2023年03月27日

3月27日・月曜日。曇り。本日は、文章を綴るうちにわが想いとは次第に離れ、下記のようなことになった。文章とは、しばしばままならぬものである。

 

2,3日の雨日により、花冷えが続く。お陰で花の命が伸びたようだが、それでも、当方、桜の時期を失したようだ。久しぶりに、道すがらの花を見上げると、すでに花弁の輝きはうせたように見える。ただそれは、こちらの感性の劣化か、くすんだ心の投影なのかもしれない。見ごろを逸したと言って、さして惜しがらないそんな気持ちが、その証であろう。

花見と言えば、思い出すことがいろいろある。都内の名所、と言っても神田川沿いにのびる江戸川公園、飯田橋から四谷をへた赤坂見附、千鳥ヶ淵、上野の山から寛永寺をぬけた日暮里までの尾根伝い、浅草寺から墨田川墨堤道り界隈に限られたことだが、人混みや酒盛りをものともせず、よく足を運んだものだ。酒、放吟はなく、ただぶらぶら歩くのみ。

春日部近辺にも、名所はあった。古利根川河畔や岩槻城址では、隧道となった桜花の下、幾度も自転車で疾駆したのを思い出す。広大な大宮公園も見事であったが、幸手市の権現堂に咲く桜と菜の花の群落には息をのんだ。小高い堤に折り重なって咲く花が天をかすませ、遠方から望めば、輪郭を失った山のように見える。花見客に押されて樹林を突き抜ければ、土手下に咲く菜の花の群生である。黄色と桜花との思いがけない対比に、一瞬、周囲のざわめきも消え失せ、ただ茫然と眺めるばかりであった。

この時期になると、大学からの帰途、ただ一人、花を求めて都内をさまよい、あるいは自転車に跨っては、春日部、杉戸、岩槻あたりを駆け巡っていたのは、何時の頃であったか。これらは谷崎の『細雪』に描かれた京都、奈良、吉野の山野に咲き誇り、吹雪となって華麗に散る、そんな豪勢な花見とは比べようもないが、筆者にとっては十分であった。

こんな贅沢な時間はもはや失せた。陽は陰るものだ。だが、夕日の残影は、これまた様々な色合いを見せながら、短いが、しかし濃密な味わいのある一刻一刻を刻んでくれるのであろう。


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