2020年8月31日

8月31日・月曜日。曇り。やや暑さ和らぐ。台風の影響か。

 

重ねて言う。インカ帝国は断じて烏合の衆では無かった。強固な統治力のもと、帝国は外敵に対して必要な防衛力と組織力を備えていた。でなければ、日本の3倍もの国土の維持や、1日当たり2万人を動員し、80年をかけと言うサクサワマン城塞の築城など、およそ不可能であったろう。

その大帝国が、取るに足らない勢力によって、一朝にして瓦解したとはどういう事であろう。たとえ、ピサロ侵入の当時、帝国内に政治的内紛が在ったにしてもである。そうした分裂、対立のない国家などあるはずもないからだ。とすれば、その理由は別に求められなければならない。では、これについてのわが国の理解はどこまで進んでいるのであろう。

『疫病と世界史』の訳者は言っている。「しばらく前にTVでアステカやインカの遺跡の興味深い映像が流され、かつてこの地に栄えた文明の驚異が語られていた。だが驚いたことに、中南米のインデオの文明はスペイン人の侵入・征服によって滅んだというだけで」終わってしまった。だが、「遺跡に残るインデオ文明が極めて高い水準に達していたことだけを言うのでは、瞬時にそれを滅ぼしてしまったヨーロッパ人の技術がいかに優れていたか、」またその基にある古代宗教に対するキリスト教の優位性ばかりが強調されることになりかねないだろう(下巻293頁)。ちなみに、この一文は2007年に記されたものである。

だが、上の引用文において、訳者は言っていた。放映では「疫病についてはひと言も触れられなかった」と。ということは、当時のわが国の常識では、インデオ文明滅亡の背後には、「疫病」が侵入し、帝国内を恐慌状態に突き落とした事実があったという、この点についての認識がほぼ欠落していたことを示しているのではなかろうか。

南米における疫病(実はそれは天然痘である)の蔓延は、メキシコからグァテマラを嘗め尽くしながら、遂に1525・26年にインカ領に侵攻する。その猖獗の様相はメキシコ以降と同様、人口の激変を来たし、同時に発生した内乱と共に、帝国の存続を揺るがすほどであった。そうした疲弊と惨状の最中、ピサロ一味が到着し、軍事的抵抗も無いまま、クスコの財宝を略奪しえたのである(下巻・93頁)(以下次回)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です