2022年9月30日

9月30日・金曜日。晴れ。秋のつるべ落としとはよく言ったもので、日脚が急速に短くなった。そして、夜長の長月が本日で終わり、明日より神無月、出雲では神有月となる。本日、エ軍大谷、惜しくもノーヒットノーランを逃す。返すがえすも残念。

承前。故高坂正尭京大教授に『国際政治 恐怖と希望』(中公新書・1966・2018改版再版)という名著がある。そこでは、平和の問題を国際政治の場から考えようとする場合、まずは「国家間の力の関係、利害の関係、正義の関係」をおさえ、「その相互の関連」を解き明かすことが重要であるとされる(22頁)。このことが氏によってわざわざ主張されたのは、従来の国際政治論では、その内いずれかの視点からのみ論ぜられるにすぎず、これによって見方が偏り、事態の本質は捉えられないと解されたからであった。これを筆者の言葉に置き換えれば、1,相互の戦力、2,国益とも言うべき国家の政治・経済的利害、3、それぞれの国が目指す理想・信念、要するに価値観に相当するものと言いたい。いずれにせよ高坂氏のこうした国際政治論は、半世紀を超えた今なお有効であるとして支持されている。まさに名著と言われる所以である。
ところで1の戦力関係は、ことさら説明するまでもなかろう。たとえば、以前、ここでも取り上げたモルドバとロシアの関係では、圧倒的な戦力差からひたすらロシアに従属し、仮にモルドバの抵抗が可能であってもごく消極的にとどまり、また両国の置かれた国際環境の変化に応じたものにならざるを得ないだろう。
そして、2,3はこんな風に言えるかもしれない。ヴェーバーの言葉であったが、「利害なき理念は虚構であり、理念なき利害は盲目である」と。つまり、そこに何らの利益も見込めない単なる理想論は、人びとの実人生において、また国家政策においては特に国民的な支持を得られず、空疎な観念論として打ち捨てられる他はない。だが、目的や理想を欠いた、ただ闇雲な守銭奴的金儲けは、何のため、その意義は何かといった、虚しさに常に付きまとわれるに違いない。その結果、稼いだカネの使い方も、先ごろの週刊誌に騒がれているような、ただ馬鹿馬鹿しい消費のための消費といった、充足感のかけらもない消費生活に堕することであろう。これをヴェーバーは「心情なき享楽」とよんだのであった。
話がずれたようだ。要するに、筆者がここで言いたかったことは、国家政策はそこに含まれる経済的な利害得失、つまり国益を無視することは出来ないが、しかしまるで利害関心に引きずられて、国家の保持する理想、価値を完全に放棄することも出来ないということである。両者はまさに相即しているのである。それにしても、タリバンの場合、女性を徹底的に排除した政策は、国家運営上でも多大な損失に違いなかろうが、それ以上にイスラム原理を守るほうが重要だとしており、ここでは彼らの宗教的な価値観が政治経済的利益どころか、それ以外の一切を無視してやまないという点で、実に珍しい事例に見える。
いずれにせよ、プーチンがかれの抱える天然ガスを過大に評価し、欧米は結局、大した反ロシア政策は取れないとみなして、ウクライナ侵攻を決断する一つの要因としたとすれば、彼は大きな失敗を犯したことになる。その付けは何層倍にもなって、長期に渡り彼を鞭打つことになるであろう(この項、終わり)。

 


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