2022年10月17,21,26日

10月17日・月曜日。雨時々曇り。二十四節気によれば、本日は寒露の節に当たり、「晩秋から初冬にかけての露、霜になりそうな冷たい露」の頃という(『日本国語大辞典』より)。だが、実際は少し蒸し暑いほどで、こんな事にはもう慣れたとは言え、それにしても温暖化の先行きに思いは向かう。
10月21日・金曜日。晴れ。
10月24日・月曜日。雨。前回の文章を加筆訂正する。

先に(9/21以降)、プーチンが犯したウクライナ侵攻の2,3の誤算について取り上げたが、今回もその続きのようなことを言ってみたい。ニューヨークタイムズ(10/13)に掲載された「見込み違いの戦略」(マックス・フィッシャー)に触発されたからである。

ここ2、3日のロシアからのウクライナ諸都市への無差別なミサイル砲撃は、クリミア半島に掛かる、プーチン肝いりのクリミア大橋の破壊に対する報復であるとは、彼自身の言葉である。これはロシアへのテロ行為だと言い放つ。だが、それは違う。ウクライナから見れば、領土回復のための正当な戦闘行為であり、闇討ち的なテロ行為ではない、と明言しておこう。だが、ここではそれが問題なのではない。プーチンの闇雲な都市攻撃は戦略的に誤りであり、それはそれ以上の反撃の元となって、結局、失敗に帰するということである。
まず、こうしたミサイルや空爆による大都市への無差別攻撃にはそれなりの前史を持つ。それは恐らくヒトラーによるロンドンや英国諸都市への「稲妻」(Bliz)と称する攻撃以来のことであろう(1940年8月)。静寂を裂くロケットの不気味な擦過音、戦闘機の爆音とともに迫る空からの都市攻撃はまったく経験したことも無かった。ロンドン市民の恐怖は想像を超えたものであったに違いない。砲弾と爆撃は不意打ちであり、その下に生身をさらす恐怖はどうか。密集する都市の造りが、膨大な瓦礫と共に人々の逃げ場を奪う。それらが重なり、以前とは比較にならない規模の惨劇が市民を恐慌状態に追いやったことだろう。
ヒトラーの狙いは、まさにそこにあった。まずは生産拠点の壊滅的な破壊と共に、都市住民ひいては英国民を徹底的な恐怖に陥れ、直ちに戦意を挫く。政府から民意を離反させて一刻も早くヨーロッパ戦線から離脱させることだ。そのためには、被害と惨劇は出来るだけ甚大でなければならない。
確かに、そうした推測は成り立ちそうに見える。圧倒的な暴力は、相手を恐怖させ、己の意思に従わさせる常套手段である。個人間のやり取りでは、それでケリが付くことが多かろう(と言って、最近はそう簡単にはいかなくなっているようだ。片がついたはずの過去の事件が蒸し返され、謝罪、弁済その他が求められる。筆者はこれを、「過去が追いかけてくる」と言いたい)。
しかし、国家間の場合はどうか。承知の通り、事態はそうはならなかった。チャーチルは国民を鼓舞し、抗戦を唱える政府支持率は9割に達する。ロンドン市民は地下鉄道内に居を移して戦意を維持し、英空軍は制空権を保持して、ついに9月、ヒトラーに英攻略を断念させたのであった。つまり、強国といえど、理不尽な攻撃と支配欲に対しては、国民はそれに恐怖を覚えつつ、しかし断固団結し、反撃して倦むところを知らない。そうして、彼らは決意する。侵略者の攻撃に怯えて彼らの要求を受け入れても、それは一時の休戦に過ぎない。結局はまた侵略は始まるのだ。ならば、彼らを敗北させなければならない、と。
記事は朝鮮戦争、ベトナム戦争における米の爆撃作戦など多くの事例を挙げているが、だがこの種の攻撃はそのいずれも類似の経過を経て、当初の目的を達せないままに終わったと主張するのである。ウクライナの対ロシア戦も、米やEUさらには周辺国から絶大な支援を引き出しつつ、そうした方向をたどりつつあるように見えるが、これは楽観にすぎるであろうか(この項、終わり)。


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