2021年12月15,17日

12月15日・水曜日。晴れ。この2,3日、寒気ややゆるむ。

12月17日・金曜日。雨。北陸地方に大寒波の予想あり。昨日、「赤木さん自死 国が賠償認める」(朝日新聞12/16・木)とあり、「1億700万円」で、国は事件の幕引きを図ったのか。それにしても、これまでの国の対応とその経緯からして、いかにも唐突であり、この金額で国は誰を守ろうとしたのか。わが社会はこの問題を、今後どう受け止めるのであろう。さらに国交省の「統計書き換え」問題が発覚。公文書の扱いがひど過ぎる。政府の各種の報告、発表に全く信を置けない。暗澹たる思いに沈む。政治の劣化なのか、それを許す国民の責任なのか。

 

砂の消費量は、何といっても建築分野が最大である。これは単に建造物を言うのではない。世界のどこでも、しかも急速に進展している都市化に絡んでのことである。辺縁を知らない大地に、しかも上下に延びる高層ビル街、それを支える各種交通・上下水道など無限のインフラ施設の建設およびその維持・保全を考えるだけでよかろう。中国は、米国が20世紀中に消費した以上の砂を、今世紀の20年間で消尽し(それどころか、一説では、米の百年間の消費量をたったの2年間で達したともある)、同期間にインドの消費量はそれまでの3倍以上に及ぶらしい。シンガポールの国土の拡大を目指した海上埋め立て、中東の壮大な都市建設にも驚嘆させられる。

こうして世界の砂需要は、旺盛どころか、もはや凶暴とも言いうるほどである。ならば、砂の世界市場が成立するのも当然であろう。それにしても、単価の安い砂が、高い輸送費をかけても引き合う交易の対象になるとは、百年前、誰が想定したか。砂に限らず、これまで見向きもされなかったある素材が、突然、資源とみなされ、しかも巨大で無限な儲け口ともなれば、いまだ法も環境も整備されていないさなかで支配するのは、暴力、不法、汚職であるのは、歴史の常に教えるところである。

事実、砂の取り業者には、犯罪者ともおぼしき「砂マフィア」団が多く、カンボジア、中国、インド、ケニヤ、メキシコ、ベトナムと言った世界の各地に見られるとは、国連環境プログラム(UNEP)の報告である。彼らは警察を買収し、不法を告発するジャーナリストらの活動を阻止し、さらには脅迫して闇に葬る。「彼らは労働者を搾取し、その多くは子供たちである。」安全への配慮どころか、危険で長期の影響を与えるような環境の中、長時間労働を課したうえ、報酬は低額、ときにはそれすらも無い。

そうした種類の、常軌を逸した砂の掘削が、想像を絶した環境問題をよぶのも当然である。たとえばメコン川では、年間5500万トンの砂が奪われ、上流に建設されたダムが水量を細らせ、この10年で1.4mの水位の低下を見た。その結果、「次世紀中には、デルタ地帯の半分が消失し、そこに住む2千万人の生活、東南アジアの水田地帯、水生魚介類の棲息域が失われる恐れが出ている」そうだ。海底からの掘削も甚大で、サンゴ礁の破壊から海中汚濁、日光の遮断による多種の生物(海鳥を含む)の死滅をもたらす。ここから波及するその結果の一々を辿ることは不可能であろう。しかも砂の乱掘だけでこれだけの問題を生んでいるというのである。地球は今や、人間の恐れを知らない貪欲と責め苦に喘いでいるのである。

どうであろう。これらを見ても、我われはまだ、無限の経済成長、経済発展を夢見ていけるのであろうか。いや、科学の発展、技術の進歩は計り知れない。そう信じられるのであろうか。とすれば、人間とはなんと楽観主義者ではないか。ここには恐れるものは何もないように見える。

宜しい。ならば訊きたい。人間が何か一つでも、全くの「無」から産み出したものがあるのであろうか。なんの原材料もなく、ただ頭の中で考案したものを、自然界からの全くの援助もなく、完全に自力で産み出したものはあるのか。空気、水、砂等々はどうか。人の産み出すものは、その一切が、すべて自然界から供給される何物かを加工して、必要物に変える物でしかないのではないか。その加工の技術はこれまでの歴史の中で無限と言えるほどの進歩を見てきた。だがそれは、モノを根底から、その最初から産み出したことではない。ヒトとは、その意味で「無から有を生み出せない」存在なのである。種のない手品はない。であれば、その始原の原材料、タネ、が尽きれば、その物の製造は不可能となる理屈である。

その事実は、砂の一事をとってもハッキリしている。我われが砂を「無」から造れるものなら、上で記したような惨害をヒトにも、環境にも与える必要はなく、必要なだけ造れるはずなのであるから。我われはこの簡単な誤解からもう目覚めても良いころである(この項終わり)。


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