• 6月17日・金曜日。風生ぬるく、蒸し暑し。不快。

    ヒトの精神的構造は、心理学的には(と言うよりも、フロイトによれば)、イド、自我、超自我の三層からなり、この段階を踏んで我々は成長するらしい。そして、さきのリビドーはイドの内に貯蔵される。となれば、イドは生れ落ちたままの生存本能の場ということになり、ここでのヒトの行動は快楽原則に従い、他の動物のそれとあまり違いは無いと言えまいか。この点、我身を省みれば、この歳に至るも誠に恥ずかしい限りの数々ながら、だがそれは此のところの舛添サンの釈明を上げるまでも無く、私だけの事でもあるまい、と言い訳をしておこう。むしろ、この事実を我々は、キチンと見据えなければいけない。ドンナに偉そうなことを言おうと、所詮、我々は生物進化の中で育まれた動物の一員にすぎず、これを離れては生きていけない。であれば、ヒトは万物の霊長などと言わずに、モット謙虚になったらどうだ。他の仲間にとって生活し得ない環境は、我々にとっても同じなのだから。

    ところで、イドは自らの欲求を無限に解放することは出来ない。まずは自身の身体的な能力の限界のほかに、彼の生きる社会の掟、さらには幾多の規範が社会成員の勝手、我が侭を許さないからだ。それら社会規範は超自我として両親、近親者からの躾や懲罰を介して彼に押し付けられ、内面化されようとする。こうして、社会の在るべき人間像・理想像を突きつけられるが、それに対する彼自身の希望、能力、資質の問題もある。ここに彼のイドと超自我との葛藤が生じ、その過程の中で、彼の自我の形成が図られる。となると、自我はイドと超自我との交点、仲介の場と言えないか(さらに、その自我をもとに、彼の理想とする人間像、あるいは望ましい社会建設に向けて自己の成長を目指すとき、ここに自我理想の分化、成長がなされる)。ただし、この自我形成は先の「内面化」の言葉が示すように、それは自覚的、意識的にではなく、むしろ日常的な生活の中で、無意識の内になされると言う。だから、自我は自己意識ではない。ここでの「自我」は、個人の無意識に為される行動・思考・欲求のあり様・その仕組みを理解するための概念としたい(いよいよ分からない話になってきたから、ここで止めよう。と言うより、何かトンデモナイ誤解をしているかも知れないから、読者ヨ、興味があればご自分で勉強されたい)。

    こうした文脈、枠組みの中で、フロイトは「エディプス・コンプレクス」を説いた(ヤレヤレ、ようやく書くべき地点に到着したが、本日は会合のため、これまで)。なお、この段落は23日・木曜日に補足したものであるが、それが良かったかどうかは、私にはワカラナイ。

  • 6月10日・金曜日。早や真夏日。

    フロイト(1856-1939)は、神経症治療に打ち込むことから、後に精神分析学を確立するという巨大な業績をのこした。そこに至る歩みを述べることは、我が能力の限界を遥かに越えるが、大雑把に言えばこんな事になろうか。神経症の治療のためには、発症の機序がまず解明されなければならない。そのために彼が開発した「自由連想法」なる手法からして独特であった。例えば「夢」は、目覚めた直後に被験者からその夢によって触発される印象、気がかり、不安、喜びなど大小に関わらず、その出来る限りを聞き出し、それらの要素の連結を話させる事で、何か巨大で奇怪な夢の諸相が分解され、かくて被験者自身が夢の意味を得心させられるのである。この文章では分かりづらいかもしれないが、思ったほど難しいことで無いから、ご自身でやってみられればよろしい。ともあれ、こうして夢は異界から舞い降りたお告げや占いといった神秘性を剥ぎ取られ、それは彼自身の内部に宿る様々な思いの錯綜の結果であることになった。

    マタモヤ、余計な道に踏み迷ったが、いつもの事で、行き着くところまで行きましょう。彼はこうして人の精神世界、そのうち特に無意識になされる行為や思念のメカニズムに分け入る道を見出し、無意識界の発見者と同時に解明者となったのである(興味があれば、『精神分析学入門』にある「しくじり行為」の説明を読まれたい)。

    ここに、人の行動は必ずしもカントに代表されるように、自らの自由意志に基づく、理性的な判断によって律せられるわけでない事が明示された。そうした事態は既に、ロマン主義、歴史主義といった文学や哲学の世界では周知のことであったが、フロイトは情念や激情に駆られた人の、なんとも了解不能な行動を因果的に解明する道筋を開いたという点にその最大の功績がある、と私は見たい。

    では、彼にとって、人には意識されないが、しかしその人の行動を規定して止まない要因とは何か。それこそlibidoである。これはしばしば性欲動、性衝動と訳されるが、必ずしもそれだけではなく精神的エネルギーをも含む。であればフロイトはこのリビドーを管理、禁欲して、その解放を性的領域から精神世界に転換する事によって、西欧近代科学、文化、芸術、さらには資本主義的な膨大な経済発展が成し遂げられたと言えたのであろう。なお、ヴェーバーは決してフロイトの精神分析学を評価しなかったが(私にはその理由は良く分からない)、この点での彼の主張は否定しなかった。

    さて、私はこれ以上の土壺に陥る前に、足抜けしなければならない。本日の初めに戻って、神経症の発症メカニズムについて、乱暴にも言っておこう。それは、彼によれば、特に女性患者の場合、幼児期か子供時代の躾において、厳格にすぎる扱いを受け、リビドーの解放が妨げられ、あるいはその成長を捻じ曲げられたケースが多い。その結果、精神障害をこうむった。それは、キリスト教的禁欲主義と結びついた女性教育のあり方に一石を投ずる指摘であったろう(こんなことを書く積もりは毛頭なかったのであるが。次回『ギリシャ悲劇』に戻るはず)。

  • 6月2日・木曜。水無月に入るも、快晴。尚、本日の手紙は、百通目になる由。何事につけ三日坊主の私としては、祝杯ものの慶事である。

    だからと言って、今日の「手紙」が突如高尚になれる訳でもなく、そんな期待をもたれる懸念はまるで無いものの、先ずはご承知あれ。

    さて、ギリシャ悲劇だが、私はここでこれを論ずるつもりはない。などと、体裁の良いことを言ってはいけない。そもそも、ソンナ知識は全く無いのだ。この『全集』を買ったのも、40年ほど前に、池袋の、たまたま覗いたどこかの古本屋でのことであったらしい。今回、裏表紙に張られた栞からそれと知った。ただ、これを買い求めた気持ちは、ウッスラと記憶している(読者諸氏よ。寄贈本はともかく、自ら買い求めた本は、いつか読もうという意図があり、時がめぐり、関心が戻れば、やがて読まれることが多い。ユメ、破棄されてはならぬ)。

    その頃か、それ以前かは定かでないが、内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書)を読み、強い感銘を受けた。その詳細はスッカリ忘れてしまったが、ギリシャ哲学からマキアヴェリ、ホッブス、ロック、ルソウ、ヒューム、スミスといった社会思想史上の巨星達の認識の系譜とその歩みが平易に、だが深く語り尽くされていた。その読後感はいまも忘れてはいない。私のこの方面の知識と理解は、本書に拠っているのかもしれないほどである。

    本書の始めの辺りであろう(本来なら、確認すべきだが、ゴメン)、人生観についてのギリシャ的思惟からマキアヴェリにいたる変遷の叙述が、私には鮮烈であった。前者では、人の生は宿命論的に決定されたものであったのが、後者ではそれは人の意思のもとにおかれ、変更され、開拓しうるものとなった。君主とはそのような力を持つ人のことである。それゆえ、人生を宿命から解放し自ら確立しうる人はいまだ特別な力を有する者に限られていたが、ホッブス以降の近代になるにつれ、人間は平等化、均等化され(そこには神の前では人は皆平等であるとする、ルッターの宗教観も決定的な役割をもったのだが)、社会とは、そうした平等で互いに独立した人々の間の契約に基づいて形成されたと解されるにいたる。

    その後のヒューム、スミスの話はここでは措こう。それはそれで、別の物語を語らなければならない。ここでの関心は先のギリシャの人生観である。私は内田先生の叙述に引かれて、それが如何なるものであるかについて、いつかみてみたいという思いがあった。またある時、ニーチェの学問論の中に、ギリシャ人にとって、事象は決定論的に決定済みの事であるために、せめて物語の内に波乱万丈を求めたとの叙述をみた。それが、現代では事象は予測不能と化し、安定と確実性をえるために、学問のうちに法則性を探求するにいたる。ヴェーバーが現代の生を、「倦み疲れることがあっても、飽きる事はない」と言ったのも、この線上でのことであろう。我々と往時のギリシャ人との人生観の懸隔はかくの通りである。

    さて、彼らの思惟が宿命論的であることは、ソフォクレス『オディプス王』を一読するに如くはなかろう。この悲劇はフロイトの「エディプス・コンプレクス」論と結び合わされ、最も人に知られた話である(以下、次回)。

  • 5月26日・木曜日。暑し。

    幾つくらいになると、人は自分の人生の来し方を振り返るようになるのだろうか。一概に言えないことは無論だが、それでも折に触れ、そんな事を以前より深く思う歳というのはあるような気がする。しかもそれは、人生のピークは越えた、と自覚する年齢に差し掛かった頃ではなかろうか。「アノ時、アーシテいれば、コーしていれば・・・、チクショー、アノ野郎、コノ野郎」といった恨みや悔しさ、あの時、この時の失敗やら不運を嘆きつつ、それでも束の間の僥倖、小さな成功に慰められながら、「ショーガナイ、これがオレの実力だ。運命だ。結局、こうしか生きられなかったンダ」、と言った辺りに落ち着くのがオチではないだろうか。

    こうした思い出は、喜びより不幸の場合の方が心に強く残るというから、それだけでもわれわれ人間はあまり幸せには生きられない、と言えそうだ。そして、この理由を心理学は、失敗を脳に深く刻み込むことによって、二度目を避けようとするからだと説明する。ここで思い出すことがある。マイケル・S・ガザニガ『<わたし>はどこにあるのか:ガザニガ脳科学講義』(紀伊国屋・2014)によれば、人間が因果的認識を追及するのは、それが教訓的な意味を持つからだ、と言っていたように記憶する。M・ヴェーバーはある所で社会科学の認識の客観性を、生じた事柄の因果的な認識のうちに求めていたが、私には正直、彼が何故これほどまで因果性を重視するのか、いま一つ腑に落ちなかった。が、ガザニガの説明により何か分かったような気がしたのである。

    たしかに因果認識が人間社会に齎した恩恵は測りがたいものがある。これがなければ現在の全技術体系は成立しない。さらには「魔術の園」と言われた迷信、呪術、魔術の摩訶不思議から人間は解放されることもなかった。だが、ガザニガによるかぎり(と言って、それは例によって我が勝手な読み方にすぎないのだが)、因果認識は事象の多種多様な認識に対する、人間の脳の都合のよい一つの選択にすぎないとすれば、そこではなにか大きな欠落、そぎ落としが生じていると危惧されないだろうか。因果性の背後にある意味世界の問題はその一つであろう(なお、ヴェーバーはこの問題の重要性を、決して忘れていなかった事を、彼のために言っておく)。

    私はまたもや、本日言いたかった事の道を踏み外し、ガザニガ辺りから枝道に迷いこんでしまった。ともあれ、我々の人生問題は、単なる因果的な説明では断じて解消されない。「あの時あそこで我慢し、もっと勉強しておれば」などと悔恨しても、彼や彼女の無念は何ら解消されはしまい。人はそのとき人生上の幸不幸、矛盾、不公平といったありとあらゆる了解不能な不条理に向き合い、これをどう受け入れるべきかに思い悩んでいるのである。そして、己が人生の意味を問うているのである。

    その時人が思いつくのは、こうであろう。たしかに、その時々のその人の決断は、彼の事情や能力、あるいはめぐり合せの状況の中で因果的に決定されるに違いなく、だからその多くは彼の責任に帰せられる他は無かろうが、それを全体で見た場合、これはただただ自分の決定だけの結果であったのだろうか。このように決断し、実行を強いたなにか別の力、は無かったのだろうか。こうして、原因から結果の推論とは逆転した、結果から原因への遡及によって、はじめから自分の人生はこうならざるをえないように計画した何者かの介在があるのではないか。

    こうした思考は、現在のいわゆる科学的な教育を受けた世代にとっては、とりわけ神秘的、宗教的な生活圏の中にある人々を除けば、受け入れにくいものであろう(と言って、現在の若者たちが常にそのような科学的な生活者だとは言わない。オウムの事例からもそうだ)。しかし、そのような世代も人生の峠を越えてこれまでを振り返ると、何か言いようの無い軌跡を見ることにならないであろうか。なにを隠そう、私は最近、4,50代の頃には考えもしなかった心情にとらわれ、不思議な思いにあるのである。それかあらぬか、『ギリシャ悲劇全集』(人文書院・昭和35年刊)の世界はなにか他人事ではないのである(これについては次回)。

  • 5月20日・金曜日。うす曇、蒸し暑し。

    ブロムクヴィストの安楽死論は以上である(と言って、筆者の勝手な要約にすぎないのだが)。最後に、こうした彼の思考を支える死生観を「生きる権利」と「死ぬ権利」から再考し、もはや長大になった本項のまとめとしよう。まず、この二つの権利の根底に、彼はサルトルの提起する「選択の自由」の問題を見据える。サルトルは「自由の磔刑」のうちに現代人の苦悩をみたが、「安楽死」に向き合う医師の「生と死」の選択こそ、その最たるものであるに違いない。彼はその結果責任のすべてを一身に負う覚悟がなければならないからだ。だが、その責任には何が込められているのか。患者の病状、治療技術とその可能性、施術後の生活の質といった純医学的な見通しに関する最新の知識と置かれている医療環境の水準(彼の技術、医療設備、スッタフ等)の他に、この患者の治療が他のより可能性のある生命の阻却、限りある医療資源の費消、生命の不平等の発生、これらに対する社会的・文化的な受容度等々までもが考慮される。であれば、真摯な医師こそ「誰を救い、誰を殺すか」の選択に苦悩せざるをえないはずだ。ブロムクヴィストは問う。「わたしは・・・生きたくないとはっきりと表明している人間が死なないようにし、彼に人工呼吸器を取り付けて、別の人間の生きようとする意思を拒絶すべきであろうか」。

    彼によれば、この難問には二つの回答がある。一つは、「全能の神」(すなわち、運命)に全てをゆだねて事にあたることであり、他は不完全ながら人間の理性を信頼することである。それは考慮すべき諸要因のうちのごく一部の、それすら危うげな見通しにすぎないにせよ、前者よりも誤りは少ない、と信ずる立場である。言うまでも無く、彼はこれを支持する。以上が、医師が直面する「選択の問題」である。

    では患者の「選択の問題」はどうか。ここにも医師に劣らず深刻な苦悩がある。患者本人の「生死」の問題だからだ。だが、これに対するブロムクヴィストの回答は明快である。「人間が自分の生命に対する権利を有しているのであれば、もし彼がそれを望むなら、この権利を放棄する権利をも所有しているのではないのか?生きることを欲しない人間に一体誰が、そして何が生きることを強制できるのか?」。誠に強烈な「自己決定権」の宣言であり、徹底した個人主義の主張が凝縮されている、と言わざるをえない。これは他の何者の介入も許さない個人の自律性の要請と承認に他なるまいが、同時に全ての結果責任を一身に引き受ける強靭な精神の成熟が前提されなければならないだろう。誰もがその域に達する分けでもなかろうが、そうした個人の集合体としての社会とは、いかなる社会を想像すれば良いのであろう。

    とすれば、今や彼にとっての医療とは生命の単なる遷延を図ることではなく、「死」を「賜物」として送る医療、すなわち「死の幇助」が容認されなければならない。というのも「もし人間が自分でこの賜物の提供される時期を決定できるなら、人生は個人にとっても、彼の家族、社会にとってもはるかに安らかなものになるはず」だからだ。

    誤解の無きように言わなければならない。これは独立人格による「自己決定」によって表明された痛切な「死への願望」であり、それに基づく医療的措置である。優生学その他の名を借りた、都合のよい医学的殺人と混同される事があっては断じてならない。だからであろう、ブロムクヴィストは「死の幇助」を「生命を奪うこと」であろうはずは無いと言明したのであったか。

    以上のような思考と論理がヘデビューの信念をどう支えたかは、もはや論ずるまでも無かろう。のみならず、彼の著書はスウェーデンを越え出て、西欧世界第一級の文献として医学、哲学、宗教といったおよそ「生と死」に関わる全ての分野においても多大な影響を持ちえたのであった。だがそれは、勿論、彼が権威化され、ただ訓詁解釈の対象になったという意味ではない。そんなことは、カントの「絶対的基準」の探求を否定し、倫理学を発展するダイナミックな学問とみる、彼の望むところではないはずだ。むしろ、彼の主張が基礎となり、そこに潜むさらなる可能性、あるいは問題を彼に続く人々が引き出し、これをより広く、また深く彫琢するためのスプリングボードになったという意味でなければならない。事実、彼は多くの支持者と批判者をえた。本書の著者はそうした応答のあり様、また「安楽死」「死の幇助」の概念とその変遷を克明に検討されている。

    その内、筆者には、ウッラ・クヴァルンストレームの思想と実践が最も興味深い。看護婦の経歴を持つ彼女は、多年にわたって「人生末期の医療問題」に実践的に関与する傍ら、哲学学位を取得し(ストックホルム大学)、現在、ベルゲン大学医学部教授の職にある。彼女の独自性は多くの「臨死者」との面談を通じて彼らの内面にある「死の影に対する生き生きとした認識」をふまえて、終末医療のあり方を提示した点にありそうだ。ブロムクヴィストの「安楽死」には、それが積極的であれ消極的であれ、「殺人」には変わりなく、医師や近親者、さらには社会の倫理規範を毀損する危険をふくむだけに、彼女の功績は逸することはできなのである。だが、筆者はそれらの問題をさらに辿ることはもはや出来ない。

    最後に私事を一つ付しておきたい。昨年12月、103歳の母を看取った。90歳を越えてなお一人で暮らす気丈夫であったが、室内で転倒するにおよび、我が家に引き取った。97,8歳の頃であろうか。多忙と仕事にかこつけ、その面倒、介護のほとんどを家人に押し付けたままであったが、老老介護を地で行くその様は、ショートステイ、訪問介護のケアーを最大限利用したものの、やはり限界をこえた。しばしばでる介護疲れからの事件の報道もよく理解できた。そして、考えさせられた。「明日はわが身。こんな負担を誰にかけられようか。それにしても、医療の酷さよ」。

    そんな折、本書を思い起こした。多分、尾崎先生から寄贈して頂いたはずだ。書棚をみればたしかにあった。「いずれジックリ拝読させて頂きます」とか、体裁の良い礼状を書いてからもう何年になろう。奥付けには2002年とあるから、はや14年前のことである。先月、恐るおそる本書を開けば、表紙裏に一葉の文が添えられていた。「御笑覧頂ければ幸いです。*表紙の印刷インキが生乾きですので、手が汚れないようお気をつけ下さい」。すでに灰色に変色したゼロックス用紙に刷られた文字が「生乾き」どころか用紙の灰色に呑み込まれるような頼りなさであった。それほどの期間、本書はたな晒しにされていたのである。

    この度、本書から多くをおしえられた。拙文は著者の意に満たぬものであろうが、これまでの無音をお詫びし、我が御礼にかえさせて頂きたい。

    尾崎先生、有難うございました。