• 1月27日・金曜日。曇り。この3日ほどの寒さには参った。ついに今週の月曜(1/23)にはダウンの憂き目。連日の夜更かし(と言っても、朝6~7時の就寝)と寒さがたたり、終日寝込む。これがために、1日平均8千歩の大記録に穴が開くのではと、ヤヤ、気を揉んだ。それにしても、ホカロンが欠かせない。
    1月30日・月曜日。晴れ。寒気やや緩む。明後日は、2月。
    2月3日・金曜日・曇り。本日は前回の文章の加筆、訂正である。

    なお、本日節分につき、これにちなんだドイツでの思い出話しを一つ。この祭りはドイツではナーレンフェスト(ばか祭り)に当たる。仮面をつけた町の住民たちが、列をなして、日ごろ許されない下品な振る舞いを、見物人たちに見せつけながら通りを練り歩く祭りである。節分同様、一足先に春の訪れを祝うのだが、ここにはそれとは別の意味もあるように思われる。冬の寒さに縛られた人々は、春と共に背を伸ばし、そして日々の堅苦しい規則や仕来りからも、一時、身を解き放ち、笑いながら明日への元気を取り戻すのだろう。

    このように人は誰でも、自分を許し、開放する時間がなければ、生きてはいけない存在なのではないか。これは社会も同じで、ただの監視社会は狂気をうみ、いつかは破綻する。そしてこの時、仮面が必然である。仮面をつけて人は自分でない他者になるからだ。だが、他者になった自分は、そこで初めて自分の本性をさらけ出せる。三島の『仮面の告白』とはそういう意味でなかったか。そして、自分が自分になれるためには、人は誰にも知られぬ秘密のアジト、同好のクラブ、通信が必要で、これは刑法に触れない限り暴かれてはならない。それは同時に、社会生活を「正気」に送るためにも必要な場でもあるだろう。これは、わが憲法でも認められた国民の権利でもあることは今更言うまでもないが、AI社会の発展により、このことが最近次第に犯されているような恐れを感ずる。とくに強権的権威社会において、それが激しい。

    前便は、プーチンのウクライナに対する妄執と執着に一言して終えた。その直後、朝日紙上(1/23)で駒木明義論説委員の「ウクライナ侵攻 行方は」の解説記事に触れた。キーウ攻略に今なお「固執するプーチン氏」は「ウクライナ4州では満足せず、あくまで首都キーウを狙う」。キーウの陥落はウクライナ全土の支配を意味するからであろう。彼にとって、ウクライナとはロシアの属国、兄に従う弟分としてのみ存在するのであり、そこから離脱するなど断じて許されない。と言うのは、同国は第1次世界大戦後、レーニンによって造られたからである。
    にも拘らず、ウクライナは何を血迷ったか、傲慢にも独立を思い立ち、EU加盟を目指すという。これは、「数十年」にも及ぶ同国でのネオナチ、民族主義思想、さらには欧米からの根強い洗脳の結果に他ならない。その事が、露軍に対する頑強な抗戦を生んでいるのである。ならば、まずはウクライナ国民に取りついた迷妄を晴らさなければならない。この度の侵攻はそのためのものであり、それゆえ露軍は、解放軍としてウクライナ国民から歓呼をもって迎えられるはずであった。駒木氏は言っている。プーチンは「ロシア軍が多くのウクライナ人から歓迎されると本気で信じていたようだ。今も自身の過ちを直視できず、ウクライナ人の洗脳を解くための正義の戦いという荒唐無稽な物語に、すがっているように思われる」。
    プーチンにとって、これはあくまで、ウクライナを正道に戻し、スラブ民族の一体化と文化を守るための聖戦なのであろう。であれば、これは勝たねばならない。よし、その過程がいかに悲惨であれ、終わってみれば正義は成り、ウクライナ国民はロシア側に留まることの出来た幸せを感謝するのだ。ならば、産みの苦しみは長引かせず、一気の終結を目指せ。苛烈な攻撃、破壊も、結局はウクライナ国民のためなのである。彼の胸には、ロシア帝国の復権と共に、こんな思いも去来しているのであろうか。
    しかしこれは、筆者には、駒木氏と同様、彼の「荒唐無稽」な世迷いごとにしか見えない。この1年間、ウクライナから聞こえてくる怨嗟と非難の叫びの数々、地獄の惨状にあってなお、燃え盛る国民の反ロシア感情と戦闘意思は衰えを知らない。そして、過日(1/14)の攻撃でアパートに直撃弾を受け、辛うじて命を拾ったある父親の呻きは、ウクライナ国民の悲痛、怒りと恨みの深さ、根強さを示していよう。彼の子供たちが折り重なって瓦礫から発見されて、絞り出した声である。「ロシア野郎、奴らはミンナ、クタバレ。この悪魔が。…ロシアの家族には2、3人の子供がいるが、俺たちみたいに、ミンナこんな風になっちまえばいいんだ」(ニューヨークタイムズ「恐怖の前の静けさ」・1/24)。

    このような両国の亀裂と敵対は、今後どれほど深まるのであろう。隣国であればこそ、その敵愾心は百年単位の事になろうし、特にウクライナは許そうとしないであろう。それ以上に、仮に終戦を迎えても、ウクライナはいつまたこんな惨状に襲われるかと思えば、前回見たように、彼らの最大の関心事は、国家的な安全保障がどう確保されるかと言う問題であり、その具体的な答えは、速やかにNato、EU加盟を成し遂げたいということではないだろうか(この項、終わり)。

  • 1月16日・月曜日。雨。本日で3日連続の雨日である。年末からの晴天続きに乾燥注意報まで出る始末。寒風もこたえた。いい加減雨の欲しいところと念じていた折であれば、まさに慈雨である。これで風邪やコロナの勢いも少々収まるか。だが、3日も陽の目を見なければ、これはこれでチョイとなんだなあ、とは何時もながらのわが心の定めがたきである。

    1月20日・金曜日。

     

    露軍のウクライナ攻撃は止む気配もない。昨日(1/15)は、外信によれば、これまでにも増して激しかった。だが、この戦争もいずれは終わる。それが「何時、どの様にしてか」は、神のみぞ知るにしてもである。しかし、この問いは、ここでの大事ではない。ウクライナにとっての最大の問題は、同国の「将来的な安全がどう保障されるか、そして誰によってか」である、とはニューヨークタイムズの論説である(1/11)。

    「闘争終結のため、ウクライナは安全保障を求む」と題する記事は、示唆に富み、また同国の今後の苦悩と道のりの険しさを暗示して胸が痛む。

    では何故、戦争終結よりも、安全保障なのか。1980年代以降、15の共和国からなるソビエト連邦はしばしば連邦内での宗教的、民族的な紛争の激化に見舞われる。だが、ソ連政府はもはやこの混乱に有効な対策もとれず、ソ連邦はついに崩壊し、各構成国の独立が認められた。1991年のことである。この時ウクライナも独立するが、同国には核兵器を相当数備蓄されており、その扱いが問題であった。

    そこで、「米、英、露の3国がウクライナの領土的完全性と安全「保障」を約束し、その合意の下ウクライナはソ連時代の核兵器を放棄し」露国の管理下に置くとの覚書が交わされる(1994)。これがブダペスト覚書である。しかし、この覚書は2014年のロシアのクリミア半島統合により、無残にも一方的に反故にされた。のみならず、世界はそれを黙認したのである。ロシアはこれに反論するが、ウクライナから見れば、そう主張するのも当然であろう。

    そして、こう辿ってみれば、ウクライナにとって、この戦争の後の安全保障の問題が、何にもまして重要事であることもよく分かる。戦況必ずしも意に沿わない露国にとって、ここは一端休戦し、時を見、またもっともらしい理屈を捏造し、再度の侵攻を図らないとは、誰も保証できないからである。ウクライナはロシアと一体であり、その離脱は許さないとはプーチンの執念でもある(以下次回)。

     

     

  • 1月6日・金曜日。晴れ。

    謹賀新年。
    実は、昨年の賀状にこんな一句を添えて、年賀の挨拶は終わらせて頂いた。

    駄句の種つきて仕舞いの年賀状  みつお

    それでも、今年、百通近い賀状を頂戴し、しかも中にはわざわざ、賀状打ち止めは承知のことゆえ、返信不要との添え書きまで寄せていただいた賀状も数通あり、多いに恐縮させられた。この場をお借りし、早々の年賀のご挨拶に改めて御礼を申し上げたい。どうも有難うございました。
    賀状について思い出すのは、恩師の事である。九十歳を超えてなお、近況や和歌を添えた賀状を作り、端正な筆致であて名書きされた賀状であった。高名な学者であり、最晩年まで多くの方々に慕われた師であれば、その数はかなりのものであったに違いない。それを思えば、傘寿の声と共に、早々にギブアップしたわが身はなんとも情けない。
    賀状を止めて気付かされることがある。かつて、多い時には3百通をこえる時もあった。その返信がすべて終え、やれやれと思った頃には松が取れ、授業再開の時となる。何のことはない。年始年末は賀状作りと、あて名書きに費やされる。それがほぼ50年続いたわけだが、今年、初めて無くなった。実にあっ気ない話である。文案づくりから、印刷屋の手配など、幾つかの作業を期日までに終えねばならぬという切迫感からの解放は有難かったが、こんどは無沙汰をかこった。
    無聊とは、それだけである種の寂寥感を覚える。これは大学退職以来付きまとうわが感懐だが、同時に年金生活者の多くが感ずるものであろう。ある人が私にふと漏らした一言が思い出される。「世の中から見捨てられたようだ」。ただ「食うに困らぬ」というだけでは、人は自足できないということなのだろう。贅沢と言えば、贅沢な言い草だ。そして、人生五十年時代にはあり得なかった悩みの一つに違いない。
    断っておくが、筆者は決して「ひま人」ではない。有難いことに、中央クリエイト社の役員としてなすべき職務を持ち、またこの所のわが身辺は多忙を極める。さらには4~5㌔の背嚢を担ぎ、一日平均8千歩をこなし、か細いがブログ用の書を読み、英字新聞にも取り付いている。将棋への関心を失ったわけでもない。にも拘わらず、付きまとう寂寥の思いは何か。もしかしたら、モンテーニュが見抜いたように、多忙を理由に「人生上の意味」を考えずにすまそうとしている、その怠惰のゆえであろうか。
    それはともかく、賀状を書くことは、単なる苦行ばかりではなかった、と言っておかなければならない。単なる義理ばかりの賀状には、虚礼廃止と言いたくなるが、その後ほとんど会うことも無くなった、かつての教え子、知人、友人の近況を知り、彼らの顔を浮かべながらの返信は楽しかった。刷り込まれた写真を見ながら、こんな家庭をつくったか。子供はこうか。そうした楽しみがあればこそ、何百通の賀状も書けたわけである。今回の賀状にもあった。「毎回、先生のブログを読み、お元気そうな様子に安どしております」。

    最後に改めて、本年もまたよろしくお願い申し上げます。

  • 12月29日・木曜日。晴れ。

     

    前回(12/9‐12)、北京政府の唐突な脱コロナ政策は、事前の準備もないまま、例によって力ずくに推し進められただけに、その後の急速な感染拡大はじめ、様々な混乱が予想されると指摘しておいたが、事態はその通りの経過をたどっているように見える。一日、百万単位の感染者を生み、死者の急増と医療現場の混乱は目に余る。だが当局の発表によれば、発症者、死者数は三桁に行くかどうかであり、さらに今後は患者数の把握、公示はせずとの通達であった。そして犠牲者は少ないという、そんなカラクリは、コロナ患者を狭く定義し、それによって彼らのほとんどはコロナではなかったと強弁できる、実に姑息な政策(?)、遣り口を編み出したことにある。もちろんこうした手法は、WHOはじめ世界の基準でないことは、言うまでもない。

    いずれにせよ、中国社会は突然深刻な不安と混乱に落とし込まれた。だが、最高責任者である習主席は、脱コロナへの政策転換後の2週間というもの、今後の方針、対策はおろか一本のコメントも出さずに過ごしたとは、ここには何か壮大な目論見、意図があったのだろうか。あれだけ自身の功績、大業(?)を喧伝し、かの毛沢東の再来を自任する御仁のことであれば、そんな憶測や勘繰りも浮かんでくる。

    そして、12月27日、ついに待望の指針が出された。報道は習氏の言葉をこう伝える(『朝日新聞』・12/27)。新型コロナウイルスの感染について「愛国衛生運動を的を絞って展開しなければならない。人民が主体的に健康を学び、良好な衛生習慣を身につけるよう導く」。

    これを読み、筆者は唖然とした。当局はこれまで、国民を主体的な意思を持った存在として扱ったことがあったのか。当局の意に沿わない意見や異論、主張に真摯に向き合い、それを少しでも政策立案に組み込む姿勢があったのか。歴然とした事実、データに対してですらその意味を都合に合わせて改変し、あったことを無きものとし、それに抗議する者たちを軍をさし向けてですら弾圧してきたのは、一体誰であったか。最初にコロナ発症を警告した医者は拘束され、理不尽な隔離政策の多くの批判者たちは弾圧される。彼ら当局の野蛮で独善的なゼロコロナ政策の遂行と、それに要した莫大な資金や医療資源の消尽の結果、医療現場、社会経済は限りなく疲弊させられた。

    それらに見向きもせず、彼らの仕出かしたゼロコロナの結果、国家全体がコロナ感染の坩堝と化し、政府が統御も何もできなくなったそのさ中に、その義務を放棄して叫ぶのである。国民よ、党の指導の下、「良好な衛生習慣を身につけるよう」「主体的に健康を」学べ、と。学ぶべきは、どっちだ。政府か、国民なのか。

    一昨日読んだニューヨークタイムズの記事には、声には出せない多くの国民の心には、もはや国を信頼し、頼ることは出来ない、自分の身は自分で守らなければならい、とあった。国民はとっくに、自らの生活への方途をそれこそ主体的に探り、確立し始めているのである。

    それにしても、我われは一事が万事、そういうお国を隣人として持っている。今更嘆いても詮方ないが、この事実を改めて心に銘記し、今後とも付き合っていくほかはないのである。

    こういう、あまり展望のない愚痴とも、嘆きともわからない一文となったが、再びコロナ再来を目の当たりにしつつある現在、これを今年最後の嘆き節として思い切り吐出し、来年こそはコロナ収束、ウクライナ戦火の終焉などを祈って、本年のわが手紙の最終便とさせて頂こう。

     

    今年もまたお付き合いいただき有り難うございました。来年もまたよろしくお願いいたします。皆様、よいお年をお迎えください。

  • 12月9日・金曜日。晴れ。こんな川柳はどうか。本日はその話である。

    12月12日・月曜日。晴れ。

    習クンも ゴメンと言えりゃ 気が楽に みつお

     

    北京政府は、一昨日、コロナ規制策を突如緩和に転換した。政策転換をするほどの状況の改善があったわけでもない中でのことである。オミクロン株の変異による弱毒化とワクチン接種の進捗があったとは、取ってつけたような言い訳だ。中国共産党はしばしば西欧社会に対して優越していると言い募るが、これがそれなのだろう。確かに、我われにはこんな臆面もない、身勝手なやり口は、とても真似られない。誤魔化しきれない大きな過誤があれば、政府はまず謝罪を求められるし、謝罪に追い込まれる。それが、情報公開と言論の自由が保障された民主社会というものである。

    そもそも、シノパックなる中国製ワクチンの有効性は科学的に検証されておらず、一説では中国製ワクチンの有効性は、西側の2回接種に対し3回を要すると言われている有様である(ニューヨークタイムズ「北京の仕事 政府の煽った国民不安の鎮静化」(12/5)より)。80歳以上の高齢者の1回接種率は66%、2回接種者は40%ほどと言う。しかも、その間隔が空きすぎ、もはや免疫効果はないらしい。

    北京がこれまで取ってきた厳格な隔離政策は、コロナ蔓延を防ぎつつ、その間にワクチン接種を進め、治療体制を整えるための貴重な時間を確保するはずのものであった。しかし事態はそうはならなった。記事によれば、それらが可能になるほどの医療従事者、施設を欠いていたからである。この点で言えば、西欧諸国もあまり自慢は出来ないが、それでもウィズコロナ政策を進捗させて、今日を迎えるほどのことは出来たのである。

    今回の北京の緩和策は、重大な懸念をはらむとは、中国内外の専門家の意見である。まず高齢者の接種率の低さ、緩和による発症者の急増、これを受け容れる医療施設の脆弱さ(特に地方は深刻であるらしい)が挙げられる。こうして、コロナ蔓延が再現されれば、地方・中央政府は大慌てに規制強化に戻らざるを得ず、それによる住民の不安と混乱は計り知れないと危惧される。何しろ、この規制緩和によって、百万人単位の死亡者が出るとの予想もあるほどだからだ。

    これまでの政府の極端な隔離規制策は、たしかに西欧諸国に比して、感染者、死亡者数をおさえることに成功し、それこそ中国共産党政府の優越性を示すものだと誇ってきたのだが、そのことが逆に、国民の多くを感染の脅威にさらす羽目に追い込んだのは皮肉であった。何故なら、国民はほぼ無菌状態にあり、無防備のまま、いきなりコロナウイルスに晒されるからである。それは、誰あろう、習政権が進めた有無を言わせぬ政策の結果に他ならない。ならばこれらはすべて、彼以外の誰がその責任を負えるというのであろう。

    同記事には、実に辛辣な一文が添えられている。権威主義的国家、その指導者は自らの政治的な過誤や失敗を断じて認めようとはしない。自らの無能を示し、権威とその信頼性の失墜を恐れるからだ。よって、政府は無謬であるとの信念の下、一度取られた政策は力ずくで遂行し、気づいた時には取り返しのつかない事態にまで至る。

    自由主義陣営にあっても、同様な過ちは限りなく生ずる。だが、報道と言論の自由に支えられた国民の監視、代替可能な政治勢力の存在によって、大事に至る以前に修正される可能性が常にあると言いたい。これは、わが社会制度の強靭な復元力の源泉であり、権威主義社会には無い最大の長所であろう。少なくとも、筆者はそう信ずる。先の、英国でのトラスからスナク首相への速やかな政権交代は、その好個な一例ではないか。対して、北京が西側に比べて自らの優越性を常に誇示してやまぬ態度は、選挙によって国民の信任を得たわけではない共産党政権の根幹に根付く政治制度の欠陥を示すものだと断じたい(この項、終わり)。