• 7月20日・水曜日。晴れ、暑し。(7月22日・金曜日。雨。なお、本日は前回の補足、修正として。 驟雨さり 杜を揺すぶる 蝉しぐれ)

    父ライオスは誕生した我が子を直ちに始末しようと、キタイロンなる山中に遺棄させる(私には、ドコの山かはサッパリ)。しかも、両足のかかとをピンで刺し貫かせて。そのため両足が膨らみ、オディプスと呼ばれる彼の名は、これにちなむという。しかし、乳児は死ななかった。隣国コリントの羊飼いに拾われ、コリント王、ポリュボス夫妻の許に届けられるが、子供のいない彼らは我が子として引き取った。かくて、彼は王位の継承者ともなった。だが、長ずるに及び、自らの出生に疑念を抱いた彼は、全ギリシャ人の尊崇を受けるデルフォイの神殿に詣で、「父を弑逆し、母を娶る定めにあり」との驚愕の神託をうける。この予言は、断じて成就させる分けにはいかぬ。彼はコリントへの帰還を断念し、テーベに向かうが、丁度「三又の道」の所で一人の男と出会う。その折の彼の振る舞いは余りに無礼であった。ついに争いとなり、彼を殺してしまう。その男こそテーベからやって来たライオスであった。

    折しもテーベでは、スフィンクスが跋扈し、怪しげな謎を掛けては人間を食らうという凶事が、住民を困惑と恐怖に落とし込んでいた。オディプスはその謎を解き、スフィンクスを退治し、その功によりテーベ王に迎えられる。同時にライオスの妻であるイオカステを娶った。そうしてかれは、二人の息子と二人の娘の親となった。

    ここに『悲劇』の幕が開く。一般に、ギリシャ悲劇は、筋全体が書かれることはない。主題のクライマックスだけが切り取られ、劇化されるのである。すでに言ったことだが、観客には筋の全貌は周知の事で、今度の上演作がどう改編、脚色されて、新たな世界を提示するのか。これを観に来るのである。

    エディプス王の話は、神話やホメロスの中でもかなり出来上がっていたようだ。ここでのソフォクレスの創意は「王の秘密の素性探索の経路」(高津春繁)にある、と言われる。これについては、一言、補足しておかなければならない。

    まず、これに至る筋道を振り返ってみよう。それぞれの人たちは、すべて己の意思と決断によって、だから自らが自らの主となってその行動を決してきた。しかも、エディプスやライオス、イオカステもテーベにおいては何ら咎められるべき悪事を犯してはいない。まして、エディプスは父殺しの罪を負うまいと、自ら故郷をすてたのである。そうした善意思の集積が、結局、予言を成就させてしまうという、人の生の宿命とその恐怖である。作者は彼の苦しみをこう言わせた。

    「おお、キタイロンよ、なぜおれをかくまった?この素性をおれが世にあばかぬように、どうして受け取った。その時に、すぐさまおれを殺してくれなかった?おお、ポリュボス殿、コリントスよ、名のみ父祖の古い館よ、お前が育てたこのおれは、表はきれいだが、なんとその裏にはうみをもった子であったか!おれは今や悪者で、悪い生まれであることがわかった。おお、三つの道よ、かくれた谷間よ、三つまたの道の藪と細道よ、お前たちは血を分けた父上の血をおれの手から飲んだな。覚えているであろう、おれがお前たちの面前で何をしたかを、それからここに来て、また何を行ったかを。おお、結婚よ、お前はおれを生み、同じ女から子を世に送り、父親、兄弟、息子の、また花嫁、妻、母のおぞましい縁を、そうだ、人のあいだでこの上もない屈辱をつくり出した。だが、けがらわしい行いは、口にするだにけがらわしい」。そして、この醜悪な己が所業の数々を見まいと、両眼を抉ったのである。

    では、この素性は如何にして暴かれたのか。オディプスの治めるテーベは、今、町を滅ぼしかねない疫病の蔓延のさなかにあった。住民たちは神官をとうして王に嘆願し、快癒を願い出る。だが、王は彼らの苦悩を聞くまでもなく、すでにデルポイの神殿に遣わした使者の答えを待つところであった。漸く届けられた神託によれば、この町を覆う血の穢れをはらうべし。すなわち、前王ライオスを殺めた下手人をあげ、この者を追放、もしくは彼の血をもってライオスの血を贖うことだという。

    オディプスはその探索に全力あげ、こう神かけて誓う。誰であれ、下手人は「その幸なき命を悪人にふさわしく不幸にすりへらすように。またわたしは、われとわが身に呪いをかける。もし彼が、わたしの合意の上で、わが家のかまどを分かつ者となれば、たった今ほかの者にかけた呪いをこの身に蒙るようにと。」

    当初、ライオスは盗賊に殺されたと伝えられていた場所が、かの「三又の道」であり、あるいはキタイロンに遺棄された子供はコリントに届けられたとの知らせを受けるに及んで、先ずは妻のイオカステが事の重大さに気づき、探索の中断を願うが、王は一途に突き進む。ここに、妻であり母は、絶望のあまり縊死してしまう。

    先に私は、善意思についてふれた。そこには恐らく、誠実さも入るであろう。かれは自身の誓いを誠実に果たそうとした。その結果が、己や周囲の者たち全てを巻き込む、救いようのない悲惨、破滅であった。こうして、作者は善行、善意思が、必ずしも人の幸福をもたらす分けでないという、人生上の悲惨、あるいは皮肉をあからさまにしたのである。観客は、一見平穏そうに見える自身の生活が音もなく変貌し、地獄の深淵が大口を開け、今にも自分を飲み込もうと待ち構えているかもしれない、こんな恐怖に慄然としたであろう(以下次回)。

  • 7月15日・金曜日。二日続きの雨と涼夜を得て、連日の出勤による疲労和らぐ。

    マッタク無案内な世界をさ迷って、来週で二月になるらしい。どうせ、宛てのある旅路でもなく、それは構わないのだが、私は何を語りたくてこんな回り道をしているのだろう。初志を忘れそうになってきた。今日あたりケリをつけたい。が、それもヤッテ見なければ分からない。

    ソオだ!『オディプス王』の話であった。その筋書きについては、すでに何処かで書いたので、繰り返さない。ここでは、彼がなぜ父を殺し、母を妻とし、両眼をくり抜き、放浪の身となったかである。これには、その前史がある。彼の父であるライオスが乳児の時に父(すなわち、オディプスの祖父)を亡くし、このライオスが成人するまでの保護者となったリュコス(彼は都市国家テーベの執政である)も主神ゼウスの血筋に連なる双子(勿論、名前があるが、これを言えば名前の連続になり、益々、話がヤヤコシクなる)に殺される。止む無く、ライオスはテーベからペロプス王(彼はペロポネス半島の呼び名の元である)の下に身を寄せるが、幸い王からの信頼を得た彼は、息子クリュシッポスの教育係となった。だが、その彼は美形であった。ライオスは少年を愛し、彼をカドワカシ、結局、死に追いやってしまった。かくて、父親ペロプスからの呪いがかけられる。「己が息子に殺されよ」。

    時いたり、テーベの簒奪者であるかの双子(アンフィオンとゼトス)も亡くなり、その国王となったライオスはイオカステを妻に迎える。だが、彼はあの呪いを忘れていなかった。いや、忘れようもない。伺いを立てた神託も無情であった。王は呪いの成就を恐れて、妻との接触を拒んでいたが、自ら立てた禁忌も哀れ、酒の酔いに我をわすれた。たったの一度の過ちが、オディプスの誕生である。よくある話だ。男子たるもの、ヨクヨク、肝に銘じられよ。否、これは腹の底まで染みついた、何度も心に言い聞かせた銘記ではあっても、多くは事の終わった後に再び思い出される銘記に過ぎないのだが(今日はここまで)。

  • 7月4日・月曜日。熱帯夜の翌日ゆえ、意識朦朧なり。(7月8日・金曜日。薄曇りだが、蒸し暑し)。

    私の生活が少々変わり、この6月より母校の監事として就任し、大学経営の一端、ほんの端くれ、を担うことに相成った。これを我が栄誉と誇るべきか、あるいは「またゾロ、苦界に身を沈め、自ら好んで苦労をショウのか、懲りないね」と、嗤われるかもしれない。ともあれ、そのため会議、その他一連の行事にも参加することとなり、疲労もあって、前週は休載とさせて頂いた。今後もこれまでのペースを出来るだけ維持していく心算だが、時にこんな事があるやも知れず、その折はそうご理解願いたい。「ドーシタ、病気か」と、ご心配される方もキット多かろうと、勝手に思いつつ、実は一人もいないかも知れぬ、それはナントも情けないと懊悩しながら、先ずは一筆啓上する次第。

    さて、続き。ソフォクレスは『オディプス王』の話を一から全て創作したのではない。一般に、ギリシャ悲劇はすでに人々に馴染みの神話から題材を選び、そこに作者の解釈と演劇的な効果、創意、あるいは時代や政治状況も織り交ぜて作品化されている。だから、同じ題材が作者によって多様な色合いを帯びて舞台に載せられた。観客は、今度はドンナ筋立てにより、いかな苦悩と解決が待っているかと、固唾をのんで見守ったであろう。こうして創作された作品は相当の数に上ったようだが、現在に伝わるのはそれほどでもない。そして、前5世紀頃、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらの「三大悲劇詩人」によって、劇としての様式が整えられたと言われる。

    ただ、ここでの『悲劇』とは、我々に馴染みの「受難と闘い苦悩する主人公の悲しい結末で終わる劇」(明鏡国語辞典より)ではなく、神や卓越した人物・英雄の宿命的な運命を扱う厳格な形式とそれゆえの美をそなえる劇という。そうした悲劇を鑑賞することで、観客は自らに鬱屈した心理的、生理的な悩みや負担が解放できる、とはアリストテレスの説であるが、これを彼は「カタルシス」(浄化作用)と呼んだ。その他、劇の構成、舞台、上演方法、役者とコロス(合唱隊)およびその関係、台詞は韻律を持つ詩形からなり、それは主にギリシャ叙事詩に由来するとか色々あるようだが、分からない事も多いらしく、だからそんな詳細を私がここでシッタカブリですら扱える分けもない(今日はこれにて)。

  • 6月23日・木曜日。雨のち晴れ。

    本日は、前回の文章後段の手直し(?)に大奮闘したため、大分予定がクルッテしまった。あまり知らない事を書くものではない。が、それはいつもの事だ。

    さて、続き。これは、アッサリと行きたい。「エディプス・コンプレクス」は男児の成長過程において(女子の場合はエレクトラ・コンプレクスといわれる)、身近にある異性、すなわち母親への性的愛情のゆえに彼女を手に入れようと願うが(イド)、しかしそこにはすでに父親がいる。彼は単なるライバルどころか、最強の権威者である。だから、男児は己が欲求の妨害者である父を憎み、彼を亡き者にしたいとすらおもう。しかし他方で彼は、理想の体現者である父を畏敬する。一歩でも、父に近づきたいとの思いもある(超自我)。しかも、父と母を争う事はペニスの切除・去勢の恐怖に耐えねばならない。こうした葛藤を通して、男児は自己の欲求を断念・抑圧し、性欲の対象を他に求め、長ずるに従い父親を受け容れるというわけである。

    ただし、これ等一切のプロセスは、男児のあずかり知らぬ無意識の世界で進行しているドラマである。だがこの過程がつつがなく処理されなければ、彼のリビドーは変性し、長じて神経症等の精神疾患に見舞われかねない。勿論、全てを性欲に解消して人間行動を説明するフロイトの汎性欲論は、彼以降常に批判されてきたが、今はそれは問わない。

    心理学でいうコンプレクス(Komplex・m)とは、「行動を特徴付ける、強い感情の付着した無意識な観念や思考の複合体」(Duden独独辞典より)とある様に、ヒトをある行動に駆り立てる、様々な情念、思いが絡み合った想念といったところか。そして、「エディプス」とは、すでに、ギリシャ神話にみられ、ソフォクレスが『悲劇』として作品化したことは周知のところだが、彼は知らずに父を殺し、母を妻とし、子をもうけたテーバイの王である。ここに、フロイトがエディプス王の名を冠して幼児期の男児の性と人格形成の関係を理論化した意味も分かろうというものだ。だが、両者の親近性はここまでの話であって、「エディプス・コンプレクス」をもって『オディプス王』の悲劇を分かったと言われては、ソフォクレスならずともこれはマイル(以下、次回)。

  • 6月17日・金曜日。風生ぬるく、蒸し暑し。不快。

    ヒトの精神的構造は、心理学的には(と言うよりも、フロイトによれば)、イド、自我、超自我の三層からなり、この段階を踏んで我々は成長するらしい。そして、さきのリビドーはイドの内に貯蔵される。となれば、イドは生れ落ちたままの生存本能の場ということになり、ここでのヒトの行動は快楽原則に従い、他の動物のそれとあまり違いは無いと言えまいか。この点、我身を省みれば、この歳に至るも誠に恥ずかしい限りの数々ながら、だがそれは此のところの舛添サンの釈明を上げるまでも無く、私だけの事でもあるまい、と言い訳をしておこう。むしろ、この事実を我々は、キチンと見据えなければいけない。ドンナに偉そうなことを言おうと、所詮、我々は生物進化の中で育まれた動物の一員にすぎず、これを離れては生きていけない。であれば、ヒトは万物の霊長などと言わずに、モット謙虚になったらどうだ。他の仲間にとって生活し得ない環境は、我々にとっても同じなのだから。

    ところで、イドは自らの欲求を無限に解放することは出来ない。まずは自身の身体的な能力の限界のほかに、彼の生きる社会の掟、さらには幾多の規範が社会成員の勝手、我が侭を許さないからだ。それら社会規範は超自我として両親、近親者からの躾や懲罰を介して彼に押し付けられ、内面化されようとする。こうして、社会の在るべき人間像・理想像を突きつけられるが、それに対する彼自身の希望、能力、資質の問題もある。ここに彼のイドと超自我との葛藤が生じ、その過程の中で、彼の自我の形成が図られる。となると、自我はイドと超自我との交点、仲介の場と言えないか(さらに、その自我をもとに、彼の理想とする人間像、あるいは望ましい社会建設に向けて自己の成長を目指すとき、ここに自我理想の分化、成長がなされる)。ただし、この自我形成は先の「内面化」の言葉が示すように、それは自覚的、意識的にではなく、むしろ日常的な生活の中で、無意識の内になされると言う。だから、自我は自己意識ではない。ここでの「自我」は、個人の無意識に為される行動・思考・欲求のあり様・その仕組みを理解するための概念としたい(いよいよ分からない話になってきたから、ここで止めよう。と言うより、何かトンデモナイ誤解をしているかも知れないから、読者ヨ、興味があればご自分で勉強されたい)。

    こうした文脈、枠組みの中で、フロイトは「エディプス・コンプレクス」を説いた(ヤレヤレ、ようやく書くべき地点に到着したが、本日は会合のため、これまで)。なお、この段落は23日・木曜日に補足したものであるが、それが良かったかどうかは、私にはワカラナイ。