• 12月3日・金曜日。晴れ。温暖な日よりである。

     

    一口に資源の枯渇といっても、その対象は果てしがない。科学の発展が、これまでは見向きもされなかった多様な素材を、一気に貴重な資源として浮上させた。原子力機器、電子機器の製造に必須のものとされるレアメタル類はその典型だろう。だが、そこではこれに従事する労働者たちの劣悪な労働環境が、彼らの命を危うくするほどの問題がある。さらには、希少素材は直ちに掘りつくされ、石油の場合と同様、次第に掘削地域を広げ、地球深くに侵攻し、こうしてわれらの大地に甚大なダメージを与えることになるのは必然である。事実、関連技術の巨大化と列強諸国間の競争がそれらを埋蔵するアフリカ等の途上国を急襲し、広大な大地を乱掘する映像は、見るも痛ましいものがある(上の文書を記した夕刻、たまたまニューヨークタイムズ・12/3付の記事「コンゴ国コバルトをめぐるライバル間の監視 リーダーシップを求める闘争、電気自動車用鉱山の改革、危うし」を読み、まさに我が思うところが示された)。

    以上と同様、筆者にとって特に気になるのは、東南アジアほかの熱帯雨林に特有な、生物の多様性ともかかわる、膨大かつ多様な菌類に対する権益問題である。これまで熱帯雨林が人類の侵入から守られ、あるバランスの中で生態系を維持してきたのは、こうした菌類、特に人間に対しては各種病原菌の存在であったと、マクニールの名著『疫病と世界史』から教えられた。それが、20世紀に入って急激にして広大な乱伐に見舞われ、日々、その多様性を失っている。人類はこうして自らの存在条件を危うくしているのである。

    しかも、これら菌類は単に疾病の原因であるばかりか、未来の薬品の素材となる可能性が益々明らかになるにつけ、それらが先進国政府をバックにした巨大製薬会社によって、次第に蚕食されかねない状況もあるという。つまりこれは、先進国が開発援助や薬品製品化のための膨大な研究・開発費を理由にして、菌類はじめとする多様な生物・遺伝資源に対する途上国自身の所有権を召し上げようとする危険性の問題である(以下次回)。

  • 11月29日・月曜日。晴れ。前回から数えて20日間の休載である。別段、筆者に体調問題があった分けではなく、ただあれこれ諸事雑多に取り紛れた結果であった。もう一つは、新社屋への移転という環境の変化も、仕事に乗れない遠因であったのかもしれない。

    12月1日・水曜日。荒天後の晴れ。はや師走。

     

    筆者がここ2年余り取り組んできた「社会のたたみ方」と題する論題は、しばしば言ってきたように、疲弊した地域社会の蘇生をどう図るかという問題であった。その際、それは大都市圏に依存せず、各地域は隣接地域と連合する形で、独立した地域経済圏を形成する、そうした姿を模索してきたつもりである。

    そうでなければならない理由はいくつもあるが、大都市に依存した地域社会は、結局、ヒト、モノ、金を都市に吸引され、疲弊する結果にならざるをえず、その経緯を、わが社会はこの100年、まざまざと見せつけられてきたからである。少なくとも、筆者はそう見る。歴代の政府、それを支える政・官・財および学界は、そうした大都市中心主義的な政策こそ、工業、商業、各種サービス業を促進し、こうして国全体の発展を効率的にもたらすとの思考があったのであろうか。大都会の成長が地方を潤すとの、一種のトリクルダウンの考え方である。だがその結果は、逆であったことは、今やだれの目にも明らかであろう。それゆえ、ここではやみ雲な「経済成長主義」からの離脱を主張したいのである。

    成長の限界を予兆させる要因は、いくらでもある。グローバルで見れば、地球温暖化は待ったなしであり、世界人口もいよいよ限界点に達しつつあるとの議論もある(これらはすでに本欄で見てきたとおりである)。ブラジルにみる熱帯雨林の破壊は世界の一例にすぎない、広大な環境破壊がある。水の天体ともいわれる地球上の飲料・生活用水の不足は、もはや深刻であり、戦争の危機をはらむと言われる。事実、かの中村哲氏の殺害は、当該地域に緑をもたらした水路の建設が、他地域にとっては水量の減少を来すとの不安に絡んだことであった、と報道された(朝日新聞・朝刊11/29。月)。

    以上とは別だが、列強国間の地政学的上の熾烈なせめぎ会いと戦争への恐怖が、地球全体を覆い、逃れようのない不安をかもす。ここには、第二次世界大戦時の火力とは比較にならない、核兵器他の壊滅的で絶対的な破壊力の凶暴さが、「経済成長」どころか、われらの地球の存続すら脅かす政治状況があるからだ。現に、ロシアのプーチンは、ウクライナへの侵攻を本気で画策しているとは、先日のジャパンタイムズの報道に見た。米中の角逐がこれに重なる。そして、深刻な資源問題がこれにつづく(以下次回)。

  • 11月8日・月曜日。晴れ。先週は別件の仕事のため、本欄は休載とした。

    9月の総歩数・273,542歩、平均歩数・9,118歩、最高・13,440歩、最低・3,384歩であった。10月は総歩数・272,910歩、平均歩数・8,804歩、最高・13,148歩、最低・3,021歩であり、平均9千歩を割り込み、少々残念である。

    11月10日・水曜日。晴れ。

     

    総選挙の結果がでた。各種の報道によれば、国民は概ね自民の大勝を歓迎しているようである。立憲を中心とする野党の統治能力に信が置けないということが、主たる理由である。たしかに、筆者にも、この指摘に頷く点が多々ある。財源の裏打ちのない助成金交付や消費税の引き下げなどは、長期的展望を欠いたポピュリズムの匂いを嗅いだ。何より、安全保障政策の問題については、大きな不安を覚える。これだけ中国の脅威を見せつけられている昨今、日米安保条約の解消を主張する共産との共闘は、最後までしっくりこなかった。共産とは閣外協力で臨むという、立憲の主張は国民の間にどこまで浸透したのであろうか。単なる数合わせに過ぎないとの与党側からの批判や攻撃は、その限り功を奏した。

    しかし、「一強五弱」とも言われる政治状況が、健全であるとも思えない。それが我が国の政治状況に何をもたらしたかを、先に中島京子氏が一言のもとに示された(「衆院選に思う」・朝日新聞11/2より)。「この選挙は、長く続く自公政権への評価を行うものでもあったはずだ。行政文書の破棄や改ざん、黒塗りによる開示拒否など、民主主義がないがしろにされるのを見てきた。なにより、政権与党は臨時国会の召集を求められても応じなかったのだ。選挙だけではない、この国では、政治そのものが大切にされていないと感じる」。つまり、数々の不都合な事実の隠蔽であり、何をしても何とかなるという、政権与党の驕りである。

    その結果、国民生活はどうなったか。「人が生まれてきた以上誰でも持っている、生きる権利」がおろそかにされたのである。それを具体的に言えば、こうなる。「日に2万人もの新規感染者」を出すようなコロナ禍のさなか、オリンピック開催が巨額な費用をかけて強行される一方で、「職を失い、家を失った人がおおぜいいた。入院できず、たらいまわしにされて亡くなった方もあった。救われる命が救われない恐怖に、多くの人が震えた」そうした状況に、少なからぬ人々が放置されたのである。

    この度の選挙はそうした現状に対する国民の判断をしめす機会でもあった。そして、その結果が示された。これを中島氏は「暗澹たる気持ち」で受け止められたが、それでも非政府組織や非営利団体の選挙期間中の活動によって、各政党についてのさまざまな情報が有権者たちに届けられたことに、「民主主義の破壊」を阻止するための希望を見出だされ、こう結ぶ。「悲観している余裕はない。私たちは、自分たちの基本的な権利をもっと大切にしなければならないし、そのための努力を、今日、この日から始めなければならない」と。

    同時に、筆者は思う。野党勢力、特に立憲民主党は与党の失敗をあげつらい、また単なる数合わせに走るのではなく、党としての独立した政策を持たなければならない。中長期の国家像を提示し、それにいたる短期的な政策を策定することである。そのためには、地域住民の生活を注視し、そこから上がる懇請の声をすくい上げ、政策的に実行する政治が求められる。だがそれには、各地の地方議会で多数派を占めるという、息の長い、地道な政治活動を展開しなければならない。

    言うは易し、行うは難しである。だが、野党は今や、連合とか傘下の組合票を当てにする政党ではなく、国民政党への脱皮が求められているのではないか。派遣労働者、非組合員から商店・農業・中小企業他、広大な中間層の心を捉えるそうした政党への飛躍である。その根底には、外交と安全保障についての、与党を含めた国民的な幅広い合意がなければならないだろう。それは目指すべき国家像をどう造るかという問題にも直結するはずである。

    以上は、この国の政治体制が、中道右派と中道左派からなる二大政党制への移行を意味することになろうか。最後に、こうした与野党の接近した政治体制では、現在見られるような、国民の声や目をまるで無視したような、政治遊戯や政治運営だけは阻止されると期待したいがどうであろうか。

  • 10月18日・月曜日。晴れ。一足飛びに、晩秋の気配。

    10月25日・月曜日。曇り。やや寒い。本日は新社屋での初仕事である。5階建ての1階にわがデスク、パソコンがある。調度は整わず、ガランとし、さながら倉庫の一隅を思わせるが、ここからクリエイトの新たな時代が開かれると信じたい。いや、是非にもそうしなければならない。

    10月27日・水曜日。曇り時に雨。前回の文章をやや加筆・訂正する。

     

    過日は水道橋の崩落を見たが(10/5)、4日前は「水門・排水場 必要な修理せず/全国12施設 4年以上放置の例も」(朝日新聞10/14(木)・朝刊)の記事を読む。同記事によれば、国の交付金を受けて、2017~19年に「14府県と政令指定市の河川管理施設」に対して行われた維持管理対策の状況について、会計検査院が調査したところ、上記のような結果を見た。他にも、「調査対象とした500施設の半数」では、機器の健全度の判定が、国の定める維持管理方法に従っていなかったという。いわば、近年、わが国のどこでも頻発している検査の手抜きが、ここでもあったということである。

    このことが、いかに深刻な結果をもたらすかは、改めて言うまでもない。例えば、熊本県芦北町は、赤松川排水機場の腐食をすでに2015年の点検で認知したまま放置し、昨年の豪雨によって河川の氾濫から、排水機場周辺一帯では、数十棟の浸水被害を被った。検査院から緊急修理の指摘を受け、県は今年、修理に着手。費用は1200万円であった。「扉の開閉に問題がなかったので後回しになった」、とは県河川課の釈明である。近隣住民は言う。排水機場が「大雨の時に動かなかったら、床上どころか軒下まで水が来ると覚悟している」。

    修理代に比べた住民の覚悟と犠牲は、いかにも大きすぎる。それにしても、この程度の費用も賄えない地方政府の予算不足は、全国的であろうと思えば、もはや絶望的ではないか。中央では、オリンピックを初め大規模開発が引きも切らない状況であり、これを見れば、国造りの根本が間違っていると思わざるを得ない。

    さらに深刻なのは、1,2級河川にあるこの種の河川管理施設は28,000カ所に及び、しかもその6割が40年前の高度成長期に設置されたもので、その劣化は顕著であり、更新に一刻の猶予もない(同記事より)。また、中央、地方都市の上下水道、高速道路、トンネル等々のインフラ施設も同じ問題を抱えていよう。

    以上は、筆者には、第二次世界大戦時のわが帝国陸海軍の戦線拡大の惨劇を思い起こさせる。いずれの場合も、伸びきった戦線に対し各種補給は追い付かず、前線の軍は糧秣、弾薬、医療等すべての不足に難渋する。食料にいたっては当初から現地調達という略奪を作戦上に組み込んでいたと聞く。特に南洋諸島では、軍を養うための「調達」先を欠き、兵たちは戦闘以前に飢餓とマラリア他で多く斃れた。ガダルカナル島はその象徴であり、これを「餓島」と記すのもそうした地獄をよく示していよう。

    すでに我が国は老齢化と人口減少のさなかにある。経済的活力は削がれ、抱える国家債務はGDPの2倍を超え、1100兆円余とも言われる。そうした最中にあって、上記の差し迫った諸施設の補修、建て替え問題を遅滞なく、適切に対処できるのであろうか。これらに対する政府の方針はいかなるものかを、とくと聞いてみたい。だが、筆者の目にするのは、それらの問題は存在しないかのごときであり、あるいは発生した被害箇所だけをその都度補修する、ただ問題の先送りに過ぎない。そして、ひたすら成長戦略を夢見て、新たな建造物の建設に走るばかりである。しかしそれらは、かつての帝国陸海軍が伸びきった補給線の維持に失敗したように、将来の施設補修、更新の負担を増すだけにならないだろうか。

    ならば、わが国は壮大な政策転換をしなければならない。成長戦略の旗を降ろし、国力、人口、国土に見合った新たな国家プランの創造を目指すことである。それは、大都市中心主義からの決別と、幾つかの地方経済圏の連合体から成る中規模国家の創生である。各経済圏は、すでに本欄で見てきたように、いわゆるコンパクトな都市と農村の融合態である。これにまつわる、侵略国家に対する対抗策は別途論じたい(この項、終わり)。

  • 10月13日・水曜日。雨。岸田首相、本会議において、当初の政策目標の目玉であった「金融所得課税の見直し」他で修正・後退答弁。吉となるか、凶と出るか。解散迫る。

    本日は、前回のメルケル考の補足としたい。

    10月15日・金曜日。晴れ。

     

    先に、政治家の能力の一つに、説得力つまり言葉があると言った。だがそれは、どんな意味で言われているのだろう。セールス・トークのような、立て板に水の、能弁でないことは、確かであろう。ここには、買い手をけむに巻きながら、丸めこんで買わせる、そんな雰囲気がある。政治の場において、しかも国民の生活や命が関わる事柄に対し、そうした言葉がそう簡単に通用するとは思えない。

    上の問題は、弁論術という言葉を思い起こさせる。筆者には、この言葉が相手からの攻撃をかわし、その弱点を突いて、言い負かす言論上の技法、そんなイメージが付きまとうからである。その限り、何かいかがわしい面もあるが、しかしこれをきちんと習得するには、百般の知識を収め、事態に対する分析力、論理性や総合的な認識能力を鍛えるなど、なまなかの事では無かろう。何しろ、ギリシャ時代のソクラテス、キケロに連なる、壮大な歴史を持ち、現在の政治討議でも必須の素養であることは間違いない。

    だが以上は、ここで言う国民への説得力の問題とは、重なるとは言え、少々、違うような気がする。確かに、国民に語り、理解を得るのは、言葉を介してのことであるから、事柄に対する説明、その分析、そこから引き出される結論は、論理的であり、それゆえ理性的でなければならない。にもかかわらず、ここではそれだけでは尽くせない、さらに大きな訴求力、インパクト、国民からの共感が得られなければならない。メルケルの言葉にはそれがあった。前回、その点を落としてしまった。

    彼女は旧東独の出身である。東ベルリンに住まうに彼女は、勤務先の科学アカデミーからは、毎晩、東西を分断する壁に沿って帰宅するのが常であった。壁の向こう側には大きな自由、どこに行き、誰と会い、気ままな仲間たちとの会食の折々には、何を語ろうと構わない、そんな遠慮のない自由、のあることを痛切に思わない日々はなかった。研究の自由の拘束、また生活全般を覆う言いようのない閉塞感は、もはや「堪えがたい」受忍の限度をこえていた。

    つまり、日々の生活の制限、拘束は、それがいかに些細なことであっても、それを課される者たちにとっては、多大な負担であり、許しがたい犠牲や侵略であることを、メルケルは十分以上に知っていたのである。にもかかわらず、今回のコロナ禍での外出禁止は、社会に対し、制限以上の意味、重要性を見たからこその訴えであった。そのことを、彼女は己の人生と重ね合わせ、苦衷と共に、腹の底から絞り出すようにして、議会にはかり、国民に提示したのであった。はたして議会は、そして国民も、事態の緊急性と、深刻さを過たずに了解した。しかもそれは単に頭によってばかりか、心で受け止められ、了解されたのであろう。これはロゴス(理屈)ではなく、パトス(情念)の勝利であったともいえようか。

    いよいよ総選挙の時である。選挙戦で、国民はこのような心に響く言葉をどれほど聞くことができるであろう。政治は期待できる、ならば選挙に行こう、と国民を奮い立たせる声が、どれほど聴けようか。