2020年8月21,24,26日

8月21日・金曜日。晴れ。但し、この晴れ、炎暑、酷暑の言葉を月並みな日常語にするような異常さである。これはわが語彙の範囲を超えた状況であり、どう形容すべきかを知らない。なお、昨日のthe Japan timesに「食品包装を介したウイルス拡大の謎、高まる」の記事を見る。コロナウイルスの行状、さらに混迷を深めるか。

8月24日・月曜日。晴れ。変わらぬ暑さだが、朝晩の風、やや涼味を感ずる。晩夏の気配あり。

8月26日・水曜日。晴れ。暑し。前回の発信より2回を経るも、構想がまとまらず、いまだ停滞す。これは書くべき内容が、脳内で熟していないためである。

 

マクニールの著書をここでの関連に絞って要約すれば、以下のようになろうか(本書がそんな要約に収まり切れないことは、前回の末尾で示唆しておいた。興味のある向きには、是非、本書を直接お読み頂きたい)。

まずは、本書を読んで、筆者が最も衝撃を受けたところから記してみたい。インカ帝国滅亡の件りである。帝国については、高校時代に学んだ世界史以上の事は知らぬまま今日に至るが、それでも16世紀頃(実際は1532年の事だそうだ)、1、2隻の船に乗ってやって来たスペイン人によって滅ぼされたことは、記憶にある。それ以来、私には不思議な話だ、との思いだけが残った。両者の武器の差は、高々、鉄砲と弓矢程度のものであったろうし、大軍でもない人数で、一国がそんなに簡単に滅ぼされたのだろうか、と。

今、手許にある2,3の百科事典、歴史事典によってその経過を纏めてみれば、こうなる。スペインの探検家・ピサロは、1522年、パナマ経由でラテンアメリカ西海岸を探検し、ペルーのインカ帝国を発見する。帰国後、彼は国王カルロス一世を説得し、インカ征服の許可を得、同31年、185人の兵、37頭の馬、船3隻をもって出征する。翌年の32年、皇帝アタワルハを処刑し、帝国を滅ぼした(ブリタニカ国際大百科事典より)。

だが、当時の帝国は人口600万人、国土は100万k㎡(日本の約3倍)の大帝国であった。統治はよくなされ、建築技術に優れ、壮大な建築物や道路と共に、整然とした都市が造られた。そこには、土木技術の水準もさることながら、膨大な人的動員力の在った事を逸することは出来ない。であればこそ大規模な灌漑水路が可能であったし、水路によって農作物にはヨーロッパ人には未知の、例えば玉蜀黍、いも類、カボチャ、トマト、落花生他が栽培された。太陽信仰を中心にした文明は、脳などの外科手術を行い、麻酔剤、薬学を持ち、冶金術を知り、金銀細工、土器、織物に優れたものを残したと言う。こうした大帝国が200人そこそこの兵で、1年たたずにそう簡単に征服されるものなのであろうか。この疑問に対して、当時の教科書、今筆者が参考にした辞典でも、納得できる説明は無かった(以下次回)。


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