2022年9月21,26日

9月21日・水曜日。曇り。台風の蒸し暑さが、一転して、肌寒く、思わず上着を羽織る。前回の文章の最終部をやや加筆したが、いくらかリアリティーが増したか。

9月26日・月曜日。晴れ。前回の文章の後、プーチンはついに大規模な徴兵実施を表明し、露国民の間にも反対のデモが広がる。

承前。ウクライナ侵攻に際して、プーチンの犯した誤りはまだある。ドイツはじめ欧州各国に輸出するロシア天然ガスへの過信である。しばしば厳冬に見舞われる欧州諸国のエネルギー不足は国民生活への大いなる打撃であり、恐怖でさえある。ドイツの場合、特に深刻だ。福島の惨禍を目の当たりにして原発に見切りをつけ、再生エネルギーの利用へと転換し、併せてロシアからの天然ガス輸入を国策にしたからである。また、ドイツ程ではないにせよ、周辺国も同様の問題を抱えており、欧州のロシアへの依存は簡単に断つことは出来ないだろう。ならば、欧州が米国と足並みを揃え、一致協力して広範で強力な反ロシア対策など、とても取れるわけもなかろう。これが恐らく、ロシアの読みではなかったか。しかし事実は違った。しかも迅速であり、それほどの乱れもなく、半年後の現在もなお制裁は生きている。

これについて、P・クルーグマンが米国の南北戦争(1861-65)を例にとりながら、興味深い報告をしている(以下は同氏が『ニューヨークタイムズ』(4/13)に寄せた「平和とグローバル貿易の幻想」による)。ここでは、当戦争の持つ政治・経済史的な意味はともかく、成長の途上にある工業圏の北部と農業圏の南部諸州(最終的には11州)とが奴隷制存続をめぐって争われた戦争の構図が重要である。

恐らく、南部諸州(南部連邦)は経済的には北部に対して劣勢であることは理解していた。だが南部には多くの優秀な軍人がおり、戦争当初は優位に立っていた事実が示すように、その帰趨にはそれなりの見込みと自信があった。何よりの強みは、彼らにはコットンがあるという現実である。彼らからすれば、当時、世界を先導する絶対的国家であるイギリスの経済は、南部の給するコットンに深く依存し、それゆえ英国は自分たちを見捨てられないばかりか、南部連邦の側に立って戦争に介入するはずだと見込んだのである。確かに、イギリスはコットン飢饉に見舞われ、多くの労働者は職を失ったのである。

にも拘らず、英国は戦争に介入できず、中立の立場をとらざるを得なかった。「英国労働者は南北戦争を奴隷制に対する道徳的な聖戦であると見立て、自分たちの困難を顧みず、連邦の目標に対抗したからであった」。つまり、昔も今も、国際政治は必ずしも経済的利害のみでは、事は決せられないと言うことであろう(以下次回)。

 

 

 


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