2023年03月31日,04月03日

3月31日・金曜日。晴れ。前回の文章、やや手を入れた。

明日より新年度。早いものだと改めて思うが、だからと言って、当方、それによって己を奮い立たせ、決意を新たに立ち向かう何物かが在るわけでもない。実に静かなものである。「明鏡止水」の言葉が浮かぶが、ここには大事を前に心を静めようとする、闘志と跳躍を秘めた静寂、と言った意味もありそうで(わが勝手な思い込みだが)、筆者のそれとはまるで違う。こちらはただの自堕落に過ぎない。

4月3日・月曜日。晴れ。桜が終わり、欅の新緑が美しい。とくに当社に面した早大通りの並木は、中央分離帯に植わる老樹と共に、かなり大きな通りを覆うほど枝を張り出し、そよ風に揺れ、陽の光を柔らかく受けては様々な顔を見せる。これを見るだけでも、大きな慰めを得る。樹は切ってはいけない。街の歴史と人々の思いが結び付けられ、それら全てが溶け合ってその街の佇まいもあろうからだ。それはまた、後世の人々に遺すべき遺産でもありうる。

こうした思いは、自ずと神宮外苑の大開発の問題に筆者を連れ出す。これは、どう見ても、現在の短期的な利益に引きずられ、さらに東京の発展が今後も維持されることを前提とした都市開発である。だが、日本は今や人口減少や大都市への一極集中による地方の疲弊、さらにはリモートワーク他、多くの入り組んだ問題に直面しており、東京の今後の発展は自明ではない。しかもここで出来上がる景観が、どこにも見られる巨大な商業ビル街をもう一つ出現させようとするに等しい、無残な街区にすぎないとあっては、言うべき言葉もない。

本計画には、外苑創設の歴史的な経過や意義、それらと結びつき、育まれた都民の愛着がどこまで配慮されていたのであろう。一女子高校生の訴えに始まり、そこから沸き上がった大きな懸念や反対論に驚愕し、大慌てで手直しした経過から見ても、当初からそんな思いは、まるでなかったようにさえ見える。病魔におかされた坂本龍一氏が、自分には手紙を書くことでしか反対運動に参加できないと嘆きながら、都知事にそれらの思いを切々と訴えたとは、昨日の『ジャパンタイムズ』の記事にあった。そして、本日、同氏の逝去の報に触れた。大江健三郎氏に続いて、日本は、また一人、かけがえのないひとを失った。

 

 

 

 

 


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