2022年9月12日

9月12日・月曜日。晴れ。この所、身辺多事につき、早稲田への出勤がままならない。よって、手紙の更新も滞りがちだが、別段、おろそかにしている分けではないので、ご理解あれ。そんな折、こんな戯れ句が浮かんだ。

 

こなたモメ かなた世界の 国葬に みつお

いつの間に 二番煎じの 国葬に みつお

 

最近、ウクライナ紛争の報道に以前ほどの熱力が感じられなくなってきた、と思うのは筆者だけだろうか。悲惨な戦闘はすでに半年を越え、来年以降も続きそうな見通しを聞かされると、送り手も受け手も、日々の残酷な事実に押しつぶされる苦痛とともに、そこから逃れたい、そんな思いに取りつかれても不思議ではない。というより、そうした事実の惨たらしさですら、我われは麻痺し、新味がなくなり、興味を失ってしまうのであろうか。だが、現地では、ただ今現在、壮絶な命のやり取りに明け暮れていることは間違いない。同じことは、ミャンマーでの軍政の残虐さについても言えることである。それを支持するロシア、中国の冷徹さを併せて非難し、これがわが立場であると明言しておく。

ウクライナについて、ロシアがその戦闘能力を誤認し、かくて長期戦になったことは、言うまでもない。西側がとった広範で迅速な反ロシア対策も、見誤った。これらが重なり、昨日の報道ではウクライナ軍が露軍を占領地から押し戻しつつあるらしい。それにしても、プーチンはこの戦争の先行きにどんな見通しを持っているのであろう。ただ、筆者はウクライナがこのまま押し切るとも思えない。と言うのも、露国本体はこの戦闘によって、何らの損傷も受けていないばかりか、原爆はじめ大量破壊兵器は温存されたままである。彼らからすれば、これはただ半身での、将棋で言えば飛車角落ちの戦争にすぎず、本気ではないという思いがあって、負けるはずのない戦争なのであろう。

それゆえに、一昨日のニューヨークタイムズには、「露国民には無縁な戦争」との記事と共に浮かれ騒ぐ人々の写真が掲載された。情報から遮断され、戦場の兵士以外は悲惨を知らない多くの国民にとっては、やむをえない。同時に、プーチンは戦場での露軍兵士の損耗に対する補充のためにも、本格的な徴兵を実施すべきあり、国内のタカ派はそれを強く望んでいるとの外信を目にする。しかし、それは今回の戦争の破綻、あるいは停滞を宣言するに等しく、国民の反発を恐れてそれもできない。それゆえ彼は北朝鮮からの兵士ばかりか、弾薬の供給まで考えているようだ(だがこれは多くの不発弾を抱えこみ、戦闘の混乱を増すらしい)。くわえて傭兵の採用やら国内犯罪者を兵士に徴用するなどして、急場を乗り越えようとしている。しかも、彼らへの説得が、「自由と給料、ドラッグや女がいくらでも手に入る」とは、なんとも凄まじく、これにはわが目と耳を疑った。恐らくこれが、現在の露国の戦争観であろうが、ここには軍律や占領民に対する人権的配慮など望むべくもない。彼らの猟奇的な戦争犯罪の理由もよくわかる。

そして、こうして見れば、プーチンは敗北しないまでも、勝ち切ることはできず、戦闘は長引くほかはないのかも知れない(以下次回)。


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