• 11月12日・木曜日。うす曇り。近頃は 街路で済ます 紅葉狩。

    前回、私の言いたかったことはこうだ。無意味な社会に生きるからこそ、人は自らそこに意味を与え、目標や志を立て、その事に励まされて積極的に生き抜く可能性を開くことが出来る。そこには何らの上下の差もない。何故か。絶対的な無意味を前にして、人は上下の基準、善悪の判断をどうつけるというのか。これこそドストエフスキーが言った、「神無くば、全ては正しい」の含意ではないだろうか。

    ならば、殺人、強盗、詐欺、カッパライ何でもイインダ、許される、などと間違ってはいけない。そんな事を考える人は、間違いなく監獄送りになるから気をつけたほうが宜しい。恐らくこれはかの『罪と罰』に触れる問題であろう。太宰も『人間失格』でこれを扱った。残念ながら、私にはいま両者の関係を論ずる用意はないが(と体裁のいいことを言うが、そんな用意が出来るときはまず無い)、罰とは社会、というより国家が決めた規範、法律、規則の違反者に対して執行される物理的、精神的な制裁である。そして、この法規範はしばしば社会正義、善悪の判断基準となるものである。しかしそれは社会制度を維持するための規定であり、それ故一つの便宜、手段にすぎないように見える。であれば、それは社会組織が消滅すれば、その瞬間に霧散する他はない。だからホッブスは自然状態(つまり国家のない状態)にある人間は、自らの生存の為に全てを為しうる権能を持つと言えたのである(『リバイアサン』)。こうみると、人間には「善悪」の判断をつける能力はないのではないか、と言ったトルストイの言葉も頷けるものがある(『戦争と平和』)。

    誤解を恐れず、ここで分かりやすい事例を挙げよう。売春である。現在でこそ、これは最も忌むべき所業とされているが、人類の歴史と共に在り続けている職業の一つである。どの時代、社会でもこれを正面きって称揚することはなかったが、さりとて根絶された社会を、私は知らない。それどころかある時代、社会では、単なる社会・経済的な政策手段として支持されたばかりか、文化的にもそれが認知されたケースもあったようだ(『売春の社会史』筑摩書房)。ここでは、売春の成立や存続の理由を問おうとするのではないから、この深追いは出来ないが、売春も法がイケナイといわない限り、悪にはならないと言う事を指摘しておきたいのである。もう30年以上も前になるが、ドイツに留学していた折、あちらの新聞で、パリの娼婦たちが職業の自由と権利を守れとばかりに、デモ行進したと知らされ、当時の日本では考えられなかっただけに、ある衝撃を受けたことが思い出される。つまり、売春も絶対悪として規定されてはいないのである。いや、出来ないのであろう。

    今回も私は、例のごとくに、妄言の世界に踏み迷ってしまった。と、ハタと気づくが、ともあれ通常言はれている是非善悪は、恐らく社会制度の維持、発展との絡みで云々されているだけのことでしかない。しかし、人は社会・国家の為に生きるにあらず、と私は言おう。というのも、こう考えることが、滅私奉公、忠君愛国ナンゾという怪しげな、そして今ではそれが転じて「社畜」なるお上にも、会社や組織にも都合のよい人間像の鋳造に行き着く危険があるからだ。また、これは個人の人格と個性を磨り潰す思考を持つ。政治学は、国家なる言葉にはコモンウェルス、つまり「市民の共同の福利」の達成を目指すことから「国家」に転じた系譜と、ステーツという国民を支配するための権力装置を意味する「国家」の系譜の二つの流れがあると教えるが、わが国の場合、後者の流れが今もって強い。こうなったには、プロイセン憲法をベースにして構成された明治憲法の精神、あるいは思考が、現在なお息づいているからではないだろうか。

    だが、ここで同じ事を、今一度言う。人は社会の為に非ず、自分自身のために生きるのである。国家は、そうした個々人の生き方を尊重し、それを支援し、そのために法を創り、行政を動かし、司法はそうした国家の営みを監視する。そのような意味で、コモンウェルスでなければならない。このような国家制度の枠組みの中にあって、個々人は独立人格として自らの生に向き合い、己の意欲、理想のもとその目標を打ちたて生を生き抜く。こうした人々の連帯、協力のある社会はどうであろうか。そこでならば、「このように生きよ」、との神や学問の指針を失った現代のニヒリズムも乗り越えて行けないであろうか(この項、ホントの終わり)。

  • 11月5日・木曜日・秋晴れ。

    これをごく簡単に言えば、「いわゆる評価の無い生は無意味か」ということである。そもそも、この世に生れ落ちた生は、今や時代からも、社会からも己が目的、使命を負わされていない。それは、時代や社会が目指すべき目的を持たないからである。社会事象はそれぞれの因果律に従って転変、変転して留まるところを知らない。ヴェーバーは言っている。「この社会は疲れることはあっても、飽きることはない」。急速に発達した科学技術がこの流れを加速する。そうした社会の中で、人々はさしあたり生きんがために、衣食住の確保に夢中になり、それこそ懸命に働かざるをえない。だが、その行方はしらない。社会の行方と同様に。かくて多くの人たちは、人生の意味を問う暇もなく、あるいはそれに煩わされることもなく、人生の黄昏へと引き渡されるのであろう。

    この生はまた、絶対的な孤独の内にある。共同体が解体され、そこから捥がれるようにして都会に引きずり出されてた人々は、見知らぬ人たちの海の中に投げ込まれるのである(都市生活者の比率は優に6、7割を越えるだろう)。デュルケームが「社会的アノミー」と呼んだのはこれである。かつては家族が人々を繋ぐ最後の役割を担ったが、今やそれも怪しい。人口数の減少する一方で、世帯数の増加がそれを証明しているからだ。つまりそれは、独り暮らしの単身家族(?)が増大した事を示しているのである。これに貧富の落差が加われば、我々が現在生きている社会の姿を垣間見られるだろう。

    このように、ただ単に因果の連鎖の社会の中で、人々は無目的に右往左往する生き様を(勿論、目の前にぶら下げられた目標や課題に取り組まざるを得ないことは、言うまでもないが)ニヒリズムと呼ばずして何と言おう。しかし、人とはそんな具合にして生きられるものなのだろうか。自分の生は、ただ無意味に日々を投げ出すようにして送るだけなのだ。こう達観して過ごせるものなのだろうか。このように人生を徹底的に無意味化して、生き抜く人はいかにも勁い人だと思う。

    しかし、多くはそうは行かないのではないか。たしかジッドは『知の糧』か『新しき糧』で言っている。生が無意味であればこそ、自らその生に意味を付与し、目標を与え、それを生きる、と。ヴェーバーはそうした人をこそ「文化人」と呼んだと思うが、いずれもニーチェを突き抜けて行き着いた答えではないか。これは確かに、知的な精神の応答であって、凡人のよくなしうるところではないようにみえる。だから、人はその孤独と日々の重圧に打ちひしがれているようなときに、スッと寄り添って悩みを共有してくれているかに見える、怪しげな宗教団体に取りこまれてしまうのかも知れない。しかし、それでも私は言いたい。人は誰でもその人なりのやり方で、自身の生を意味づけ、それに得心することが出来るであろう。むしろ、自ら立てた目標、志が己を励まし、駆り立て、その人生を活き活きと生き抜く事を、可能にするのだと思う。大事なことは、そのように生きる人々をそのものとして受容できる社会の広さではないか。人を区分けし、上下をつけ、挙句は排除するような社会では、恐らく誰にとっても生きやすい社会にはなるまい。それは、人間関係をガチガチに囲い込むのではなく、個々人の個性を受け入れ、柔らかく繋がりあう社会である。こんなささくれ立った社会であればこそ、必要な社会のあり方だと思うが、それもまた見果てぬユートピアなのであろうか(おわり)。

  • 10月29日・木曜日・曇り。神無月も終わり、やがて霜月。

    これまで人生上の意味と言ってきたが、そもそもこれは、一体どう解したらよいのだろう。「意味」とは、広辞苑によれば、1、言葉、文章によって表される内容、意義であり、2、言語・作品・行為などの表現を通して表される表現のねらい、3、他の事物との関連において持つ価値や重要性、とある。このほか、意味論という哲学的な意味の論題があるが、そんなことは私にはとても扱えないから、それはやめる。

    ともあれ、ここでは広辞苑の語釈に従って、人生の意味なるものを考えようとすれば、さし当りこんな風に言えようか。「彼の人生は、役所勤めの50年の間、定時から定時まで決められた仕事を間違いなくこなし、家族を養い、そこそこの蓄えを残して終わった。人に迷惑をかけることも無かったが、さりとて社会に対し是と言える貢献をしたわけでもない」。こうして彼の人生の内容や他との関わりが示されようが、その評価となると中々難しい。それは評者の人生観にかかわるからだ。モームなら、何らの評価もせずに、これもまた一枚の「ペルシャ絨毯」だといって済ますだろう。そしてそこに、彼の興味をそそる人間的な何かが見出されれば、作品化されただろう。

    ただ一般に言われる意味ある人生とは、社会や時代にたいする貢献が基準であるに違いない。だが、この領域は無限である。政治・経済・学術・技術・娯楽ほか生活上のあらゆる分野に及ぼうが、いずれにせよ成された成果が量的・質的に広大であるほど、意味深いものとして評価されよう。その頂点にノーベル賞はじめとする、世界的、国家的な諸賞から各種団体の賞にいたるまで続くのでる。勿論、そうした営み、或いは制度それ自体は非難されるべき謂れはなにもない。むしろ評価し、賞賛されてしかるべきだ。必死に努力し、人類や社会の福祉に偉大な、あるいはそれなりの貢献をなした人々が全うに評価されるのは当然のことでもある。

    ただ、問題はここから生ずる。そうした事とは一切無縁な生、これを送る人たちの人生である。上記のような価値基準が強固になりすぎ、それを称揚する社会や組織体では(経済的価値とも結びついて)、そうした生は、何か意味の薄い、あまり面白くないものとして脇に追いやられかねないのではないか。それ以上に、両者の間に人間としての価値の序列がついたらどうか。最近の心理学の成果によれば、自身の人生の意味喪失、同じことだが自己価値の欠落が路上殺人や了解不能な殺人事件の発生と無縁でないとも報告されている。己の生が無価値だと言う事は、他者の生に対する尊重も無くなるからであろう。あるいは、他者の殺害を通して自らの強さ、存在価値を実感されるという事らしい。

    しかし、私はまたわき道にそれてしまった。言いたかったことは、別の事である。上記の生の意味とは、対社会との関わりでのことであった。社会貢献との関係で考えることは、この場合とても分かりやすいからでもあった。だがこうした生とは全く別様の生き方もある。それが当人の意図の結果か否かに関わらず。しかしこの場合の生も、日々を過ごすことであり、時間と一体であることは間違いない。50年という時間を無為にやり過ごせる人はいない。芥川は言っている。「人生は短い。ただ何もしないでは、長すぎる」(『侏儒の言葉』より)。つまり、人はこの与えられた、或いは負わされた、かなり長い時間をやり過ごす為に、何事かに取り掛かる他はない。そのようにして無聊を逃れ、慰めて、もっとも厄介な問い、「人は何のために生きるのか」を忘れ去るのである(モンテニュー「気晴らし」)。

    このような次元で考えられた生の意味とは何か(今日はここまで)。

  • 10月23日・金曜日・曇り。

    ヴェーバーの研究業績をそうした観点から捉え、これを「脱意味化」として特徴付けたのは、折原浩であったと記憶する(もっともこのブログでの私の叙述は、殆んど記憶の中にある怪しげな知識によるものであるから、あまり信用されないほうが宜しい)。このようなヴェーバーの世界観が誰の何を思想的源泉とし、どう形成されてきたのか、について折原氏が論ぜられていたかはそれこそ記憶にないが、そこにニーチェの影響を逸することは出来まいと思う。ヴェーバー自身が、今後のマルクス、ニーチェの影響力の増大を予言していた事が、それを裏打ちする(モムゼン)。事実、1900年に没するニーチェは、漸く晩年にいたってその真価を見出され、ジンメル、ジッド他ヨーロッパの一級の思想家、文学者等に迎えられていくのである。没後、彼の妹を中心にニーチェ協会が設立、運営されて、幾多の知識人達もここに関わったについては、ハリー・ケスラー『ワイマール日記』にもしばしば触れられているところである。

    「人生に意味は無い」、というそうした人生観は、世紀交から第一次大戦頃にかけて、既にもう、それ程奇異ではなくなってきたのではなかろうか。サマセット・モームが『人間の絆』を書くのは1915年である。ここでは、少年期から青年期にいたる主人公(フィリップ)の精神的な成長過程がビルドゥグスロマン(教養小説)風に描かれているが、その多くはモーム自身の精神の軌跡でもあり、それゆえ彼の自伝的小説と言われる。彼の生来の吃音は劣等感となって、少年期からモームを苛み続けたようだが、小説ではそれは「えび足」(跛)に変えられる。幼少期に孤児となった主人公は牧師である叔父夫婦に引き取られ、以来キリスト教徒としての教育と生活を送ることになる。「信仰は山をも動かす」との聖句に励まされ、小学生の身には過酷な戒律と生活を神に誓い、それこそ全身全霊をかけて「えび足」の快癒を祈った。しかし、祈りは成就しなかった。そこで彼は悟る。これは一つの話にすぎない。こうして彼は次第に信仰生活から離れ、ついに棄教に至るのである。神がなければ善悪も無い。結局、人生は「ペルシャ絨毯」に織られた織物のようだ。各人はそこに自分なりの図柄を織り込むだけのことである。以降、モームはそうした人間の所業に目を向け、人間とは何かを問い続けたと言われる。同じ視点にドストエフスキーも立ったが、しかし彼は神無きニヒリズムを否定し、信仰を維持したところに、両者の相違があるが、それは夫々の資質の差もあろうが、むしろ私は時代環境の差ではなかったかと言いたい(今日はこれまで)。

  • 10月15日・木曜日・晴れのち曇り。

    本日からまた、それまでツブヤイテきた我が学問論(の積もり)の話題に戻ることにしたい。だから、ここでは7月28日・火曜日までの論議を引き継ごうということになる。といっても、既に一月半前のことでもあり、もはや書いた本人ですらその内容は覚束ない。それは、読み直せば何とかなるにしても、ただどういう意図で話をし、結末はどの辺りにするか、といった構想というか、思考線までもがハッキリしなくなってしまった現在、事はそれほど簡単ではないようだ。よって、以前とこれ以降とでは話が違う、と言う事にもなりかねない。と、マア、これだけの予防線を張って、いよいよ本題に向かおう。

    今、これまでの文章に適当に手を入れながら読み返してみれば、取りあえず以下の話をこんな風に繋いで見たい。地球上の全ての事象、従って我々の人生もまた、意味なき所業に過ぎない、という痛切な認識である。この世の事は、ただ起こり、消滅しさるだけのことである。ただ、こうした人生観、世界観は何も西洋人に教えられなくとも、仏教的な思考に鍛えられた日本人にはすでに馴染みのものである(鴨長明『方丈記』)。

    にも拘らずこれを言うのは、彼らの場合、すでに見たように、時には神に仕え、また対決しながら、ある確立された科学的な認識を通して事柄の生起一般を、生成、消滅、構造等の視点から因果的に認識するという、言わば苦闘の末の結果だからである。科学知、これは未だ部分知、不完全な知的体系でしかないにせよ、しかしこれへの信頼性は今後高まりこそすれ、弱まることはあるまい。そうした地盤から現実存在を見据えたとき、ただそれは因果の連鎖の帰結にすぎず、それ以外の何者にもあらず、という点で人生上において生起一般は「無意味ナリ」との結論は、私には一点の曇りなく、逃れようのない明晰さで突きつけられているような思いである。

    19世紀末から20世紀にかけての知の転換はこうした意味を持ったのであろう。他方で技術力の躍進と経済活動の拡大、戦争の広域化と長期化と戦火の惨状等々を生み出した。しかし、かかる状況下に生きる人類に、もはや神はなく、生きる指針も与えられない。このような時代に生きる人々は生の意味を問うことよりも、状況に埋もれ、これに流され、刹那の享楽に沈淪する他はないのであろう。ヴェーバーは言っている。「心情なき享楽人」と(本日はこれまで)。