• 4月6日・水曜日。晴れ。

    4月8日・金曜日。晴れ。

     

    この2,3日の寒さは何だったのか、と言ってやりたいような陽気である。お陰で、日曜日は風邪気味で1日寝込み、ために当日の歩行数は零歩であった。これで、今月の一日平均9千歩の達成はダメになった。残念。だが、こんなたわいのない愚痴が言えるのも、戦火を免れた平和な日々のゆえである。

    これに対してウクライナから伝えられる惨状は、世界を震撼させた。連れ去られた兄を探していた婦人は、顔の判別もつかないほど銃床で殴打され、体を切り刻まれた遺体の着衣からそれと知った。そうした死体を道路に何体も放置したまま、露軍はキーウを撤退したと、朝日新聞は伝える。あるいは、掘られた窪地に放り込まれて、表に見られる手足の絡まりあいから、その底にある遺体の重なりが想像できるとは、昨日のニューヨークタイムズの記事(4/5)であった。言っておくが、この犠牲者たちのほとんど全員が、子供を含む武器を持たない民間人である。

    筆者はこれらをただ活字を通して知るばかりだが、これを目の当たりにする住民たちの悲痛は想像も出来ない。しかも、ここで伝えられる惨劇は、ただその一部に過ぎないだろう。その背後には無数の非道と虐待があったに違いなく、それらを直接、間接に知ったすべてのウクライナ国民の悔しさ、怒り、そして復讐心は百年単位で残るであろう。

    そうした隣国の憤激、怨念を、ロシア国民は今後長きにわたって背負わざるをえまい。我われ日本人が、今なお隣国からのそのような感情、非難を負わされていると同じように。同時に、今回の侵攻の現状を知るロシア国民は、自身の国家が犯した重大な戦争犯罪に向き合い、痛切な贖罪の意識を心中深く刻まれるに違いない。自国の指導者、正規軍が、世界から凶悪な戦争犯罪人扱いされ、さらには「悪魔」呼ばわりされるほどの残虐を、ウクライナ全土で倦むことなく繰り返しているのである。これでどうして、自国に対する自信と矜持を持ち得よう。そして、彼らは知るであろう。このような犯罪国家を長期にわたり存続させ、批判できなかったことは、結局は国民自身の罪でもある、と。ロシアの再生、再建はそのような国民の声と祈りがどこまで国内に届けられるかに掛かっているのではなかろうか。

    最後に、筆者は言いたい。現ロシア政府の不誠実さには、どう対峙すべきなのであろう。彼らには、いかなる言葉も無力であり、結局は武力しかないのかと、暗澹とさせられる。それは過日の国連安保理で行ったゼレンスキー演説(4/5)に対するネベンジャー露国国連大使の言葉のうちに端的に表されていよう。彼は世界に向かって、平然と、臆することなく言い放ったのである。ゼレンスキーの「ロシア軍に対する非難は、目撃者の証言に裏付けられたものではない。…長い間、黒を白と呼び、その逆もしかりとしてきた欧米だけが、このフィクションにだまされている。」ウクライナの軍事侵攻は「ナチの悪性腫瘍を取り除く必要」からであったのだ、と。

    この言葉はウクライナ国民を二重、三重に打ちひしぐ。一つは、非道な暴力行為によって、もう一つは己のなした暴虐を全く認知せず、正当化するという意味で。それはまた、同じ意味において、世界中の人々の心を逆なでして止まない。

     

  • 4月1日・金曜日。雨のち曇り。いよいよ新年度始まる。本日もまた前回の文章の加筆、訂正にとどめる。と言うのも、家を出る直前に、怪しげなメールを受け、事務所でそれを見せたところ、どうやら新手の迷惑・詐欺メールの類いと言われ、大いに意気阻喪したからである。だが、忠告に従い、すんでの処で難を免れたとすれば、ありがたいことである。とは言え、その顛末はこの2,3日を見なければ分からない。これについては、いずれ気力の充実を待って、読者の参考のためにも、本欄で報告したいと思う。

    2,3月の歩行記録は、次の通りである。2月総歩数・209,548歩、平均歩数・7,484歩、最高・12,672歩、最低・2,312歩であった。平均歩数が8千歩を大きく割り込んだのは、ワクチン接種、降雪、寒波が災いしたとはいえ、いかにも残念であった。3月総歩数・282,818歩、平均歩数9,123歩、最高・15,055歩、最低・3,172歩であり、1日平均9千歩を維持できた。

  • 3月30日・水曜日。薄曇り。やや花冷え。本日、花見がてらに、江戸川公園を久しぶりに歩く。桜の古木の枝は払われ、花の盛りは過ぎていた。小学生以来のわが遊び場であったものが、崖上には瀟洒なマンションが連なり、万事整備も行き届いて、近隣からの人で賑わっていた。どこか澄ました感じで、もはや往時の面影はない。あの頃は、オレの公園、と言った気分があったのだが。

    また、今日は思いがけないメールを受けとる。定年前に転職し、それも辞職して派遣により向こう一年の職を得たとの内容であった。その内、また訪ねたいとの由。歓迎する。大病を乗り越え、いまに至る40年ほど以前のわが教え子からである。彼については、2,3日前に何となく、どうしているかと思い出していた矢先であった。このような、以心伝心で伝え合うひとの縁は、確かにあると信ずる。そして、取るに足らぬわが身ではあれど、今なお誰かの励みと支えになっているのかと思えば、まだ儚くなる分けにもいくまいと、久しぶりに思う。要するに、私自身が彼に「生きよ」と励まされたのである。

    前回の文章を訂正、加筆した。

  • 3月23日・水曜日。曇り。先週の夏日と打って変わって、昨日は雪交じりの雨。本日もやや寒い。春先の三寒四温は例のごとしだが、それにしても少々極端で、おいの身にはややこたえる。天気にも、もう少し敬老の精神を持ってもらいたい。

    3月28日・月曜日。曇り。風は、寒風とは言わないまでも、かなり冷たい。この4月より成人年齢が引き下げられ、18歳の少年・少女がいきなり成人扱いされることになる。彼らは自由に各種の契約を結べるが、同時にその責任を負うことになる。そのための訓練や教育もないままにである。なぜ、こんな法律を通したのだろうかと、いぶかるばかりだ。ことに、親の庇護のない子供たちは、成人として厳しくも冷たい社会と自ら「渡り合わないといけない」。周囲の大人たちの誘惑や罠に落ちれば、負債を負い、それを機に「将来の可能性を摘むことにもなりかねない」(朝日新聞、3/27「18歳成人「大人の責任」への懸念」)。その結果は、本人はもとより、社会の大いなる損失となろう。そのための備えを、社会はどこまで用意しているのであろう。

     

    ロシアの暴虐が、狂気と共に、さらにその度を増す。戦線と銃後の区別なく、軍と民間人の混在したまま、見境のない攻撃に躍起となり、あげく「民間人への攻撃はない」と、世界に対し平然と嘘をつく。こうした冷酷かつ虚偽国家のことである。極超音速ミサイル、長距離巡行ミサイルを発射し、黒海からの艦船攻撃などなりふり構わない。果ては生物化学兵器や原子力兵器の使用まで取りざたされるに至ったが、かの国にとってはそれらの使用も何ら躊躇すべきことではないのだろう。米国大統領はそれに対する最大限の警告を発し、プーチンを虐殺者とまで言い切った。

    それに応じて、米は西側諸国と協力して彼への圧力をさらに高め、ウクライナ支援を進めるが、はたしてそれがどこまで功を奏するのか。ロシアの存続が危うくされれば、原子力兵器の使用を考えるとのロシア報道官の言葉を、本日(3/23)のテレビで耳にした。だが、どの段階をもって、露国存亡の危機とみるかは全く不明で、危険極まりない。

    こうした露国のタガの外れた凶暴な攻撃は、ウクライナ侵攻作戦の停滞、あるいは蹉跌による反動であるとの指摘がもっぱらである。それにはウクライナ側の予期以上の強靭な抵抗力がまず挙げられる。それにしても、ウクライナの抗戦は凄まじい。露軍による正視し得ない大量の殺傷と一切合切の損壊、都市の消滅を目の当たりにしながらの、彼らの戦闘は、祖国の存亡がかかるだけに英雄的だが、これをただ傍観する他はない我われ部外者にとっては、心や体を締め上げられるような苦痛と懊悩に、日夜、苦しむ。それとても、ウクライナの人々の万分の一ほどの苦痛でしかないのだが。

    こうしたウクライナの抗戦を支える欧米諸国の露国に対する、これまでに例を見ない迅速で一致協力した支援や経済封鎖等がかなりの効力を発揮していることは、確かであろう。となると、いまや戦闘はウクライナ人が担い、欧米は物資情報等を提供すという構図になってきたようにも見える。だがそれは、人命や国土の破壊といった非常な損耗をただウクライナ国民に強いるばかりで、そうした酷い惨状には言うべき言葉もない。そして、実質的には米を中心とした西側諸国と露国との代理戦争の態を示しているとの論評もある。

    その限り、ウクライナの支援と言う点で、西側の結束力はかなり維持されているように見えるが、しかしその実際はかなり危ういものであるらしい。特にエネルギー問題では、ヨーロッパは独仏共に石油、天然ガスの供給をロシアに依存し、完全には断ち切れてはいない。さらにフランスは原発関連で露国と協力関係にある。マクロンは脱炭素化のためにも原発推進を不可避として、それに必要なタービン等を製造するが、その関連で仏製の原発タービンの半数をロシアに販売するなどで、その原子力政策の一環としてロシアを組み込んでいるからだ。これにはさすがに、仏大統領選に立候補しているジャドは批判する。「マクロン政権は政治的にもエネルギー的にもロシアにますますこびようとしている」(朝日新聞3/20・朝刊・「「タブーなき制裁」免れる原発 欧州 仏、ロシアと協力維持」)。この点では、日本の政策も同断であろう。サハリン2と称するロシアでの液化天然ガス開発について、政府は昨日(3/27)の段階では、いまだ撤退の意思を示してはいないのである(毎日新聞3/27)。無資源国・日本の最弱点が晒される。

    こうして、戦争は各国の最も弱い部分を容赦なくあぶりだし、目指す理想はあっけなく瓦解する。国家理性とはこのようなもので、自国の利益と存立こそが第一の重要事であり、それが危うくされるなら他国の惨状がどうあろうとも、完全に無視して打ち捨てられてしまう。国際政治とは、これほどに冷酷な闘争の場なのであろう。そしてそれは、せんじ詰めれば、我われ人間本性の一部の表れなのでもあろう。

  • 3月14日・月曜日。晴れ。最高27度(中野区)に達し、はや夏日とは。3月16日・水曜日。晴れ時に曇り。ロシアの侵攻は停滞気味となり、その反動で攻撃の凶暴性はさらに募るとのことである。事情を知る露国民の懊悩と世界への恥辱は深まる。

    この時代にあってなお、一権力者の狂気がこれほどまでの悲惨を生むとは、侵攻前には予想だにしなかったが、同時に核兵器使用の権限を一手に握る体制が、世界の安全にとって、いかに危険かを教えている。プーチンはこの戦争に負ければ、断罪が待ち構えていると思えば、この先、何をするか予想もつかない。核の恐怖が眼前に迫る。

     

    (承前)ワトリング氏の次の言葉は、ロシアの本性を示して衝撃的である。この1月、ウクライナにサイバー攻撃を行った露国は、その際入手した自動車保険リストの個人情報をもとに、影響力のある活動家の住所を特定するが、そこには「2014年の民主化運動『マイダン革命』(ユーロマイダン(欧州広場の意)で生じたデモが機となって、進露派大統領ヤヌコービッチ政権を崩壊させた革命―筆者注)を率いた」人々も含まれる。「彼らは『消される』恐れがありますし、本人が見つからない場合は、しばしば家族が標的になります。だから、家族は国外に逃がさなければなりません」。これまでも、英国等の他国の主権を平然と犯して、権力者にとって目障りな政敵や人物たちを毒殺してきた国家のいかにもやりそうなことである。

    すべての国家権力には、そうした非情、冷酷さが本質的に潜むものなのであろう。たしかに、自由主義、民主主義国家においても、権力による不当な弾圧、不正は限りない事は認めよう。しかしそうした場合でも、民主主義国家と言われる国においては、権力は憲法はじめ各種の法体系のもと、常に監視と批判の目に晒され、違法行為はやがては断罪される機構を備えている。というより、むしろそれらの機関、制度はそのように作動しなければならないように、国民各人の規制下に置かれている。そうでなければ、その国は民主国家ではない。まさに、『日本国憲法』がその「前文」において宣言する通りである。「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。

    つまり、国家は国民から負託された権限、権力を、国民各人の安寧と一層の幸福のために行使すべきであり、その意味で国家は国民全体への奉仕者なのであって、その逆ではない。間違えてはならない。国家が国民の上にあり、暴力と強権によって、一部権力者のために国民を支配、奴隷化し、自らのために酷使することなどあってはならないのである。これを基準にすれば、ロシア(そして、中国、北朝鮮)の異常さが際立って見えてこないであろうか。

    ここでは特に、露国(中国、北朝鮮も同じだが)の極端な情報統制とその歪曲について言わなければならない。侵攻当時から、ウクライナの住民がロシアに住まう老親や親族たちに、自国の悲惨を、映像と共に痛切の思いを込めて訴えても、全く理解されないばかりか、逆に縁を着られるほどの怒号を浴びせられる。プーチンは「クスリで狂った」ゼレンスキーの進める祖国ナチ化の阻止、という崇高な使命のために進撃し、攻撃も軍事施設に限定されたものだ。ましてや、民間人への攻撃など、ありようはずもない。お前は、騙されている、と言うわけである(ニューヨークタイムズ3/8)。こうして、多くのウクライナ人は戦争の悲惨の上に、家族の断絶の苦しみを負わされるのである。こうした事例は、今や様々に報道され、もはや我われは驚かなくなったが、それにしても世界監視の下で、臆面もなく虚偽、捏造、隠蔽工作といった数々の報道には、世界は狂気に支配されたかとの、恐怖すら覚える(朝日新聞3/13(日)、「荒唐無稽 繰り返すロシア」「救助された妊婦さえ「モデルの演技」」を参照されたい)。

    いずれ、この戦闘は終わるであろう。その時、ロシア政府は国際社会にどう迎えられるのであろう。真実を知ったロシア国民は、自らの政府の残虐にどう向き合うのかと、今、しきりに思う。だがそうなる前に、プーチンが核に手をかけないと、誰が保証できるのか。時代は、世界はぎりぎりのところに迫っている。