2017年1月10日

2017年1月10日・火曜日。晴天。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。頂戴した賀状にはこのブログを面白く読んでいるとの感想記が、非常に多く、と言うわけでは無いが(ホントは4、5通、或いはこれも針小棒大か?)寄せられ、大変気を良くした次第である。今年もこれに励まされ、馬力をかけて、あてどの無いこの旅路を続けて行きたい。諸氏には宜しくお付き合いのほどを。と、マア、殊勝なる年頭の挨拶を送らせていただく。

時に私は「詩人」と言われる人たちに憧れた。茫洋とした、捉えどころのない人の世の営みを、あるいは大自然の平穏と激変、滋愛と憤怒の相克、そうした諸相を研ぎ澄まされた一語をもって刻印し、空間のキャンパスに揺るぎない像を描き切る。混沌の中の本質を掴み取りそれ以外に表しようのない形容を与える。そして、その一語が巨大な現実を中吊りにし、これでドウだと突きつける。その過程は、いまだ一塊の石槫に鋭い鑿の切込みを加えて次第に姿を浮き立たせる彫刻家の仕事を思わせる。あるいはそれは、巧みな画家の一本一本の描線が重なり合い、ある一線を超えると突如として、だが音も無く眼前の人物像が浮き上がる、そんな驚きと興奮を呼び覚ます。

と言って、私は詩人たちの詩作を読み耽ったわけではない。むしろ、読んでいない、と言った方が正しい。読みたくとも、分からないからだ。残念ながら、そうした詩人たちの感性、直観力に就いていけるだけの聴力、資質に欠けているのであろう。言葉が簡潔にして、鋭いほどに、私にはそれらを聴き分けるだけの機関が欠落している、と思うほかは無かった。それらを自分なりに分かり、得心するためには、十分の説明と解説が必要となる。こうして、いつしか私は自分が散文的で、何かシマリのない人間の一人ではないかと諦め、それが逆に詩人への憧れと敬意に変わっていったのであろう。

年の初めから、何か情けない話となった。しかし、とは言え、そこで諦める訳にはいかなかった。事象を詩人とまではいかなくとも、贅肉をそぎ落とし、簡潔かつ美的にとらえ、そうして映像として描き出したい、との願望は失せずに今に至るのである。かくて、何時のころからか、「散文詩」なる言葉がわが心に去来するようになる。この言葉は、それを思いついた頃には、私自身の造語と思っていた。辞書でこれを確かめようとも考えつかなかった。

そういう事はどうでも良かった。散文をもって事象を詩的に捉えきる。そういう事なら、特別の感性と直感、なにか神秘的なわが身には及びもつかない能力というより、文章を鍛え、観察力を養い、自分なりの見方を深めることで、マア、そこそこの線には行けるのではないか。別段、職業作家を目指すわけでもない。こんな思いであったろうか。仕事がら、論文やら専門書、翻訳等は読まなければならないが、それとは関わりのない文学・歴史・評論その他面白そうな本にはなるたけ首を突っ込むようにして来たようだ。気に入った新聞小説は結構読んだ方だと思う。ここには将棋の観戦記も挙げておこう。要するに、これらは私なりの文章作法の訓練であった。

だが「散文詩」なる言葉は、私の造語ではなかった。ボードレール『悪の華』の中に収録された散文詩として掲げられる作品を見出した。これを私は安藤元雄編訳で読むが、訳者は我が同僚の一人で、わが国第一級の詩人である。本書はそれ以前に堀口大学訳で学生時代に目にしていたが、全く分からず断念した記憶があるだけに、よく知る先生の翻訳で再挑戦したのであった。さすがの名訳、堪能した。四十代中頃の読書でもあり、こちらの準備もそれなり整っていたのであろう。だから、堀口訳がドウのということではまるでない、と断っておきたい(本日はこれまで。以下次回)。


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