• 5月6日・金曜日。小雨。今週、休日のところ返上。本日の文章は4月15日・金曜日に続く。

    ヘデビューとて、そう簡単に「死の幇助」の観念に思い至ったわけではない。まして彼女は死刑廃止論者である。そこには当然語りつくせぬ「生と死」の鬩ぎ合い、葛藤があった。5歳の折、「わたしは死にたくない」と呟きながら逝った妹(2歳)の声を、彼女は忘れることは出来ない。死とは誰にとっても底知れぬ恐怖であり、拒否したい人生上の痛恨事である事を良く知っている。

    突き詰めれば、人は「生きていたい」のである。これまで医療は人々のこの根底の叫びに良く応えてきた。しかしその医療は今や別次元の難題を突きつけるにいたった。業病にのたうち回る病人の治療は、快癒をではなく、「拷問」と化しつつある。末期癌の激痛の中、母が「死なせて!助けて!死にたいの!」と叫ぶ「絶望的な願い」を、2ヶ月間、彼女はただ聞き続けなければならなかった。看護助手の時代にも、多くの患者たちの同様の悲惨を目の当たりにしてもいた。筆者がこの条に触れたとき、思わず『往生要集』の描く阿鼻地獄の惨状を想起させられた。だがここでの苦しみは源信の思いもしない底知れぬ荒廃がある。彼にとっての地獄とは罪人への刑罰であり、それゆえの意味もあったが、ここでは謂われない唯の「拷問」でしかないからである。その苦痛には意味も、救いも無く、言葉を絶した辛さ、悲しみのみが覆うのである。

    ヘデビューの、人には自裁の権利があるとする主張と行動は、先にみた北欧キリスト教の「異教」とも言うべき強固な「個人主義」に育まれた事かもしれないが、同時にそれは彼女自身の生の軌跡の結果ではなかったか。とすれば、それは彼女自らが生み出したものであろう。しかし、その彼女の行動に確信とより深い思想的基盤を与えたのは、クラレンス・ブロムクヴィスト(1925-79)であった。後にスウェーデン・カロリンスカ医学研究所精神科医長となる彼は、『医療倫理学』(1971)をもって実践哲学の学位を取得し、スウェーデン最初の医療倫理学講師の席を得る。本書はまた、祖国の医療倫理思想を国際水準にまで高めたばかりか、北欧諸国に対する「最高水準の範例」ともなった、と言う著者の筆からも、その意義深さは推察されよう。

    本書については、著者に従ってただ構成を窺うだけでも、広大な内容と他を寄せ付けぬ独自性が浮かび上がる。まず、医療倫理学が学問として成立するための学的基盤がすえられる。そこでは、西欧・北欧哲学史はもちろん、さらに「論理学・意味論・論証分析・メタ倫理学」を踏まえて、倫理学の成立とその本質規定がなされる。これを一言にして言えば、「人間的な社会生活の諸形式を発見しようとする人類共通の努力」の成果であり、「この課題は人々のよりよき、より幸福な生活に手を差し延べること」である。しかしその内容は、時代と社会の変容により一義的に規定され得ない。むしろ「倫理学は不断に発展し続けるダイナミックな学問」である他はないからである。これは「絶対的規定」を求めるカント的な普遍主義に対する徹底した北欧独自の価値相対主義の宣言であった。この点は、「生命が他のいかなるものにも優越して絶対的尊厳を有するという主張に対してブロムクヴィストは正当な関心を抱いてない」という著者の批評からも明らかであろう(次の文章も上げておこう。「妊娠中絶については賛成、反対の何れの立場に対しても絶対的根拠は存在しない」)。

    かかる倫理思想をベースに、経験科学としての医療・医学を含めた医療倫理学の問題が摘出される。だが、この間の論理構造とその展開を要約する能力は、筆者にはない。宜しく、著者の真摯にして強靭な思索をたどって頂きたい。ここでは、ブロムクヴィストの「医療倫理学」からみた医療と「末期患者」との問題に限ることにしよう。

    まず、彼の病気観をみよう。医療は、第一に病気の快癒を目指す営為であるから、病気や死の排除を専らとするのは当然だが、しかし極端にまで走り、それを病む人間を忘れる事になれば、別の問題を生ずる。そもそも生命体が死や病を免れることは不可能である。むしろ「病気と死は必ずしも悪者ではない」どころか、生活上の様々な危険と同じく、そこから多様な意味を汲み取れる「人生の本質的な要素」となる、そうした対象でもあり得る。往時、大家族の中で暮らす人たちにとって「死は日常生活の一部であり、全員が、子供すらが、加わるものであった。死は、現在と違って、よそ者でも、恐ろしいものでも、恥ずべきものでもなかった」。

    だが、今や場面は変わった。死は概ね病院内の隔離と孤独に追いやられ、臨終にあって近親者たちとの意義ある別離の機会は失われた。これは甚大な消失である。最後を迎えつつある人との残された一日一日の関わりはその人自身の慰めであると共に、「いまわの時」になお、自己の尊厳を維持しながら健気であろうとするその人に触れる近親者は、生き死にのあり様を教えられ、それは「高質の豊かな人生経験」となるのである。

    以上、死を生の重要な一要素とみる死生観を持つ医療が、終末期においていかなるものになるかは、最早明らかであろう。単なる延命を目指すのみの、しばしば拷問的になりかねない治療行為の否定である。「人間の生命に対する畏敬」に発する「死への幇助」への傾斜である(本日はここまで)。

  • 4月26日・火曜日。晴れ。ゴールデンウィーク目前。

    本日、休載。前回の文章、大幅に手直しのため。次週は休日とし、「生と死」についてはゴールデンウィーク明けから継続したい。皆様、良い休暇を。

  • 4月22日・金曜日、晴れ、やや蒸し暑し。九州一円の地震いまだ収まらず。

    本日は急遽予定を変更し、このたびの地震によって浮き上がった原発問題について一言したい。これもまた、私にとって一大重要事だからであるが、同時に読者諸氏のご意見を伺いたいからでもある。

    地震の経過は、ここで触れる必要はあるまい。地震発生以来すでに一週間を経て、震度一以上の余震は800回を越えた。これによる地層の損傷が甚大であろう事は、専門家ならずとも推測できる。さらに、これまで知られていなかった活断層も浮きあがり、それらが次々活性化して、地震の広がりは熊本から福岡、大分に及んだ。それが中央構造線と称する大断層に繋がる恐れも皆無ではないようであり、そうなれば伊方原発を擁する四国を貫通し、事が起これば被害の広域性と深刻さは予想もつかない。列島は突如、奥深い大地の底から伸びてきた巨大な魔手に捉えられ、振回されているような不気味さである。これまでわれわれは、本震後の地震の揺れは漸減すると教えられ、だからそれを余震、揺り返し、と呼んで区別してきた。そして、それらはいずれ収束するものと信じてきた。しかし、この度の地震は違った。本震が間をおかずに二度発生し、震源も別である。気象庁によれば、こうした地震の例は記録に無いらしい。であるからか、今日のニュースでは、揺れはやや収まってきているが、今後の推移は不明で、十分気をつけられたし、と結ばれている。これ以上に言いようも無いのであろうが、何をドウ気をつけたら良いのだろう。要するに、気象庁も地震学者達も、地底に住まう巨人の挙措については、ほとんど知るところはない。われわれはこの度、この事を再び思い知らされたのである(誤解しないで頂きたい。私は現在の地震学を貶めようとする積もりは全く無い。複雑な事象の予測については、他の学問も似たようなもので、学問の限界についてはこれまでも本欄で繰り返し触れてきた通りである)。

    このような事実を眼前にして原子力規制委員会は、今何を言っているか。川内原発について「科学的根拠がなければ、国民や政治家が止めてほしいと言ってもそうするつもりはない」(田中俊一委員長談・毎日新聞4月19日・朝刊)。ここで言う科学的根拠とは、こうらしい。今回の川内原発の地震動は最大8.6ガルにすぎず、他方で川内の設定基準値は620ガルとしており、よって「今は安全性に問題はない」。しかも、この断層帯の全体が動いて最大の地震(M8.1)を起こそうと、その地振動は150ガルであり、限界値までには十分余裕がある。

    このような数値は、いかにももっともらしい。では伺う。福島の津波の予想は科学的根拠を持たなかったのか。そうではあるまい。それなりの根拠により10メートルと予想したのであろう。が、実際には17メートルであり、だから想定外であったとされた。だが、予想はあくまで予想にすぎず、この数値だから安全とはならない。人間の認識は起こった事象を基に理論を組み立てるほかは無く、全くの未知については予想の仕様も無いのである。だが自然は人知を超えたレベルで生じうることを、福島は教えたのではなかったか。また、これまで我々は、原発は何段もの防御手段に守られ、絶対に安全な装置である。それ故、破壊、損傷後の廃炉を含めた一連の技術、装備の研究、開発と対策は不要である、とまで言われてきた。ここでの規制委の物言いはこれと全く同じであり、もう一つの「安全神話」の復活である。

    先ず、言いたい。「地振動は150ガル」とは、誰が決めたのか。現在の地震学では、今回の地震の帰趨、規模、破壊力、その広がり等について不明だと言っているではないか。ならば、福島のようにそれ以上になる可能性は排除されない。また620ガルの耐震性を持つとされる川内原発に、実際、それだけの能力があると証明されたのか。実験数値と実際の事象とにはしばしば落差のあるのは、実験科学の常識であろう。

    宜しい。事が言われている通りであるとしよう。しかし、原発は本体装置とは別に無数の補助装置からなり、それらが一体となり、間違いなく作動して初めて無事故でいられる。福島では津波により補助電源が奪われ、ために冷却水の蒸発により核燃料のメルトダウンを来たした。ならばM8.1の地震に対し、川内ではこれら補助装置が一糸乱れず完全に機能すると言い切れるのか(ここでの問題はそれに留まらない。福島の事故は津波対策を怠った事にされているが、事故現場の検証が出来ない現在、真相は不明であると言う。津波襲来以前に、すでに地震によってメルトダウンを来たしたとの疑いは残っている。とすれば津波対策だけでは不十分なのである。と言うよりも、地震列島のわが国には原発は不向きだとの指摘もある)。

    さて、規制委はこの度、殊更、科学的根拠を持ち出すが、高浜原発(福井県)の扱いは科学的なのであろうか。ご承知のように、「40年ルール」がある。稼動後40年を越える原発は老朽原発として廃炉にすると決められているものの、基準を満たせば一回に限り20年の延長が認められる(これ自体がご都合主義的なルールであるが、今は問わない)。高浜の場合、この基準の適合判断を仰ぐためには、関西電力は今年7月7日までに「詳細な設計を定めた工事計画の認可」を得なければならないところ、期限までに間に合わないため、規制委は例えば「蒸気発生器など1次冷却設備がどの程度の揺れまで耐えられるか」の確認手続きを期限後でも良いことにしたと言う。事故ともなれば、大惨事になる原発の扱いとしては、いかにもいい加減すぎる。常軌を逸した、と言わずに何と言うべきか。

    他にも一千キロを越えるケーブルの難燃化の対策問題があるが、いずれにせよ、こうして高浜は運転延長の可能性が出てきた。規制委によれば「法的問題はない」からだそうだ(毎日・4月21日・朝刊)。まるで事故は法律に則して、その範囲内でのみ発生するかのようではないか。ここでの対応は、原発稼動を大前提とし、その場合には法律をたてに事故の危険を後回しにするが、停止の懇請に対しては「科学的根拠」を言い立てる。規制委は「安全神話」に依拠して自らの基準を都合よく使っているようにしか見えないが、これで委員会としての責任を果たしたと言えるのか。過日のJapan Timesに、この度の地震に対して世界から、川内をただちに停止すべきとの多くの声、批判が寄せられている、との記事があったことを最後に付しておく。

  • 4月15日・金曜日、晴天、風強し。

    本書は、女性ジャーナリスト、ベリート・ヘデビューが大胆にも敢行した友人ための「自殺幇助」事件の叙述をもって、幕は開く。1978年9月のことである。これ以前、彼女はすでに、末期癌によって死に至るまで責苛まれた母親の「不必要な苦痛」を目の当たりにしていた。この時、ヘデビューにとって、死はようやく訪れる苦痛の「解放者」であった。だから、彼女は書いた。人は誰もが「自分の死を自分で決める権利」を持つべきであり、「それは人間の自由と権利の問題である」として、そのような「死への幇助を欲する旨の宣言書」を書くことができなければならぬ。

    数年後、彼女は再び同じ状況に立ち会わされる。同僚(44歳)が多発性硬化症(脳・脊髄・神経系の病気。難病指定)に冒されたのである。彼は彼女に自殺幇助を強く懇請し、彼女はこれを請けいれ、手ずから致死量の薬剤を注入し、死に至らしめた。自殺幇助はスエーデンでは犯罪ではないようだが、それでも彼女は最高裁の判決により、結局、一年の禁固刑に服すことになる。薬剤注入が殺人罪を構成するからであった。

    これらについて、彼女には罪の意識は勿論、悔恨もない。むしろ、これを機に巻き起こった自殺幇助、安楽死の論争に積極的に参戦し、ジャーナリストとしての戦いを展開していく。かたわら、死への権利の確立を目指す行動グループを結成し、この運動を通して世論の喚起と社会のより深い思索、医療のあり方に甚大な影響を及ぼす事になるのである(なお、彼女は1981年5月に来日し、わが国の「安楽死」問題に一石を投じたようである)。

  • 4月8日・金曜日、うす曇り、桜花乱舞。

    ここで、本書の全体的な俯瞰、紹介をやらかそうなどという大それた野望は、筆者にはカケラもない。自分の分かりそうな所を都合よく摘まんで、我が気休めになればそれで良いのである。だから、読者はこの一文に接して興味を持たれたなら、是非、本書を読まれる事をお願いしておこう。

    唐突だが、本書を離れて、先ずアナタ方お一人お一人に尋ねてみたい。先の見込みの無い業病に冒され、いまわの際まで、ただその苦しみに呻吟しなければならぬとしたら、どうされるか。今でこそわが国でも「尊厳死」が認知されつつあるものの、しかし医師は積極的にそのための措置を取りたがらない、とも聞く。それは「幇助」であれ殺人的行為を含意し、いまだそのための法的整備が十分でなく、医師は常に遺族や国家からの訴追を恐れるからというのだ。そこにはまず、倫理的、宗教的な思索、基盤が整えられておらず、それゆえ我々はこの種の問題をドウ受け入れ、考えたらよいか、といった諸問題が未整理だからなのであろう。しかし、快癒までは行かなくとも、延命的な治療はどこまでも可能な現代医学の孕む問題はあまりに広大であり、このまま放置するには深刻にすぎる。

    こうした終末医療の問題は、詰まる所、医療倫理の問題に行き着く。「生と死」は個人の逃れられない人生問題であると同時に、社会や国家の問題でもあり、だからそこには自然環境をはじめ、文化や歴史、そこに育まれた死生観、宗教意識等あらゆる問題が胚胎されることになる。医療倫理とはこれらの問題を受け入れ、飲み込んで確立される医療における規範的な思考・行動原理を含意するように思う。こう理解すれば、著者がわざわざ「まえがき」において、北欧の地における強烈なまでの「個の尊厳と自由」の誕生を熱く強調し、その出生の淵源であるゲルマン的神話や宗教意識にふれながら、これを正統キリスト教から見れば「異教」とも言うべき「彼らだけの新たな宗教」として指摘しなければならなかった経緯も了解されるのである。

    つまり、本書が扱う終末医療に関わる医療倫理学は、北欧という環境的にも文化的にも類のない地域から立ち上がった思想圏を背景に誕生したが、しかしそれを基礎に開花した一連の終末医療の思想と行動(ここには法整備、施設、制度、介護等を含む)は、断じて北欧という地域に跼蹐されるものではなく、そのように独特であるが故に、返って世界に開かれ、先導する役割を担えたのである。たかだか6ページの「まえがき」はこの間の事情を簡潔に記した、おろそかにしてはならぬ文章である(著者のここでの意図は、これに尽きない。本書は「北欧的なるもの」の本質を捉える一環として著されたのであり、故に本書は著者の神話学、哲学書等と共に読まれるべきなのである)(以下、次回)。