2016年4月1日

4月1日・金曜日。花曇。

ヘデビュー、アスクーウプマルク、ブロムクヴィスト、ヘデニウス、ヴレトマルク、イイェンセン・・・、と連ねられた文を舌も噛まずに読んで、「ウン、あれだ!」と瞬時に判断できる日本人は、何人いるだろうか。これが人名である事は分かるが、何処の国のどの分野の人たちなのか、となると見当もつかない。これはマタイ伝冒頭を始めて読んで、辟易させられた思いに繋がるものがある。

彼らは20世紀後半に活躍した、北欧(主としてスエーデン)のジャーナリスト、精神科医、哲学者、宗教家、看護師等の面々であり、それぞれの立場からターミナル・ケアの問題に心血を注いだ人たちである。彼らは、先ずは安楽死の可否に始まり、そこに孕まれる医療は勿論、倫理的・思想的・経済的な諸問題を検討し、こうした苦闘はやがて「ホスピス医療」の確立に結実するが、そのようにして医療現場や広く社会の在りように対して決定的な影響を及ぼすことになる人間群像である。その長い歴史的経過を上記の人々の残した『作品群』を丹念に辿りつつ、再構成し、問題群の所在を明示して、現代の我が日本の延命治療の問題に対し多大な示唆を与えられた書がある。

『生と死 極限の医療倫理学』(創言社、2002)がそれであり、著者は尾崎和彦氏(明治大学名誉教授)である。著者によれば、この種の学問的な問題関心は本国の北欧でもあまり強くないようで、それ故それに関わる通史は勿論、各作品に対するモノグラフにも事欠くしだいである。とすれば、本書は上記の人々のものされた膨大な成果を第一次資料、否、ほとんどそれのみを唯一の資料として、これら原書をたった一人で読み解き、思索し、なった書物である。こうした孤独な学問的営為を支えた著者の専門領域たるヨーロッパ思想・哲学史の素養はもとより、医学・経済学・社会史他の広大な分野の学問的な研鑽とその深さ、厚さに驚嘆させられるが、同時に著者の強靭な精神力にはただ敬意を表するばかりである(以下次回)。


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