• 12月7日・月曜日。晴れ。過日のジャパンタイムズ(11/4)に、気候変動によって、地球規模の健康脅威が「強まる」とあった。ランセット(英医学雑誌)によりながら、今年は記録に残る2番目の暑さであり、状況をこのまま放置すれば、「COVID-19の様なパンデミック」に今後も見舞われるだろうと警告する。温暖化は地球上の全生物に複合的で深刻な脅威を強めている。人類はまだ、この危機を回避できるのだろうか。

    12月9日・水曜日。曇り。本日、前回の文章の修正にとどむ。

     

    この記事をどう読んだらいいのだろう。「実習生 ベトナム帰りたくとも」、「寺が保護 帰国まで共同生活」(朝日新聞11/27・夕)。現在(2019年時点)、技能実習生として滞在しているベトナム人は中国人を抜き22万人を数える。これは在日ベトナム人41万人の半数に及ぶが、ベトナム人全体の増加もこの10年間で10倍に達すると言う。言うまでもなく、わが国の労働力不足のゆえである。

    技能実習制度とは、日本国が定めた法律に基づき、開発途上地域への技能移転を図り、経済発展をになえ得る人材育成を、その目的とすることであるようだ。であれば、単なる労働力補てんのためではない、れっきとした教育制度であり、受け入れ機関はそれに必要な仕組みやカリキュラムを整え、また違反に対する罰則も無ければなるまい。

    ではこの実態はどうか。「あまりにつらく、最初は日本人が嫌いになった」とは、最近この寺に駆け込んだ実習生の言葉である。5年前に来日し、熊本県でビニールハウスを組み立てる仕事に就く。月収17万と言われながら、9万円の支給。残業代なしの一日10時間労働に加え、田んぼの中のコンテナに3人住まいを強いられた。屋外のシャワー、方言が分からず聞き返せば、怒鳴られ、蹴られるの惨状に、1年で逃げ出す。その後埼玉県で、溶接の職を得、同僚の優しさに励まされ仕事を続けたが、コロナ禍で失職。その後、オーバーステイで逮捕され、ベトナム人保護の寺として知られる大恩時に身を寄せた。

    記事には、横浜市で左官の職に就いた実習生の例もある。現場で殴られ、「死ね」と面罵されながら耐えた仕事も、9月に解雇される。駅で野宿し、食事にも窮しながら、寺にたどり着いたと言う。いずれも不要になったその時点で、容赦なく放り出して済まされる制度の不備に呆れるが、受け入れ先への監視機能はどうなっているのだろう。それにしても謳われた理念と現実の乖離の甚だしさに呆然とせざるを得ない。我われはかくも酷薄な国民だったのだろうか。そも、人間とはそう言う存在なのか。

    実習生の現状は、ベトナム人以外でも同様な状況にあるのではないか。彼らの多くは、来日のための多額な借金に縛られ、給料のほとんどをその支払いに充てるため、もはや帰国の旅費の当てもない。寺院に残されている声も悲惨である。「コロナで失業し、うつ病になり自殺未遂をした。助けて」、「生活費もない。何でもするから助けて下さい(妊娠5か月の女性)」。最近発覚した群馬県でのベトナム人の犯罪は、こうした状況の延長線上の事であったのだろう。彼らの犯した犯罪は、法に基づき処分するのは当然だが、しかし事は、それで済ませられる話ではない。

    たしかに、この種の問題は、多少とも世界の何処にもあるのだろう。しかし、ここには根深い人権意識の欠落がある。高価な機械や道具なら大事にされようものを、替えのきく人間は粗末にする。一銭五厘の兵隊よりも軍馬を大事にした旧軍隊の思考と同じである。こうして、約束した給金は支払わず、暴行や奴隷化が横行すれば、わが国は世界から見放されよう。その結果、より深刻な人出不足に見舞われても、必要な人材、人力を獲得する機会、競争力を失うことになりはしないか。今世紀中には、世界の人口推移はピークアウトする、つまりそれ以降の人口は減少に向かうと言う報告もあるから、それほど安閑としてはいられまい。

    それ以上に、これを放置すれば、近い将来、滞在する外国人労働者たちはわが国に対する不信と怨念を募らせ、はてはそれがテロの温床にならないかと恐れる。また、こうした人間を粗末にする土壌は、外国人たちに対するばかりか、日本人の派遣労働者への差別と同根のものであろう。これらについては、すでに本欄でもしばしば見てきたところであるが、結局それは、国内の断裂、闘争の種となるか、わが国の制度的な劣化につながるのではないかと深く憂慮する。以上を理解するのに、小難しい理屈や知識は何もいらない。ただ、自分が同じ境遇にあったなら、いかに悲惨で、恐ろしいことかと、想像すれば済むことである(以下次回)。

  • 12月4日・金曜日。晴れ。

     

    前回書き落として、そうだアレもと気づいた事、自慢がてらにここで添えておきたい。先月11月一杯をかけて歩いた我が総歩数は、締めて306,066歩、一日平均にして10,202歩となる。これは喜寿を越えた身としては、一大快挙と申し上げたい。一日でも休めば、これは不可能となる数字である。毎日コンスタントに一万歩近辺を維持しながら、一か月を続けるには、体力、気力、天候、時間等の条件に恵まれなければまず無理である。因みに、当月の最低歩数は5,282歩、最高は15,312歩であった。

    今年は二回目の達成である。8月であったと思う。コロナと熱帯夜に苦しむ最中、夜間22時頃から歩き出し、まるで人気のない、ひっそりとした春日部市内を当てどもなく彷徨う姿は、カメラに映せば、ほぼ狂人か不審者であったろう。そんな折であった。たまたま自宅付近に停車していたパトカーが筆者を見とがめ、こちらもワザとこれを避けるような素振りで、進行方向を変えたから、たまらない。スワとばかり、サイレンこそ鳴らさなかったが、追いかけられた。これが過日、パトカーにつけ狙われた、と記した顛末である。そう言えば、かつて山田風太郎が、深夜の二時頃、犬を連れて自宅近辺の聖蹟桜ヶ丘を散策していたら、パトカーに暫く注視され、まさか犬連れの泥棒もあるまいと見逃されたらしい、と書名は忘れたが、書いていた。やはり同氏もどこかヘンテコなところがあったようだ。

    ともあれ、当方としては、単なる暑気払いと運動不足の解消を兼ねた、夜ごとの散歩に過ぎないものが、治安当局としては「くせ者」と色めき立ったのもよく分かる。以来、自宅付近のパトカー駐車は見ないが、当局にはこの近辺に不審者ありとの記録が残されているやも知れない。中国政府であれば、間違いなくそうなるであろう。それにしても、何故あんなところにパトカーがいたのだろう。通報者でもいたのだろうか。考えてみれば、不思議である。

    本日は他に書くべきこともあったが、わが教え子(と言っても60歳近辺だが)に「一日平均一万歩達成」と配信し、事務所の連中にも自慢したところ、いたく感心されたような気分になって、ならばと閑話にふけった次第である(以下次回)。

  • 11月27日・金曜日。曇り。早稲田までの車中でこんな戯れ句(川柳のつもり)を捻った。

    コラコロナ 窓を降ろして 風邪を引き ミツオ

    GoToの 面子にこだわり 院潰し  ミツオ

    12月2日・水曜日。雨。ついに師走。3、4年ぶりに路上の易者さんに手を差し出した。定期的にそんな気持ちになる。悟った心算で、何かに縋りたいオノレが情けない。そして、ご託宣。「あなたは株には向きません。地道におやりなさい。」道理で損ばかしして来たはずだと、妙に得心する。易には、我が体験では、嘘八百ではないある信憑性がある、と思う。見料、2000円なり。

     

    「大きなお星さまあるねぇ」とは、前回の記事にある2歳の男の子の呟きである。これまでは、都内の駅前タワーマンションに住み、ネオンや街灯のともる街の明るさしか知らなかった。それが一転する。赤城山のふもとに位置する、黒保根町(桐生市)の水田に囲まれた平屋に移り住むことになった、その当日の夕刻である。ふと見上げれば、青みがかった天上にははや一番星が浮きあがり、次第にその数を増す煌めく星の大きさに思わず見惚れた。夜空とはこういうものであったかと、感嘆したのであろう。その詩情は天空の星々と語り合った賢治のそれに繋がるものがあったのかも知れない。それまで「長男が「星を見た」なんて語ったことはなかった」とは、父親の言葉である。

    コロナ禍にあって、幸いにも若い両親は共にテレワークの可能な職にあった。だが、その在宅勤務中には、長男は玩具代わりのタブレット端末を相手に、一人動画を追い続けるばかりであった。転居の転機はこれである。「移住の決め手は子育て。息子は図鑑や動画でしか見たことがなかったトンボやカエルを追いかけ、家のまわりの田んぼで取れた新米のおにぎりをよく食べる」。

    群馬県は、こうした移住を考える家族の後押しをと、「リモート県」を銘打ち、テレワークのできる環境づくりに動き出したようだ。と言って、転居がそれほど簡単でないことも確かである。そのためには、相互に納得できる条件が整わなければならない。それでも、記事によれば、東京への転入者から他県への転出者を差し引いた人数は、今年5月、9年ぶりにマイナスに転じ、その数509人を示す。さらに7,8,9月も引き続き、それぞれ2千から4千人の転出者オーバーであったと言う。

    言うまでもなく、コロナ感染の影響である。だが、大都会から地方への転出のメリットとは何だろう。月並みだが、上記のように圧倒的な自然環境がまず挙げられよう。過密を避け、様々なストレスから解放される。ときに過酷な自然に煽られながら、それ以上の慰楽がある。さらに、現在では衣食住の生活環境は、ひと頃からは格段に改善され、情報、医療、教育関連もIT・交通等により格差は縮小しつつある。過疎ゆえの居住環境は都心とは比較にならない。安価で、広い。これは、わが国ばかりか欧米の傾向でもあり、それゆえの地方転居も多いらしい。

    唯一の難問は、経済格差と富の都心への偏在だろう。この解消を図る政策こそ、腹を据え、真剣に取り組んでいかなければなるまい。それは言うまでもなく、本欄でも見てきた地方再生への取り組みとその政策化に他ならない。それは同時に、コロナや未知の疫病からの有効な回避策になると信ずる。この度のコロナ禍がもたらした惨状に少なからぬ意味があるとすれば、これによって地方回帰への契機が与えられたことかもしれない。記事は言う。「一極集中の解消は、地球環境と経済活動の調和をめざすSDGs(持続可能な開発目標)が掲げる「住み続けられるまちに暮らし、働きがいのある仕事に就く」の実現に向けて、追い風になりそうだ」(以下次回)。

  • 11月25日・水曜日。雨。コロナ感染第三波、列島を覆う。医療体制の維持か経済の活性化か。政策のバランスをどう取るか。誠に難問である。安倍事務所の問題、噴き出る。それにしても、総理辞職を待ったかのような捜査、あるいは情報リークをどう理解すべきだろう。これでは、権力にある間、捜査は免れる。ならば権力者は、死に果てるまで権力を手放すべきではない、と考えないだろうか。

     

    現在のコロナ禍があぶり出した、我われの社会に根ざす様々な脆弱性は、これまで本欄において筆者なりに明らかにして来たつもりだが、ここでは「東京一極集中から地方への分散」の問題を考えてみたい。これは「社会のたたみ方」なる本欄の中心課題につながる問題だからである。

    読者はもうお忘れかも知れないが、一昨年来からここで考えようとしている問題は、地方社会の疲弊を解き明かし、その再生をどう図るかである。その為にはまずは地方行政の能力に余る行政区の拡散をおし留め、こうしてコンパクト化した地方社会を相互に連合させて、東京初め大都市圏に依存しない地域社会を創生できないかということであった。これを筆者は「社会のたたみ方」と呼んだのである。

    このような発想から出発した論議であったが、すでに二年余りの時を経、時々の社会問題にも振り回されている内に、足取りは誠に覚束ないことになってしまった。だが、ここでの趣旨はそう言うことであった、と申し上げておく。

    では、地方の疲弊とは、何だろう。その第一は人口の減少である。その原因は幾つもあろうが、この事に尽きる。しかし今や潮目は、変わった。コロナ禍によって、都市住民が脱出し始めたからである。しかもこの流れは、わが国ばかりか世界的潮流となったらしい。「東京脱出 コロナ下の地方移住」、「脱・人口集中 コロナで世界転機」と、朝日新聞(11/23・月)が大きく伝えるところである(以下次回)。

  • 11月16日・月曜日。晴れ。先週1週間を、休載とした。歯の故障により、離乳食風、介護食風の粥に類した食事には大いにマイッタ。いずれそんな時のための準備と覚悟だと、天は我に強いられたのであろうか。それにしても、週2,3日、こうして出かけられることの、有難さを思う。

    11月18日・水曜日。晴れ。本日は前回の文章に若干手を入れたに留む。かくて文意は通じ易くなったと、自ら慰める。

    なお、先日、朝日・夕刊(11/13・金)に無気味な記事を読む。25年前(1995年3月)、オウム真理教が犯した地下鉄サリン事件について、オウムの後継団体「アレフ」は、当事件は「教団以外の者による陰謀」だと主張し、インターネット上に「CIAのでっち上げた事件ではないか」と喧伝しているとの事である。この恐ろしさは、この種の虚偽の言説が時と共に捻じ曲げられ、事件を知らない若者たちがこれを信じて、再びカルト教団の復活を予感させることである。たったの25年間での捏造が、かくも容易となれば、百年前の事件はどうなるのであろう。好き勝手な改造、捏造など思いのままではないか。

    以上は、公文書その他記録文書類の保存、収集が如何に重要であるかを改めて警告している。とすれば、昨今の役所の公文書その他の管理の杜撰さに対し、国民は一層注視していかなければならないはずだ。

     

    さきの「二つの国」は、米国だけの事ではない。日本、ヨーロッパ、中国、韓国等は、いずれも同様の問題を抱えているのではないか。グローバル化により、国内にあった製造業はより安価な労働力や生産の適地を求めて諸国へ移転し、同時に資本と技術も引き抜かれ、国内産業は空洞化せざるを得ない。それは当然、関連する国内の膨大な下請け業者や商業施設を衰退させ、これは一国全体に波及する。それにしても、「日本製鉄 呉製鉄所を閉鎖へ」(朝日新聞‘20,2/7)の記事は衝撃的であった。さらに同社はこれに留まらず、非効率な製鉄所の閉鎖も次々計画しているようであり、これがかつて「鉄は国家なり」と謳歌した、わが国の製鉄業の現在である。まさに、ラストベルトは米国だけの話ではないのである。

    しかも、そのグローバル化の密度は途方もない。例えば自動車生産は移転先の工場で一貫して生産され、完結するのではない。ある部品はA国、原料はB国からというように、細分化と共に特化され、網目のようにくみ上げられたグローバルなサプライチェーンが成立しているのである。であれば、今般のコロナ禍や大規模な自然災害が起これば、その国から供給されるはずの部品が途絶え、日本国内での生産が中止に追い込まれることもあったと言う。それ故、日本政府は、現在中国に集中しすぎている生産拠点の分散化を、その政治リスクも考慮して検討しているとは、過日の報道にあるとおりである。

    こうした国外移転の産業とは反対に、通信・金融・証券・技術部門および、広告産業ほかの関連産業部門(但し金融部門は現下の低金利政策と融資先の縮小により低迷しているが)は高成長を享受し続け、それらが集中する大都市圏の商業圏は空前の繁栄を誇っている。東京に見る沿海諸都市部に展開される高層ビル群、マンション街はその象徴であろう。

    熱狂的なトランプ支持者たちの怒りは、一面もっともであり、よく分かるにしても、これをそのまま放置してはならない。分断された「二つの国」は是非にも繋げられなければならない。何ゆえにかくなったかを解き明かし、相互の理解を進める事であろう。それにしても、筆者は問いたい。国をここまで分断させたこれまでの米国政府の経済政策はどこまで真面であったのか。4年前、民主党は長年の熱烈な支持者から見捨てられる憂き目にあった。つまり、党は彼らの真の要望に向き合って来なかったのである。それを、今回どれ程回復したのであろうか。

    だが他方で、トランプ大統領はこの4年間で、両者の分断を埋める努力、政策をいか程進めてきたのであろうか。外交政策はさておき、国内の貧富の格差、人種差別、地球温暖化を放置し、むしろ分断を煽り、それを利用し、熱狂的な支持者たちを獲得してきたのではなかったか。彼の減税政策は富裕層に一層優位であり、貧困層にはさほどの恩恵にはならない。彼らには減税されるほどの所得が薄いからである。さらに各種の社会保障への攻撃は報道される限りでも目に余る。

    ともあれ、今や米国はじめ「二つの国」の分断に苦しむ諸国は、癒されなければならない。その第一は、経済格差の是正であり、米国に見る極端な貧富の解消ではないのか。その手掛かりは、まずは税制を見直し、累進課税による所得の再配分機能を再生させることだ。こうして政治的にも健全な中産階層が復活し、社会の安定性は増すことになるだろう(同様の見解として、デミン前掲書参照。また、少々ほめ過ぎだが、ジェスパー・コル(ジャパンタイムズ定期寄稿者)の論説・「米国、日本に学べ」(ジャパンタイムズ‘20、11/14)を挙げておく)(以下次回)。