• 9月9日・金曜日。台風の余波か、蒸し暑し。秋晴れの清涼、未だし。

    基地離脱の決定に、誰よりも驚愕したのは、犬係を担当していた2人の隊員である。彼らは地質学、地球物理学の専門家であったが、それとは別に樺太犬の世話もやいていたのである。極寒の地での、装備やら何やら全てがママならぬ状況の中、1年間も供に暮らせば15頭の個性も十分に分かってくる。互いの愛情、信頼もとりわけ深まったにちがいない。少しでも首輪が緩めば勝手に逃散してしまう犬も知っている(事実、そうまでしても7,8頭の犬が離脱に成功している)。一歩間違えれば、死に直結する環境だ。そうした配慮が、首輪の点検、締め直しになったのだが、今度こそそれが裏目に出た。シッカリ絞め直された鎖に繋がれ、覆いのない雪原に、十分な餌もなく放置されれば犬たちの苦しみは如何にも酷い。その光景がアリアリ浮かぶだけに、彼らの苦悩、悔恨は深まった。犬たちを見殺しにするのか、という救いようのない恐怖が襲う。せめて、自分一人だけでも残してくれ、駄目なら薬殺しに行くので許して欲しい、と詰め寄る隊員の気持ちはよく分かる。

    彼、地質学者を演ずるは、主役・高倉 健であり、相方の地球物理学者が渡瀬恒彦、その恋人役に夏目雅子が配され、筋には無縁なことだが、三人の抑制的な演技が光った。好演である。しかし、主役中の主役は何と言っても15頭の樺太犬である。

    当時の東映社長・岡田 茂氏はこの映画の配給を打診され、「犬がウロウロするだけで客が来たら、ワシらが苦労して映画撮る必要ないやろ!!」とニベもなかったそうだが、確かにそう言いたくなるほど、犬たちは走りに走った。そして、美しかった。人間たちに散々働かされたあげく打ち捨てられた犬たちは、かつて彼らと雪原を大旅行した思い出に駆られたか、その跡をたどれば彼らに会えると思ったか、往復500キロの雪中行を敢行した。その間、飢えと寒さや疲労から傷つき斃れる犬も出てきた。その最後は、実に見事である。己の命の尽きたことを悟るかの如く、雪や風の避けられる庇の下に横たわり、静かに目を瞑るのである。悟りがドウのこうの、と言っている人間どもに比べて、如何にも従容とした死に様ではないか。

    映画は勿論、犬を見捨てた人間たちの苦悩も掘り下げている。帰国した恋人が南極、殊に置き去りにした犬の話にマッタク触れようとしないことから、それだけ思いの深まっていることを察した彼女は、第3次越冬隊の話をもってくる。「とにかくもう一度、南極に行って犬の事を見てきたらイイ。その後、ワテと一緒になるか、ホカすかするなり決めたらいいわ。ワテはそれまで待っているサカイ」。こんな一言に励まされない男はイナイ。他方、地質学者は大学を辞め、飼い主達への報告と謝罪の行脚に出る。そして、あの時、薬殺しないで良かったのかもしれない。樺太犬の生命力は強く、生き延びている犬もいるかもしれないから。こう、飼い主に述懐するのである。

    こうして、彼ら二人は3次の越冬隊に参加することになった(実際は渡瀬演ずる物理学者だけであったようだが)。彼らは昭和基地にたどり着く。タロとジロがそこにいた。互いが互いを認め合ったとき、抱き合うように雪原を転げまわった。ただ2頭の無事が嬉しかった。二人はたしかに救われた。しかし、である。これが人間の場合であったら、どうであろうか。こんな風に、一瞬にして喜び合えることが出来たであろうか。そこには、別のドラマが演ぜられたに違いない。これについては、次回。

  • 9月6日・火曜日。残暑居座る。本日、新台風誕生し、近日中に近畿、関東襲来の予報あり。

    8月初め頃であったか、『南極物語』をテレビで観た。わが国の第1次南極観測(1956)の際に活躍し、あげく極地に置き去りにされた樺太犬15頭の悲話である。ウィキペディアによれば(実はこの検索については、周りの社員の迷惑を顧みず、ミンナしてデータの出し方やら何やらパソコン操作を教えられたが、結局は出来ずに全部面倒をかけた。こうなると、私は仕事に来ているのか、邪魔しに来ているのか、もう分からない)、1983年公開された。映画の評判、撮影の苦労話等はすでにアチコチ語られているようでもあり、ここで改めて紹介するまでもない。

    それでも、以下の話の都合で、簡単な筋立てだけは言っておかなければならない。1年間の越冬後、第1次観測隊員は第2次に引き継がれる時期となった。基地では、慌ただしい帰国準備と供に、引き続き越冬する15頭の樺太犬は、引き渡しまで離散、逃散しないよう首輪の点検、締め直しの上、数珠つなぎに一本の柵木に繋がれた。だが、突如、事情が一変する。悪天候と燃料不足、さらには観測船・宗谷の砕氷能力(1メートル)では観測地への接岸が危うくなっていた。隊員たちには、急遽、帰還命令が発せられ、ヘリによるピストン輸送で宗谷に乗船するが、第2次隊員を基地に送り込む余力がなくなった。ここで逡巡すれば、宗谷は次第に悪化する天候により、ますます厚みを増す氷原の直中に立ち往生する危機に陥る。苦渋の中、離脱の決定が下された。同時に、樺太犬の命運も極まった。ここに、ドラマの幕が開く(以下次回。本日は検索方法の習得??と資料読みに時間を要したため、これまで)。

  • 8月30日・火曜日。蒸し暑し。関東地方、朦朧台風の襲来免れるも、東北地方に上陸の予想。彼の地の惨害を思う。(9月2日・金曜日。台風余波、蒸し暑し。前回の予感的中し、言葉も無し)。

    もしかしたら、大雑把ながら、国別の総合メダル獲得順位を記憶された方が多いかもしれない。新聞では、推移するメダル獲得数が毎日掲載されていたからである。それだけ読者の関心が強いからであるが、他方、そうした報道が、我々の興味をその点に駆り立てる向きもあったかもしれない。たしかに、日本選手たちへの無心な応援とそれに応えようとする必死のプレイ、そのようなシーンに我々は魅了され、一喜一憂するのであるが、しかしそれは日本人選手だからであり、メダルに手が掛かっているのだ、「もう少しだ、ガンバレ」と思う、そのような面がないわけではなかろう。つまり、我々はスポーツ観戦を、その美しさと躍動、スリルとドラマを純粋に楽しんでいる訳ではない、と言ってみたくなるのである。「そんなことはない。スポーツは何を見ても、感動できる」、と断固主張される御仁には、思い描いてごらんなさい。日本人選手が出場しないか、まるで歯が立たない相手との試合にどれだけの熱意を込めて観戦できるか。たしかに、そのような人のいることは理解できるが、それは、多分、一般的ではなかろう。もっとも、これは私を基準としての話しであるのだが。とすれば、私にはその程度の鑑賞力しかない、という何とも身もふたもない話になってしまった。

    私の事はともあれ、以上の話に多少とも真実味があるとすれば、それは何を意味しようか。メダルの獲得とスポーツ観戦とは、本来、無関係なはずであった。メダルはあくまで結果である。そして、それを獲得出来た選手にとっては、メダルは彼の才能とそれに至る必死の努力を象徴し、それを称えるものでしかなかったはずである。アマチュアのメダルや賞状とは、本来、そういうものであろう。私も将棋の4段位の免状を持っているが、それを手にした時(今、数えてみれば、32年前の1984年の事で、そのためには将棋連盟に、確か4万円也を収めなければならず、周りからは随分笑われたものだ)、何かカネには代えられない無上の喜びを感じたのを覚えている。その余韻はいまだに続いており、しかも時折、将棋にまつわる怪しげな話でこれまでに当初の出費以上を手にしているのだから、カリにも不満めいたことを言えたギリではないのであるが。

    しかし、である。事がオリンピック級のメダルとなれば、話はまるで違って来よう。それは直ちに、スポーツ界をこえた社会的名声や地位と同時に、富と結びつく。その圏内にある選手にとっては、メダル獲得が第一義となるであろう。ここには、彼のアスリートとしての名誉と存在がかかる。のみならず、周囲の期待(その範囲がどれほどのものかを考えれば、呆然とする。銀メダルに留まった吉田沙保里は国家的責任を感じて涙した)に応えなければならないという責任と重圧。このとき、彼らにとってスポーツは楽しみではなく、メダル獲得が至上命題となった、是非とも果たすべき仕事、義務となる。こうして、競技の結果として得られるはずのメダルは、その獲得こそが目的となる。主と従の関係が逆転するのである。マルクスならさしずめこれを「物神崇拝」と呼んだであろう。しかもこのような転倒は、個人のレベルに留まらない。メダルは国家にとっても大きな、それどころか巨大な意味を帯びてこよう。多くのメダリストを擁する国は、それだけ身体能力の高い、優秀な国民からなり、健全にして健康、不屈の精神力に富む「世界に冠たる祖国」(かつてのドイツ国歌の一節)を体現するであろう。

    スポーツ振興は国民の心身を育成するばかりか、ラグビーのような団体スポーツでは「ONE for ALL、ALL for ONE」の言葉が示すように、自己犠牲を厭わず、また全体は一人を見捨てず、というチームワークの精神を涵養する。国民教育と国家統治にとってこれほどの機関、装置はまたとあるまい。

    以上の話は、これまで多くの人々によって説かれてきた事で目新しいことは何もない。ただ、今回のオリンピックで考えさせられたのは、スポーツへのこうした国家的な関わりが一層顕著に、より組織的になって来たのではないかという思いである。毎日新聞(2016年8月22日・朝刊・3面)には「五輪「国策」で躍進」が掲載され、「リオ 日本最多メダル」と「予算最高324億円/「ゴールドプラン」」の見出しが躍る。サヨウ!今回わが国が史上最多メダルに輝いたのは、選手たちの必死の努力の背後に、膨大な予算に裏打ちされた、国家的なてこ入れがあったからでもある。まずは、国内外からの優秀な指導者たちの招請と指導体制の刷新、栄養学からスポーツ医学、情報戦略のほか関係するあらゆる知的体系の導入、動員、極めつけは国立スポーツセンター、ナショナルトレーニングセンターの設立等々があったのである。しかもこのような動きは最近に始まった事ではなく、その出発点は既に、1996年アトランタ五輪の惨敗を端緒としたというから、早や20年前の事であった。

    こうした状況を、どう考えたら良いのだろう。国家がここまで必死にスポーツ、殊にオリンピックに介入しようとするには、考えなければならない大きな理由がある、と見る必要はないのだろうか。そんなことは、フーコ的な斜に構えた、単なる杞憂でしかないのだろうか。それとは別に、上では故意に保留にしてきた論点もある。すなわち、スポーツ振興やオリンピックの招致が齎す経済的効果である。オリンピックの招致運動前後から開催までのほぼ十年に及ぶ、マスタープランに即した計画立案、広報、宿泊、輸送、その他様々な基盤整備のための膨大な建設事業が切れ目なく続く。それによる巨大な経済的活性化は、デフレ下に苦しむ現政府にとって非常な魅力であるにちがいない。それは、わが国のような経済的に成熟した先進国にあっては、もはや国内に巨大な有効需要を創出する余地がなくなっているだけに、逃すことのできないチャンスでもある。だが、再び問う。本当にそれだけなのであろうか。

    ただ、ここではつぎの一点は、是非、言っておかなければならない。国家的なスポーツ振興は、何もわが国だけの話ではない、という当たり前のことである。旧共産圏のそれは言わずもがな、その後継であるロシアの国家ぐるみのドーピング問題は、そうした国家によるスポーツ利用の根深さを如実に示すものであろう。さらに、今回のオリンピックのメダル獲得の上位国は、ブリックスに入るロシア、中国を除けば経済力のある先進国で占められ、それを見ても、オリンピックはすでに国家的総合力を競う場になっていると言いたい。そして、それはオリンピックだけの話ではない。ノーベル賞受賞国の順位でもあるのだ。

    もはや、スポーツ、学問研究以外の様々の分野でも、個人の才能と努力だけで事が成し遂げられる時代は去ったのであろう。途方もない資金力をベースに、全てが組織化され、巨大化されると供に、あらゆる分野の動員と統合がなされ、またそうした余力のない、あるいはこれらの事態に対応出来ない組織や国家はドロップアウトさせられる時代になったのか。それどころか、国家レベルですら間に合わない、超国家的な組織の出現を見るのであろうか。その結果、極微化された個人の存在はどうなるのであろう。日常生活における人々の生きがいや充足は、そうした巨大組織の目的、都合によって無残にもオシツブされるだけなのだろうか。

    最後に、コンナ世界の潮流の中で、THE JAPAN TIMES(SATURDAY ,AUGUST 13,2016)の記事は何かホットさせるものがある。コソボの女性柔道選手、フィリピンの女性ウェイトリフター、インドのホッケー選手らは、資金はオロカ、練習用の施設もコーチもないまま、ただ自己流かネットの映像を参考にして、鍛錬し、技術を磨いてメダルを手にしたと言うのである。これこそ真のメダリストではないだろうか。

  • 8月23日・火曜日。台風翌日の蒸し暑さ。不快。

    オリンピックが終わった。日本選手の活躍は「想定外」の目覚ましさであり、国民の多くは、彼らのプレイに一喜一憂しながら、勝敗の帰結、メダルの行方を追って、夜を昼に取り違えた二週間を過ごしたことだろう。私もその一人である(と言って、私の場合、オリンピックならずとも、こんな生活を何十年と続けてきたのだが)。そして、考えさせられる事も幾つかあった。本日はそれを記してみたい。何かの参考になればと思う(よって、勝手ながら、前回の末尾の予告は取りやめとする。そんな我儘も、勝手に書ける「手紙」だからこそであり、これが契約であれば、そうは行かない。なお、かの問題については、これまでも何度か触れたような気もするので、ここで打ち切ってもよかろうと判断した次第だ)。

    わが国のメダル獲得総数は、金12を含めて41にもなり、参加国第六位(金メダルを基準とする)と大健闘であった。そうした選手たちの活躍を、素直に称えたい。彼、彼女等の必死のプレイは、我ら日本人の誇りと勇気を呼び覚まし、明日への活力を大いに引き出した。4年に一度の大舞台、国を挙げてのトップアスリート達の競技である。他の競技大会とは比較にならぬ感動と効果を齎すのは当然である。さらに、各選手たちのそれまでの準備や努力、家族らの全てをなげうった協力、献身の物語を知らされるならば、勝敗の一瞬に抱く観戦者の心情は、身内ならずとも身につまされ、ここには単なる勝負を超えた深い哀歓の情に包まれもしよう。勝った時の選手の喜び、敗者となったその無念さは、選手と観戦者を一体となし、共々に泣き、笑うのである。このような感動と一体感は、他では味わえないスポーツこそのものではないか。鍛え上げた体、その繊細さと躍動美、剛直と柔軟さ、沈着と闘争、それらが息つく間もなく展開し、観る者の全てを忘れさせ最後の決着へと釘付けにするのである。鍛えれば、人間とはこれほどの能力を持ちうる者なのか。同時に、自分もまた彼らと同じ日本人であることに、なにか掛け替えのない喜びを感ずるのである。

    これが人の情というものであろう。この点では、日本人も他国人も変わりはあるまい。私はこれを、そう言ってよければ、素朴なナショナリズムと言っておこう。

    スポーツの魅力、その社会的・教育的効用、影響力は計り難いが、それ故に、ヒトラーのように、スポーツを政治の道具として利用するケースはしばしばある。国家的行事としてのスポーツ、殊にオリンピックであればなおさら、常にそうした側面のあることは、改めてここで取り上げるまでもない。むしろ、私はそれとは少々異なる点を見てみたいと思う(以下次回)。

  • 8月8日・月曜日。熱暑、熱風により極めて不快。台風の余波のため。(8月16日・火曜日。蒸し暑し。台風接近)。

    ギリシャ神話(それを基に創作された『ギリシャ悲劇』)の世界では、事象の全ては、まずは神々が生み出し、引き起こしたものとされる。だから、生じた事は単に起こったことではなく、その背後には何事かの神意があり、それを語ったものが神話である。その世界は実に広大であり、錯綜している。宇宙や自然界の誕生とその変遷(宇宙創成論)、人間の誕生物語、あるいは「火」は、プロメティウスによって人間界に持ち込まれたとするような各種の技術等の起源論、そこから生ずる神々に対する祭儀、祈祷の成立と遵守、天変地異や悪疫の由来、神々に繋がる家系や民族の歴史、さらに、そこには各地域に伝播された伝承、歴史事象も含まれ、そうなれば神話を通してその時代、地域の歴史認識の一級の資料ともなる。シュリーマン(1822-1890)がホメロスの物語からトロイ文明の遺跡を発見し、それが単なる伝説で無いことを証明したのは、格好の事例であろう。

    のみならず、神話には長い時間をかけて、人間の無意識、下意識が神に仮託されて形象化されているから、そこでは人間の赤裸々な欲求、醜悪さや悪事、だが同時に正義、真理、美への渇望が一体となって語られ、こうして人間研究の尽きざる宝庫である。だから、ローマ、中世世界から現代にいたる文学、芸術の発想源となり、多大な影響を及ぼしたとは、なにもここで改まって言う話しではない(このような神話の多様な意味世界は、ただギリシャ神話に限らない。以上は、たとえば『古事記』についても同様に言えることである)。

    だが、私はまた悪い癖がでた。これを言いたかった分けではないのだ。事象は良くも悪くも、神々の振る舞いによって引き起こされ、人々はそう説明されて、一応は納得した?なかには、面白いけど、ホントかと感ずる人もあったであろう。そうして、事柄をそれに即して観察し、考えようとする人たちも出てきた。彼らは後に哲学(Philosophy)する人、つまり「知を愛する人」と呼ばれる。アリストテレスはその始まりを「万物は水からなる」と説くタレスとしたが、彼自身はさらに、火、土、空気を加えて、この四元素の組み合わせから万物はなると解した(ただし、天体は第五元素のエーテルからなる)。これには原子論を説くデモクリトスの立場もあり、そしてこの元素と原子の関係が私には不分明だが(実際、エンペドクレスには両者が併存しているらしい)、いずれにせよここには、自然事象を要素に還元して、そこから捉えようとする現在に繋がる発想がみられる点で興味深い。

    他には、数を事の本質とみるピタゴラスやアラビア由来の自然学の影響も看過できないが、しかし中世の自然学はアリストテレスを基礎にしていた。それは、トマスアキナスによってカソリック神学体系の中枢に据えられた事をみても明らかである。たしかに、彼のそれは動植物の分類、その発生において一頭地を抜くものであったが、しかしそこには近代以前の生物学特有の目的論が拭いがたく、それが神と結びつけられていた点で、近代科学には直結しない。また、事物が落ちるのは重いからだ、とする落下説はただ見られる事象の説明に過ぎず、それは実験を欠いた思弁にとどまる。近代科学は、この大権威をドウ否定し、克服するかに掛かっていたと言えよう。この意味で、F・ベーコン(1561-1626)の実験の導入は画期的であった。彼にとっても、「自然」は神の書いた第二の書物であったが、しかし実験によって、思索はただの思弁ではなく、事実に基づき検証される道が開かれたからである。実際、同時代人、G・ガリレイ(1564-1642)の地動説の承認や落下法則の発見は、膨大な実験と数学的手法による成果である。かくて、ここに近代科学の基礎が据えられたのである。

    長い話になった。私は、ただ、科学的思惟の道筋は、もとはと言えば、ギリシャ神話の否定の上に付けられたと、言いたかっただけなのだが、コンナ事になってしまった。いずれにせよ、今では、事象はそれを成り立たせる事物、その最小単位の物質の性質、その法則によって必然的に決定されることになる。とすればここには、神や魔術や悪意や何やらの介在の余地はない、としなければなるまい。

    私はこうした歴史の認識の歩みとその成果、その偉大さをすべて認める。にもかかわらず、言いたい。これまでの我が人生を俯瞰したとき、それでは割り切れない何かが残る。これを否定出来ないのである。私を導く何者かの手を感ずるのである。そんな印象は、なにも私だけのものでもあるまい。もうだいぶ前のことになるが、遠藤周作が「私の履歴書」(『日経新聞』)において、自分は神の声を聴いた、と書いていた。だが、私の場合、それを神とは言えない、何者かと感ずるだけなのだが。

    さて、もう一点、言うべきことがある。人々の生活が意思に反するものとなる、その次第を自然科学とは別の社会科学はどうドウ考えてきたかである。これについては、次回(それで、本項はホントに終わり)。