• 3月27日・月曜日。曇り。本日は、文章を綴るうちにわが想いとは次第に離れ、下記のようなことになった。文章とは、しばしばままならぬものである。

     

    2,3日の雨日により、花冷えが続く。お陰で花の命が伸びたようだが、それでも、当方、桜の時期を失したようだ。久しぶりに、道すがらの花を見上げると、すでに花弁の輝きはうせたように見える。ただそれは、こちらの感性の劣化か、くすんだ心の投影なのかもしれない。見ごろを逸したと言って、さして惜しがらないそんな気持ちが、その証であろう。

    花見と言えば、思い出すことがいろいろある。都内の名所、と言っても神田川沿いにのびる江戸川公園、飯田橋から四谷をへた赤坂見附、千鳥ヶ淵、上野の山から寛永寺をぬけた日暮里までの尾根伝い、浅草寺から墨田川墨堤道り界隈に限られたことだが、人混みや酒盛りをものともせず、よく足を運んだものだ。酒、放吟はなく、ただぶらぶら歩くのみ。

    春日部近辺にも、名所はあった。古利根川河畔や岩槻城址では、隧道となった桜花の下、幾度も自転車で疾駆したのを思い出す。広大な大宮公園も見事であったが、幸手市の権現堂に咲く桜と菜の花の群落には息をのんだ。小高い堤に折り重なって咲く花が天をかすませ、遠方から望めば、輪郭を失った山のように見える。花見客に押されて樹林を突き抜ければ、土手下に咲く菜の花の群生である。黄色と桜花との思いがけない対比に、一瞬、周囲のざわめきも消え失せ、ただ茫然と眺めるばかりであった。

    この時期になると、大学からの帰途、ただ一人、花を求めて都内をさまよい、あるいは自転車に跨っては、春日部、杉戸、岩槻あたりを駆け巡っていたのは、何時の頃であったか。これらは谷崎の『細雪』に描かれた京都、奈良、吉野の山野に咲き誇り、吹雪となって華麗に散る、そんな豪勢な花見とは比べようもないが、筆者にとっては十分であった。

    こんな贅沢な時間はもはや失せた。陽は陰るものだ。だが、夕日の残影は、これまた様々な色合いを見せながら、短いが、しかし濃密な味わいのある一刻一刻を刻んでくれるのであろう。

  • 3月13日・月曜日。雨。

    3月20日・月曜日。晴れ。

    3月24日・金曜日。雨。前回の文章の多少の加筆、訂正であるが、筆者としては、重要な訂正であったと、あえて付言しておく。

    昨日、朝日新聞・夕刊(3/23)でウクライナに侵攻した露軍が多数の子供(16,000人とか)を強制的に連れ去り、ロシアの愛国歌やロシア教育を強要したとの記事を読んだ。暴力的に親元から引きはがし、ロシア化を突き進めようとするロシアと言う国の冷酷さに、言いようのない怒りを覚える。子供たち1人ひとりの今後の人生を深く思わざるを得ない。そして、ロシア国民は自国の犯すこうした全ての残虐蛮行にたいして、今後百年単位でその責めを負わされるであろう。それは、独、日が今なお周辺国に対して負う責苦と同じである。プーチンは、この件により国際刑事裁判所から逮捕状を発行されたとある。

     

     

    ほぼ3週間ぶりの「手紙」である。前回申し上げたように、この間のわが身辺は多忙を極め、本日、ようやく出社した次第である。いまだ処理すべき用件も残っているが、それらは追々片づけることにして、まずは職務に戻りたい。と言って、長い中断の後でもあり、以前取り上げようと思っていた問題への関心は、すでに消え失せ、今にわかに話の接ぎ穂も思いつかないとは、困った。

    このところの筆者の関心は、あれこれあるが、主としてロシア・ウクライナ戦争にある。両国のそれまでの歴史的な経緯はどうあれ、1991年、ソビエト連邦の解体と共に、他の連邦構成国と同様、ウクライナもまた国家として独立し、世界もそれを承認した。そうした事実がありながら、プーチンは様々理屈を捏ね上げては、同国の独立に異を唱え、ロシアとの歴史的、文化的な一体化を盾に従属を強いて、現在の戦争にまで突き進んだのである。

    筆者がこの戦争を扱おうとするのは、何よりも露国に対する怒りである。こうした感情を根にもつ文章が学術的に客観的になり得ないことは承知の上である。だが、核や大量破壊兵器を持つ大国が、その使用をちらつかせ、他国の介入をけん制しつつ、国際的に承認された独立国を理不尽に蹂躙し、あらゆる暴虐を犯して制止もされない。それどころか、中国はじめ世界の一部は露国を支援しているようにさえ見える。かくて露国への経済制裁は「隙だらけ」(朝日新聞2/20)となり、その継戦能力は維持され、悲惨の度は果てしのないものとなっている。

    これまでを見る限り、我われは、強大な破壊力を持つものは何をしても構わないという、そうした世界を見せつけられているようである。これはかつてホッブスが説いた「弱肉強食」の世界だが、当時と現在では比較も出来ない軍事力を思えば、人類は今や自らの生存、地球の存続をすら心配しなければならない場所に立たされた。暴力がすべてを決するとすれば、強国は互いに競って、際限なく火力を高めあうからだ。

    さらに我われ人類は、現在、地球全体の気候・環境問題が、切羽詰まった課題として突き付けられているのである。見ようによっては、こちらの方がはるかに困難な問題であるに違いない。戦争は人間の意思によって起こる。ならば、その意志によって止めることができるはずである。だが、自然はそうはいかない。しかも、自然が一たび荒れ狂えば、人力では手に負えない破壊力を持つことは、10年前の大震災で思い知らされたことである。とすれば、ウクライナ、台湾に対する一権力者の領土欲、国家の面子など取るに足らない小事に過ぎない。このまま現在の戦争がさらに進行し、経済的乱開発もまた地球規模で突き進めば、間違いなく、地球それ自体の存続が危うくなるからだ。過日、国連事務総長グテーレス氏が「気候の時限爆弾」の針が進むと言って、温暖化に対するのっぴきならない深刻な不安を表明したのもそれであった(朝日新聞・3/21)。

    以上、筆者の不安をあれこれさらけ出して見た。そこで、元に戻って、これまでのわがウクライナ報告だが、主に朝日新聞、ニューヨークタイムズの折々の現地報告に依ったものであり、それらは多分にわが心情に即したものに偏った向きも無いわけではなかった。その意味で、これらはわが偏向報告になったかとやや気にしていたが、この休載中に読んだ小泉 悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書2023/2刊)により、大筋ではそれほど間違ってはいないような印象を持った。興味のある方は、一読されたい。

     

  • 2月6日・月曜日。晴れ。

    2月13日・月曜日。雨。

    2月20日・月曜日。晴れ。三寒四温の頃と言うが、厳寒と春暖の交代激しく、体の軸が狂う。静岡県河津市では、はや桜の満開とか。なお、本日は前回の文章を整え、やや加筆訂正した。

     

    突然のことながら、この所筆者の身辺多忙を極め、時に本欄の休載もありそうです。あらかじめこの事を一言し、ご寛容のほど宜しくお願い申し上げます。ただし、筆者には書くべき素材は多々あり、休載している暇などないことを、併せてここに付言させていただきます。

     

    今次のウクライナ戦争に、ロシア政府は損耗する兵士の不足を補うため犯罪者を入隊させているとは、以前ここでも触れる機会があった。その彼らが順次兵役を解かれ、自由の身となって、社会に復帰する頃となったらしい。これをニューヨークタイムズでは「ウクライナ戦争からの犯罪者帰還がもたらす社会的危機」(2/1)として報じている。ジッと考えると、何か不安を煽る恐ろしい話ではないか。

    彼らのほとんどは民兵組織・ワグネル軍団(創立者はエブゲニー・プリゴジンである。オリガルヒの一人であり、プーチンの側近にして、戦争強硬派と言われる)に編入された。総数4万人に及び、その内3万人は、未確認ながら、すでに脱走したか、死亡ないし負傷者とみられていることから、その損耗は激しい。微罪の窃盗犯、強奪犯から、累犯の強姦魔、殺人犯まで多様である。

    プリゴジンはロシアの諸所の監獄に出向き、あるいはビデオメッセージを送り、囚人たちの入隊を説いて回ったという。彼自身、強盗、詐欺等の罪で9年の獄中経験者であり、そこでの生活が囚人たちをどう締め上げ、凶暴にしていくかをよく知っていた。だから、言う。「俺には、戦場で敵を殺せるお前たちの犯行能力が必要なんだ」。もちろん、兵役が終えたのちには(ほぼ半年)、彼らは「犯罪の免赦、失効を記した証書」を付与され、同時に自由、結婚、教育といった市民生活上の権利も復権される。「お前たちがこのようにして社会に復帰するのを期待している…そして、祝福をうけ、前に進め」。
    ロシア人権団体によれば、この種の恩赦、赦免状がロシアで発行されるのは、ごく稀である。時間と複雑な法的手続きを要することもその一因だが、これ程の規模のものは、かつてなかった。ここからも、プリゴジンの政治力がいかなるものか見て取れるが、それ以上に、こうまでしなければ兵の補充が出来ないほど露軍は窮しており、切羽詰まっているのだろう。だからなのか、これに反対するものたちに対して、「ならば、お前たちが軍の招集に応じるのか」と、彼の苛立った話が別便にあった。

    筆者は、犯罪者が刑に服し、真っ当な社会人として復帰する可能性を否定しない。また、社会は彼らを支援し、更生させる環境を整える施策を、今後とも積極的に進めるべきである。それを前提にして、だが、言いたい。

    これまで筆者は、ベトナム戦争に従軍した元米軍兵士の少なからぬ者たちが、社会生活の中で適応できず、精神傷害に苦悩し、あるいは凶悪な犯罪に手を染めた事例を、映画、小説等で教えられてきた。普通の市民にしてそうであれば、獄中で一層凶悪になった犯罪者が、軍によって殺人の技術を与えられ、戦場でこれを実践しつつ殺人行為に麻痺してしまうとしたらどうであろう。しかもそうした集団が、多数、全き社会人として復帰するというのである。ここには、空恐ろしい何物かを感じざるを得ない。記事は、言う。「このことは、どのような社会にたいしても測りがたい様々な結果をもたらす」。

    プーチンにとって、これらの犠牲は彼の戦争目的に比べれば、取るに足らないものなのだろうか。あるいは、数万程度の「帰還兵」であれば、1億3千万人の国民に飲み込まれ、案ずるほどの影響力は持たないと言いたいのか。これにたいする人権団体や法律家らの見立ては、こうである。「傭兵軍が…ロシア犯罪者の徴兵を認めたプーチンの決定は、彼の23年間の統治の今後を分ける分水嶺となった」。すなわち、ロシアは今後、それ以前とは異質の社会へと転換するだろうというのである。これはとりわけ、法規範や法意識を壊し、社会組織を弱めてしまうという点で、社会の存立にとって深刻な結果をもたらすのではないだろうか。そうして、この手法が他国に蔓延すれば、世界はいかなる状況に陥ることになるのであろう(この項、終わり)。(2/10、朝日新聞は、ブリゴジンが受刑者の募集を「完全に停止した」とSNSで表明した、と報じている。)

  • 1月27日・金曜日。曇り。この3日ほどの寒さには参った。ついに今週の月曜(1/23)にはダウンの憂き目。連日の夜更かし(と言っても、朝6~7時の就寝)と寒さがたたり、終日寝込む。これがために、1日平均8千歩の大記録に穴が開くのではと、ヤヤ、気を揉んだ。それにしても、ホカロンが欠かせない。
    1月30日・月曜日。晴れ。寒気やや緩む。明後日は、2月。
    2月3日・金曜日・曇り。本日は前回の文章の加筆、訂正である。

    なお、本日節分につき、これにちなんだドイツでの思い出話しを一つ。この祭りはドイツではナーレンフェスト(ばか祭り)に当たる。仮面をつけた町の住民たちが、列をなして、日ごろ許されない下品な振る舞いを、見物人たちに見せつけながら通りを練り歩く祭りである。節分同様、一足先に春の訪れを祝うのだが、ここにはそれとは別の意味もあるように思われる。冬の寒さに縛られた人々は、春と共に背を伸ばし、そして日々の堅苦しい規則や仕来りからも、一時、身を解き放ち、笑いながら明日への元気を取り戻すのだろう。

    このように人は誰でも、自分を許し、開放する時間がなければ、生きてはいけない存在なのではないか。これは社会も同じで、ただの監視社会は狂気をうみ、いつかは破綻する。そしてこの時、仮面が必然である。仮面をつけて人は自分でない他者になるからだ。だが、他者になった自分は、そこで初めて自分の本性をさらけ出せる。三島の『仮面の告白』とはそういう意味でなかったか。そして、自分が自分になれるためには、人は誰にも知られぬ秘密のアジト、同好のクラブ、通信が必要で、これは刑法に触れない限り暴かれてはならない。それは同時に、社会生活を「正気」に送るためにも必要な場でもあるだろう。これは、わが憲法でも認められた国民の権利でもあることは今更言うまでもないが、AI社会の発展により、このことが最近次第に犯されているような恐れを感ずる。とくに強権的権威社会において、それが激しい。

    前便は、プーチンのウクライナに対する妄執と執着に一言して終えた。その直後、朝日紙上(1/23)で駒木明義論説委員の「ウクライナ侵攻 行方は」の解説記事に触れた。キーウ攻略に今なお「固執するプーチン氏」は「ウクライナ4州では満足せず、あくまで首都キーウを狙う」。キーウの陥落はウクライナ全土の支配を意味するからであろう。彼にとって、ウクライナとはロシアの属国、兄に従う弟分としてのみ存在するのであり、そこから離脱するなど断じて許されない。と言うのは、同国は第1次世界大戦後、レーニンによって造られたからである。
    にも拘らず、ウクライナは何を血迷ったか、傲慢にも独立を思い立ち、EU加盟を目指すという。これは、「数十年」にも及ぶ同国でのネオナチ、民族主義思想、さらには欧米からの根強い洗脳の結果に他ならない。その事が、露軍に対する頑強な抗戦を生んでいるのである。ならば、まずはウクライナ国民に取りついた迷妄を晴らさなければならない。この度の侵攻はそのためのものであり、それゆえ露軍は、解放軍としてウクライナ国民から歓呼をもって迎えられるはずであった。駒木氏は言っている。プーチンは「ロシア軍が多くのウクライナ人から歓迎されると本気で信じていたようだ。今も自身の過ちを直視できず、ウクライナ人の洗脳を解くための正義の戦いという荒唐無稽な物語に、すがっているように思われる」。
    プーチンにとって、これはあくまで、ウクライナを正道に戻し、スラブ民族の一体化と文化を守るための聖戦なのであろう。であれば、これは勝たねばならない。よし、その過程がいかに悲惨であれ、終わってみれば正義は成り、ウクライナ国民はロシア側に留まることの出来た幸せを感謝するのだ。ならば、産みの苦しみは長引かせず、一気の終結を目指せ。苛烈な攻撃、破壊も、結局はウクライナ国民のためなのである。彼の胸には、ロシア帝国の復権と共に、こんな思いも去来しているのであろうか。
    しかしこれは、筆者には、駒木氏と同様、彼の「荒唐無稽」な世迷いごとにしか見えない。この1年間、ウクライナから聞こえてくる怨嗟と非難の叫びの数々、地獄の惨状にあってなお、燃え盛る国民の反ロシア感情と戦闘意思は衰えを知らない。そして、過日(1/14)の攻撃でアパートに直撃弾を受け、辛うじて命を拾ったある父親の呻きは、ウクライナ国民の悲痛、怒りと恨みの深さ、根強さを示していよう。彼の子供たちが折り重なって瓦礫から発見されて、絞り出した声である。「ロシア野郎、奴らはミンナ、クタバレ。この悪魔が。…ロシアの家族には2、3人の子供がいるが、俺たちみたいに、ミンナこんな風になっちまえばいいんだ」(ニューヨークタイムズ「恐怖の前の静けさ」・1/24)。

    このような両国の亀裂と敵対は、今後どれほど深まるのであろう。隣国であればこそ、その敵愾心は百年単位の事になろうし、特にウクライナは許そうとしないであろう。それ以上に、仮に終戦を迎えても、ウクライナはいつまたこんな惨状に襲われるかと思えば、前回見たように、彼らの最大の関心事は、国家的な安全保障がどう確保されるかと言う問題であり、その具体的な答えは、速やかにNato、EU加盟を成し遂げたいということではないだろうか(この項、終わり)。

  • 1月16日・月曜日。雨。本日で3日連続の雨日である。年末からの晴天続きに乾燥注意報まで出る始末。寒風もこたえた。いい加減雨の欲しいところと念じていた折であれば、まさに慈雨である。これで風邪やコロナの勢いも少々収まるか。だが、3日も陽の目を見なければ、これはこれでチョイとなんだなあ、とは何時もながらのわが心の定めがたきである。

    1月20日・金曜日。

     

    露軍のウクライナ攻撃は止む気配もない。昨日(1/15)は、外信によれば、これまでにも増して激しかった。だが、この戦争もいずれは終わる。それが「何時、どの様にしてか」は、神のみぞ知るにしてもである。しかし、この問いは、ここでの大事ではない。ウクライナにとっての最大の問題は、同国の「将来的な安全がどう保障されるか、そして誰によってか」である、とはニューヨークタイムズの論説である(1/11)。

    「闘争終結のため、ウクライナは安全保障を求む」と題する記事は、示唆に富み、また同国の今後の苦悩と道のりの険しさを暗示して胸が痛む。

    では何故、戦争終結よりも、安全保障なのか。1980年代以降、15の共和国からなるソビエト連邦はしばしば連邦内での宗教的、民族的な紛争の激化に見舞われる。だが、ソ連政府はもはやこの混乱に有効な対策もとれず、ソ連邦はついに崩壊し、各構成国の独立が認められた。1991年のことである。この時ウクライナも独立するが、同国には核兵器を相当数備蓄されており、その扱いが問題であった。

    そこで、「米、英、露の3国がウクライナの領土的完全性と安全「保障」を約束し、その合意の下ウクライナはソ連時代の核兵器を放棄し」露国の管理下に置くとの覚書が交わされる(1994)。これがブダペスト覚書である。しかし、この覚書は2014年のロシアのクリミア半島統合により、無残にも一方的に反故にされた。のみならず、世界はそれを黙認したのである。ロシアはこれに反論するが、ウクライナから見れば、そう主張するのも当然であろう。

    そして、こう辿ってみれば、ウクライナにとって、この戦争の後の安全保障の問題が、何にもまして重要事であることもよく分かる。戦況必ずしも意に沿わない露国にとって、ここは一端休戦し、時を見、またもっともらしい理屈を捏造し、再度の侵攻を図らないとは、誰も保証できないからである。ウクライナはロシアと一体であり、その離脱は許さないとはプーチンの執念でもある(以下次回)。