• 9月4日・金曜日。苛烈な残暑なお続く。九州地方には、過去にない強烈な台風が接近中とのことである。国交省と気象庁は、極めて異例な合同記者会見を開き、これを「特別警報級」と呼んだ。沖縄方面の海温が30度に達するというのも異常であり、地球レベルでの温暖化対策は、喫緊の課題である。

    9月8日・火曜日。晴れ。九州地方の惨害、三たび。言葉もない。本日は前回の、特に後半部分の加筆訂正に留める。

     

    先に私はインカ帝国の「瓦解」を言ったが、この言い方は恐らく正しくない。帝国を自分から壊すという意味で、これは「自壊」したのである。瓦解には、古くなった物事、組織が外部からの衝撃に耐えきれず、自然に崩れるという趣があり、その限り受動的である。だが、インカの場合、それではない。住民、国民自らが自分たちのこれまでの罪業を認め、だから生活万般、つまり言語や信仰、宗教、風習及び統治機構に至る一切を改め、征服者たちの信じ、命ずる神に帰順し、その怒りを和らげなければならない。こうして、一刻も早くキリストにあって救われたいと願ったのではないか。とすれば、インカ帝国はただ滅亡したのではなく、住民たちが自ら壊し、積極的に新たな国を創造しようという意志が働いた。帝国が一挙に崩壊したとは、その様な意味に解して初めて明らかになるのではないだろうか(下巻・94頁参照)。

    だが、疫病蔓延のメカニズムは、本来、そうした人間の側の勝手な解釈とは全く別ものである。それは原因と結果の関係を解く、科学の問題である。例えば、天然痘は宿主となる人体に侵入した痘瘡ウイルスが増殖し、その結果高熱と共に発疹、膿疱を発症させる殺傷力の高い感染症である。病人との何らかの接触によってウイルスを身体に取り込んだ者が罹患する。

    病気のこうした機序は、医学によって解明された。こんな分かり切った事を、私がわざわざ言うのは、人間の意志や善行、信仰がどうあれ、病気には全く別のメカニズム、法則が作用していることをハッキリさせたかったからである。これは、「生じていること」すなわち現象の解明、理解は、それ固有の領域であり、人間の意図や願望とはまるで別物である、と理解することに通じる。

    くどくどと、同じような事を言っている気もしないではないが、実は現在でもその種の混乱、あるいは意図的な混同は常に起こり得ると感ずるからである。つまり、事実経過の説明、解明の中に、秘かにある願望や意図を潜ませ、取るべき対策、対応を自己に都合の良さそうな方向に誘導するような場合である。

    たしかに、インカ滅亡については、宣教師は天然痘の病理学的な仕組みが分かっていた分けでなく、彼らとしては太陽神を信ずるインデオの苦境、惨状を見るにつけ、キリストの神による一刻も早い救済をとの一念から、必死に彼らの入信を説いた、という一面もあったろう。だが、キリスト教への帰順以外に救いの道無し、と信じたインデオの結末はすでに見たとおりである。

    しかし、こうした結果を自ら招いたインデオは無知であった、哀れであったと嗤うことは出来ない。我われは、ほんの70年ほど前に、日米相互の国力、それに基づく戦力差、近代戦の論理、燃料・資源の冷静な分析、総合判断、そこから帰結する科学的・論理的結果をよりも、神国・日本は神に守られていると本気で信じ、国民を指導する政治家を仰いでいたのだから。

    つまり、この種の煽動は科学の進歩や情報の発達がどうあれ、もっともらしい解説や報道、教育の在り様によって、いつでも起こるし、現在も起こっていることである。これとの関連で特に一言したいことがある。不都合な事実に直面すると、それを凝視せずに、事実の根拠を隠蔽し、誘導したい資料を捏造してまで、これを無きものにしようとする風潮が出てきた。こうして、「事実」と「虚偽」との峻別が危うくなり、何がなにやら判別しがたい不気味な時代風潮がわが国に忍び寄って来た。のみならず、それは世界にも瀰漫しつつあるように見えることである。ヒトラーは言ったという。「嘘は大きくつけ。そして、つき続けよ。されば、それはやがて真実になる。」と(以下次回)。

  • 9月2日・水曜日。曇り時に雨。台風の余波により、降雨もあるが、大いに蒸す。なお、本欄は本日の配信をもって、300回となるらしい。2014年4月から開始し、6年4か月を数える。ただ続けてきただけのことで、感慨とてまるで無し。

     

    過日、インカ帝国滅亡の理解について、ネットを介してごく簡単に検索したところ、依然、ピサロ主因説がない訳ではないが、いくつか「疫病説」も認められ、この点では、上記のTV放映時点よりはいくらか進歩したと見らるだろうか。しかし、天然痘の蔓延がいかに激甚で猖獗を極めようとも、それだけで直ちに帝国が滅亡するとは考えられない。疫病は、原爆投下や隕石の落下とは違うのである。帝国を瓦解させるほどに疫病が蔓延するには、それだけの時間を要するからである。

    ここでは、疫病の惨劇を蒙った人間の側の受け入れ方、つまりその解釈、理解の問題が最も重要である。現在では、科学の力もあって、天変地異や疫病の困窮を、直接、被害者の過去の悪行、罪責に結び付けた理解や、またそうした社会的な非難は、多少弱まって来たとは言え、多くの難病患者に対するその種の批判や非難が、今なお根強いことは一々例を挙げるまでもなかろう。とすれば、全ての出来事、生活を、神や超自然的な何ものかと結びつけて理解する時代や社会にあっては、どうであったろう。

    天然痘の症状は激烈であり、致死率はほぼ30%という。発熱、頭痛、強度の腹痛に苦しみ、譫妄状況に陥る。ときに発疹は全身に及んで、しかもうみを持つ膿疱となる。身は爛れ、崩れ落ちるような思いが迫り、回復後には、顔貌を大きく変えるほどの痕跡を残す。本人はもとより、周囲の者たちもこれを見、明日の我が身を恐怖する。

    こうした業苦に苛まれ、そしてそれが社会全体を覆うとすれば、人々はこれをいかに受け止め、理解しようとするであろう。現代でさえ、己が生活の在り様を思い、秘かに悔悟する者たちも多いのではないか。ましてや、宗教的な生活に緊縛され、悪業に対しては峻烈な裁きは免れないと信ずる時代においておやである。

    しかもインカ帝国の住民たちは、まざまざと見たのである。自分たちが墜ち入った地獄の劫火の最中にあって、スペイン人たちはこの悪疫からほとんど完全に免れている様をである。だが、その彼らは、住民たちから見て、善良かつ正しき人間たちでは断じて無かった。獰猛で略奪を恣にし、恥ずるところのない、クズのような輩でしかなかったのである。

    だから、侵入者たちはどう見ても神から祝福されるような人間では無い。にも拘らず、疫病から無縁な彼らは、神によって守られ、恩寵を受けた人々と解する他はないようなのだ。たしかにこれは、住民たちには何とも不可解、理不尽な事態であったであろう。

    これに対するスペイン宣教師たちの言葉、教えは、住民らにとってもっとも苦衷に満ちた衝撃であったに違いない。宣教師らは説く。お前たちは太陽神を信じ、キリストの神を蔑ろにして、恥ずるところが無い。これこそ、お前たちが犯した最大の罪であり、よって劫罰に処せられた理由に他ならない。言われてみれば、自分たちとスペイン人を隔てる差異は、信仰する神を異にする以外何も無いように思われる。かくて彼らの信ずる太陽神は、力と権威の全てにおいてキリストの神に劣り、これをなお信仰することは神の怒りを免れず、と信じて速やかなキリスト教への帰依を決意した。いや、そうするしか、自分たちの救済は残されてはいない。裁きは下ったのだ。一刻も猶予はならない。かくてインカ帝国は、その内面から、一気に瓦解するに至ったのである。

    これが、私の解する著者マクニールの主張の大意である。だが、われわれは、スペイン人たちがそんな事で疫病を免れた分けでは無いことを知っている。彼らはすでにその免疫力を持っていたからである。ではそれは、如何にして獲得されたのであろう。という事で、この話はまだ終われない(以下次回)。

  • 8月31日・月曜日。曇り。やや暑さ和らぐ。台風の影響か。

     

    重ねて言う。インカ帝国は断じて烏合の衆では無かった。強固な統治力のもと、帝国は外敵に対して必要な防衛力と組織力を備えていた。でなければ、日本の3倍もの国土の維持や、1日当たり2万人を動員し、80年をかけと言うサクサワマン城塞の築城など、およそ不可能であったろう。

    その大帝国が、取るに足らない勢力によって、一朝にして瓦解したとはどういう事であろう。たとえ、ピサロ侵入の当時、帝国内に政治的内紛が在ったにしてもである。そうした分裂、対立のない国家などあるはずもないからだ。とすれば、その理由は別に求められなければならない。では、これについてのわが国の理解はどこまで進んでいるのであろう。

    『疫病と世界史』の訳者は言っている。「しばらく前にTVでアステカやインカの遺跡の興味深い映像が流され、かつてこの地に栄えた文明の驚異が語られていた。だが驚いたことに、中南米のインデオの文明はスペイン人の侵入・征服によって滅んだというだけで」終わってしまった。だが、「遺跡に残るインデオ文明が極めて高い水準に達していたことだけを言うのでは、瞬時にそれを滅ぼしてしまったヨーロッパ人の技術がいかに優れていたか、」またその基にある古代宗教に対するキリスト教の優位性ばかりが強調されることになりかねないだろう(下巻293頁)。ちなみに、この一文は2007年に記されたものである。

    だが、上の引用文において、訳者は言っていた。放映では「疫病についてはひと言も触れられなかった」と。ということは、当時のわが国の常識では、インデオ文明滅亡の背後には、「疫病」が侵入し、帝国内を恐慌状態に突き落とした事実があったという、この点についての認識がほぼ欠落していたことを示しているのではなかろうか。

    南米における疫病(実はそれは天然痘である)の蔓延は、メキシコからグァテマラを嘗め尽くしながら、遂に1525・26年にインカ領に侵攻する。その猖獗の様相はメキシコ以降と同様、人口の激変を来たし、同時に発生した内乱と共に、帝国の存続を揺るがすほどであった。そうした疲弊と惨状の最中、ピサロ一味が到着し、軍事的抵抗も無いまま、クスコの財宝を略奪しえたのである(下巻・93頁)(以下次回)。

  • 8月21日・金曜日。晴れ。但し、この晴れ、炎暑、酷暑の言葉を月並みな日常語にするような異常さである。これはわが語彙の範囲を超えた状況であり、どう形容すべきかを知らない。なお、昨日のthe Japan timesに「食品包装を介したウイルス拡大の謎、高まる」の記事を見る。コロナウイルスの行状、さらに混迷を深めるか。

    8月24日・月曜日。晴れ。変わらぬ暑さだが、朝晩の風、やや涼味を感ずる。晩夏の気配あり。

    8月26日・水曜日。晴れ。暑し。前回の発信より2回を経るも、構想がまとまらず、いまだ停滞す。これは書くべき内容が、脳内で熟していないためである。

     

    マクニールの著書をここでの関連に絞って要約すれば、以下のようになろうか(本書がそんな要約に収まり切れないことは、前回の末尾で示唆しておいた。興味のある向きには、是非、本書を直接お読み頂きたい)。

    まずは、本書を読んで、筆者が最も衝撃を受けたところから記してみたい。インカ帝国滅亡の件りである。帝国については、高校時代に学んだ世界史以上の事は知らぬまま今日に至るが、それでも16世紀頃(実際は1532年の事だそうだ)、1、2隻の船に乗ってやって来たスペイン人によって滅ぼされたことは、記憶にある。それ以来、私には不思議な話だ、との思いだけが残った。両者の武器の差は、高々、鉄砲と弓矢程度のものであったろうし、大軍でもない人数で、一国がそんなに簡単に滅ぼされたのだろうか、と。

    今、手許にある2,3の百科事典、歴史事典によってその経過を纏めてみれば、こうなる。スペインの探検家・ピサロは、1522年、パナマ経由でラテンアメリカ西海岸を探検し、ペルーのインカ帝国を発見する。帰国後、彼は国王カルロス一世を説得し、インカ征服の許可を得、同31年、185人の兵、37頭の馬、船3隻をもって出征する。翌年の32年、皇帝アタワルハを処刑し、帝国を滅ぼした(ブリタニカ国際大百科事典より)。

    だが、当時の帝国は人口600万人、国土は100万k㎡(日本の約3倍)の大帝国であった。統治はよくなされ、建築技術に優れ、壮大な建築物や道路と共に、整然とした都市が造られた。そこには、土木技術の水準もさることながら、膨大な人的動員力の在った事を逸することは出来ない。であればこそ大規模な灌漑水路が可能であったし、水路によって農作物にはヨーロッパ人には未知の、例えば玉蜀黍、いも類、カボチャ、トマト、落花生他が栽培された。太陽信仰を中心にした文明は、脳などの外科手術を行い、麻酔剤、薬学を持ち、冶金術を知り、金銀細工、土器、織物に優れたものを残したと言う。こうした大帝国が200人そこそこの兵で、1年たたずにそう簡単に征服されるものなのであろうか。この疑問に対して、当時の教科書、今筆者が参考にした辞典でも、納得できる説明は無かった(以下次回)。

  • 8月19日・水曜日。酷暑続く。わが日常生活のテイタラクは、今に始まった事ではないが、この暑さの故に無残を越し、もはや崩壊の瀬戸際にある。昼夜逆転はもとより、不規則が規則になった、という具合である。我ながら、コマッタ。その1。会食その他、人との約束ができない。その時間、起きて出かけられるか自信がない。

     

    改めて言うほどの事ではないが、私は医学者ではない。その素養も無い。この分野にわずかに触れる縁があるとすれば、かつて独協学園に中学から6年間学び、当時は珍しいドイツ語を習った事くらいである(全く不出来な生徒であった)。学園の草創期には、多くの医学者を生み、わが入学時でもその伝統からか、医学部進学者がまま見られたものである。

    そんな私がコロナが何だ、ペストがどうだ、などと言えた義理も資格もあったものでは無いのは、百も二百も承知の上だが、全くの素人が当てずっぽうに何かを語ることは、まるで無益な事ばかりでもあるまいと、自惚れるからである。

    その証拠に、コンピュータ関係にはまるで無知な私が、四半世紀前に、現在の大学でのオンライン授業の可能性を言い当て(本欄では6月19日・金曜日の項で、『大学時報』(VOL.45 246 ‘96JAN.)に掲載された拙論「情報機器の発達と大学の行方」の全文を掲載してある)、その後の大学制度の変容と展望についてまで語り得たことを、挙げておきたい。

    たしかに、この部分については、今後の展開を見なければ言い当てたとまで言えないが、しかし4年前に、アメリカで、キャンパスを持たない、オンライン授業を中心とするミネルヴァ大学が創立され、一説ではハーバード大学をしのぐ最難関大学とまで評価されているようである(ウィキペディアより。なお、ミネルヴァ大学の存在は一読者から教えられた。記して感謝する)。してみると、今後の大学の在り様は、拙論で論じた方向に進む可能性が皆無では無いのかも知れない。余談だが、そうなれば、現在の大学教育はその根本から変革を余儀なくされ、容赦ない大学淘汰の時代が到来すると予想しておく。

    だが、以下で言いたいことは、この事ではない。以上は素人の当てものも満更ではない、との前書きに過ぎない。我々は再び疫病の問題に戻ろう。その手掛かりはウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』(上下)(佐々木昭夫訳 中公文庫・2020)である。本書は構想の雄大さと着想の卓抜さにおいて群を抜く。実に刺激的で面白く、多くを教えられた貴書である(以下次回)。