2022年12月09,12日

12月9日・金曜日。晴れ。こんな川柳はどうか。本日はその話である。

12月12日・月曜日。晴れ。

習クンも ゴメンと言えりゃ 気が楽に みつお

 

北京政府は、一昨日、コロナ規制策を突如緩和に転換した。政策転換をするほどの状況の改善があったわけでもない中でのことである。オミクロン株の変異による弱毒化とワクチン接種の進捗があったとは、取ってつけたような言い訳だ。中国共産党はしばしば西欧社会に対して優越していると言い募るが、これがそれなのだろう。確かに、我われにはこんな臆面もない、身勝手なやり口は、とても真似られない。誤魔化しきれない大きな過誤があれば、政府はまず謝罪を求められるし、謝罪に追い込まれる。それが、情報公開と言論の自由が保障された民主社会というものである。

そもそも、シノパックなる中国製ワクチンの有効性は科学的に検証されておらず、一説では中国製ワクチンの有効性は、西側の2回接種に対し3回を要すると言われている有様である(ニューヨークタイムズ「北京の仕事 政府の煽った国民不安の鎮静化」(12/5)より)。80歳以上の高齢者の1回接種率は66%、2回接種者は40%ほどと言う。しかも、その間隔が空きすぎ、もはや免疫効果はないらしい。

北京がこれまで取ってきた厳格な隔離政策は、コロナ蔓延を防ぎつつ、その間にワクチン接種を進め、治療体制を整えるための貴重な時間を確保するはずのものであった。しかし事態はそうはならなった。記事によれば、それらが可能になるほどの医療従事者、施設を欠いていたからである。この点で言えば、西欧諸国もあまり自慢は出来ないが、それでもウィズコロナ政策を進捗させて、今日を迎えるほどのことは出来たのである。

今回の北京の緩和策は、重大な懸念をはらむとは、中国内外の専門家の意見である。まず高齢者の接種率の低さ、緩和による発症者の急増、これを受け容れる医療施設の脆弱さ(特に地方は深刻であるらしい)が挙げられる。こうして、コロナ蔓延が再現されれば、地方・中央政府は大慌てに規制強化に戻らざるを得ず、それによる住民の不安と混乱は計り知れないと危惧される。何しろ、この規制緩和によって、百万人単位の死亡者が出るとの予想もあるほどだからだ。

これまでの政府の極端な隔離規制策は、たしかに西欧諸国に比して、感染者、死亡者数をおさえることに成功し、それこそ中国共産党政府の優越性を示すものだと誇ってきたのだが、そのことが逆に、国民の多くを感染の脅威にさらす羽目に追い込んだのは皮肉であった。何故なら、国民はほぼ無菌状態にあり、無防備のまま、いきなりコロナウイルスに晒されるからである。それは、誰あろう、習政権が進めた有無を言わせぬ政策の結果に他ならない。ならばこれらはすべて、彼以外の誰がその責任を負えるというのであろう。

同記事には、実に辛辣な一文が添えられている。権威主義的国家、その指導者は自らの政治的な過誤や失敗を断じて認めようとはしない。自らの無能を示し、権威とその信頼性の失墜を恐れるからだ。よって、政府は無謬であるとの信念の下、一度取られた政策は力ずくで遂行し、気づいた時には取り返しのつかない事態にまで至る。

自由主義陣営にあっても、同様な過ちは限りなく生ずる。だが、報道と言論の自由に支えられた国民の監視、代替可能な政治勢力の存在によって、大事に至る以前に修正される可能性が常にあると言いたい。これは、わが社会制度の強靭な復元力の源泉であり、権威主義社会には無い最大の長所であろう。少なくとも、筆者はそう信ずる。先の、英国でのトラスからスナク首相への速やかな政権交代は、その好個な一例ではないか。対して、北京が西側に比べて自らの優越性を常に誇示してやまぬ態度は、選挙によって国民の信任を得たわけではない共産党政権の根幹に根付く政治制度の欠陥を示すものだと断じたい(この項、終わり)。


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