きを表示)
- 2015年12月22日
12月22日・火曜日・晴れ。本日冬至ナリ。10日前の12日(土曜日)、我が母、喜代永眠(103歳)。よって、前週は休載とす。いずれ折をみて介護、葬儀等につき触れてみたい。 具体的にそれがドンナ意味を持つかについて、例を挙げて述べてみよう。ペ…(続きを表示)
- 2015年12月11日
12月11日・金曜日。雨のち晴れ。24度、季節外れの暖かさ。何か、全てが狂う予兆あり。野坂昭如、昨日逝去。無念。 何も改まって「病気」を定義することもないのだが、長年そんなやり方を取ってきたものだから、そんな風にしか話を進められない。まずは…(続きを表示)
- 2015年12月4日
12月4日・金曜日。晴れ。 早や師走これを口にし幾年か。みつお。 この問題を考えるに、やや唐突であるが、わが国最大の医学史家、川喜多愛郎の言葉に依ってみたい。氏によれば「医学は不完全な学問である」(『医学史と数学史の対話』より)。その意味…(続きを表示)
- 2015年11月27日
11月27日・金曜日・晴れ。 キョウは前回の続きの心算であったが、ジャパン・タイムズで面白い記事を読み、その印象を忘れないうちにと、扱ってみることにした。だがそれは、やがてはこれまでの文脈にキッチリ収まるはずで、そうならなきゃならないで無理…(続きを表示)
- 2015年11月19日
11月19日・木曜日。晴れのち曇り。 今日もまた、「ホントの終わり」の続きをやろう。一週間、あれこれ考えていたら、前回の末尾で言ったことは、実は、この今や長くなった主題(わが学問論のつもり)の出発点、イハバ振り出しに戻ったことに気づいたから…(続きを表示)
- 2015年11月12日
11月12日・木曜日。うす曇り。近頃は 街路で済ます 紅葉狩。 前回、私の言いたかったことはこうだ。無意味な社会に生きるからこそ、人は自らそこに意味を与え、目標や志を立て、その事に励まされて積極的に生き抜く可能性を開くことが出来る。そこには…(続きを表示)
- 2015年11月5日
11月5日・木曜日・秋晴れ。 これをごく簡単に言えば、「いわゆる評価の無い生は無意味か」ということである。そもそも、この世に生れ落ちた生は、今や時代からも、社会からも己が目的、使命を負わされていない。それは、時代や社会が目指すべき目的を持た…(続きを表示)
- 2015年10月29日
10月29日・木曜日・曇り。神無月も終わり、やがて霜月。 これまで人生上の意味と言ってきたが、そもそもこれは、一体どう解したらよいのだろう。「意味」とは、広辞苑によれば、1、言葉、文章によって表される内容、意義であり、2、言語・作品・行為な…(続きを表示)
- 2015年10月23日
10月23日・金曜日・曇り。 ヴェーバーの研究業績をそうした観点から捉え、これを「脱意味化」として特徴付けたのは、折原浩であったと記憶する(もっともこのブログでの私の叙述は、殆んど記憶の中にある怪しげな知識によるものであるから、あまり信用さ…(続きを表示)
- 2015年10月15日
10月15日・木曜日・晴れのち曇り。 本日からまた、それまでツブヤイテきた我が学問論(の積もり)の話題に戻ることにしたい。だから、ここでは7月28日・火曜日までの論議を引き継ごうということになる。といっても、既に一月半前のことでもあり、もは…(続きを表示)
- 2015年10月2日
2015年10月2日・金曜日・荒天の後、快晴。 ここでの首相の口吻は、談話冒頭の日露戦争の勝利がアジア・アフリカを勇気づけた、との言葉に直結する息遣いを感じさせる。それにしても、改めて問う。「挑戦者」を、かような文脈で使うことができるのであ…(続きを表示)
- 2015年9月25日
9月25日・金曜日・雨。中日を越えていよいよ夜長かな。 (この項は、9月2日・水曜日の続きである。) 2・「挑戦者」。この言葉は談話中、思いがけない文脈で使われており、戸惑い、或いは違和感を持たれた方も多かろう。私もその一人である。が、そ…(続きを表示)
- 2015年9月2日
9月2日・水曜日・久方ぶりの晴れ。 談話が発表されてから、早や半月。その間、メデイアその他で様々に論評され、政府はそれらを含め、さらに諸外国の評価、特に中国・韓国の受け取り方に関心をよせていた。幸い両国とも、談話に対し不満を漏らしつつも、か…(続きを表示)
- 2015年8月21日
8月21日・金曜日・曇り。熱暑去る。 まだ来ぬか 待ちにし法師 昨日鳴く。みつお 熱暑に参り、二週間の休みを取った。といって、どこかへ行くあてが有ったわけではない。ただ夕暮れまでダラシナク昼寝、いや夕寝をきめこみ、その後夕食をかねて読書と称…(続きを表示)
- 2015年7月28日
7月28日・火曜日・相変わらずの猛暑。地下鉄のクーラー効かず。そこで一句。 どの咎か 列島襲う 土砂炎暑。 みつお だが、このような物質観の変容は、それのみに留まらなかった。絵画では、物質は揺らぎ始め、明瞭な線が消え、点描へと変わって…(続きを表示)
- 2015年7月23日
7月23日・木曜日。曇り・連日の猛暑、やや和らぐ。 前回で説かれた主張によれば、事象はすべて原因・結果において捉えられ、その関係は必然的である、とする立場に立ち、それは決定論的と言われるものである。この決定論にもギリシャ以来の歴史といくつか…(続きを表示)
- 2015年7月16日
7月16日・木曜日。台風接近による余波か、かなりの雨。 では、それはドウ確かめられようとするのか。ポパーは分かりやすい事例を上げてこれを説明しようとする。「カラスは黒い」。これは一応、科学的な理由に立ってそう言明された。とすれば、これが真で…(続きを表示)
- 2015年7月9日
7月9日・木曜日・連日の雨。ギリシャに端を発し、中国市場荒れる。日本経済の行方は? 上の事から、言うべきことは色々あるが、第一に指摘しておきたい事は、科学知とは現に生じている事柄のごくごく一部しか知るにすぎない。その意味でこれは、無限の内容…(続きを表示)
- 2015年7月3日
7月3日・金曜日・豪雨。 さて、前回の論を進める前に、そこで取り残した問題を一、二補足しておきたい。それは、科学の客観性についてである。科学、特に自然科学の成果は、普遍妥当性を持ち、またそうでなければならぬ、と言われる。社会科学では、経済学…(続きを表示)
- 2015年6月25日
6月25日・木曜日・晴れ。陽強し。 今日は、パソコンの前に座ること、早や小一時間。なにを記すべきか、一向に思い浮かばず、大いに弱った。頭の引き出しをアレコレ引っ張りだしてはみたものの、どうも適当な素材がみつからない。そろそろネタ切れになって…(続きを表示)
- 2015年6月19日
6月19日・金曜日・雨。九州地方に豪雨続く。 過日、某ロータリー倶楽部から三十分ほどの話を、との依頼を受け、あわせてその要旨も求められ、以下の駄文を書いた。本日は、それを掲載することで、わが責めにかえたい。 将棋と私…(続きを表示)
- 2015年6月10日
6月10日・水曜日・梅雨の幕間・晴れ。 T・O君 手紙を有難う。そろそろ近況報告がくるかな、と思う矢先だった。一読し、まず浮かんだ言葉はこうだ。「男子三日会わずば、刮目すべし」。伸び盛りの少年(現在は少女も含まれようが)に、三日も会わなけれ…(続きを表示)
- 2015年6月5日
6月5日・金曜日・梅雨入り間近か。 前回、ゲーテの言葉に引き寄せられて、あんな事を書いてみた。今回はその続きをもう少し。私には長年の付き合いになるドイツ人が一人いた。と、過去形になったのは、一昨年辺りに帰国して、もはや連絡が取れなくなったか…(続きを表示)
- 2015年5月28日
5月28日・木曜日・晴。 今日は、少々、英語の勉強をしよう。と言って、文法とかナンとか、そんな難しい話ではない。そんな話は、やりたくともコチラができない。英文を読んでいて、たまたま気付いたことを、チョイト、捻ったまでのこと。そこで、次の英単…(続きを表示)
- 2015年5月21日
5月21日・木曜日・暑し、風涼やか。 前回の末尾がアアなったのは、パソコンとの四時間近い苦闘とシサクに疲れ、いい加減メンドウになったからであった。しかしそれは、矢部氏の本を読んでいない向きには、やはり唐突で、分かりにくい。今回は、コレを補足…(続きを表示)
- 2015年5月14日
5月14日・木曜日・真夏日、暑し。 こんな例え話はどうだろう。れっきとした自分の家に、マンザラ知らないわけではない他人が住み着いて、戸主の君を差し置き、アーダ、コーダと横柄に暮らして、50年。彼には昔、たしかに、一方ならぬ世話になった。か…(続きを表示)
- 2015年4月24日
4月24日・金曜日。はや穀雨。汗ばむ。 かくて漸く御著の骨格、土台を据える所にまいりました。しかしこんな周辺的なことをグズグズ述べ立てていては、肝心の御著に対するわが印象記には行き着けません。乱暴に、一気に結論に参りましょう。本書の主題は、…(続きを表示)
- 2015年4月16日
4月16日・木曜日。うす曇、陽ざし強く、汗ばむ。 では、往時の先進資本主義は、実際、どう特徴付けられるのでしょう。御著では、生産と労働の科学的管理を提唱したテーラーシステム、その実践版とも目されるフォードシステムが言及されます。ただ、その実…(続きを表示)
- 2015年4月9日
4月9日・木曜日・晴。但し、昨日の雪の名残か風寒し。 ここに、新たな経済思想――つまり単なる理論の枠を超えた、社会経済の在り様をその歴史的な意味と展開までをも視野に納めた思想体系――の構築が待望される時代になったのでしょう。マルクス経済学は…(続きを表示)
- 2015年4月3日
4月3日・金曜日・風強く花舞う。桜はこれにてシマイか? 前略、風ゆるみ、ツルリとしていた桜の枝も大分ふくらみ、散歩がてらに木々を見上げて、こんな駄句を一句。 寒風を耐えて膨らむ蕾あり みつお といった手紙を書き始め、以降、日々の草草に…(続きを表示)
- 2015年3月26日
3月26日・木曜日・晴。 元に戻って、亀甲会の書芸展では、これも書か、という印象であった。もっとも、ここでは漢字の元となる、あるいはその成立直前の絵図と文字のいまだ未分化の象形文字が素材であるから、普通の書展とは趣を異にするのは当然である。…(続きを表示)
- 2015年3月18日
3月18日・水曜日。うす曇り。 「遊び」こそイノチ、仕事はこれを支えるカネ蔓だ、と言って憚らぬ人にたいし、現代の評価はまだまだ厳しいのではなかろうか。「これは仕事だ、遊びじゃない」といった言葉を思い出すまでもなかろう。ソンナ人は会社での出世…(続きを表示)
- 2015年3月12日
3月12日・木曜日・快晴。 昨日、春のそよ風に誘われた訳でもないが、上野の森美術館に出かけてみた。知り合いが書を出展し、その案内状を送ってくれたからである。主催は亀甲会(パソコンではトテモ打てない込み入ったカメとカイである)。頂戴したパンフ…(続きを表示)
- 2015年3月4日
3月4日・水曜日・晴。花芽やや膨らむ。 前回の文章の末尾は、書いた本人にとってもよく分からない。ならば、読み手はもっと分かるまい。あんな文になったのは、パソコンと3、4時間ほどの格闘の末、私はモウ疲労困憊。一刻も早く解放されたいとの思いに駆…(続きを表示)
- 2015年2月26日
2月26日・木曜日・雨。 この件について、もう一点補足して置こう。今回の事件は政府にとって政治的に失うべきものはなにもなかった。むしろ、得るところの多い事案であった。つまり、その取り組みは、断固としており、その後の世論調査に見るように、国民…(続きを表示)
- 2015年2月19日
2月19日・木曜日・晴。 まず、私がここで言う政治化、統計化の意味についてハッキリさせておこう。その事柄が散発的に発生するだけで、なんら集合的でなければ、その数がいくら多くてもそれは統計化されない。それは大量現象のなかで常に生ずる偏倚、誤…(続きを表示)
- 2015年2月13日
2月13日・金曜日・晴れのち曇り。 統治機構は前述のようなものとして存在する。それは現代の民主主義的政体をとる諸国において特にハッキリしていよう。あるいは、これに対しては、色々批判もあるかもしれないが、ここではそのように理解されたい。そう…(続きを表示)
- 2015年2月4日
2月4日・水曜日。晴。立春に敬意を表したか、穏やかな一日。但し、明日の予報は、雪。 前回の拙文を読み直し、エライ議論を始めたと後悔しきりである。といって、今更止めるわけにもいかない。何とか、始末をつけることにしたいが、その気持ちが進まぬ第一…(続きを表示)
- 2015年1月28日
1月28日・水曜日・晴。風強し。 前回の覚悟をもってここに座したが、あれは覚悟だけの事で、中身はなにも変わってはいない。人とは、そんなに簡単には変われるものではないのだ。ただ、ウワゴトでも何でもイイから、是非続けよ。楽しみにしているのだから…(続きを表示)
- 2015年1月21日
1月21日・水曜日・雨時に雪。寒し。 本日は、前回の文章の校正、補足に終始し、これにて終了としたい。それにしても、毎週、適当な題材を選び、それなりに文章化し続けるのは、結構な仕事だと思うこの頃ではある。連載を抱える作家の苦しみはいかばかりか…(続きを表示)
- 2015年1月15日
1月15日・木曜日・雨。時の矢の 睦月なかばを はや越えぬ。 前回は尻切れトンボで大変失礼。と言って、そんなコター以前はショッチュウの事ゆえ、改めて謝るまでもないが、最近は一回読みきりを我が信条とし、またそれだけの技術力を身につけたとの自…(続きを表示)
- 2015年1月8日
2015年1月8日・木曜日・晴。 謹賀新年。読者諸氏には、よきお年を迎えられたことと拝察する。と共に、本年もまた旧年同様お付き合いの程、宜しくお願い申し上げたい。小生は旧にも増して、一層の駄文、妄言を書き連ねる所存にて、さらなるご迷惑をおか…(続きを表示)