• 1月6日・金曜日。晴れ。

    謹賀新年。
    実は、昨年の賀状にこんな一句を添えて、年賀の挨拶は終わらせて頂いた。

    駄句の種つきて仕舞いの年賀状  みつお

    それでも、今年、百通近い賀状を頂戴し、しかも中にはわざわざ、賀状打ち止めは承知のことゆえ、返信不要との添え書きまで寄せていただいた賀状も数通あり、多いに恐縮させられた。この場をお借りし、早々の年賀のご挨拶に改めて御礼を申し上げたい。どうも有難うございました。
    賀状について思い出すのは、恩師の事である。九十歳を超えてなお、近況や和歌を添えた賀状を作り、端正な筆致であて名書きされた賀状であった。高名な学者であり、最晩年まで多くの方々に慕われた師であれば、その数はかなりのものであったに違いない。それを思えば、傘寿の声と共に、早々にギブアップしたわが身はなんとも情けない。
    賀状を止めて気付かされることがある。かつて、多い時には3百通をこえる時もあった。その返信がすべて終え、やれやれと思った頃には松が取れ、授業再開の時となる。何のことはない。年始年末は賀状作りと、あて名書きに費やされる。それがほぼ50年続いたわけだが、今年、初めて無くなった。実にあっ気ない話である。文案づくりから、印刷屋の手配など、幾つかの作業を期日までに終えねばならぬという切迫感からの解放は有難かったが、こんどは無沙汰をかこった。
    無聊とは、それだけである種の寂寥感を覚える。これは大学退職以来付きまとうわが感懐だが、同時に年金生活者の多くが感ずるものであろう。ある人が私にふと漏らした一言が思い出される。「世の中から見捨てられたようだ」。ただ「食うに困らぬ」というだけでは、人は自足できないということなのだろう。贅沢と言えば、贅沢な言い草だ。そして、人生五十年時代にはあり得なかった悩みの一つに違いない。
    断っておくが、筆者は決して「ひま人」ではない。有難いことに、中央クリエイト社の役員としてなすべき職務を持ち、またこの所のわが身辺は多忙を極める。さらには4~5㌔の背嚢を担ぎ、一日平均8千歩をこなし、か細いがブログ用の書を読み、英字新聞にも取り付いている。将棋への関心を失ったわけでもない。にも拘わらず、付きまとう寂寥の思いは何か。もしかしたら、モンテーニュが見抜いたように、多忙を理由に「人生上の意味」を考えずにすまそうとしている、その怠惰のゆえであろうか。
    それはともかく、賀状を書くことは、単なる苦行ばかりではなかった、と言っておかなければならない。単なる義理ばかりの賀状には、虚礼廃止と言いたくなるが、その後ほとんど会うことも無くなった、かつての教え子、知人、友人の近況を知り、彼らの顔を浮かべながらの返信は楽しかった。刷り込まれた写真を見ながら、こんな家庭をつくったか。子供はこうか。そうした楽しみがあればこそ、何百通の賀状も書けたわけである。今回の賀状にもあった。「毎回、先生のブログを読み、お元気そうな様子に安どしております」。

    最後に改めて、本年もまたよろしくお願い申し上げます。

  • 12月29日・木曜日。晴れ。

     

    前回(12/9‐12)、北京政府の唐突な脱コロナ政策は、事前の準備もないまま、例によって力ずくに推し進められただけに、その後の急速な感染拡大はじめ、様々な混乱が予想されると指摘しておいたが、事態はその通りの経過をたどっているように見える。一日、百万単位の感染者を生み、死者の急増と医療現場の混乱は目に余る。だが当局の発表によれば、発症者、死者数は三桁に行くかどうかであり、さらに今後は患者数の把握、公示はせずとの通達であった。そして犠牲者は少ないという、そんなカラクリは、コロナ患者を狭く定義し、それによって彼らのほとんどはコロナではなかったと強弁できる、実に姑息な政策(?)、遣り口を編み出したことにある。もちろんこうした手法は、WHOはじめ世界の基準でないことは、言うまでもない。

    いずれにせよ、中国社会は突然深刻な不安と混乱に落とし込まれた。だが、最高責任者である習主席は、脱コロナへの政策転換後の2週間というもの、今後の方針、対策はおろか一本のコメントも出さずに過ごしたとは、ここには何か壮大な目論見、意図があったのだろうか。あれだけ自身の功績、大業(?)を喧伝し、かの毛沢東の再来を自任する御仁のことであれば、そんな憶測や勘繰りも浮かんでくる。

    そして、12月27日、ついに待望の指針が出された。報道は習氏の言葉をこう伝える(『朝日新聞』・12/27)。新型コロナウイルスの感染について「愛国衛生運動を的を絞って展開しなければならない。人民が主体的に健康を学び、良好な衛生習慣を身につけるよう導く」。

    これを読み、筆者は唖然とした。当局はこれまで、国民を主体的な意思を持った存在として扱ったことがあったのか。当局の意に沿わない意見や異論、主張に真摯に向き合い、それを少しでも政策立案に組み込む姿勢があったのか。歴然とした事実、データに対してですらその意味を都合に合わせて改変し、あったことを無きものとし、それに抗議する者たちを軍をさし向けてですら弾圧してきたのは、一体誰であったか。最初にコロナ発症を警告した医者は拘束され、理不尽な隔離政策の多くの批判者たちは弾圧される。彼ら当局の野蛮で独善的なゼロコロナ政策の遂行と、それに要した莫大な資金や医療資源の消尽の結果、医療現場、社会経済は限りなく疲弊させられた。

    それらに見向きもせず、彼らの仕出かしたゼロコロナの結果、国家全体がコロナ感染の坩堝と化し、政府が統御も何もできなくなったそのさ中に、その義務を放棄して叫ぶのである。国民よ、党の指導の下、「良好な衛生習慣を身につけるよう」「主体的に健康を」学べ、と。学ぶべきは、どっちだ。政府か、国民なのか。

    一昨日読んだニューヨークタイムズの記事には、声には出せない多くの国民の心には、もはや国を信頼し、頼ることは出来ない、自分の身は自分で守らなければならい、とあった。国民はとっくに、自らの生活への方途をそれこそ主体的に探り、確立し始めているのである。

    それにしても、我われは一事が万事、そういうお国を隣人として持っている。今更嘆いても詮方ないが、この事実を改めて心に銘記し、今後とも付き合っていくほかはないのである。

    こういう、あまり展望のない愚痴とも、嘆きともわからない一文となったが、再びコロナ再来を目の当たりにしつつある現在、これを今年最後の嘆き節として思い切り吐出し、来年こそはコロナ収束、ウクライナ戦火の終焉などを祈って、本年のわが手紙の最終便とさせて頂こう。

     

    今年もまたお付き合いいただき有り難うございました。来年もまたよろしくお願いいたします。皆様、よいお年をお迎えください。

  • 12月9日・金曜日。晴れ。こんな川柳はどうか。本日はその話である。

    12月12日・月曜日。晴れ。

    習クンも ゴメンと言えりゃ 気が楽に みつお

     

    北京政府は、一昨日、コロナ規制策を突如緩和に転換した。政策転換をするほどの状況の改善があったわけでもない中でのことである。オミクロン株の変異による弱毒化とワクチン接種の進捗があったとは、取ってつけたような言い訳だ。中国共産党はしばしば西欧社会に対して優越していると言い募るが、これがそれなのだろう。確かに、我われにはこんな臆面もない、身勝手なやり口は、とても真似られない。誤魔化しきれない大きな過誤があれば、政府はまず謝罪を求められるし、謝罪に追い込まれる。それが、情報公開と言論の自由が保障された民主社会というものである。

    そもそも、シノパックなる中国製ワクチンの有効性は科学的に検証されておらず、一説では中国製ワクチンの有効性は、西側の2回接種に対し3回を要すると言われている有様である(ニューヨークタイムズ「北京の仕事 政府の煽った国民不安の鎮静化」(12/5)より)。80歳以上の高齢者の1回接種率は66%、2回接種者は40%ほどと言う。しかも、その間隔が空きすぎ、もはや免疫効果はないらしい。

    北京がこれまで取ってきた厳格な隔離政策は、コロナ蔓延を防ぎつつ、その間にワクチン接種を進め、治療体制を整えるための貴重な時間を確保するはずのものであった。しかし事態はそうはならなった。記事によれば、それらが可能になるほどの医療従事者、施設を欠いていたからである。この点で言えば、西欧諸国もあまり自慢は出来ないが、それでもウィズコロナ政策を進捗させて、今日を迎えるほどのことは出来たのである。

    今回の北京の緩和策は、重大な懸念をはらむとは、中国内外の専門家の意見である。まず高齢者の接種率の低さ、緩和による発症者の急増、これを受け容れる医療施設の脆弱さ(特に地方は深刻であるらしい)が挙げられる。こうして、コロナ蔓延が再現されれば、地方・中央政府は大慌てに規制強化に戻らざるを得ず、それによる住民の不安と混乱は計り知れないと危惧される。何しろ、この規制緩和によって、百万人単位の死亡者が出るとの予想もあるほどだからだ。

    これまでの政府の極端な隔離規制策は、たしかに西欧諸国に比して、感染者、死亡者数をおさえることに成功し、それこそ中国共産党政府の優越性を示すものだと誇ってきたのだが、そのことが逆に、国民の多くを感染の脅威にさらす羽目に追い込んだのは皮肉であった。何故なら、国民はほぼ無菌状態にあり、無防備のまま、いきなりコロナウイルスに晒されるからである。それは、誰あろう、習政権が進めた有無を言わせぬ政策の結果に他ならない。ならばこれらはすべて、彼以外の誰がその責任を負えるというのであろう。

    同記事には、実に辛辣な一文が添えられている。権威主義的国家、その指導者は自らの政治的な過誤や失敗を断じて認めようとはしない。自らの無能を示し、権威とその信頼性の失墜を恐れるからだ。よって、政府は無謬であるとの信念の下、一度取られた政策は力ずくで遂行し、気づいた時には取り返しのつかない事態にまで至る。

    自由主義陣営にあっても、同様な過ちは限りなく生ずる。だが、報道と言論の自由に支えられた国民の監視、代替可能な政治勢力の存在によって、大事に至る以前に修正される可能性が常にあると言いたい。これは、わが社会制度の強靭な復元力の源泉であり、権威主義社会には無い最大の長所であろう。少なくとも、筆者はそう信ずる。先の、英国でのトラスからスナク首相への速やかな政権交代は、その好個な一例ではないか。対して、北京が西側に比べて自らの優越性を常に誇示してやまぬ態度は、選挙によって国民の信任を得たわけではない共産党政権の根幹に根付く政治制度の欠陥を示すものだと断じたい(この項、終わり)。

  • 11月28日・月曜日。曇り。師走目前。まさに「光陰矢の如し」。また一つ歳をとる。そんな感慨からか、ボケて手遅れになる前にと、こんな辞世の一首をひねった。当人は洒落のつもりだが、案外、終活の一つなのかもしれない。

    これを為しあれはなさぬもすべて夢目覚めぬままに逝きしわれかも   みつお

    12月5日・月曜日。雨。今年一の寒さという。

     

    前回、ウクライナでは、迫る厳冬を前に、ロシアの砲撃によって電力、水道等のライフラインが破壊され、生存の危機すら覚悟せねばならない状況にありながら、市民はそれに屈せず、しなやかに生活を維持して、ロシアへの反撃の意思を見せつけていると報告した。だが、そうは言っても、現在も続くロシアの一連の都市砲撃は、ウクライナ国民のそうした戦意を砕きかねないところにまで迫ってきたように見える。ウクライナ危うし。

    ニューヨークタイムズが日々伝える惨状は、読む者の心身を締め付ける。水道関連の破壊は、上下水道の途絶により、即伝染病の市中蔓延を呼び込む。電力の圧倒的な不足は暖房、生活施設の停止と共に、住民の多くを一箇所に密集させ、これが感染症の温床となる。過日の記事には、子供の手術のさなか停電し、急遽、手回しの発電装置に切り替えたとあった。当然、緊急必要以外の手術は中止である。また、技術者たちの修理班が創設され、砲撃の合間を縫っては、終日、各施設の修復に当たり、稼働させているが、市民生活はまさに綱渡りだ。すでに世界が知り、戦慄した占領各地域での露軍の犯したむごたらしい拷問、惨殺とは別に、ウクライナが強いられているもう一つの悲惨である。

    これが、戦争である。陰惨な死傷と困窮、無数の破壊の結果、戦意は止み、終結に至る。ロシアからすれば、だから早く降伏せよ、それが人道主義に即したことだ、と言うのだろう。

    確かにそうかもしれない。これ以上の惨状は沢山だ。もうやめて欲しい。ウクライナよ、よく戦った。世界はウクライナの勇気と戦闘に深甚の敬意を払う。だから、矛を収めよ。と、こう言うのは、簡単であろう。だが、これを認めてしまえば、世界はどうなる。結局は、絶対的な武力を持つ強国の横暴と理不尽な理屈だけがものをいう世界となる。それで良いか。それにしても、国家の保全は、結局、武力に尽きるということなのだろうか。ここでは、これまで説かれてきた様々な教えや理想など、ただの空疎な言葉にしかみえなくなる。

    こんな救いがたい世界の状況を見せつけられて、出口のない憂鬱といら立ちのさ中にあって、昨日、ニューヨークタイムズ(12/3-4)の「キーウ、フラッシュライトによる生活」なる記事を読む。その冒頭のみを紹介しておこう。「ウクライナの首都中のエレベーターには、停電の折には緊急の電力供給用として電力は蓄電されている。各銀行は、長引く停電にも顧客の現金は安心して出し入れできる旨のメッセージを送信した。国立管弦楽団は、火曜の夕刻、蓄電池を電源としたランタンの灯るステージで演奏会を開き、先月、ドクターたちはフラッシュライトを頼りに手術を行ってきた。/これがキーウである。3.3百万人の住まう現代の栄える欧州の首都、だが今は戦火に疲弊し、電力、水道、携帯電話、セントラルヒーティング、インターネットのサービスを絶たれて苦闘する都市となった。」それにも関わらず、「市民たちは工夫して」生活をやり繰りしているのである。強靭な彼らの精神に、鞭打たれるのは筆者のみではあるまい(この項、終わり)。

  • 11月11日・金曜日。晴れ。日中は汗ばむようであったが、夕暮れともなれば、やはり冷える。晩秋からそろそろ初冬の入りか。

    11月14日・月曜日。晴れ。

     

    本日は本欄「10/17・月」の論題を引き継ぎたい。そこでは、侵略国の攻撃がいかほど激烈であろうと、国土を死守しようとする国民はこれに屈せず、逆に結束して友好国の支援と共に、ついに撃退する戦史の多いことを、第二次大戦中のヒトラー対チャーチルのロンドン空襲の攻防戦を例に検討してみた。そして、ロシア/ウクライナ戦争もそうした歩みを辿っているように見えるというのが、そこでの結論であった。

    ニューヨークタイムズの「暗闇に優雅に揺れる首都」(11/8)は、まさにそれをなぞるかのような記事である。小見出しは「電力配給制のさなか、ウクライナ人は夕闇の生活に適応することを学びつつある」とある。

    夜の帳(とばり)の降りる頃、街路では「スマートフォンのフラッシュライトが妖精の光のように揺らめきはじめ家路を照らす。散歩の愛犬の首には白熱光のスティックがささり、花屋の店頭に明かりが灯ると、ライラック、シャクヤクといった色合いの光がキラキラ点滅し、道行く子供たちは安全のために光を反射する服を着せられている」。夜露に濡れる道路は、パトロールするパトカーの放なつブルーの明かりに淡く反射し、屋台を照らすランプの火影が揺れ、道路際のベンチに座る一人の少年がアコーディオンを奏でる。

    プーチンの露軍はウクライナ征服どころか、今や占領した地域の撤退を余儀なくされる始末だ。そこで彼の戦略は変わった。とくに首都キーウに対しては無差別の砲撃を敢行し、電力、水道等重要なライフラインを徹底的に破壊し、市民への生活困窮を強いて戦意の喪失を狙った。厳冬の何たるかを知る彼ら市民には、恐怖であるに違いない。

    事実、首都砲撃の再開によって首都に戻った市民の多くが地方に疎開をしたとも報じられている。しかしここに留まると決意した人々は、それにただ震え慄くことはなかった。「暗闇と光のダンス、影とシルエットの揺らめき、時に不便と他方で美しさ」の交錯するキーウの生活を、苦しみと共に楽しむしたたかさを世界に示してもいるのである。オルガ・ミンッチク(39歳)の場合はこうだ。愛犬にカラフルなLEDをつけて、黄昏れの街に散歩に出かけるころ合いは、彼女にとって気に入りの一時でもある。「私が犬に明りをつけて歩いていると、同じような歩行者に合うわ。そんな時、私たちは街路樹にお互いの明かりを括り付けるの。それは、まるでパーティーをしているような雰囲気になるのよ」。

    とすればこれは、過日の「天声人語」(11/9)で描かれたように、市民たちは「零下の真冬に電気も水も暖房もなくなる」首都キーウでただ恐怖に震えるだけではなく、もっと逞しく生き抜いている様子を伝えているのである。そして、そのことによって我われは、逆に彼らから励まされているのではないか。であれば、世界は彼らを支援し、その勇気を挫いては成らない(この項、終わり)。