• 1月23日・月曜日。快晴。風邪のため二日間を臥し、それだけのことで足腰の難儀を覚える。

    だが、私は思う。著者は「視る人」である以上に、むしろ「聴く人」ではないのか。そこにこそ、著者の真骨頂はあるのでは無いか。これはしかし、音楽的な世界の美を言おうとするのではない。先に述べたように、著者の願いは「日々繰り広げられる多様な生命の営み」に発する美を掬い取りたいとする点にあると思うが、とすればそれはもはや音楽という限られた世界に留まることはできない。そして、ここでの著者の聴力はやはり並ではないのである。

    たとえば、次のような文章はどうか。七月のある深夜、那須高原で繰り広げられる生き物たちのドラマを記した一文である。思い切って山小屋から一歩出てみると、「うっすらと樹林にわだかまる靄。その靄よりはるかに密度濃く、生きてうごめく無数の者の気配がざわーっという音となって湧き上がり、森に満ちていたのである。/微かに、だが確かなうごめきは、地中から這いだす虫や、夜明けをめざして、長い時間をかけて羽化してゆく蝉の、殻から抜けだそうとふるえる音なのだろか」(「ざわめく夜の森」81頁以下)。

    こうした音の名状しがたいざわめきを、深夜の山中、身一つで受け止める恐れは、そくそくと迫る「何万という雑兵にとり囲まれた」籠城者の恐怖にも比せられる。それも道理、生き物たちが生死をかけた闘争の気配であったからだ。しかし、この死闘も日の出とともにピタリと止む。こうして、「夏の那須高原に、生き物たちの濃密な夜が明けていく」。

    耳にする微かなざわめきを逃さず、その背後の世界に身を潜ませようとする著者の執着は、能『高砂』で謡われる「松風颯颯」に刺激され、誠の「松風の音」を求める旅へと駆り立てた。寒風すさぶ能代海岸の砂防林に身を置き、あるいは天橋立や京都御所へと。それで目指す松風が聴けたかは定かではないが、一頻り松林を騒がせた風の後の静けさこそが「松風」の心と得心したようなのである。芭蕉もまた、一音、一声のもたらす静寂の深さ、広がりの世界を詠んではいなかったか(本日はこれまで)。

  • 1月16日・月曜日。快晴なるも寒し。本日、日本将棋連盟より五段位の免状を授与される。谷川会長が直々に手渡ししてくださった。我が実力、段位に及ばぬ事遥かなり。

    新年を寿ぎ、それに相応しく少々高雅な題材と話しを、と妙に背伸びしたのがまずかった。またもや迷路へと踏み迷う。はたしてこの出口はありやナシや。

    さて、前回の私の結論としては、散文と散文詩との境界は、詰まるところ読み手の感性に帰するのではないか、ということであった。もっとも、その当否は読者にお任せする他はないのだが、仮にそうだとすれば、この度(正確には、昨年11月末)、散文詩とはまさにこのような作品を言うのではないか、と思われる著書を頂戴した。『美はそこに在り』(文芸春秋、2016)、柴田裕巳氏がその著者である。

    本書を一読して、やはり文芸書の文体は違う。自分にはこのように清冽な文章は書けない。これが読後感であった。私がこれまで慣れ親しんできた文章世界は、複雑に絡む社会事象の因果連鎖を解きほぐし、その生起の骨格と特徴、あるいはその歴史的意味の理解を得ようとする、そうした文章であり、それに特化し、鋭くはあっても、無味乾燥であり、言葉の彩、丸味や奥行きなどは望むべくもない。そして、それはやむを得ないことなのである。学術的な文章は、無限に多様な内容を持つ対象から知ろうとする要素のみを引き出し、他を全て切り捨ててしまう操作(これを概念化という)を通じて、定義や概念を明確に構成し、そうした専門用語群と厳密な論理に支えられているからである。

    こうした世界の住人としては、本書もまた、他の文芸書と同様、我が目を洗い清めるにたる清新さを湛え、これに深く打たれた。著者がここで差し出す世界は、多くは氏の住まう関東北部の山間、渓谷で日々繰り広げられる多様な生命の営みである。しかし同時に、都心の人知れず置き去りにされた開花の宴、あるいは落花の桜樹にも眼は注がれ、「そこに在」る「美」を掬い取るのである。

    このように、氏は視覚的に捉えられる自然界の織り成す美の乱舞を捉えて離さない。だがそれは、単に形状、景観の美を讃えるわけではない。優れた肖像画はその人物の内面にまで迫る、と聞いたことがある(残念ながら、私にはそんな鑑識眼は無いのだが)。「オフィーリアよ、永遠に憩え」(132頁以下)はそんな感懐を呼び覚ます一文である。ここで著者は、ミレイの傑作『オフィーリア』の絵の魅力に引き寄せられて、水中に漂う死せる彼女と清流、そしてそれを包む水草の状景を求めて、裏磐梯の五色沼の水辺に足を運び、あるいは摩周湖から湧き上がるシュワンベツ川にさく水藻の白い花に出会って、ついに彼女の死の安らぎとそこに湛えられた美の深さを得心するのである(本日はここまで)。

  • 1月13日・金曜日。快晴なるも、近日中に大寒波襲来の予報あり。

    ここで私が「詩論」を論じ、それとの比較で散文詩なるものの何たるかを論じられれば上等だが、ソンナ教養は微塵もない。それゆえここでは「散文」を「詩」との比較で定義した一文を挙げてご勘弁いただこう。「散文」とは文芸上の表現手段であるが、特定の表現形式を持たず、文章上のリズムは多様であり、あらゆる日常の言語表現に密着しているという点で、「詩」とは区別される。つまり、「散文と詩との顕著な相違は音律、リズム、ときには扱う主題等のうちにみられる」(Britannica Concise Encyclopedia)と言うことらしい。

    これを逆に言えば、「詩」とはある特定の形式(詩行)とリズム(音調・韻律)を持ち、内容も叙事詩、抒情詩、劇詩等に分けられ、それらを表す表現様式も直喩、隠喩を含む直接的な記述から象徴主義にいたる技法も多様である。そうした詩形の変容、技術の革新は、恐らくその時々の人間がもはや抑えてはおけない身内から迸る真の喜び、苦しみを表現しようとするとき、それらはもはや従前の形式ではとても収まらないような質的に異質のものへと変容し、これに促されて開発されてきたものであろうか。とすれば、これらの歩みは絵画、音楽、文学、建築のそれらと同じであろう。つまりそうした歩みは、人間社会、歴史そのものである。

    こんな、自分でも訳の分からないことに関わっていれば、肝心の散文詩の問題を忘れてしまう。ところで、散文と散文詩との厳密な境界線は引けないようだ。散文詩には「定型詩の韻律・押韻形式はもちろん、自由詩の顕著なリズムももたず、また一般に行分けをせずにパラグラフ単位で統一される詩」(ブリタニカ国際大百科事典より)と言われている通りである。それでもここには、単なる散文にはない「内容の高潮に伴うリズム」がある。このリズムをより構造的に明確にしようとすればそれは限りなく「詩」の領域に近づくだろう。事実、「散文詩は…一定のリズム、明確な定型的な構造あるいは情緒的ないしイマジナティブな高揚と言った詩作の特性」をもつ作品もあるからである(Britannicaより)。確かに両者の厳密な区分は難しく、最後は読み手の感性の問題になるのかも知れないが、にも拘らずそこには超えることの出来ない境界線があるのではなかろうか。ある散文はドウ転んでも散文でしかないというように(本日はこれまで)。

  • 2017年1月10日・火曜日。晴天。

    明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。頂戴した賀状にはこのブログを面白く読んでいるとの感想記が、非常に多く、と言うわけでは無いが(ホントは4、5通、或いはこれも針小棒大か?)寄せられ、大変気を良くした次第である。今年もこれに励まされ、馬力をかけて、あてどの無いこの旅路を続けて行きたい。諸氏には宜しくお付き合いのほどを。と、マア、殊勝なる年頭の挨拶を送らせていただく。

    時に私は「詩人」と言われる人たちに憧れた。茫洋とした、捉えどころのない人の世の営みを、あるいは大自然の平穏と激変、滋愛と憤怒の相克、そうした諸相を研ぎ澄まされた一語をもって刻印し、空間のキャンパスに揺るぎない像を描き切る。混沌の中の本質を掴み取りそれ以外に表しようのない形容を与える。そして、その一語が巨大な現実を中吊りにし、これでドウだと突きつける。その過程は、いまだ一塊の石槫に鋭い鑿の切込みを加えて次第に姿を浮き立たせる彫刻家の仕事を思わせる。あるいはそれは、巧みな画家の一本一本の描線が重なり合い、ある一線を超えると突如として、だが音も無く眼前の人物像が浮き上がる、そんな驚きと興奮を呼び覚ます。

    と言って、私は詩人たちの詩作を読み耽ったわけではない。むしろ、読んでいない、と言った方が正しい。読みたくとも、分からないからだ。残念ながら、そうした詩人たちの感性、直観力に就いていけるだけの聴力、資質に欠けているのであろう。言葉が簡潔にして、鋭いほどに、私にはそれらを聴き分けるだけの機関が欠落している、と思うほかは無かった。それらを自分なりに分かり、得心するためには、十分の説明と解説が必要となる。こうして、いつしか私は自分が散文的で、何かシマリのない人間の一人ではないかと諦め、それが逆に詩人への憧れと敬意に変わっていったのであろう。

    年の初めから、何か情けない話となった。しかし、とは言え、そこで諦める訳にはいかなかった。事象を詩人とまではいかなくとも、贅肉をそぎ落とし、簡潔かつ美的にとらえ、そうして映像として描き出したい、との願望は失せずに今に至るのである。かくて、何時のころからか、「散文詩」なる言葉がわが心に去来するようになる。この言葉は、それを思いついた頃には、私自身の造語と思っていた。辞書でこれを確かめようとも考えつかなかった。

    そういう事はどうでも良かった。散文をもって事象を詩的に捉えきる。そういう事なら、特別の感性と直感、なにか神秘的なわが身には及びもつかない能力というより、文章を鍛え、観察力を養い、自分なりの見方を深めることで、マア、そこそこの線には行けるのではないか。別段、職業作家を目指すわけでもない。こんな思いであったろうか。仕事がら、論文やら専門書、翻訳等は読まなければならないが、それとは関わりのない文学・歴史・評論その他面白そうな本にはなるたけ首を突っ込むようにして来たようだ。気に入った新聞小説は結構読んだ方だと思う。ここには将棋の観戦記も挙げておこう。要するに、これらは私なりの文章作法の訓練であった。

    だが「散文詩」なる言葉は、私の造語ではなかった。ボードレール『悪の華』の中に収録された散文詩として掲げられる作品を見出した。これを私は安藤元雄編訳で読むが、訳者は我が同僚の一人で、わが国第一級の詩人である。本書はそれ以前に堀口大学訳で学生時代に目にしていたが、全く分からず断念した記憶があるだけに、よく知る先生の翻訳で再挑戦したのであった。さすがの名訳、堪能した。四十代中頃の読書でもあり、こちらの準備もそれなり整っていたのであろう。だから、堀口訳がドウのということではまるでない、と断っておきたい(本日はこれまで。以下次回)。

  • 12月21日・水曜日。晴れ。いまだ賀状の準備無し。今日にも文案をと、少々心急く。また、昨日、ドイツのファラー家よりクリスマスカード来るも、当方はこの4、5年プレゼントのみにて返信せず。ただ、ドイツ語の手紙が面倒の故。文面には「昨年も、お前たちのことは何も聞かされなかった」とあった。数年前、彼は心臓の大手術をしたのにである。

    今月の我が定期券(春日部―浅草)は数日前に切れていた。それは分かっていた。そして過日は、前からの約束で、東京に出かけなければならなかった。約束の時間は早や迫り、更新の暇も有らばこそ、パスモのチャージを使って、折からの特急電車に飛び乗った。それでも五分の遅刻。こうしたスリルと不安、相手への申し訳なさは毎度のことながら、一向にこの悪癖は治らない。小学校時代からの我が宿痾である。だが私は、プーチン氏の向こうを張っている訳で無いことを、ここで一言させていただく。少なくとも私には、氏とは違って、申し訳ないとの気持ちだけはあるのだから。

    だがここでは、そうした悔恨のつれづれを記そうというのではない。パスモに貯められた金額の激減ぶりから、改めて交通費の高さに一驚した次第を述べてみたいのである。私の生計費は年金、クリエイトの給与プラスαで、有難いことながら他の高齢の皆様方よりは多少の余裕があるほうだと思う。その私が言う。公共交通機関の「料金は高い」と。往復で優に千円は超えてしまう。これでは、東京近郊の年金生活者は東京はおろか、県内移動もままなるまい。

    東京住まいの友人に訊けば、都営のバス、地下鉄は無料だそうで、ここでも地域間格差は歴然としている。その他、医療、福祉等のサービスを挙げれば、高齢者が都心回帰になるのも当然であろう。私もかつてソンナことを言われたことがある。若者ばかりか、年配者も都心志向になれば一極集中と地方の疲弊は留まることは無かろう。その余裕のある年配者達が地域を去ればなおのことであろう。

    こんな事を言えば、お前はまだ高齢者優遇を言い募るのか、と叱られるかも知れない。そうで無くとも、年金や医療ではやり玉に挙がっているのだから。しかし、私の趣旨は少々違う。高齢者を家や地域に逼塞させておく事の得失を言いたいのである。一定の収入しかなく、これだけの低金利時代では、「出を控える」他はないわけで、それは結局彼らの生活圏を狭め、様々な刺激を奪い、医療費ほかに跳ね返ってくるのではないか。

    そこで私の提案はこうだ。働ける余裕のある人には、若者の職場を奪わない限りで職に就くことを支持するにしても、その他には公共機関の費用を全額とは言わないまでも、税金で補てんする仕組みはどうか。新幹線ではすでにシニアの割引制度があるが、日々の生活にまでそれを拡大するのである。30年ほど前の話だが、そんなアイデアが出されたことがあった。ラッシュと逆方向の交通費を半額にすると言うものであった。また通勤、通学時間以外の私鉄の利用率は、私の実感ではかなり低く、年配者たちに乗ってもらえば、街の活性化にも繋がるはずだ。巣鴨のあの賑わいを、より多くの街に広げたい。私の経験から言って、我々には時間だけはタップリあるのだから。交通を通して町と街を年配者たちによってつなぐのである。

    これをもって、本年の「金子光男の手紙」の最終便とします。皆様方には、本年もつまらぬ手紙にお付き合い頂きありがとうございました(?)。来年もよろしくお願い致します。良いお年を!