2021年8月13,16日

8月13日・金曜日。雨。九州、中国地方の豪雨被害に目を覆う。しかも、こうした惨害がもはや驚きの対象ではなく、日常の光景になっていることが痛ましい。異常気象は世界的であり、人類はこれを克服できるのか。残された時間は僅か、とはIPCC(気候変動政府間パネル)の直近の報告である。

8月16日・月曜日。雨のち曇り。前回の文章に手を加え、より明確にした心算である。なおここで、朝日新聞の朝刊一面(8/13・金)に黒々と掲げられた大見出しだけでも記し、前回の文章の補足としたい。それは、「東京 感染「制御不能」」、「「医療機能不全」「自分で見守る段階」」、とある。できれば、同記事を一読願えれば、国民の置かれている現状は、もはや「救える命が救えない事態」に追い込まれていることが、理解されるであろう。そして、皮肉を言えば、「自助・共助・公助」なる総理のお言葉通りの展開をたどり、今や最後にチョイト添えられた「公助」そのものが、消滅寸前にあることもお分かりになるであろう。

 

承前。コロナ疫病の爆発的な感染が止まらない。しかも変異株は多様になり、強毒化が進行している。ワクチンの防御機制をすり抜ける株もあると言う(ジャパンタイムズ8/11より)。この事実に狼狽えた政府は、この度、従前の政策を取り止め、中等症以下の患者は自宅療養とするとの政策変更を、突然打ち出した。重症患者用のベッドを確保するためだが、それが如何に危険であるかは、多くの医療者の指摘するところである。事実、軽症者が自宅で突然重症化し、死に至るケースも少なくない。これは、もはや命の選別であり、政府がコロナ蔓延を制圧できなかった証である。「政府の失策を国民に押し付けることは、絶対にゆるされない」(朝日新聞8/10・一読者の声)との憤りは、当然であろう。
こうなることは、変異株が取りざたされた頃から分かっていたはずだ。世界やわが国では大坂などの事例から、事態がどう推移するかは、十分推察できた。しかも総理は、最初の所信声明演説で「爆発的な感染は絶対に防ぐ」と大見えを切っていたではないか。それが、Gotoトラベル初め五輪開催に気を取られ、政治のまず目指すべき「国民の安全・安心」な生活は危殆に瀕した。総理にとって、第一の政策課題は何であったのか。折しも、「コロナ下の首相 菅氏に任せて大丈夫か」(朝日新聞・社説・8/11)との痛切な批判が出された。

これについては、都のコロナ対策も厳しく指弾されなければならない。五輪は感染に関係無いのか、との記者の質問に、都知事は事もなげに言い放つ。テレビ観戦が人流を抑制している。スタジアムの周りを数えて見よ。何万人もいない、と。東京都民局長にいたっては、感染不安を煽るなとメディアに訴え、さもこの度の感染を殊更軽視した発言があった。だが、これにはすかさず、こんな鉄槌が下される。

どこ逃げた「不安あおるな」言った人  岡 順二(朝日川柳・8/14)

しかし、局長氏の願いもむなしく、都内での感染者数は日々更新され、本日(8/13)は5773人に達する。ちなみに、全国感染者数は20400人と、初の2万人台を超えた。政権や都行政の罪は、ただ単に不要不急の外出自粛を呼びかけ、宣言や蔓延防止を発するのみで、真に効率的な対策を取らなかったことである。国会を閉じたままで、必要な法整備を怠り、貴重な財源、・資源を五輪に振り向け、やがて迫る感染爆発に備えた施設の整備、機器備品の充実、看護体制の拡充を蔑ろにして来たことである。その結果が、命の選別を強いるような自宅療養制度を余儀なくしたのであった。

総理も知事も、五輪と感染拡大とは無関係であり、むしろ自宅でのテレビ観戦が感染の歯止めになっていると言い張る。だが、これは単なる詭弁に過ぎない。事柄の因果の連鎖はそれほど単純なものでは無い。であるならば、何故、これ程の感染爆発が生じたのか、今なおそれは続いているのか。それを明確に説明しなければなるまい。確かに、五輪関係者総数からみたその発症者数は、ごく僅かであり、五輪によって患者数が増加したとは言えないように見える。だが、そこに割かれた莫大な資金や人員その他が、コロナ対策の取り組みを不十分にしたとの非難は免れない。また開催が人心を浮き立たせ、感染を引き出した面もある。つまり、行政のメッセージはここでも矛盾しているのである(以下次回)。


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