• 11月2日・水曜日。曇天。晩秋から初冬の感あり。ほんの二月前のあの灼熱は何処に。

    ここでホッブス理論の難点を論ずるつもりはないが(と言ったって、そんな素養はまるで無いのダ)、以下との関係で一点だけ上げておきたい。彼によれば、社会成立以前、すなわち原始未開(スミスも同じ言葉を使う)において、人間は孤立し、かつ互いに闘争する生活を送っていた。そうした状態では、人は結局生きては行けず、それは「生きよ」と命ずる自然法に反する事でもあり、かくて前回述べた契約関係が成立する。統治はここに始まる。

    ここでホッブスの想定する人間とは、独立した人格権を有する、自身の運命は自ら決しうる理性的な人間である。だがこれは、ホッブスの人間観、あるいは人間像を原始未開の人間もそうであろうとみなしたに過ぎない、一種の想像である。そして、このような人間の自由な判断に基づく契約によって、国家は成立することになる。だが、考古学的にみれば、そもそも社会成立以前の孤立分離した人間生活というものは存在しなかったようであり、人は最初から家族を基本に、ある群居のなかで暮らしていた。ましてや、独立人格による自由な契約に基づいて成立した国家社会など、古代ギリシアの都市国家に萌芽的に見る外は、近代以前には一度もない。だから、ホッブスの主張は一つの擬制(虚構)の上に構成された理屈である。

    これだけを見れば、彼は根も葉も無い、ただの空想を述べたにすぎないことになる。にも拘らず、そこには国家成立の根拠が確固として据えられている、と言わなければならない。というのは、彼の国家論では、統治(この意味を、私は支配=被支配の関係と解する)は被治者・被支配者の側からの、その統治の明確な是認や承認を前提に成立しているからである。確かに歴史的に見て、治者と被治者が同等の立場から相方納得ずくで、統治が成立した事例は稀でしかなかった。侵略、占領の場合には、この関係は明確である。そこでは治者が一方的、暴力的に被治者を弾圧、抑制するからである。

    そうした時代状況の中で、支配=被支配は被治者の側からの統治の是認、すなわち、「私は、貴方が私を支配することを認め、かつお願いします」という関係の内に成立する、とホッブスが見たのは画期的ではなかったか。治者が被治者を圧倒的な暴力の下で、一方的に抑圧した支配は可能だが、それが永続的、安定的に維持されることは難しい。そのためには、先にも言ったが、圧倒的な強力(暴力装置)と監視機構の整備が不可欠である。そうではない、平和で安定した統治が成立するためには、統治される者の権力への是認は最も重要な条件であろう。それを「支配の正当性」と言って、理論化したのが、マクッス・ヴェーバーであった(今日はこれまで)。

  • 10月28日・金曜日。雨。

    他者を自分の意志のもとに置く、すなわち「支配」するとは、どんな人間関係を言うのであろう。こんな難しい問題に私が答えられるわけもないが、ほんの参考までに言ってみよう。一つは愛(アガペー)であり、いま一つは暴力である。ここでは、前者は棚上げにし、後者の問題のみを考えたい。

    東洋思想は知らず、西洋でこの事を根源的に考えたのは、ホッブスではなかったか。彼はピューリタン革命(1642-60)の動乱の時代に思索した政治思想家だけに、暴力のさ中にある人間の性を知りぬいていた。ヒトは生きんがために、非道も人道もない、なしうる全てのことを為すのだ。それを当然のことと見做して、愧じ入る必要もない。諸々の規範が消滅して、原初の自然状態に返って仕舞えば、人間とは、結局、そういう存在だと、彼はみたのであろう。ここで支配するのは、相手より強いか弱いか、つまり暴力の原理である。

    しかし、人間が相互に争うとは、どういう事か。彼ら両者の力がほぼ均衡しているという意味である。考えてもみよ。自分と相手の腕力が一対千ほどの差異があって、なお相手の理不尽に怒り心頭、飛び掛かる人間はそうそういるものではない。そういう人の事を、世間知に長けた大人は「バカ」と呼ぶのである。「尊王攘夷」に駆られた長州藩が馬関戦争(1864)を仕出かし、英米仏蘭から手ひどい懲罰を受け、一転、開国に転じた例を思え。この伝で言えば、先の日米開戦は何であったのか、呆然とするばかりである。

    ホッブスによれば、人間の能力は均等である。そこに差異が生ずるのは、彼の付く職業によってである。こうした彼の人間観はアダム・スミスに受け継がれた。ともあれ、彼がそう考えたとすれば、彼の社会から闘争が止むことはない。これでは、ヒトは生きていくことは出来ない。生きんがために、彼の為しうる一切を為すという、彼の権利・権能の行使の結果が、自らの生命を失うという、何たる皮肉。ここに想到することで、人々は己の権利・権能を放棄し、これらを彼らの選ぶ人間に信託するが、それは彼が社会の平安と人々の生命・財産の保全を保証するからである。支配者と被支配者の存する社会の成立を、ホッブスは概ねこんな風に説明するのである。

    その後の社会契約説の基礎ともなった彼の理論は、批判されるべき点は、もちろん多いが、現在社会の問題を考えるに際し、非常に有益だと私は思う。ここでは、君主の王権は神から直接彼に授けられた、故に人は彼の支配に服すべし、とする王権神授説にたいし、ホッブスは神を持ち出さずに、人間の理性に基づき、人民相互の納得尽で支配・被支配の社会関係、その体制が成立したことを論証した点で、彼は近代政治理論の嚆矢であった点を評価したい(シュンペーターがそう言ったと思う)。

    ズーターから随分離れてしまった。だが、そうでもない(乞う、次回)。

  • 10月24日・月曜日。久方ぶりの快晴。

    前回の話に一二付言したい事を思い出した。それは、私の勝手な推論であり、ツヴァイクがそう書いている訳ではないが、そう考えればやはり怖い話と思うからだ。

    さて、今やズーターの部下達の誰もが自分の仕事、義務を放り出し、勝手に金の採掘に没頭し始めた。彼らは別段、ズーターに反感、恨みがあった訳ではない。むしろ、恩義すら感じていたかも知れない。ただ、自分も金を掘れば、イッパシノ金持ちになれると思った、それだけのことからである。そうして、最早、ズーターの言うことは、耳に入らなくなった。こうして、昨日まであった指揮命令系統は跡形もなく消え去った。何の争いもなく、霜が朝日に解けるように至極当然、自然に生じたかのようであった。

    ズーターは驚いたことだろう。昨日まであれほど忠実であり、親身であった部下たちが、昨日と同じ姿と顔付きをしながら、しかし今日は彼に対して、まるで他人を見るような目つきで、相手にもならずに土を掘り続けているからだ。何か震災や戦争のような境遇の激変によって、事態は変わった。そうした挙句の混乱と人々の変容であれば、彼もそれを覚悟し、受け入れることも出来たであろう。そうした事は何も無く、ここを掘れば金が手に入る、ただその事実を知っただけの事で、しかもその土地は彼らのものでも無いにも拘らず、事態は一挙に暗転したという事実である。

    これを、一体何に例えたら良いだろうか。通貨(紙幣)、これか。昨日まで、誰もが何でも手に入れることの出来たカネが、今日は通用しないとなったらどうだろう。特に紙幣であれば、それは単なる一片の紙屑に過ぎないという話である。爪に火を灯す、という言葉があるが、そんなにまでして貯めたカネが、一夜にして単なる紙に化すとは。そんな事態に逢着したとき、ヒトは一体ドンナ顔をするのだろう。

    ともあれ、ズーターの最初の思いは、恐怖というより、何か不思議な感覚ではなかったか。それから得体の知れない不気味さと恐怖に包まれたのではないか。それにしても、恐ろしきは、人の心の捉え難さであり、儚さである。それにも拘わらず、人が人に事を命じ、それが間違いなく執行される、とは如何なる仕組みに拠るものなのであろう(今日はここまで)(前回の文章大分訂正した)。

  • 10月17日・月曜日。雨のち曇り。鶴巻公園の高木数種わずかに色づく。

    ツヴァイクに「怖いといえばこわい小説」がある、と始めたこの話の怖さは、前回末尾で少々触れた。だが、ここに潜む怖さはそれで尽くされてはいない。その第一は、先にも言ったが、ただ怒りに駆られた人々が、群衆となって自分を目がけて突進してくるさまである。これは、是非善悪を超えて、この世の終わりを感じさせるような恐怖であるに違いない。こうした暴動は、先ずは対象者に対する憎しみに発するが、しかし暴徒の心はそれに留まらない。彼がこれまでの人生で味わった、大小無数の理不尽な辛さ、悲しみの発露でもあろう。そうしたものの恨みツラミをすべてぶちまける場でもある。であれば、ここでの暴虐は限度を超え、その犠牲者はそうした恨みの一切をその身に負わせられるのではないか。

    統治者は、昔からそうした暴動の凶暴さ、怖さをよく知っていた。たとえば歴代のローマ皇帝は徹底した奴隷の管理に加えて、市民たちにはローマ市内の食糧保全と娯楽施設の完備に心を砕いたという。それがあの壮大な競技場の建設や大浴場の整備になったのである。ヨーロッパへの梅毒の伝播は、コロンブスの船員が西インド諸島からスピロヘーターを齎したことによるとの話だが、実は大浴場近辺の遺跡から、梅毒患者と思しき人骨が多数発掘されているようである(立川昭二『病気の社会史――文明に探る病因』NHKブックス)。とすればかの船員はエライ不名誉を負わされたわけだが、これが事実であれば、大浴場の実態がいかなるものか分かろう。それだから、この大浴場はやがて廃止されることにもなったのだが、これによっても、為政者たちがいかに市民の不満の鬱屈を防ぎ、彼らの気晴らしに奉仕したかは明らかだ。映画『ベン・ハー』に見る迫力ある戦車競走、奴隷同士の死闘、キリスト教徒の火刑やライオンの餌食の見世物は、そうした娯楽の犠牲であった。人間とはげに恐ろしき生き物ではないか(シェンキヴィッチ『クヲヴァディス』参照)。

    被治者に対する統治者の恐怖感は戦争や占領の際に特に強まる。国民への監視や、占領民への弾圧は恐怖の裏返しであろう。住民の被差別者への徹底した差別と抑圧もそうである(塩見鮮一郎『被差別文学傑作集』・河出書房文庫)。普段、抑圧しているという負い目が恐怖感となって、事が起こった時には彼らの復讐を恐れて、その前に虐殺に走る。関東大震災の朝鮮人や戦前の占領地域の場合はその一例に過ぎない。そうなれば、潮目の変わった時点の逆襲はタダでは済まない。アメリカ兵の日本上陸の恐怖は並ではなかった。日本男子は全て去勢され、女子は娼婦とされる。この恐怖から彼女たちは自死へと追い込まれたのであった。それは日本人の戦中に仕出かしたことの裏返しである。

    北朝鮮の政府が言われているとおりの状況であれば、それは統治力の不安、恐怖感の結果であろう。だが、国民を徹底して抑圧する政治からは、決して未来が開かれることはない。

    私はまたもや、枝道に紛れ込んだ。ツヴァイクの話の私にとっての恐怖は別にある。それを言いたかったのだ。秩序や正義というものも、大混乱の無法状況においては、国家やそれに代わる権力機構を以てしても維持できない、という事である。その場合は、詰まるところ、身を守るのは自分の腕力であり、暴力装置でしかないという、身も蓋もない話になる。これは、既にホッブスが『リヴァイアサン』で言っていたことに尽きる。自然状態にあって、人は全ての事をなす権能がある。略奪であれ、人殺しであれ、自らの生命を維持するためには、それらは許される。そこでは、「弱肉強食」の掟が支配する。それでは人は生きてはいけず、これを避けるために、人々はより集い、国家に類する装置を作ろうとするのである。しかし時にはそれすら、無効であることがあり得るのである。ツヴァイクはその事を提示した。そして、現代社会はそれほどアカラサマデ、これほど過酷な姿ではないけれど、弱者と強者に区画され、後者が前者を利用し、食い尽くす獰猛な様相を世界レベルで見せ始めてきたように見える。その時、強者は弱者を虐げ、それ故に弱者を恐れ、弱者はまた強者に踏みにじられつつ、復讐の牙を研ぎ、こうして「先のものが後になり、後のものが先になる」という聖句が、聖書とは逆の意味で成就するかもしれない。その社会はもはや人の世ではなく、悪鬼と悪鬼の凄絶な闘争の場と帰し、なにか得体のしれないものとなろう。現下の、中近東の闘争、アフリカの混乱、日本近海の紛争がその序曲で無ければ幸いだ(この話これまでとする)。

  • 10月11日・火曜日。相変わらずの曇天。

    領地の蹂躙と簒奪はかくのごとし。だがそれで終わったのではなかった。いや、徹底的な略奪の序章でしかなかった。その後の4年の間に、ヨーロッパ中から投機家の群れがやってきた。敷設された鉄道は、黄金狂にうなされた大軍を次々送り付け、会社が勝手に設立された。そうして、ズーターの領地をてんでに掘り返していた。待ってくれ。この土地は「政府の印鑑が押されている書類」によって、ズーターの所有地であることに、間違いはないのである。

    にも拘らず、この土地は見知らぬ他人たちの所有物となり、売買され、いつの間にか都市の風貌を整え、それはエルドラード・カリフォルニアという魔力的な名で呼ばれるようになった。ここに、彼が名付けた新ヘルヴェチア(新スイス)王国は消失する。同時に、ズーター一家は王国の外れにある金とは無縁な農園地に隠棲する。妻を亡くした彼は、三人の息子たちと共に農業経営者として立つことを決意した。

    彼らはこの決意の通り、農業事業者として暮らせば、幸福に過ごすことができたであろう。彼はこの土地の地味と豊饒性を良く承知しており、そこから豊かな生産性を引き出していたからである。しかし、容赦ない運命は、彼をソットはしておかなかった。こうして、彼の人生の最終幕が開く。

    1850年、カリフォルニアは合衆国に組み込まれる。と共に、国家による法律の執行力が息を吹き返した。規律が遵守され、秩序は回復した。ならば、とズーターは立ち上がる。サン・フランシスコ市が建つ土地は、法律上すべて自分の所有地である、と司法に提訴し、棄損した彼の権利の回復を求めたのである。それは人類が初めて知った「大がかりな訴訟事件」になった、とツヴァイクは言う。まず、領国内に住む17,220人の農夫の告訴と土地の返還に始まり、カリフォルニア政府に対しては、領土内の彼の所有に帰する「道路、運河、橋、堰、製粉場」の代償として2500万ドル及び採取された黄金の分け前等である。この訴訟のために、長男はワシントンで法律を学び、訴訟費用は莫大な農業利益から賄われた。つまり、彼は全てをここに注ぎ込んだのである。1855年3月15日、判決は下った。それは望外の成果であった。「カリフォルニアの最高官吏である公正な判事トンプソンは地所に対するヨーハン・アウグスト・ズーターの権利をそっくりそのまま認めた。」

    悪魔の狡知、とはこれを言うのであろうか。ニッコリ笑って、希望を持たせながら、一気に地獄に突き落とす。ほんの数年前、彼は「世界最高の富者」の夢を掴みかけた。今再び、そして、今度こそ確実にこれを手にし得たと、確信し喜びに浸ったことだろう。だが、幸福の絶頂から奈落の底に叩き落とされるのは、一夜で足りた。再び、ツヴァイクに語らせよう。

    「判決が世に知られたのち、サン・フランシスコとそして全地方とに騒動が勃発した。一万人の人間が暴動を起こして、地主たちをおびやかし、ますます掠奪をほしいままにする浮浪人暴徒が裁判所を襲ってその建物を焼き、裁判官を私刑にしようとし、それからものすごい人数の彼らは、ヨーハン・アウグスト・ズーターの全財産を掠奪しに出向いた。彼の長男は暴徒たちに脅迫されてついにピストル自殺を遂げ、次男は殺害され、三男はスイスに帰る旅の途中で溺死した。新ヘルヴェチアは火の海になり、ズーターの農園は焼かれ、葡萄の株は踏みつぶされ、彼の動産、蒐集品は奪い取られ、莫大な持ちものは残酷な狂暴さによって荒らしつくされた。ズーターはかろうじて自分の命だけを救うことができた」。

    強靭な精神力を持つズーターも、この狂猛な嵐にあって、ついに破綻をきたす。頭の中にはただ失った家族への思いと権利や訴訟がちらつくばかりであった。そんな彼に言い寄る者達はまだあって、裁判を唆し、カツカツの金を巻き上げてしまった。もはやカネが問題ではない。失われた権利の回復、これが偏執狂的に彼を苛み、乞食のようななりも構わず、その後の20年間を裁判所や議会の周りをうろつき、誰からも相手にされず、1880年7月10日、卒中が襲って国会議事堂の階段の上で息を引き取ったという。「死んだ乞食」として処理されたばかりであるが、それにも拘らず動かせない事実がある。「依然としてサン・フランシスコとその一帯の土地は、他人の所有地の上に立っている。これについての権利のことが問題とされたことはまだない」。

    私はこんな長話をする心算はなかった。興味のある方は、本書を読めば分かることだからだ。ここで私が言いたかったことは、正義や秩序、あるいは法といっても、それが守られるのは社会の大勢、趨勢に影響しない範囲内でのことでしか無さそうだ、ということである。法の執行、秩序維持といっても、その実行が社会体制の根幹に触れ、深刻な変革を迫ろうとするとき、とりわけその被害者が少数者、マイノリティーに留まる限り、国家は彼ら被害者の方を抹殺し、問題自体を無い事にしてしまうのではないのか。そんな事例は、この四五十年の間でもいくらもあった。水俣病や血液製剤の患者たち、今でいえば、福島原発の被害者たちもそうだろう。

    そして、本当に恐ろしいのは、大衆として集団となった怒りの連鎖である。いかに強大な国家権力といえども、一度火のついた盲目の暴動は止めることはできない。それは行き着くところまで行くほかはない。であれば、権力は常にこれを監視し、抑圧して防遏する。それがまた、強権的政治の出現となろう。そうした悪循環を止めるのは、何か。教育だろうか。だがしかし、私自身を見詰めるとき、わが身内にそのような自己抑制の力を見出すことはできない。私もまた先の大衆の一人となって、盲目の暴動の中にマッシグラニ突き進みそうな気がするのである。つまり私も、ズーターを打ち据える一人になるのではないかと、恐れるのである。