• 4月7日・金曜日。曇り

    4月10日・月曜日。晴れ。

    4月14日・金曜日。晴れ。

    4月17日・月曜日。晴れ。前回の文章にやや手を入れた。

     

    昨日の天声人語(4/9)は、実に傑作であった。と言うよりも、思わず虚を突かれたような一撃であった。この何年もの間、国も社会も少子高齢化と今後の日本社会の成り行きを心配し、様々な対策、制度造り、予算化を進め、なんとかその流れを阻止しようと躍起になって取り組んできた。それに対して、では伺いますが「多子若齢化」の社会なら、子供は貴重ではなくなるのでしょうか、との質問が新中学一年生から発せられた。家庭庁政策相と子供記者とのやり取の中での一幕である。

    恐れ入りました。これまでの政府の発想、対策は、子供をまるで道具か資源かのように扱い、それが少なくなると、今後の労働力や介護、年金基金など困ることが多いから大切にしよう。逆に言えば、子供が多ければ、そんな心配は不要だからどうでもよい、と言っているように聞こえる。この質問は、子供、つまり人間に対する、現在の我われ大人の考え方がいかに浅ましいかを、一言の下に明らかにした。このように指摘されるまで、この問題の本質に思い至らなかったことを、我われは恥じなければならない。

    人間を道具化するとはどういうことか。道具とは、その目的に役立つ限り貴重であり、そうでなくなれば捨てられる。役立つとは、便利であり、利益を生むかどうかで測られる。人間も同じである。役立つために勉強し、必死になって己を磨く。人に負けてはいけない、諦めてはならない。敗者は無価値となって社会の片隅に打ち捨てられてしまうからだ。かくて、何とも息苦しく、ギスギスした競争社会が出現した。しかもそれは、日本だけではなく、世界的な現象のように思える。

    ここにみられる人間観は、人間能力のある一面だけを取り出し、それを極端にまで伸ばそうとする歪(いびつ)なものに見える。ここには、その人がそこにいるだけで周囲は慰められ、他の人には無いその人だけの価値を尊ぶという見方はない。

    確かに、これまでの歴史において、ひとは誰もがかけがえのない存在として大事にされるという社会が在ったのか、と問われれば自信はない。古来からの世界的な宗教やその教えが、今なお我われの生き方を支え、導く指針であり続けていること自体、人間の本性は昔からまったく変わっていない証にも思える。つまり、人間は常に、少しでも役立つ道具であることを求められて、今に至った。

    しかしそうは言っても、現在の人間観は、科学技術の発展と相まって、これまでに輪をかけて、極端にまで突き進み、何のための進歩であり、利益であり、人生なのか訳が分からなくなった時代にあるように見える。我われはこの先どこに進むのであろう。

    ところで、人間を道具化しない見方とは、どのようなことだろうか。筆者にもしかとは答えられない問いだが、朝日新聞(4/7・夕)に掲載された、藤本千尋「ゆらゆらゆれるかかが大すき」の一文に多く教えられた。

    彼女は自閉スペクトラム症(ASD)障害の母親を持つ、小学一年生の児童である。母親が「ちょっとへん」と気づいたのは、保育園児の「年中」の頃であった。一緒に遊ぼうと言えばいつも「ニコニコうなずいて」くれるが、あそびはなかなか始まらず、「わくわくしてまっていると、そのうち、かかはこまったかおでゆれはじめました。右へ左へ、ゆーらゆら。そしてそのまま、手をはなしちゃったふうせんみたいに、ふわーっとどこかへとんでいってしまいました」。

    ASD障碍者の苦手は、大きく言って曖昧なこと、相手の気持ちを理解すること、騒音の中の他、嫌なことが「忘れられないこと」であるようだ。だから遊ぼうと言われると、何をどうすればいいか分からず、揺れ始める。また 多くの失敗や困った記憶があふれだす。そこでかかの記憶を楽しいものだらけにしようと、聞いてみると、「かかがしっぱいしても、おこらずわらってくれたとき。あとかかいがいがしっぱいして、みんなでわらちゃったとき」。そこで彼女は思った。「かかは小さなたのしいを、だいじにだいじにあつめてるんだ。…それはとてもすてきなことだとおもいました。それに、しょうがいがあるからといってとくべつにおもわなくても、いつもしているみたいにふつうにすごすことも、えがおにつながるんだときづきました」。
    どうであろう。人をあるがままに受け入れ、それを喜びとする社会、人を道具としない社会とはこのようなものなのかもしれない。少なくともここには、一つのあり方が示されているように思える。もち論こうした生き方を、グローバルにまで広がった現在の競争社会のただなかで根づかせ、実践することは難しかろう。だが、そのように意識して生きることは出来るョ、と上の文章は告げているのではないか。ここでさらに気付かされる。周囲にこうしたひとが一人でもいれば、現在のように互いが寄る辺なく、砂漠のような競争社会の中で暮らそうとも、一息つき、大きな慰安を得られるのではないか。

    なお、本文は北九州市主催の14回子どもノンフィクション文学賞、小学生部大賞を得た作品であることをここに付しておきたい。

     

     

  • 3月31日・金曜日。晴れ。前回の文章、やや手を入れた。

    明日より新年度。早いものだと改めて思うが、だからと言って、当方、それによって己を奮い立たせ、決意を新たに立ち向かう何物かが在るわけでもない。実に静かなものである。「明鏡止水」の言葉が浮かぶが、ここには大事を前に心を静めようとする、闘志と跳躍を秘めた静寂、と言った意味もありそうで(わが勝手な思い込みだが)、筆者のそれとはまるで違う。こちらはただの自堕落に過ぎない。

    4月3日・月曜日。晴れ。桜が終わり、欅の新緑が美しい。とくに当社に面した早大通りの並木は、中央分離帯に植わる老樹と共に、かなり大きな通りを覆うほど枝を張り出し、そよ風に揺れ、陽の光を柔らかく受けては様々な顔を見せる。これを見るだけでも、大きな慰めを得る。樹は切ってはいけない。街の歴史と人々の思いが結び付けられ、それら全てが溶け合ってその街の佇まいもあろうからだ。それはまた、後世の人々に遺すべき遺産でもありうる。

    こうした思いは、自ずと神宮外苑の大開発の問題に筆者を連れ出す。これは、どう見ても、現在の短期的な利益に引きずられ、さらに東京の発展が今後も維持されることを前提とした都市開発である。だが、日本は今や人口減少や大都市への一極集中による地方の疲弊、さらにはリモートワーク他、多くの入り組んだ問題に直面しており、東京の今後の発展は自明ではない。しかもここで出来上がる景観が、どこにも見られる巨大な商業ビル街をもう一つ出現させようとするに等しい、無残な街区にすぎないとあっては、言うべき言葉もない。

    本計画には、外苑創設の歴史的な経過や意義、それらと結びつき、育まれた都民の愛着がどこまで配慮されていたのであろう。一女子高校生の訴えに始まり、そこから沸き上がった大きな懸念や反対論に驚愕し、大慌てで手直しした経過から見ても、当初からそんな思いは、まるでなかったようにさえ見える。病魔におかされた坂本龍一氏が、自分には手紙を書くことでしか反対運動に参加できないと嘆きながら、都知事にそれらの思いを切々と訴えたとは、昨日の『ジャパンタイムズ』の記事にあった。そして、本日、同氏の逝去の報に触れた。大江健三郎氏に続いて、日本は、また一人、かけがえのないひとを失った。

     

     

     

     

     

  • 3月27日・月曜日。曇り。本日は、文章を綴るうちにわが想いとは次第に離れ、下記のようなことになった。文章とは、しばしばままならぬものである。

     

    2,3日の雨日により、花冷えが続く。お陰で花の命が伸びたようだが、それでも、当方、桜の時期を失したようだ。久しぶりに、道すがらの花を見上げると、すでに花弁の輝きはうせたように見える。ただそれは、こちらの感性の劣化か、くすんだ心の投影なのかもしれない。見ごろを逸したと言って、さして惜しがらないそんな気持ちが、その証であろう。

    花見と言えば、思い出すことがいろいろある。都内の名所、と言っても神田川沿いにのびる江戸川公園、飯田橋から四谷をへた赤坂見附、千鳥ヶ淵、上野の山から寛永寺をぬけた日暮里までの尾根伝い、浅草寺から墨田川墨堤道り界隈に限られたことだが、人混みや酒盛りをものともせず、よく足を運んだものだ。酒、放吟はなく、ただぶらぶら歩くのみ。

    春日部近辺にも、名所はあった。古利根川河畔や岩槻城址では、隧道となった桜花の下、幾度も自転車で疾駆したのを思い出す。広大な大宮公園も見事であったが、幸手市の権現堂に咲く桜と菜の花の群落には息をのんだ。小高い堤に折り重なって咲く花が天をかすませ、遠方から望めば、輪郭を失った山のように見える。花見客に押されて樹林を突き抜ければ、土手下に咲く菜の花の群生である。黄色と桜花との思いがけない対比に、一瞬、周囲のざわめきも消え失せ、ただ茫然と眺めるばかりであった。

    この時期になると、大学からの帰途、ただ一人、花を求めて都内をさまよい、あるいは自転車に跨っては、春日部、杉戸、岩槻あたりを駆け巡っていたのは、何時の頃であったか。これらは谷崎の『細雪』に描かれた京都、奈良、吉野の山野に咲き誇り、吹雪となって華麗に散る、そんな豪勢な花見とは比べようもないが、筆者にとっては十分であった。

    こんな贅沢な時間はもはや失せた。陽は陰るものだ。だが、夕日の残影は、これまた様々な色合いを見せながら、短いが、しかし濃密な味わいのある一刻一刻を刻んでくれるのであろう。

  • 3月13日・月曜日。雨。

    3月20日・月曜日。晴れ。

    3月24日・金曜日。雨。前回の文章の多少の加筆、訂正であるが、筆者としては、重要な訂正であったと、あえて付言しておく。

    昨日、朝日新聞・夕刊(3/23)でウクライナに侵攻した露軍が多数の子供(16,000人とか)を強制的に連れ去り、ロシアの愛国歌やロシア教育を強要したとの記事を読んだ。暴力的に親元から引きはがし、ロシア化を突き進めようとするロシアと言う国の冷酷さに、言いようのない怒りを覚える。子供たち1人ひとりの今後の人生を深く思わざるを得ない。そして、ロシア国民は自国の犯すこうした全ての残虐蛮行にたいして、今後百年単位でその責めを負わされるであろう。それは、独、日が今なお周辺国に対して負う責苦と同じである。プーチンは、この件により国際刑事裁判所から逮捕状を発行されたとある。

     

     

    ほぼ3週間ぶりの「手紙」である。前回申し上げたように、この間のわが身辺は多忙を極め、本日、ようやく出社した次第である。いまだ処理すべき用件も残っているが、それらは追々片づけることにして、まずは職務に戻りたい。と言って、長い中断の後でもあり、以前取り上げようと思っていた問題への関心は、すでに消え失せ、今にわかに話の接ぎ穂も思いつかないとは、困った。

    このところの筆者の関心は、あれこれあるが、主としてロシア・ウクライナ戦争にある。両国のそれまでの歴史的な経緯はどうあれ、1991年、ソビエト連邦の解体と共に、他の連邦構成国と同様、ウクライナもまた国家として独立し、世界もそれを承認した。そうした事実がありながら、プーチンは様々理屈を捏ね上げては、同国の独立に異を唱え、ロシアとの歴史的、文化的な一体化を盾に従属を強いて、現在の戦争にまで突き進んだのである。

    筆者がこの戦争を扱おうとするのは、何よりも露国に対する怒りである。こうした感情を根にもつ文章が学術的に客観的になり得ないことは承知の上である。だが、核や大量破壊兵器を持つ大国が、その使用をちらつかせ、他国の介入をけん制しつつ、国際的に承認された独立国を理不尽に蹂躙し、あらゆる暴虐を犯して制止もされない。それどころか、中国はじめ世界の一部は露国を支援しているようにさえ見える。かくて露国への経済制裁は「隙だらけ」(朝日新聞2/20)となり、その継戦能力は維持され、悲惨の度は果てしのないものとなっている。

    これまでを見る限り、我われは、強大な破壊力を持つものは何をしても構わないという、そうした世界を見せつけられているようである。これはかつてホッブスが説いた「弱肉強食」の世界だが、当時と現在では比較も出来ない軍事力を思えば、人類は今や自らの生存、地球の存続をすら心配しなければならない場所に立たされた。暴力がすべてを決するとすれば、強国は互いに競って、際限なく火力を高めあうからだ。

    さらに我われ人類は、現在、地球全体の気候・環境問題が、切羽詰まった課題として突き付けられているのである。見ようによっては、こちらの方がはるかに困難な問題であるに違いない。戦争は人間の意思によって起こる。ならば、その意志によって止めることができるはずである。だが、自然はそうはいかない。しかも、自然が一たび荒れ狂えば、人力では手に負えない破壊力を持つことは、10年前の大震災で思い知らされたことである。とすれば、ウクライナ、台湾に対する一権力者の領土欲、国家の面子など取るに足らない小事に過ぎない。このまま現在の戦争がさらに進行し、経済的乱開発もまた地球規模で突き進めば、間違いなく、地球それ自体の存続が危うくなるからだ。過日、国連事務総長グテーレス氏が「気候の時限爆弾」の針が進むと言って、温暖化に対するのっぴきならない深刻な不安を表明したのもそれであった(朝日新聞・3/21)。

    以上、筆者の不安をあれこれさらけ出して見た。そこで、元に戻って、これまでのわがウクライナ報告だが、主に朝日新聞、ニューヨークタイムズの折々の現地報告に依ったものであり、それらは多分にわが心情に即したものに偏った向きも無いわけではなかった。その意味で、これらはわが偏向報告になったかとやや気にしていたが、この休載中に読んだ小泉 悠『ウクライナ戦争』(ちくま新書2023/2刊)により、大筋ではそれほど間違ってはいないような印象を持った。興味のある方は、一読されたい。

     

  • 2月6日・月曜日。晴れ。

    2月13日・月曜日。雨。

    2月20日・月曜日。晴れ。三寒四温の頃と言うが、厳寒と春暖の交代激しく、体の軸が狂う。静岡県河津市では、はや桜の満開とか。なお、本日は前回の文章を整え、やや加筆訂正した。

     

    突然のことながら、この所筆者の身辺多忙を極め、時に本欄の休載もありそうです。あらかじめこの事を一言し、ご寛容のほど宜しくお願い申し上げます。ただし、筆者には書くべき素材は多々あり、休載している暇などないことを、併せてここに付言させていただきます。

     

    今次のウクライナ戦争に、ロシア政府は損耗する兵士の不足を補うため犯罪者を入隊させているとは、以前ここでも触れる機会があった。その彼らが順次兵役を解かれ、自由の身となって、社会に復帰する頃となったらしい。これをニューヨークタイムズでは「ウクライナ戦争からの犯罪者帰還がもたらす社会的危機」(2/1)として報じている。ジッと考えると、何か不安を煽る恐ろしい話ではないか。

    彼らのほとんどは民兵組織・ワグネル軍団(創立者はエブゲニー・プリゴジンである。オリガルヒの一人であり、プーチンの側近にして、戦争強硬派と言われる)に編入された。総数4万人に及び、その内3万人は、未確認ながら、すでに脱走したか、死亡ないし負傷者とみられていることから、その損耗は激しい。微罪の窃盗犯、強奪犯から、累犯の強姦魔、殺人犯まで多様である。

    プリゴジンはロシアの諸所の監獄に出向き、あるいはビデオメッセージを送り、囚人たちの入隊を説いて回ったという。彼自身、強盗、詐欺等の罪で9年の獄中経験者であり、そこでの生活が囚人たちをどう締め上げ、凶暴にしていくかをよく知っていた。だから、言う。「俺には、戦場で敵を殺せるお前たちの犯行能力が必要なんだ」。もちろん、兵役が終えたのちには(ほぼ半年)、彼らは「犯罪の免赦、失効を記した証書」を付与され、同時に自由、結婚、教育といった市民生活上の権利も復権される。「お前たちがこのようにして社会に復帰するのを期待している…そして、祝福をうけ、前に進め」。
    ロシア人権団体によれば、この種の恩赦、赦免状がロシアで発行されるのは、ごく稀である。時間と複雑な法的手続きを要することもその一因だが、これ程の規模のものは、かつてなかった。ここからも、プリゴジンの政治力がいかなるものか見て取れるが、それ以上に、こうまでしなければ兵の補充が出来ないほど露軍は窮しており、切羽詰まっているのだろう。だからなのか、これに反対するものたちに対して、「ならば、お前たちが軍の招集に応じるのか」と、彼の苛立った話が別便にあった。

    筆者は、犯罪者が刑に服し、真っ当な社会人として復帰する可能性を否定しない。また、社会は彼らを支援し、更生させる環境を整える施策を、今後とも積極的に進めるべきである。それを前提にして、だが、言いたい。

    これまで筆者は、ベトナム戦争に従軍した元米軍兵士の少なからぬ者たちが、社会生活の中で適応できず、精神傷害に苦悩し、あるいは凶悪な犯罪に手を染めた事例を、映画、小説等で教えられてきた。普通の市民にしてそうであれば、獄中で一層凶悪になった犯罪者が、軍によって殺人の技術を与えられ、戦場でこれを実践しつつ殺人行為に麻痺してしまうとしたらどうであろう。しかもそうした集団が、多数、全き社会人として復帰するというのである。ここには、空恐ろしい何物かを感じざるを得ない。記事は、言う。「このことは、どのような社会にたいしても測りがたい様々な結果をもたらす」。

    プーチンにとって、これらの犠牲は彼の戦争目的に比べれば、取るに足らないものなのだろうか。あるいは、数万程度の「帰還兵」であれば、1億3千万人の国民に飲み込まれ、案ずるほどの影響力は持たないと言いたいのか。これにたいする人権団体や法律家らの見立ては、こうである。「傭兵軍が…ロシア犯罪者の徴兵を認めたプーチンの決定は、彼の23年間の統治の今後を分ける分水嶺となった」。すなわち、ロシアは今後、それ以前とは異質の社会へと転換するだろうというのである。これはとりわけ、法規範や法意識を壊し、社会組織を弱めてしまうという点で、社会の存立にとって深刻な結果をもたらすのではないだろうか。そうして、この手法が他国に蔓延すれば、世界はいかなる状況に陥ることになるのであろう(この項、終わり)。(2/10、朝日新聞は、ブリゴジンが受刑者の募集を「完全に停止した」とSNSで表明した、と報じている。)