• 10月17日・月曜日。雨のち曇り。鶴巻公園の高木数種わずかに色づく。

    ツヴァイクに「怖いといえばこわい小説」がある、と始めたこの話の怖さは、前回末尾で少々触れた。だが、ここに潜む怖さはそれで尽くされてはいない。その第一は、先にも言ったが、ただ怒りに駆られた人々が、群衆となって自分を目がけて突進してくるさまである。これは、是非善悪を超えて、この世の終わりを感じさせるような恐怖であるに違いない。こうした暴動は、先ずは対象者に対する憎しみに発するが、しかし暴徒の心はそれに留まらない。彼がこれまでの人生で味わった、大小無数の理不尽な辛さ、悲しみの発露でもあろう。そうしたものの恨みツラミをすべてぶちまける場でもある。であれば、ここでの暴虐は限度を超え、その犠牲者はそうした恨みの一切をその身に負わせられるのではないか。

    統治者は、昔からそうした暴動の凶暴さ、怖さをよく知っていた。たとえば歴代のローマ皇帝は徹底した奴隷の管理に加えて、市民たちにはローマ市内の食糧保全と娯楽施設の完備に心を砕いたという。それがあの壮大な競技場の建設や大浴場の整備になったのである。ヨーロッパへの梅毒の伝播は、コロンブスの船員が西インド諸島からスピロヘーターを齎したことによるとの話だが、実は大浴場近辺の遺跡から、梅毒患者と思しき人骨が多数発掘されているようである(立川昭二『病気の社会史――文明に探る病因』NHKブックス)。とすればかの船員はエライ不名誉を負わされたわけだが、これが事実であれば、大浴場の実態がいかなるものか分かろう。それだから、この大浴場はやがて廃止されることにもなったのだが、これによっても、為政者たちがいかに市民の不満の鬱屈を防ぎ、彼らの気晴らしに奉仕したかは明らかだ。映画『ベン・ハー』に見る迫力ある戦車競走、奴隷同士の死闘、キリスト教徒の火刑やライオンの餌食の見世物は、そうした娯楽の犠牲であった。人間とはげに恐ろしき生き物ではないか(シェンキヴィッチ『クヲヴァディス』参照)。

    被治者に対する統治者の恐怖感は戦争や占領の際に特に強まる。国民への監視や、占領民への弾圧は恐怖の裏返しであろう。住民の被差別者への徹底した差別と抑圧もそうである(塩見鮮一郎『被差別文学傑作集』・河出書房文庫)。普段、抑圧しているという負い目が恐怖感となって、事が起こった時には彼らの復讐を恐れて、その前に虐殺に走る。関東大震災の朝鮮人や戦前の占領地域の場合はその一例に過ぎない。そうなれば、潮目の変わった時点の逆襲はタダでは済まない。アメリカ兵の日本上陸の恐怖は並ではなかった。日本男子は全て去勢され、女子は娼婦とされる。この恐怖から彼女たちは自死へと追い込まれたのであった。それは日本人の戦中に仕出かしたことの裏返しである。

    北朝鮮の政府が言われているとおりの状況であれば、それは統治力の不安、恐怖感の結果であろう。だが、国民を徹底して抑圧する政治からは、決して未来が開かれることはない。

    私はまたもや、枝道に紛れ込んだ。ツヴァイクの話の私にとっての恐怖は別にある。それを言いたかったのだ。秩序や正義というものも、大混乱の無法状況においては、国家やそれに代わる権力機構を以てしても維持できない、という事である。その場合は、詰まるところ、身を守るのは自分の腕力であり、暴力装置でしかないという、身も蓋もない話になる。これは、既にホッブスが『リヴァイアサン』で言っていたことに尽きる。自然状態にあって、人は全ての事をなす権能がある。略奪であれ、人殺しであれ、自らの生命を維持するためには、それらは許される。そこでは、「弱肉強食」の掟が支配する。それでは人は生きてはいけず、これを避けるために、人々はより集い、国家に類する装置を作ろうとするのである。しかし時にはそれすら、無効であることがあり得るのである。ツヴァイクはその事を提示した。そして、現代社会はそれほどアカラサマデ、これほど過酷な姿ではないけれど、弱者と強者に区画され、後者が前者を利用し、食い尽くす獰猛な様相を世界レベルで見せ始めてきたように見える。その時、強者は弱者を虐げ、それ故に弱者を恐れ、弱者はまた強者に踏みにじられつつ、復讐の牙を研ぎ、こうして「先のものが後になり、後のものが先になる」という聖句が、聖書とは逆の意味で成就するかもしれない。その社会はもはや人の世ではなく、悪鬼と悪鬼の凄絶な闘争の場と帰し、なにか得体のしれないものとなろう。現下の、中近東の闘争、アフリカの混乱、日本近海の紛争がその序曲で無ければ幸いだ(この話これまでとする)。

  • 10月11日・火曜日。相変わらずの曇天。

    領地の蹂躙と簒奪はかくのごとし。だがそれで終わったのではなかった。いや、徹底的な略奪の序章でしかなかった。その後の4年の間に、ヨーロッパ中から投機家の群れがやってきた。敷設された鉄道は、黄金狂にうなされた大軍を次々送り付け、会社が勝手に設立された。そうして、ズーターの領地をてんでに掘り返していた。待ってくれ。この土地は「政府の印鑑が押されている書類」によって、ズーターの所有地であることに、間違いはないのである。

    にも拘らず、この土地は見知らぬ他人たちの所有物となり、売買され、いつの間にか都市の風貌を整え、それはエルドラード・カリフォルニアという魔力的な名で呼ばれるようになった。ここに、彼が名付けた新ヘルヴェチア(新スイス)王国は消失する。同時に、ズーター一家は王国の外れにある金とは無縁な農園地に隠棲する。妻を亡くした彼は、三人の息子たちと共に農業経営者として立つことを決意した。

    彼らはこの決意の通り、農業事業者として暮らせば、幸福に過ごすことができたであろう。彼はこの土地の地味と豊饒性を良く承知しており、そこから豊かな生産性を引き出していたからである。しかし、容赦ない運命は、彼をソットはしておかなかった。こうして、彼の人生の最終幕が開く。

    1850年、カリフォルニアは合衆国に組み込まれる。と共に、国家による法律の執行力が息を吹き返した。規律が遵守され、秩序は回復した。ならば、とズーターは立ち上がる。サン・フランシスコ市が建つ土地は、法律上すべて自分の所有地である、と司法に提訴し、棄損した彼の権利の回復を求めたのである。それは人類が初めて知った「大がかりな訴訟事件」になった、とツヴァイクは言う。まず、領国内に住む17,220人の農夫の告訴と土地の返還に始まり、カリフォルニア政府に対しては、領土内の彼の所有に帰する「道路、運河、橋、堰、製粉場」の代償として2500万ドル及び採取された黄金の分け前等である。この訴訟のために、長男はワシントンで法律を学び、訴訟費用は莫大な農業利益から賄われた。つまり、彼は全てをここに注ぎ込んだのである。1855年3月15日、判決は下った。それは望外の成果であった。「カリフォルニアの最高官吏である公正な判事トンプソンは地所に対するヨーハン・アウグスト・ズーターの権利をそっくりそのまま認めた。」

    悪魔の狡知、とはこれを言うのであろうか。ニッコリ笑って、希望を持たせながら、一気に地獄に突き落とす。ほんの数年前、彼は「世界最高の富者」の夢を掴みかけた。今再び、そして、今度こそ確実にこれを手にし得たと、確信し喜びに浸ったことだろう。だが、幸福の絶頂から奈落の底に叩き落とされるのは、一夜で足りた。再び、ツヴァイクに語らせよう。

    「判決が世に知られたのち、サン・フランシスコとそして全地方とに騒動が勃発した。一万人の人間が暴動を起こして、地主たちをおびやかし、ますます掠奪をほしいままにする浮浪人暴徒が裁判所を襲ってその建物を焼き、裁判官を私刑にしようとし、それからものすごい人数の彼らは、ヨーハン・アウグスト・ズーターの全財産を掠奪しに出向いた。彼の長男は暴徒たちに脅迫されてついにピストル自殺を遂げ、次男は殺害され、三男はスイスに帰る旅の途中で溺死した。新ヘルヴェチアは火の海になり、ズーターの農園は焼かれ、葡萄の株は踏みつぶされ、彼の動産、蒐集品は奪い取られ、莫大な持ちものは残酷な狂暴さによって荒らしつくされた。ズーターはかろうじて自分の命だけを救うことができた」。

    強靭な精神力を持つズーターも、この狂猛な嵐にあって、ついに破綻をきたす。頭の中にはただ失った家族への思いと権利や訴訟がちらつくばかりであった。そんな彼に言い寄る者達はまだあって、裁判を唆し、カツカツの金を巻き上げてしまった。もはやカネが問題ではない。失われた権利の回復、これが偏執狂的に彼を苛み、乞食のようななりも構わず、その後の20年間を裁判所や議会の周りをうろつき、誰からも相手にされず、1880年7月10日、卒中が襲って国会議事堂の階段の上で息を引き取ったという。「死んだ乞食」として処理されたばかりであるが、それにも拘らず動かせない事実がある。「依然としてサン・フランシスコとその一帯の土地は、他人の所有地の上に立っている。これについての権利のことが問題とされたことはまだない」。

    私はこんな長話をする心算はなかった。興味のある方は、本書を読めば分かることだからだ。ここで私が言いたかったことは、正義や秩序、あるいは法といっても、それが守られるのは社会の大勢、趨勢に影響しない範囲内でのことでしか無さそうだ、ということである。法の執行、秩序維持といっても、その実行が社会体制の根幹に触れ、深刻な変革を迫ろうとするとき、とりわけその被害者が少数者、マイノリティーに留まる限り、国家は彼ら被害者の方を抹殺し、問題自体を無い事にしてしまうのではないのか。そんな事例は、この四五十年の間でもいくらもあった。水俣病や血液製剤の患者たち、今でいえば、福島原発の被害者たちもそうだろう。

    そして、本当に恐ろしいのは、大衆として集団となった怒りの連鎖である。いかに強大な国家権力といえども、一度火のついた盲目の暴動は止めることはできない。それは行き着くところまで行くほかはない。であれば、権力は常にこれを監視し、抑圧して防遏する。それがまた、強権的政治の出現となろう。そうした悪循環を止めるのは、何か。教育だろうか。だがしかし、私自身を見詰めるとき、わが身内にそのような自己抑制の力を見出すことはできない。私もまた先の大衆の一人となって、盲目の暴動の中にマッシグラニ突き進みそうな気がするのである。つまり私も、ズーターを打ち据える一人になるのではないかと、恐れるのである。

  • 10月3日・月曜日。小雨。台風接近の予報あり。蒸し暑し。鶴巻公園の欅、椎の巨木、落葉の舞を演ず。

    だが、ズーター王国建設の夢は、「1848年1月」、鶴嘴のたった一撃によって瓦解する。前日、領内の一画に製材場の建設を命じておいた大工マーシャルが、許しもなく仕事を放り出し、彼の許に飛んできた。ワナワナ震えながら「黄色味のある一握りの砂」と供に、トンデモナイ事を口走る。キンノ、土を掘っていたら、こんな砂が出てきた。「コレハ金デハナイカ」。他の者たちに言えば、バカにされるから、先ずはズーターに訊いてみた、と言うわけである。

    これを聞いたズーターは、翌日、馬を駆り、当地(コロマ)を流れる運河を堰き止め、二三の白人作業員に篩で砂をあちこち浚わせると、その度にその底には金が笑うようにキラキラしていた。即座に、製材場の完成までは、この事を絶対に口外してはいけないと厳しく命じた彼ではあったが、その日は夢のごとく、天にも昇る幸せな一日であったであろう。天地創造のとき以来、これほど簡単に、どこからでも、しかもこれほど多量の金を採り出せれるような土地があったであろうか。しかもその土地は、ゼーンブ、俺のものだ。叫び、狂い出しそうな幸福感に満たされたであろう。

    しかし、彼の命令が守られるはずもなかった。まず、マーシャルは自分の思いが正しいかドウか確かめたくて、翌日ズーターと共にコロマ行を約束したのに、矢も楯もたまらず、彼を置き去りにして、嵐の中現場に舞い戻っていた。自然、彼周辺の住民の感づくところとなり、しかも「一人の女―いつでも女だ!」(と、私でなく、ツヴァイクが意地悪く言うのだが)、によってそれ以外の人間の知るところとなった。

    かくて噂は、事実となった。突如、ズーター王国に働く全ての人間が、自分の仕事を放棄し、憑かれた様に「手に入れた篩と小箱」を手にして製材場へと群がった。その様を、ツヴァイクは書く。

    「一と晩のうちに全土の仕事が放りっぱなしにされ、誰も乳をしぼらない乳牛が咆えたてながらくたばった。水牛の群れは彼らの小屋を破って畠の中へ飛び込み、畠の果実は摘まれずに腐り、チーズ製造所は仕事を停止しており、穀物倉はこわれ、巨大な経営のさかんな運転はすっかり停まってしまった。電信はかずかずの国と海とを超えて黄金の約束を告げる火花を放つ。そして早くも人々はほうぼうの都会から港から来た。船員らは彼らの船を見捨て、役人たちは役目を放り出し、東から、西から、徒歩で、乗馬で、車で、引きも切らず人間の列が、黄金を目当てに殺到した。ゴールド・ラッシュ。人間群がいなごの大群のように襲来し、金を採掘しようとした。規律のない、容赦のないこの大群、腕力以外のどんな掟も知らず、ピストルを使って自分の意思を通すことしか知らないそんな人々の大群が豊饒な植民地に殺到したのである。彼らにとっては万事が、持ち主のないのとおなじであり、これらのデスペラド(無法者たち)に対しては誰も手のほどこしようもなかった。彼らはズーターの乳牛を屠殺し、ズーターの穀物倉をこわして自分たちの家を建て、ズーターの畑地を踏み荒らしてだいなしにし、また彼の機械を盗んだ―たちまちヨーハン・アウグスト・ズーターは乞食同然の無一物になり、ミダス王みたいに、自分自身の黄金に圧しつぶされてしまった」(本日はこれまで)。

  • 9月28日・水曜日。曇りのち小雨。この所、秋晴れは絶えて無し。

    稀代の伝記作家S・ツヴァイク(1881-1942)に、恐いといえばこわい小説がある。「エルドラード(黄金郷)の発見 J ・A・ズーター、カリフォルニア 1848年1月」(片山敏彦訳『人類の星の時間』みすず書房、2014年所収)がそれである。

    すでにご承知の向きにも、こちらの話の都合もあり、少々お付き合いをいただきたい。ヨーロッパのあちこちで不義理、つまり法を犯したバーゼルの人ズーターは、一刻も早く大洋の向こうに渡って此の地の法廷と縁切りをせねばならなくなった。妻と3人の子を持つ彼ではあったが、背に腹はかえられない。彼らを置き去りに、偽造パスポートを手にニューヨークに潜り込む。1834年7月7日のことである。それからの2年間、怪しげな薬売り、偽医者までも含めて手当たり次第の職を転々としながら、やがて宿屋の主人になるが、これを捨てついにミズリーの開墾者となった。そこそこのカネを得、生活も安定した。しかし根が無頼の彼がそれで収まるはずもない。目の前を西へ西へと流れゆく人馬の群れに惹かれ、1837年、一切を金に換え自分もその一人となった。「乳と蜜の流れる国」カリフォルニアへのひたすらな思いが、同道者たち皆が落伍するほどの、まさにモーセの荒野の旅にも比せられる刻苦と悲惨の旅路を制したのである。ついに、聖フランシスコに因んで名づけられた、当時はまだメキシコ領のサンフランシスコに到着する。一瞥して、当地のサクラメントが肥沃にして広大な農地に適するばかりか、小王国(新スイス)の建国も夢でないことを見て取り、早速、その統治者から地域の10年間の使用許可の権利を取得した。

    1839年、ズーターは新王国の建国を胸に、総勢200人足らずの一隊と食料・武器・馬・水牛等を率いて、当地に入植する。その後の農業国としての発展は目覚ましく、またほどなく当地は合衆国の手に帰したことで、土地の領有問題が解消された。さらに、14年前に見捨てた家族を呼び寄せることも出来た。かくてズーター王国の未来は約束されたも同然であった(以下次回)。

  • 9月23日・金曜日。雨。列島は台風、秋雨前線の影響か、打ち続く豪雨に苦しむ。

    前週は大学校務他のため、休載とした。その間、『南極越冬隊 タロジロの真実』(小学館文庫、2011)を読んだ。著者は、渡瀬恒彦役のモデル、北村泰一氏(九州大学名誉教授)である。本書は著者の残した膨大な資料を、共同研究者の一人であった賀戸 久氏(金沢工業大学教授)が編集してなった書であるが、そこにいたる経緯はともあれ、それによれば著者には当時夏目雅子演ずる相方はいなかった。要するに、映画は実話にあらず、ということである。映画に見るドラマ性はそれなり割り引いて考えなければいけない。しかし、事実は映画をはるかに超えた内容を湛える。人間と犬たちとの心の交流、信頼、想像を絶するブリザードを突進する犬橇隊の勇気、厳寒と窮乏の中、困難に対処する隊員らの忍苦、工夫、西堀隊長の統率力等のいずれも、現在のフヤケタ日常に埋没する我ら日本人を叱咤し、鞭うたぬものはない。

    そうした創作の一つに、ラストシーンの隊員二人とタロ・ジロとの邂逅の場面がある。これは、本作の最も感動的なシーンではないか。まさにエンディングにふさわしいクライマックスであった。これが創作とは、恐れ入ったが、しかしあれは、アーでなければならないとも思う。

    事実はドウかと言えば、すでに上陸した三次越冬隊員から、一年前に置き去りにした二頭(?)の犬の生存を知らされた著者は、狼狽えながらもヘリに飛び乗り、宗谷から昭和基地に急行する。振り向けば、百メートル程先の「二つの黒いかたまり」が犬だと気づいた著者は一目散に突進する。この気迫の凄まじさに犬たちは気おされ、後ずさる。「目の前の犬たちは、私が想像していた痩せこけている姿とは似ても似つかなかった。まるまると太り、まるで小熊のようだ。彼らは首を下げ、上目でじっと疑うように私を見上げる。…私は、さらに一歩前に出るが、犬たちはそのぶん後ずさりする。…犬たちが前に進むと、私はそのぶん下がってしまう。一年前に彼らを置き去りにしたという、スネにキヅを持つ身には、ひょっとしたら自分を恨んでいるのではないか、という気持ちが頭の中をよぎるからだ」。

    この膠着状態を打開したのは、著者が犬の名前を次々呼んで、最後にタロ・ジロになってかすかに尻尾がゆれたときであった。ついに互いの意思が通じた。その後は映画の通りであったという。

    犬たちが逡巡したのは、相手が誰かが分からなかったからだ。ただ、それだけのことであった。しかし、アイツだ、と知ったとき、許すも何もない、互いの出会いを一も二も無く喜び、ただ嬉しく飛びつき抱き合った。

    しかし、人間はドウか。前非の罪の意識に怯え、だから食い殺されるのではないか、と恐れたのである。そう思う彼の意識は、自分がそのような目に合わされたなら、タダではおかぬ、この恨み、七生を懸け、何としても生還し、あの野郎共、子々孫々に至るまでタタってやる。「オノレ、うーっ、ドウシテクレヨウ。畜生!」とばかりの、復讐心、敵愾心、何とも名状すべからぬ怨念に苛まれ、そんな恨みだけで、この酷寒を生き抜く凄まじさになったことは間違いあるまい。であればこそ、人は相手を許し、己も救われるためには、かの御大層な宗教、哲学なるものを編み出さねばならなかったのであろうか。また、人と人との関わりは、時にいかに悲惨で、無限地獄に陥るのに対し、動物とのそれはいかにもシンプルで、それがどれほどの救いになるかと思うと、私はしばし、呆然とする。『南極物語』はそんな思いを、強く焼き付けたのである。