2020年8月19日

8月19日・水曜日。酷暑続く。わが日常生活のテイタラクは、今に始まった事ではないが、この暑さの故に無残を越し、もはや崩壊の瀬戸際にある。昼夜逆転はもとより、不規則が規則になった、という具合である。我ながら、コマッタ。その1。会食その他、人との約束ができない。その時間、起きて出かけられるか自信がない。

 

改めて言うほどの事ではないが、私は医学者ではない。その素養も無い。この分野にわずかに触れる縁があるとすれば、かつて独協学園に中学から6年間学び、当時は珍しいドイツ語を習った事くらいである(全く不出来な生徒であった)。学園の草創期には、多くの医学者を生み、わが入学時でもその伝統からか、医学部進学者がまま見られたものである。

そんな私がコロナが何だ、ペストがどうだ、などと言えた義理も資格もあったものでは無いのは、百も二百も承知の上だが、全くの素人が当てずっぽうに何かを語ることは、まるで無益な事ばかりでもあるまいと、自惚れるからである。

その証拠に、コンピュータ関係にはまるで無知な私が、四半世紀前に、現在の大学でのオンライン授業の可能性を言い当て(本欄では6月19日・金曜日の項で、『大学時報』(VOL.45 246 ‘96JAN.)に掲載された拙論「情報機器の発達と大学の行方」の全文を掲載してある)、その後の大学制度の変容と展望についてまで語り得たことを、挙げておきたい。

たしかに、この部分については、今後の展開を見なければ言い当てたとまで言えないが、しかし4年前に、アメリカで、キャンパスを持たない、オンライン授業を中心とするミネルヴァ大学が創立され、一説ではハーバード大学をしのぐ最難関大学とまで評価されているようである(ウィキペディアより。なお、ミネルヴァ大学の存在は一読者から教えられた。記して感謝する)。してみると、今後の大学の在り様は、拙論で論じた方向に進む可能性が皆無では無いのかも知れない。余談だが、そうなれば、現在の大学教育はその根本から変革を余儀なくされ、容赦ない大学淘汰の時代が到来すると予想しておく。

だが、以下で言いたいことは、この事ではない。以上は素人の当てものも満更ではない、との前書きに過ぎない。我々は再び疫病の問題に戻ろう。その手掛かりはウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』(上下)(佐々木昭夫訳 中公文庫・2020)である。本書は構想の雄大さと着想の卓抜さにおいて群を抜く。実に刺激的で面白く、多くを教えられた貴書である(以下次回)。


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