2022年01月12日

令和4年1月12日・水曜日。晴れ。寒風強し。

あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。遅ればせながら、本日をもって仕事はじめといたします。

こうしたぐずぐずとした出社には、例のとおりの生活がたたったか、どうにも起床の気力が失せ、一日の起動が15時ほどからとなり、もはや夕刻。これが重なり、ついに今日まで続いたという次第がある。それに雪も降った。凍結した道路に負傷をしては、かえって皆に迷惑をかけるとの立派な理由もこしらえた。こんな事を言い立てて、澄ましていられるのも、一つ年を取ったお陰であろうか。そう言えば、今年頂戴した年賀には、今年で打ち止めにされるという賀状が3通あった。それぞれエネルギッシュな方々であったのに。それに当方も便乗し、年始の挨拶は今年限りとさせていただいた。それには、こんな名句、イヤ、はたメイワ句を添えてみた。

駄句の種尽きて仕舞の年賀状 みつお

年初から、不景気な話となったが、そうとばかりでもない。毎月のわが歩行数の件である。先きの12月の総歩数は326,259歩に及び、一日平均歩数・10,524歩、最高・15,833歩、最低・6,354歩であった。これは、壮挙である。

昨年は、平均1万歩に達した月はこれまでなかった。よって、この12月を逃せば未達の年となり、何とかせねばと、それなり必死になったのであろう。早稲田からの帰途、寒風を押して隅田川沿いを歩き、あるいは川を渡ってスカイツリータワー駅に向かって歩数を稼いだ。毎夜、春日部駅から陋屋までを、日付の変わる時刻にふらつく様は、我ながらかなり異様であった。決まって一、二台のパトカーと行き交うが、あちらも妙な思いになったに違いあるまい。しかもこの行軍には、「5キロの背嚢」(わが友人の弁)を背負ってのことを一言しておかなければならない。

かくて、年の最終月に、目標は達せられた。それも1日早い、30日のことである。大晦日には、ご祝儀として14,398歩を加えて、花をそえた。わが達成感は限りなし。とここまで書いて、それがどうした、と言われれば、それまでのことながら、筆者にもまだこれくらいの気力は残っていることを申し上げて、年初の挨拶とさせていただこう。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です