• 4月8日・金曜日、うす曇り、桜花乱舞。

    ここで、本書の全体的な俯瞰、紹介をやらかそうなどという大それた野望は、筆者にはカケラもない。自分の分かりそうな所を都合よく摘まんで、我が気休めになればそれで良いのである。だから、読者はこの一文に接して興味を持たれたなら、是非、本書を読まれる事をお願いしておこう。

    唐突だが、本書を離れて、先ずアナタ方お一人お一人に尋ねてみたい。先の見込みの無い業病に冒され、いまわの際まで、ただその苦しみに呻吟しなければならぬとしたら、どうされるか。今でこそわが国でも「尊厳死」が認知されつつあるものの、しかし医師は積極的にそのための措置を取りたがらない、とも聞く。それは「幇助」であれ殺人的行為を含意し、いまだそのための法的整備が十分でなく、医師は常に遺族や国家からの訴追を恐れるからというのだ。そこにはまず、倫理的、宗教的な思索、基盤が整えられておらず、それゆえ我々はこの種の問題をドウ受け入れ、考えたらよいか、といった諸問題が未整理だからなのであろう。しかし、快癒までは行かなくとも、延命的な治療はどこまでも可能な現代医学の孕む問題はあまりに広大であり、このまま放置するには深刻にすぎる。

    こうした終末医療の問題は、詰まる所、医療倫理の問題に行き着く。「生と死」は個人の逃れられない人生問題であると同時に、社会や国家の問題でもあり、だからそこには自然環境をはじめ、文化や歴史、そこに育まれた死生観、宗教意識等あらゆる問題が胚胎されることになる。医療倫理とはこれらの問題を受け入れ、飲み込んで確立される医療における規範的な思考・行動原理を含意するように思う。こう理解すれば、著者がわざわざ「まえがき」において、北欧の地における強烈なまでの「個の尊厳と自由」の誕生を熱く強調し、その出生の淵源であるゲルマン的神話や宗教意識にふれながら、これを正統キリスト教から見れば「異教」とも言うべき「彼らだけの新たな宗教」として指摘しなければならなかった経緯も了解されるのである。

    つまり、本書が扱う終末医療に関わる医療倫理学は、北欧という環境的にも文化的にも類のない地域から立ち上がった思想圏を背景に誕生したが、しかしそれを基礎に開花した一連の終末医療の思想と行動(ここには法整備、施設、制度、介護等を含む)は、断じて北欧という地域に跼蹐されるものではなく、そのように独特であるが故に、返って世界に開かれ、先導する役割を担えたのである。たかだか6ページの「まえがき」はこの間の事情を簡潔に記した、おろそかにしてはならぬ文章である(著者のここでの意図は、これに尽きない。本書は「北欧的なるもの」の本質を捉える一環として著されたのであり、故に本書は著者の神話学、哲学書等と共に読まれるべきなのである)(以下、次回)。

  • 4月1日・金曜日。花曇。

    ヘデビュー、アスクーウプマルク、ブロムクヴィスト、ヘデニウス、ヴレトマルク、イイェンセン・・・、と連ねられた文を舌も噛まずに読んで、「ウン、あれだ!」と瞬時に判断できる日本人は、何人いるだろうか。これが人名である事は分かるが、何処の国のどの分野の人たちなのか、となると見当もつかない。これはマタイ伝冒頭を始めて読んで、辟易させられた思いに繋がるものがある。

    彼らは20世紀後半に活躍した、北欧(主としてスエーデン)のジャーナリスト、精神科医、哲学者、宗教家、看護師等の面々であり、それぞれの立場からターミナル・ケアの問題に心血を注いだ人たちである。彼らは、先ずは安楽死の可否に始まり、そこに孕まれる医療は勿論、倫理的・思想的・経済的な諸問題を検討し、こうした苦闘はやがて「ホスピス医療」の確立に結実するが、そのようにして医療現場や広く社会の在りように対して決定的な影響を及ぼすことになる人間群像である。その長い歴史的経過を上記の人々の残した『作品群』を丹念に辿りつつ、再構成し、問題群の所在を明示して、現代の我が日本の延命治療の問題に対し多大な示唆を与えられた書がある。

    『生と死 極限の医療倫理学』(創言社、2002)がそれであり、著者は尾崎和彦氏(明治大学名誉教授)である。著者によれば、この種の学問的な問題関心は本国の北欧でもあまり強くないようで、それ故それに関わる通史は勿論、各作品に対するモノグラフにも事欠くしだいである。とすれば、本書は上記の人々のものされた膨大な成果を第一次資料、否、ほとんどそれのみを唯一の資料として、これら原書をたった一人で読み解き、思索し、なった書物である。こうした孤独な学問的営為を支えた著者の専門領域たるヨーロッパ思想・哲学史の素養はもとより、医学・経済学・社会史他の広大な分野の学問的な研鑽とその深さ、厚さに驚嘆させられるが、同時に著者の強靭な精神力にはただ敬意を表するばかりである(以下次回)。

  • 3月25日・金曜日。晴れ。わが寓居際の公園も開花す。東京に遅れること4日。

    この次第を理解するには、書展に足を運び、書を直接に鑑賞するに如くはない。こんな駄文によっては到底解き明かし得ないからである。だが、挑戦してみよう。会の扱う文字が甲骨文、金文であることは前記の通りである。この文字は図像に近く、現代から見れば、象形文字に転生する直前に切り取られた文字のようにみえる。例えば「明」は、私は誤解していたのだが、日(太陽)と月の合成なんぞではなく、窓から月を見ている図像であり、だからその明かりは月明かりのようである。そして、この文字はもともと、月が左に書かれ、窓である日が右に置かれていたものが、いつしか位置関係が変わって現在の文字になったらしい。

    会員はこれ等の経過、その転生の次第を白川 静などの研究書を通じて学び取り、文字の真の意味を理解し、同時にそこに潜む古代人の心に一歩でも近づこうとされるのでもあろう。上記のように解された「明」は、天空に浮かんだ月(三日月か)を右下に描かれた家の窓から眺めた図として浮き上がるが、それは我々にとっても何ら違和感はあるまい。この月に何を見、何を祈るか、となれば、『竹取り物語』を上げるまでも無く様々な物語が湧出してこよう。

    夫々の作品では鳳凰が舞い、龍が踊り、虎が吼える。あるいは虹は、二匹の龍が左右に分かれ、その尾を天空で絡ませながら湖水の水を飲み干そうという壮大な絵巻である。この作品には、『出虹有り』との題が付された。本作の元になった甲骨文「有出虹」の卜辞には、「・・・東方より黒雲が現れまた北方より虹が現れた。今後祟り」ありとの託宣であった由である。だが、この虹はノアの大洪水後、今後は二度とこのような洪水により人を滅ぼす事はない、と神が人と交わした契約の印とした虹となんと異なるものであろう。

    もとより各作品の書、あるいは文は、先に亀甲文字の再現でないと言ったように、それをベースにある場合には文字が大胆にデフォルムされ、強調されて、書と言うよりも図像化され、絵画的になる。擦れた墨線がダイナミズムを帯び、飛び散った墨痕がキラメキ、余白に色彩が漲るのもそのためであろう。余談ながら、私はこの度初めて、余白の豊かさに触れたような気がする。

    以上は年に一度、ほんの束の間、ソンナ素養も無い一素人が書展を覗いただけの印象記に過ぎない。よって、見当はずれの変な誤解を振りまき、当会にとって迷惑になっては相済まないが、ともあれ私なりに楽しんだ事だけは、ここに述べておきたい。そして、私がそんな楽しみと充実を味わえたのは、会の重鎮、吉原一清氏が一時間以上に渡り、各作品の懇切な解説をしてくださったお陰である。私以上のご年配であるに関わらず、会館の一階から三階まで実に軽やかに身を運ばれ、終始温和で滋味ある話をされた。それは、主宰・光峰氏への深い敬慕と会での創作を無上の喜びとする方から溢れ出た、そのような話であった。私はここに、退職後、天から与えられた人生の余白の輝きと充実を見る思いがした。

  • 3月17日・木曜日。快晴。

    書とは、大小はともあれ、白紙に一本の墨線を引く事から始まる。そこに臨む書家の心境、決意を忖度することは、やり直しを許さぬ世界だけに、はなはだ興味深いものがある。

    ことに大作の場合、筆はもはや腕を離れ、まさに身体と一体となって、息をつめ、目指すイメイジを求めて、寸分の狂いも無く一気に運ばれなければならないだけに、そこには、逃れられない跳躍への決断と一つの格闘のドラマが演じられているに違いないからだ。

    しかし書は、身体技やその能力・美を競うスポーツではない。それまでの経験と培った技両を駆使し、書によってでしか表象しえない美を造出しようとする営みだと思う。もっとも、その「美」をドウ捉え、どのように意味づけするかは、書家の、いや芸術の世界の住人たちが等しく直面する問題であろう。そして、その深浅に応じて、そこから生み出される作品の深みと訴求力は、自ずから異なるはずである。

    亀甲会の理念は、断じて古代人の刻んだ甲骨文や金文の採掘、再現ではない。だから、これ等の文字がどれほど見事に模倣され、字面よく描かれようと、それだけでは作品としての価値はない。そうではなく、太古、人々が亀甲や鉄器に記して、神々の声を聴こうとする祈りの心を捉え、それを通じて作者の内面を鍛え上げ、現代社会に新たな精神の息吹、その美を送り届けようとする、そうした精神性が求められているようにみえる。

    ここで、一つ立ち止まって考えてみよう。古代人が文字を通じて神意を聴こうとするその祈りの意味と深さとは、どのようなものであろうか。彼らを取り巻く自然の酷薄さと獰猛さ、そこから身を守るにはあまりに乏しい技術や調度の類。考古学が教える知見によれば、金文が史料的に多数発掘される殷代(紀元前12世紀頃)には漸く王朝が成立したが、青銅器が主流であり、いまだ本格的な鉄器時代(紀元前750年頃と言う)には程遠い時代である。であれば、人々は不安定な政治もさることながら、それ以上に分けもなく突然襲来する、容赦の無い天候不順や天変地異、その結果の農業の破壊、疫病の蔓延等をどれほど恐れたことであろう。きのうまで人間を慈しんできた自然が、今日は憤怒の形相をもって怒り狂えば、ここに神意を見、これを傾聴したいとの思い、祈りは実に深刻であったに違いない。これは神話的世界の人々に共通の心性である。

    そうした祈りの意味を今に蘇らせ、我ら人間をはるかに超え出た何か大いなる力の存在に気づかせようとする、亀甲会の理念とその活動に私は共感する。と言うのも、このような祈りは、現代でも無縁ではあるまい。五年前の大災害は言うに及ばず、世界を席捲する気候変動の脅威、グローバルな経済活動の破壊は留まるところを知らない。人間は、今、自然に対して暴虐の限りを尽くし、やがてその復讐を受けるのではないかと恐れるからである。

    私は当会の活動理念をそのようなものとして理解するが、そこから生み出される作品世界は独特の意味と色調を帯びる。白紙に書かれた文字(これを私はモンジと発したい)は、それは紛れもなく書であり、同時に画である。だからそれは描かれるのである。そして、それが描かれたその瞬間から、用紙全体が作品として躍動し始める。墨線は踊り、余白には風や色彩が満ち、あるいは音がざわめき始めるのである。しかし、ハタと見据えれば、墨書はただ用紙に書き付けられて、静止したままなのである。

    どういう事か(以下次回)。

  • 3月11日・金曜日。雨模様の曇天。

    今日は、ラシクナイ話をしよう。いや、小さな声でつぶやこう。周りに聞かれると、嗤われそうだからだ。題して、芸術(?)。これほどわが身にとって縁遠い話題もそうはない。クラッシク音楽の聴力はまるで無く、絵画は対象がソックリ写し取られていれば、手も無く感心する手合いであるからだ。にも拘らず、蛮勇を奮わなければならぬ理由があるのだ。

    この月曜日、知人から招待状を頂戴して、亀甲会の書展のため上野の森美術館に行ってきた。一年ぶりの事である。本会については、昨年の今頃ここでも簡単に紹介し(もっとも、そんな事を覚えている御仁は皆無であるは承知の上だが)、また当会のホームペイジがある様だし、昨年、朝日新聞で京都の展覧会が報道されもしたから、ここではその説明は割愛しよう。ついでに「蛮勇の理由」をいえば、今年の賀状にまた我が「手紙」に書くように、との依頼(?)があり、昨年の文章が会の面々に中々好評であったと聞くに及び、小生、滅多に褒められたことが無く、この手のオダテニ滅法弱いものだから、あえて駄文を草する次第となった(この後、会合のため本日はコレマデ)。