• 4月22日・金曜日、晴れ、やや蒸し暑し。九州一円の地震いまだ収まらず。

    本日は急遽予定を変更し、このたびの地震によって浮き上がった原発問題について一言したい。これもまた、私にとって一大重要事だからであるが、同時に読者諸氏のご意見を伺いたいからでもある。

    地震の経過は、ここで触れる必要はあるまい。地震発生以来すでに一週間を経て、震度一以上の余震は800回を越えた。これによる地層の損傷が甚大であろう事は、専門家ならずとも推測できる。さらに、これまで知られていなかった活断層も浮きあがり、それらが次々活性化して、地震の広がりは熊本から福岡、大分に及んだ。それが中央構造線と称する大断層に繋がる恐れも皆無ではないようであり、そうなれば伊方原発を擁する四国を貫通し、事が起これば被害の広域性と深刻さは予想もつかない。列島は突如、奥深い大地の底から伸びてきた巨大な魔手に捉えられ、振回されているような不気味さである。これまでわれわれは、本震後の地震の揺れは漸減すると教えられ、だからそれを余震、揺り返し、と呼んで区別してきた。そして、それらはいずれ収束するものと信じてきた。しかし、この度の地震は違った。本震が間をおかずに二度発生し、震源も別である。気象庁によれば、こうした地震の例は記録に無いらしい。であるからか、今日のニュースでは、揺れはやや収まってきているが、今後の推移は不明で、十分気をつけられたし、と結ばれている。これ以上に言いようも無いのであろうが、何をドウ気をつけたら良いのだろう。要するに、気象庁も地震学者達も、地底に住まう巨人の挙措については、ほとんど知るところはない。われわれはこの度、この事を再び思い知らされたのである(誤解しないで頂きたい。私は現在の地震学を貶めようとする積もりは全く無い。複雑な事象の予測については、他の学問も似たようなもので、学問の限界についてはこれまでも本欄で繰り返し触れてきた通りである)。

    このような事実を眼前にして原子力規制委員会は、今何を言っているか。川内原発について「科学的根拠がなければ、国民や政治家が止めてほしいと言ってもそうするつもりはない」(田中俊一委員長談・毎日新聞4月19日・朝刊)。ここで言う科学的根拠とは、こうらしい。今回の川内原発の地震動は最大8.6ガルにすぎず、他方で川内の設定基準値は620ガルとしており、よって「今は安全性に問題はない」。しかも、この断層帯の全体が動いて最大の地震(M8.1)を起こそうと、その地振動は150ガルであり、限界値までには十分余裕がある。

    このような数値は、いかにももっともらしい。では伺う。福島の津波の予想は科学的根拠を持たなかったのか。そうではあるまい。それなりの根拠により10メートルと予想したのであろう。が、実際には17メートルであり、だから想定外であったとされた。だが、予想はあくまで予想にすぎず、この数値だから安全とはならない。人間の認識は起こった事象を基に理論を組み立てるほかは無く、全くの未知については予想の仕様も無いのである。だが自然は人知を超えたレベルで生じうることを、福島は教えたのではなかったか。また、これまで我々は、原発は何段もの防御手段に守られ、絶対に安全な装置である。それ故、破壊、損傷後の廃炉を含めた一連の技術、装備の研究、開発と対策は不要である、とまで言われてきた。ここでの規制委の物言いはこれと全く同じであり、もう一つの「安全神話」の復活である。

    先ず、言いたい。「地振動は150ガル」とは、誰が決めたのか。現在の地震学では、今回の地震の帰趨、規模、破壊力、その広がり等について不明だと言っているではないか。ならば、福島のようにそれ以上になる可能性は排除されない。また620ガルの耐震性を持つとされる川内原発に、実際、それだけの能力があると証明されたのか。実験数値と実際の事象とにはしばしば落差のあるのは、実験科学の常識であろう。

    宜しい。事が言われている通りであるとしよう。しかし、原発は本体装置とは別に無数の補助装置からなり、それらが一体となり、間違いなく作動して初めて無事故でいられる。福島では津波により補助電源が奪われ、ために冷却水の蒸発により核燃料のメルトダウンを来たした。ならばM8.1の地震に対し、川内ではこれら補助装置が一糸乱れず完全に機能すると言い切れるのか(ここでの問題はそれに留まらない。福島の事故は津波対策を怠った事にされているが、事故現場の検証が出来ない現在、真相は不明であると言う。津波襲来以前に、すでに地震によってメルトダウンを来たしたとの疑いは残っている。とすれば津波対策だけでは不十分なのである。と言うよりも、地震列島のわが国には原発は不向きだとの指摘もある)。

    さて、規制委はこの度、殊更、科学的根拠を持ち出すが、高浜原発(福井県)の扱いは科学的なのであろうか。ご承知のように、「40年ルール」がある。稼動後40年を越える原発は老朽原発として廃炉にすると決められているものの、基準を満たせば一回に限り20年の延長が認められる(これ自体がご都合主義的なルールであるが、今は問わない)。高浜の場合、この基準の適合判断を仰ぐためには、関西電力は今年7月7日までに「詳細な設計を定めた工事計画の認可」を得なければならないところ、期限までに間に合わないため、規制委は例えば「蒸気発生器など1次冷却設備がどの程度の揺れまで耐えられるか」の確認手続きを期限後でも良いことにしたと言う。事故ともなれば、大惨事になる原発の扱いとしては、いかにもいい加減すぎる。常軌を逸した、と言わずに何と言うべきか。

    他にも一千キロを越えるケーブルの難燃化の対策問題があるが、いずれにせよ、こうして高浜は運転延長の可能性が出てきた。規制委によれば「法的問題はない」からだそうだ(毎日・4月21日・朝刊)。まるで事故は法律に則して、その範囲内でのみ発生するかのようではないか。ここでの対応は、原発稼動を大前提とし、その場合には法律をたてに事故の危険を後回しにするが、停止の懇請に対しては「科学的根拠」を言い立てる。規制委は「安全神話」に依拠して自らの基準を都合よく使っているようにしか見えないが、これで委員会としての責任を果たしたと言えるのか。過日のJapan Timesに、この度の地震に対して世界から、川内をただちに停止すべきとの多くの声、批判が寄せられている、との記事があったことを最後に付しておく。

  • 4月15日・金曜日、晴天、風強し。

    本書は、女性ジャーナリスト、ベリート・ヘデビューが大胆にも敢行した友人ための「自殺幇助」事件の叙述をもって、幕は開く。1978年9月のことである。これ以前、彼女はすでに、末期癌によって死に至るまで責苛まれた母親の「不必要な苦痛」を目の当たりにしていた。この時、ヘデビューにとって、死はようやく訪れる苦痛の「解放者」であった。だから、彼女は書いた。人は誰もが「自分の死を自分で決める権利」を持つべきであり、「それは人間の自由と権利の問題である」として、そのような「死への幇助を欲する旨の宣言書」を書くことができなければならぬ。

    数年後、彼女は再び同じ状況に立ち会わされる。同僚(44歳)が多発性硬化症(脳・脊髄・神経系の病気。難病指定)に冒されたのである。彼は彼女に自殺幇助を強く懇請し、彼女はこれを請けいれ、手ずから致死量の薬剤を注入し、死に至らしめた。自殺幇助はスエーデンでは犯罪ではないようだが、それでも彼女は最高裁の判決により、結局、一年の禁固刑に服すことになる。薬剤注入が殺人罪を構成するからであった。

    これらについて、彼女には罪の意識は勿論、悔恨もない。むしろ、これを機に巻き起こった自殺幇助、安楽死の論争に積極的に参戦し、ジャーナリストとしての戦いを展開していく。かたわら、死への権利の確立を目指す行動グループを結成し、この運動を通して世論の喚起と社会のより深い思索、医療のあり方に甚大な影響を及ぼす事になるのである(なお、彼女は1981年5月に来日し、わが国の「安楽死」問題に一石を投じたようである)。

  • 4月8日・金曜日、うす曇り、桜花乱舞。

    ここで、本書の全体的な俯瞰、紹介をやらかそうなどという大それた野望は、筆者にはカケラもない。自分の分かりそうな所を都合よく摘まんで、我が気休めになればそれで良いのである。だから、読者はこの一文に接して興味を持たれたなら、是非、本書を読まれる事をお願いしておこう。

    唐突だが、本書を離れて、先ずアナタ方お一人お一人に尋ねてみたい。先の見込みの無い業病に冒され、いまわの際まで、ただその苦しみに呻吟しなければならぬとしたら、どうされるか。今でこそわが国でも「尊厳死」が認知されつつあるものの、しかし医師は積極的にそのための措置を取りたがらない、とも聞く。それは「幇助」であれ殺人的行為を含意し、いまだそのための法的整備が十分でなく、医師は常に遺族や国家からの訴追を恐れるからというのだ。そこにはまず、倫理的、宗教的な思索、基盤が整えられておらず、それゆえ我々はこの種の問題をドウ受け入れ、考えたらよいか、といった諸問題が未整理だからなのであろう。しかし、快癒までは行かなくとも、延命的な治療はどこまでも可能な現代医学の孕む問題はあまりに広大であり、このまま放置するには深刻にすぎる。

    こうした終末医療の問題は、詰まる所、医療倫理の問題に行き着く。「生と死」は個人の逃れられない人生問題であると同時に、社会や国家の問題でもあり、だからそこには自然環境をはじめ、文化や歴史、そこに育まれた死生観、宗教意識等あらゆる問題が胚胎されることになる。医療倫理とはこれらの問題を受け入れ、飲み込んで確立される医療における規範的な思考・行動原理を含意するように思う。こう理解すれば、著者がわざわざ「まえがき」において、北欧の地における強烈なまでの「個の尊厳と自由」の誕生を熱く強調し、その出生の淵源であるゲルマン的神話や宗教意識にふれながら、これを正統キリスト教から見れば「異教」とも言うべき「彼らだけの新たな宗教」として指摘しなければならなかった経緯も了解されるのである。

    つまり、本書が扱う終末医療に関わる医療倫理学は、北欧という環境的にも文化的にも類のない地域から立ち上がった思想圏を背景に誕生したが、しかしそれを基礎に開花した一連の終末医療の思想と行動(ここには法整備、施設、制度、介護等を含む)は、断じて北欧という地域に跼蹐されるものではなく、そのように独特であるが故に、返って世界に開かれ、先導する役割を担えたのである。たかだか6ページの「まえがき」はこの間の事情を簡潔に記した、おろそかにしてはならぬ文章である(著者のここでの意図は、これに尽きない。本書は「北欧的なるもの」の本質を捉える一環として著されたのであり、故に本書は著者の神話学、哲学書等と共に読まれるべきなのである)(以下、次回)。

  • 4月1日・金曜日。花曇。

    ヘデビュー、アスクーウプマルク、ブロムクヴィスト、ヘデニウス、ヴレトマルク、イイェンセン・・・、と連ねられた文を舌も噛まずに読んで、「ウン、あれだ!」と瞬時に判断できる日本人は、何人いるだろうか。これが人名である事は分かるが、何処の国のどの分野の人たちなのか、となると見当もつかない。これはマタイ伝冒頭を始めて読んで、辟易させられた思いに繋がるものがある。

    彼らは20世紀後半に活躍した、北欧(主としてスエーデン)のジャーナリスト、精神科医、哲学者、宗教家、看護師等の面々であり、それぞれの立場からターミナル・ケアの問題に心血を注いだ人たちである。彼らは、先ずは安楽死の可否に始まり、そこに孕まれる医療は勿論、倫理的・思想的・経済的な諸問題を検討し、こうした苦闘はやがて「ホスピス医療」の確立に結実するが、そのようにして医療現場や広く社会の在りように対して決定的な影響を及ぼすことになる人間群像である。その長い歴史的経過を上記の人々の残した『作品群』を丹念に辿りつつ、再構成し、問題群の所在を明示して、現代の我が日本の延命治療の問題に対し多大な示唆を与えられた書がある。

    『生と死 極限の医療倫理学』(創言社、2002)がそれであり、著者は尾崎和彦氏(明治大学名誉教授)である。著者によれば、この種の学問的な問題関心は本国の北欧でもあまり強くないようで、それ故それに関わる通史は勿論、各作品に対するモノグラフにも事欠くしだいである。とすれば、本書は上記の人々のものされた膨大な成果を第一次資料、否、ほとんどそれのみを唯一の資料として、これら原書をたった一人で読み解き、思索し、なった書物である。こうした孤独な学問的営為を支えた著者の専門領域たるヨーロッパ思想・哲学史の素養はもとより、医学・経済学・社会史他の広大な分野の学問的な研鑽とその深さ、厚さに驚嘆させられるが、同時に著者の強靭な精神力にはただ敬意を表するばかりである(以下次回)。

  • 3月25日・金曜日。晴れ。わが寓居際の公園も開花す。東京に遅れること4日。

    この次第を理解するには、書展に足を運び、書を直接に鑑賞するに如くはない。こんな駄文によっては到底解き明かし得ないからである。だが、挑戦してみよう。会の扱う文字が甲骨文、金文であることは前記の通りである。この文字は図像に近く、現代から見れば、象形文字に転生する直前に切り取られた文字のようにみえる。例えば「明」は、私は誤解していたのだが、日(太陽)と月の合成なんぞではなく、窓から月を見ている図像であり、だからその明かりは月明かりのようである。そして、この文字はもともと、月が左に書かれ、窓である日が右に置かれていたものが、いつしか位置関係が変わって現在の文字になったらしい。

    会員はこれ等の経過、その転生の次第を白川 静などの研究書を通じて学び取り、文字の真の意味を理解し、同時にそこに潜む古代人の心に一歩でも近づこうとされるのでもあろう。上記のように解された「明」は、天空に浮かんだ月(三日月か)を右下に描かれた家の窓から眺めた図として浮き上がるが、それは我々にとっても何ら違和感はあるまい。この月に何を見、何を祈るか、となれば、『竹取り物語』を上げるまでも無く様々な物語が湧出してこよう。

    夫々の作品では鳳凰が舞い、龍が踊り、虎が吼える。あるいは虹は、二匹の龍が左右に分かれ、その尾を天空で絡ませながら湖水の水を飲み干そうという壮大な絵巻である。この作品には、『出虹有り』との題が付された。本作の元になった甲骨文「有出虹」の卜辞には、「・・・東方より黒雲が現れまた北方より虹が現れた。今後祟り」ありとの託宣であった由である。だが、この虹はノアの大洪水後、今後は二度とこのような洪水により人を滅ぼす事はない、と神が人と交わした契約の印とした虹となんと異なるものであろう。

    もとより各作品の書、あるいは文は、先に亀甲文字の再現でないと言ったように、それをベースにある場合には文字が大胆にデフォルムされ、強調されて、書と言うよりも図像化され、絵画的になる。擦れた墨線がダイナミズムを帯び、飛び散った墨痕がキラメキ、余白に色彩が漲るのもそのためであろう。余談ながら、私はこの度初めて、余白の豊かさに触れたような気がする。

    以上は年に一度、ほんの束の間、ソンナ素養も無い一素人が書展を覗いただけの印象記に過ぎない。よって、見当はずれの変な誤解を振りまき、当会にとって迷惑になっては相済まないが、ともあれ私なりに楽しんだ事だけは、ここに述べておきたい。そして、私がそんな楽しみと充実を味わえたのは、会の重鎮、吉原一清氏が一時間以上に渡り、各作品の懇切な解説をしてくださったお陰である。私以上のご年配であるに関わらず、会館の一階から三階まで実に軽やかに身を運ばれ、終始温和で滋味ある話をされた。それは、主宰・光峰氏への深い敬慕と会での創作を無上の喜びとする方から溢れ出た、そのような話であった。私はここに、退職後、天から与えられた人生の余白の輝きと充実を見る思いがした。