2022年12月29日

12月29日・木曜日。晴れ。

 

前回(12/9‐12)、北京政府の唐突な脱コロナ政策は、事前の準備もないまま、例によって力ずくに推し進められただけに、その後の急速な感染拡大はじめ、様々な混乱が予想されると指摘しておいたが、事態はその通りの経過をたどっているように見える。一日、百万単位の感染者を生み、死者の急増と医療現場の混乱は目に余る。だが当局の発表によれば、発症者、死者数は三桁に行くかどうかであり、さらに今後は患者数の把握、公示はせずとの通達であった。そして犠牲者は少ないという、そんなカラクリは、コロナ患者を狭く定義し、それによって彼らのほとんどはコロナではなかったと強弁できる、実に姑息な政策(?)、遣り口を編み出したことにある。もちろんこうした手法は、WHOはじめ世界の基準でないことは、言うまでもない。

いずれにせよ、中国社会は突然深刻な不安と混乱に落とし込まれた。だが、最高責任者である習主席は、脱コロナへの政策転換後の2週間というもの、今後の方針、対策はおろか一本のコメントも出さずに過ごしたとは、ここには何か壮大な目論見、意図があったのだろうか。あれだけ自身の功績、大業(?)を喧伝し、かの毛沢東の再来を自任する御仁のことであれば、そんな憶測や勘繰りも浮かんでくる。

そして、12月27日、ついに待望の指針が出された。報道は習氏の言葉をこう伝える(『朝日新聞』・12/27)。新型コロナウイルスの感染について「愛国衛生運動を的を絞って展開しなければならない。人民が主体的に健康を学び、良好な衛生習慣を身につけるよう導く」。

これを読み、筆者は唖然とした。当局はこれまで、国民を主体的な意思を持った存在として扱ったことがあったのか。当局の意に沿わない意見や異論、主張に真摯に向き合い、それを少しでも政策立案に組み込む姿勢があったのか。歴然とした事実、データに対してですらその意味を都合に合わせて改変し、あったことを無きものとし、それに抗議する者たちを軍をさし向けてですら弾圧してきたのは、一体誰であったか。最初にコロナ発症を警告した医者は拘束され、理不尽な隔離政策の多くの批判者たちは弾圧される。彼ら当局の野蛮で独善的なゼロコロナ政策の遂行と、それに要した莫大な資金や医療資源の消尽の結果、医療現場、社会経済は限りなく疲弊させられた。

それらに見向きもせず、彼らの仕出かしたゼロコロナの結果、国家全体がコロナ感染の坩堝と化し、政府が統御も何もできなくなったそのさ中に、その義務を放棄して叫ぶのである。国民よ、党の指導の下、「良好な衛生習慣を身につけるよう」「主体的に健康を」学べ、と。学ぶべきは、どっちだ。政府か、国民なのか。

一昨日読んだニューヨークタイムズの記事には、声には出せない多くの国民の心には、もはや国を信頼し、頼ることは出来ない、自分の身は自分で守らなければならい、とあった。国民はとっくに、自らの生活への方途をそれこそ主体的に探り、確立し始めているのである。

それにしても、我われは一事が万事、そういうお国を隣人として持っている。今更嘆いても詮方ないが、この事実を改めて心に銘記し、今後とも付き合っていくほかはないのである。

こういう、あまり展望のない愚痴とも、嘆きともわからない一文となったが、再びコロナ再来を目の当たりにしつつある現在、これを今年最後の嘆き節として思い切り吐出し、来年こそはコロナ収束、ウクライナ戦火の終焉などを祈って、本年のわが手紙の最終便とさせて頂こう。

 

今年もまたお付き合いいただき有り難うございました。来年もまたよろしくお願いいたします。皆様、よいお年をお迎えください。


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