2020年9月2日

9月2日・水曜日。曇り時に雨。台風の余波により、降雨もあるが、大いに蒸す。なお、本欄は本日の配信をもって、300回となるらしい。2014年4月から開始し、6年4か月を数える。ただ続けてきただけのことで、感慨とてまるで無し。

 

過日、インカ帝国滅亡の理解について、ネットを介してごく簡単に検索したところ、依然、ピサロ主因説がない訳ではないが、いくつか「疫病説」も認められ、この点では、上記のTV放映時点よりはいくらか進歩したと見らるだろうか。しかし、天然痘の蔓延がいかに激甚で猖獗を極めようとも、それだけで直ちに帝国が滅亡するとは考えられない。疫病は、原爆投下や隕石の落下とは違うのである。帝国を瓦解させるほどに疫病が蔓延するには、それだけの時間を要するからである。

ここでは、疫病の惨劇を蒙った人間の側の受け入れ方、つまりその解釈、理解の問題が最も重要である。現在では、科学の力もあって、天変地異や疫病の困窮を、直接、被害者の過去の悪行、罪責に結び付けた理解や、またそうした社会的な非難は、多少弱まって来たとは言え、多くの難病患者に対するその種の批判や非難が、今なお根強いことは一々例を挙げるまでもなかろう。とすれば、全ての出来事、生活を、神や超自然的な何ものかと結びつけて理解する時代や社会にあっては、どうであったろう。

天然痘の症状は激烈であり、致死率はほぼ30%という。発熱、頭痛、強度の腹痛に苦しみ、譫妄状況に陥る。ときに発疹は全身に及んで、しかもうみを持つ膿疱となる。身は爛れ、崩れ落ちるような思いが迫り、回復後には、顔貌を大きく変えるほどの痕跡を残す。本人はもとより、周囲の者たちもこれを見、明日の我が身を恐怖する。

こうした業苦に苛まれ、そしてそれが社会全体を覆うとすれば、人々はこれをいかに受け止め、理解しようとするであろう。現代でさえ、己が生活の在り様を思い、秘かに悔悟する者たちも多いのではないか。ましてや、宗教的な生活に緊縛され、悪業に対しては峻烈な裁きは免れないと信ずる時代においておやである。

しかもインカ帝国の住民たちは、まざまざと見たのである。自分たちが墜ち入った地獄の劫火の最中にあって、スペイン人たちはこの悪疫からほとんど完全に免れている様をである。だが、その彼らは、住民たちから見て、善良かつ正しき人間たちでは断じて無かった。獰猛で略奪を恣にし、恥ずるところのない、クズのような輩でしかなかったのである。

だから、侵入者たちはどう見ても神から祝福されるような人間では無い。にも拘らず、疫病から無縁な彼らは、神によって守られ、恩寵を受けた人々と解する他はないようなのだ。たしかにこれは、住民たちには何とも不可解、理不尽な事態であったであろう。

これに対するスペイン宣教師たちの言葉、教えは、住民らにとってもっとも苦衷に満ちた衝撃であったに違いない。宣教師らは説く。お前たちは太陽神を信じ、キリストの神を蔑ろにして、恥ずるところが無い。これこそ、お前たちが犯した最大の罪であり、よって劫罰に処せられた理由に他ならない。言われてみれば、自分たちとスペイン人を隔てる差異は、信仰する神を異にする以外何も無いように思われる。かくて彼らの信ずる太陽神は、力と権威の全てにおいてキリストの神に劣り、これをなお信仰することは神の怒りを免れず、と信じて速やかなキリスト教への帰依を決意した。いや、そうするしか、自分たちの救済は残されてはいない。裁きは下ったのだ。一刻も猶予はならない。かくてインカ帝国は、その内面から、一気に瓦解するに至ったのである。

これが、私の解する著者マクニールの主張の大意である。だが、われわれは、スペイン人たちがそんな事で疫病を免れた分けでは無いことを知っている。彼らはすでにその免疫力を持っていたからである。ではそれは、如何にして獲得されたのであろう。という事で、この話はまだ終われない(以下次回)。


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