• 1月28日・木曜日。晴れ。

    記憶だけの話で申し訳ないが(と言って、これまでもズットそうだったのだから、今更体裁をつけるまでも無いのだが)、渡辺京二『逝きし世の面影』の中で、江戸期では子供たちは実に暖かく、愛情深く育てられ、その成長ぶりを大人たち皆が楽しんでいる様子が細やかに描かれていた。ことに、五、六歳までの子供たちは武士も町民も変わりなく、甘やかし放題の可愛がりようであったそうだ。しかし、ある歳になると(たしか七歳の祝いであったか)、子供たちは身分や家業に応じた厳しい躾を受ける事になる。一日を境に、彼らは昨日までの生活とはまるで違った世界に入るわけだが、それをいとも容易に受け入れいれ、大人から見ても厄介な儀式、仕来りを、大人びた顔付きと振舞いを持って、難なくこなしていったらしい。これら一切を目の当たりにした西洋人たちの驚愕は、私にもよく分かる。

    こんな子育てに明け暮れる大人たちの生活は、ドウか。人々のたれも彼もが、分に応じて家の内そとに花木をあしらい、丹精し、これを愛でて飽かない。ある春の一日、江戸に住する西洋人の二三人が馬上の人となり、そんな江戸の町を散策しながらいつしか巣鴨を越え、板橋辺りまでも駆け抜けるその間、切れ目無く多様な花木が咲き、菜園の広がる景観に、さながら桃源郷に踏み入った思いであったという。これも我が怪しげな記憶に過ぎないが、わが国の植物採集に執着したシーボルトが椿をオランダに持ち帰り、ヨーロッパに根付かせたと聞くが、こんなことが出来たのも、こうした文化があったればこそであろう。ちなみに、当時の日本の花木の栽培は、中国を抜き世界でも第一等であったらしい(中尾佐助『花と木の文化史』岩波新書)。そして、私がこんな椿談に及んだのは、わがドイツ留学のおり、知日家のドイツ人に向けて、あなた方にとって、日本人の桜と同様な意味を持つ花をあげるとすれば、何か、と問うたところ、ややあって「カメーリア」と答えた話を思い出したからだ。彼は椿が日本から齎されたことを知っていただろうか。

    こうした花鳥や風月に身を寄せ、湯に行き、酒を飲み、ときに男は遊郭に、女は芝居に熱を上げ、あるいは伊勢参りや富士講を楽しみにする生活とは、一言で言えば、「ユトリ」に尽きよう。こんな世界の生活ぶりは江戸落語や京伝、春水らの幾つかを見れば、たしかに得心させられるだろう。

    私がここで言いたい事は、子供を取り巻く大人たちの生活ぶりについてである。彼らが明日を煩うことなく、楽しみと慰めに囲まれてあれば、セカセカ、イライラしながら、背中に貼り付けられた油紙を燃やされる思いで日々を過ごさねばならない人たちに比べて、どれほど幸せであるか計り知れない。その時、我々を取り巻く様々な文明の利器がどれほどなかろうとである。それらは、確かに、生活上の重要な一要件である事は認めても、断じて必須の、他の全てに先行する重要事ではないのである。

    かつて、我々の先人たちはこれほどにまで優しく、豊かに暮らしていた。この話を次と比べて、人はどう考えるべきであろう。我々は江戸の人々よりも、進歩している、幸せであると、胸を張って言えるであろうか。昨日、三歳の男の子が食事中、同居の男の目と合って、彼は「ガンをつけられた」事に腹を立て、殴る蹴るの暴行の末、遂に殺害してしまった。この男はそれまでも、日常的に暴力を振るい、子供の泣き叫ぶ声は常軌を逸した程であったという。大人が小児にそこまで荒れ狂える事の尋常ならざる事態に恐れを覚える。彼は暴力団員であったから、例外だとはならない。最近の子供に対する親たちの打擲はこれに通ずる狂気、冷酷、執拗さがあり、しかもそれらを躾と取り繕って済ませる無恥と共に、ここには現在の我々日本人の心底で、何か心情の破壊が生じたという思いを突きつけられるが、如何であろうか。

    かの男は言っている。「やった事は、やった。」そして、自分の人生に対する未練もない、と。だから彼の心には、こんな惨忍な殺害をしてさえ、その子供への憐憫と悔悟の一片も思い浮かんでこないらしい。これもまた、人間の底に潜む心情の一つに違いなかろうが、しかし自らを粗末にする者は他者の命をも塵芥として扱う事に、何の躊躇もないと思い知らされるのである。

    何をドウすべきかは、私にも分からない。

  • 1月21日・木曜日。晴れなるも、風強し。

    これまで私は将棋の教育力や多様な潜在力がどんなものであるかを示しながら、その魅力を述べてきたつもりである。しかし、これを記しながらハタと気づいたことがある。先の事例は、負け戦にある場面が中心であった。戦い利あらぬ将の困苦、苦渋、にも拘らずその重圧に屈せず、戦局を開いて勝利への展望を探ろうとする、精神力、忍耐力の涵養をみようとした。

    たしかにこれらは人生を送る上で、避けては通れぬ試練の数々である。これをドウ克服し、あるいは負けるにしてもその敗れ方に応じて、人間としての価値や魅力、輝きも増そうと言うものであろう。しかし人の価値とは、そうした逆境における対応においてのみ、測られるものではない。サヨウ、幸いにも順風に恵まれ、事が成就し、頂点に達しようとしたときの、その立ち居振る舞いにおいてこそ人格がアカラサマになることもあるのではあるまいか。

    観戦記を読んでいると、しばしば「勝ちに震える」という言葉に出会う。苦しい峠を越え、幸運にも恵まれ、ヤット前途に光明がさして来た。ここまでくれば、大丈夫。モウ、逃さない。後は慌てず、丁寧に、大事に仕上げていけば、勝ちは自然に手に入る。こうした安堵と気の緩みが「九仞の功」を一瞬にして失う羽目となる。安全勝ちを目指すあまり、指し手が萎縮するからだ。対する相手は負けを覚悟し、眦を決してナリフリ構わず厳しく迫り、その気魄に押されるからでもあろう。勝ちを勝ち切ることの難しさが、将棋には確かに多い。相手が難敵であり、舞台が大きいほどに、その勝利の得難さと結果の大きさ、つまりは名誉と賞賛と富とが眼前にチラツキ、是が非でも勝ちたい、勝ちになってる、との思いに囚われ日頃の冷静さを失うのでもあろう。是もまた、人の根に蔵する弱さである。

  • 1月15日・金曜日。晴れ。早や一月も半ばとは…。

    さて、ヘボながら、私が将棋を指していてツクヅク思い知らされるのは、「マッタ」が許されない、つまり、取り返しができない事である。先を読むとは、無限の闇に向けて一条の光を照らす、そんな行為になぞらえられようか。それは名人もヘボも変わりはあるまい。ただヘボの場合、その一条の光は限りなくか細く、光にもならぬという違いがあるにすぎなかろう。しかし、その違いは絶対的、無限大のものであるのだが。

    ともあれ、そんな読みを頼りに、熟慮を重ね、それでもアレコレの不安をかこち、最後は「エイ、ヤッ!」とばかりに、清水の舞台から飛び降りる。それが決断である。だが、これが良かったか、悪かったかは相手次第の運頼み。しかし、それによって局面は動いて、場面は変わる。一手前までは確かに良かった局面が、一転、哀れ劣勢を呈することもしばしばだ。だが、もはや後戻りは出来ない。

    これはまさに人生そのものではなかろうか。たしかに、人生をやり直す事は不可能ではない。しかしそれは、間違えた人生を取り消すことではない。失敗を教訓に同じ轍を踏まぬよう決意し、人生を立て直す、そういう意味でしかない。

    将棋はそうした事情、機微を一手毎の決断のたびに教え、鍛え上げてくれる。改まった局面に対峙して、それが良かろうが、悪かろうが、これまでの経緯はどうあれ、只今現在、眼の前にある盤面に対して最善の道を探る他はないのである。それがいかに絶望的な場面であろうと、諦めてはならない。ヤケになってはならない。そこを踏ん張り、苦しみに耐え、闘志を維持し、戦い貫かなければならないのである。だが、そんな苦行を頼まれた分けでもないのに、人はなぜ自らノメリ込んで行くのだろうか。それこそ、将棋の持つ魔性の力と言っておこう。

    ところで、ここでの戦いは決して短いものではない。名人戦が二日に及ぶ消耗戦であるは周知のことだが、こんな長時間にわたって精密な思索と緊張を持続させるとは、いかなる訓練を要するのであろうか。むかし、灘 蓮照という棋士が大山康晴名人との戦いに臨んで鉄下駄を履き、足腰を鍛えた、との話が思い出される。現在の棋士たちもそれぞれに応じた克己と訓練の時間をお持ちのことと思う。将棋が格闘技と称せられる所以である。

    要するに、将棋は知力や精神力と共に体力を要する、全体的、総合的な能力、人格形成にも資するゲームである。普通「遊戯、競技、娯楽」等と訳されるこの言葉は、しかしここではもはや単なる「気晴らし・遊び」をこえた奥深い意味を帯び、灘 蓮照が日蓮宗の僧侶であった事が示すように、人生の秘儀、宗教的な意義に繋がる言葉として、私は受けとめたいのである。

  • 2016年1月7日・木曜日・晴れ後うす曇り。

    謹賀新年。本年も宜しくお願い申しあげます。と言って、喪に服する者は、普通、新年の賀詞交換は遠慮するのがこの国の仕来りのような事を、何処かで聞かされた気もする。これは多分、神道由来の慣習であろうが、これまでもそういう事には頓着なく過ごしてきた私としては、アッサリと参りたい。いちいち説明するのは面倒でもある。

    さて、昨年末の12月23日・水曜日、私は日本将棋連盟主催による小・中・高生の将棋大会(於・東京武道館・綾瀬。興味のある方は連盟ホームページをご覧あれ)に招かれ、付き添いのご父母向けに一つ話しをした。題して「将棋に導かれて」。

    まさかここで、その話を再現しようというのではない。そこでの話の一つをつまんで、あの時コウ言えば良かったとの反省を込めて披露してみようか、と言うにすぎない。それが新年の最初の話題として適うかどうかは、私の知るところではない。

    前日、田中寅彦九段から電話を頂戴し、たまたま翌日の我が話になり、田中さんはこう言われた。「要するに、将棋をすれば子供たちは、ドンナに頭が良くなるか。そういう主旨で、どうでしょう」。これは私の思いでもあり、それでイインダ、と大いに勇気付けられ、当日を迎える事ができたのである。後に連盟からは、「有意義なお話が伺えた」と言った声が保護者、引率の顧問の先生方から―-多数とは明言されてはいないが―-寄せられたとの手紙を頂戴し、私としても安堵した次第である。そして、これは断じてお世辞ナンゾではなく、衷心から発せられた真心の言葉である、と私は深く、強く確信していることを、ここに厳かに付言しておきたい。

    さて、将棋の持つ教育力、その有効性は、今更改めて言うまでもない。のみならず、人生上の意味についても、然りである。企画力、構想力、緻密な思考と論理性、忍耐力と責任感。とりわけ興味深いのは、決着の場面である。勝負の場である将棋には、常に勝者と敗者がある。しかしそこには、アカラサマな雄叫びも無ければ、悲痛な呻きも無い。敗者は静かに、だがハッキリと「負けました」と敗北を宣言する。そこで両者は互いの健闘を祝すかのように、礼を交わして終局となる。勝者は敗者への労りが、敗者は勝者への祝福を惜しまない。互いに死力を尽くした両者には、いまや勝敗を超えて、将棋の真理に一歩近づきえたとの満足感しかないのであろうか。それゆえここに座を占めるのは、抑制であり、互いに対する礼節である、と言いたい。それが、「礼に始まり、礼に終わる」の意味でもあろう。だから、こうも言いたい。今この場において、両者は将棋の神の御前に深く額づき、頭をたれ祈るがごときである、と。それは、西洋伝来のスポーツの場面とは何たる違いであろうか(本日はこれまで)。

  • 12月24日・木曜日・曇りのち晴れ。穏やかなクリスマス・イヴになろうか。しかし来年はいかに・・・?

    ここで感染症の発症過程をつぶさに論ずる事はできない。と言うよりも、私にはそんな力はない。科学論の理解に必要な限りで記すほかはないが、コレラの場合、まず知るべきはコレラ菌の生態についてである。棒状・円筒形であり、医師グラムによって考案された染色液に浸せば淡赤色を呈し、これをグラム陰性桿菌という。患者の腸内に棲息、増殖し、腸粘膜上皮を破壊し、激しい嘔吐や「米のとぎ汁状」の下痢を発症する。こうした脱水症状から頭蓋が浮き出る「コレラ顔貌」をきたす。せん妄、昏睡に襲われ、ショック死にいたることもある。致死率は6割ほどと言う。コレラ菌は患者の排泄汚物、その飛沫、それに汚染された衣類等への接触によって感染するが、その事が患者の世話を一手に引き受ける女たちに被害を拡大し、死亡率を高める原因となった。だが、その最大の感染経路は井戸、河川などの飲料水への汚染である。コレラはもとインドの風土病と言われるが、環境整備の整わない時代、地域を襲い、やがてはヨーロッパにも上陸し、諸都市を席捲したのである。洋の東西を問わず、その感染力の強さと、「三日コロリ」と言われる程の症状の激烈さで特に恐れられた感染症であった。治療は輸液、抗生物質の投与によるが、最大の対策は上下水道他の環境整備に如くはない。

    まだ大事な点が抜け落ちているような気もするが、それはシロウトの手慰みとしてお許し頂き、先に進もう。さもなければ、年が越せない。さてそこで、感染症を考えるに際し、先ずは主要原因となる病原菌を特定し、その特性を捉えなければならない。それは言うまでも無く、医学、特に細菌学者の任務である。同時に感染症はその細菌の人体への進入である。そこでの問題は人体、分けてもその免疫体系の理解であろう。19世紀末、確かロシアの微生物学者メチニコフは体内に侵入した微生物を捕らえる細胞を発見し、これを食細胞と名づけノーベル賞の受賞者となったが、彼はこの分野の草分けではなかったか。それらを含め、細菌と人体との関係、相互作用等についての生理学的な諸研究が重要であるが、これ等は全て医学の分野での理論的、法則的な知的体系として構築される事になろう。

    ここで私が何を言おうとしているか、聡明な読者ならすでにお察しの事であろうが、この人体が問題になり、しかもそれが治療行為として浮上するとき、そこでは上で確立された知的体系は、知るべき最も重要な要素であり、必要条件ではあるにせよ、未だ十分条件を満たしていない事に気づかされるはずである。そこでは患者の体質、栄養、生活環境、文化等ありとあらゆる彼の個性を作り上げる全てが関わり治療に影響するに違いないからだ。その事を我々は既に栄養問題の場で確認しているはずである。

    私があの折驚いたのは、トマト(そしてこの食材は一般的に健康食であり、他のソンナ食材の象徴とみなされているのであろう)が人の体質によっては、脂質の多い食になると言う発見であると同時に、だから病院食は出来るだけ個の体質を考慮した体制をとる必要が指摘されていたことであった。すでにアレルギー問題がこれだけ喧伝されていることから、トマトが全ての人たちに良い訳ではない、と言われれば成るほどと得心もするが、そうであれば万能の食は有りえないという今更の教えであった。それ以上の驚きは、こうした認識は21世紀の今ようやく得られたものであり、それが病院はじめ他の領域にも応用されるという展望である。これまで入退院を繰り返してきた私には、病院食がかなり一律的であり、これで良いのかという懸念が、やはり当たっていたとの感を強めたが、それ以上に医療の現場がその程度の事であるらしい点は、やはり衝撃である。一般的、普遍的とみなされる知的体系への信頼、否、その妄信は覆いがたいと言うべきなのであろうか。

    そろそろ、終えよう。全ての分野の一般的・法則的知識は当該分野の認識にとって先ず第一に知るべき絶対知であり、それを欠けば個別事象の認識は不可能である。それは、認識のためのフレームワーク、クーンならば「パラダイム」とも呼びたいところであろう。そうであれば、それはこれさえ知れば、個別事象はそこから自動的に演繹され、すべてそれによって説明解消されうるというのは、幻想以外の何ものでもない。現在の経済予測が当った験しが無いのは、個別事象の個性の認識に疎漏があるからだ。それ以上に、これらを網羅的に調べ上げ、その関係を知悉することなど、土台無理な話なのだ。これが私の見立てであるが、こうした見方は19世紀末に確立されたドイツ新カント学派に負っている事を付しておこう。ヴェーバーは言っている。引力の法則が地上において正確であるのは、これを生ずる天体の力が圧倒的であるからだと。つまり、地上の人間共の草草の活動ナンゾは、この圧倒的な力学関係に比すれば物の数ではなく、いささかの影響力も無いという事なのであろう。

    以上を以って、本年の仕事納めとします。皆様―と言って、何人の皆様か知らないが―良いお年を!