• 12月22日・火曜日・晴れ。本日冬至ナリ。10日前の12日(土曜日)、我が母、喜代永眠(103歳)。よって、前週は休載とす。いずれ折をみて介護、葬儀等につき触れてみたい。

    具体的にそれがドンナ意味を持つかについて、例を挙げて述べてみよう。ペッテンコーファーなる、フィルヒョウと同時代の医学者の話である。彼はミュンヒェン大学医学部教授にして、恐らく西欧(といっても近代医学発祥の地は西欧であるから、世界と言っても同じだが)で初めて衛生学講座を開き、講義をした人物である。文学好きなら、鴎外が彼に師事した事跡は周知の事であろう。その彼に、たとえば、こんな話がある。人が寒さを避けるために衣類を纏うのは、空気の層を着るに等しい。肌着が体温の放熱を防ぎ、さらに重ね着して空気の断層を創り、保温効果を高めると共に、外気の進入を防止するという訳である。

    モットもこんなことを知らなくとも、これまでだって人類は衣服によって寒さを凌いで来たのだから、だからドーシタ、と言えばいえるが、しかしそうした理屈、もっともらしく言えば理論、をつくってシッカリとした説明がなされれば、その対策はより効率的になり、あるいは多方面にも適用されるようになるに違いない。単なる経験知と科学知の違いはここにある。経験知には、常に具体個別の事象が絡みつき、だからその妥当性、応用の範囲がそこにのみ限られる向きがあるからである。たとえば、昔の地震と津波の体験を知る古老の話しはとても貴重だが、しかしそれが固着するとこうなる。「あの時の揺れ方は今とは全然違う。これではアンナ津波はこない。大丈夫だ」。吉村昭の『三陸沖大津波』にそんな話があったような気がするが。

    ただし他方で、理論は一般に、私の思うに、眼前に生じた事象の不思議に触発され、その仕組みを解き明かそうとする努力の成果、賜物であり、その意味で理論は事象の後追いにすぎない。むしろ経験なき理論は在りえない。あるとすれば、空想の産物であり、単なる絵空事である。

    なお、ペッテンコーファーの先の説明は現在でも揺ぎ無いものであると聞くが、私が彼のこんな事例を持ち出したのは、彼はやがて「無能なる者、生きるに値せず」と言って、ピストル自殺を遂げた人だからである。だが、彼は無能どころでは無い、有能かつ果敢な医学者であった。コレラを始め結核、チフス等の伝染病は、当時のミュンヒェンにおいてもベルリンに劣らず猩獗をきわめた。その発症、感染について、当時の医学界は割れていた。一方は、患者との何らかの関わりを根拠とする接触感染説(直接的な接触、飛沫・空気感染を含む)対非接触感染説(環境汚染、土壌汚染、水質問題)の対立である。前者はうすうす、その原因が細菌微生物であることに気づいており、だから交通制限、市街封鎖(カミユ『ペスト』を思え)を主張し、統制主義的な対策を立てた。対する後者は、細菌が病気の原因である事に頑として反対した。時代は、細菌学の確立前夜であることに注意されたい。事実、かかる統制的対策によっても、何ら伝染病の防圧には至らなかった事も、彼らの主張に分があった。ペッテンコーファーは、交通・経済の自由は伝染病以上に重要であるとまで言いきったのである。

    この点、彼はフィルヒョウと同様、自由主義者であった。かくて彼らはミュンヒェンやベルリンにおいて都市環境の整備に尽力することになるのである(尤も彼ら両人は同志的な関係にあった訳ではない。強烈な個性を持つ二人は激しいライバル心さえ燃やしていたようだ)。ここには、まだ説明すべき論点が多いが、それを端折って結論を言えば、彼らは病気の原因を殆んど分かっていなかった。だから、その発症の機序も誤解していた。にも拘らず、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか、彼ら両人や関係者の努力によって、両都市の環境整備が大きく進展したのは、まさに歴史の皮肉であったろう(この点に興味のある方は拙著『汚水処理の社会史』・日本評論社刊をご一読あれ。と言って、私には一銭の印税も入らない事を申し上げておく)。

    大分、前置きが長くなった。私の話はイッツモそうだ。これまでお付き合い頂いた方には先刻承知のことであろうから、今更遠慮はしない。さて、件のペッテンコーファーがあろうことか、胃酸を中和するために重曹を飲んだ上で、1ccのコレラ菌を服用するのである。その結果、彼はコレラに罹ったか。否、である。少々の下痢ですんでしまった。ソラ見た事か。細菌ナンゾで病気になってたまるか。諸手を掲げ、快哉の雄叫びを上げる彼の雄姿が見えるようではないか。だが早まってはいけない。後年、彼の弟子が同じ暴挙に及んで、こたびはメデタク昇天してしまったのである。事ここに至り、細菌学に破れた彼は、哀れ自裁にいたったのである。

    しかし、この事例は医学界に衝撃を与えたようである。証明された理論知・法則知の妥当性の問題を突きつけたからである(本日はこれまで)。

  • 12月11日・金曜日。雨のち晴れ。24度、季節外れの暖かさ。何か、全てが狂う予兆あり。野坂昭如、昨日逝去。無念。

    何も改まって「病気」を定義することもないのだが、長年そんなやり方を取ってきたものだから、そんな風にしか話を進められない。まずはお付き合いを。そこで病気とは、『広辞苑』でもOxford Dictionary of Englishでも、生物体の一部か全体に生じる不調、異常であり、それによって正常な機能が損なわれる状態を言う。これが何によって、ドウ引き起こされたかを見極めるのは、それこそ医学の最も重要な問題だ。

    これには医学観の問題も絡んで一筋縄では行かないが(罪とか罰とか汚れを持ち出せば、呪術や宗教や因果応報の世界になる)、ここでは西欧で確立された医学を考える事としたい。そうすると、既に何度も見てきたように、そこでの科学観によれば、事象は因果の結果に他ならず、病気もそれを生じさせる何らかの物理的生理的な要因の結果とみなされよう。つまりここでは、病者に取り付く罪や悪霊の類は一切除去される。ツイデニ言っておくが、この事は決して小さなことではない。史上、悪名高いレプラ患者の差別と排斥を思うだけでも明らかだが、彼らは病苦に加え、貧困と社会的蔑視や差別の苦痛に耐えなければならなかった。

    さて、病気は何かの病因によるとしても、その特定は難事である。病気は体内の体液の失調により、その限り病気は全身病と捉える、ギリシャの医聖ヒポクラテス以来の体液論は現在でも支持される病気観ではないか。これに対して、病気は体の組織や器官の疾患にすぎないとする部分の病気観がある。そして、それらの組織を組成する細胞の偏倚が病気であるとみたて、かくて病気の場、部位を細胞という最小単位にまで絞りこもうとしたのは、19世紀の生理解剖学者フィルヒョウであった。かれのこの立場を進めれば、病巣の切除や臓器移植にまで射程はのびる。しかし、その彼も、細菌、微生物による病気観には抵抗し、コッホを苦しめた。ただし、彼の細胞病理学では、正常細胞の偏倚過程の説明がただ「刺激」という実に曖昧な概念に依るばかりで、治療に対してはまるで無力にとどまった。この点、ワクチンを発明し狂犬病他を治療したパスツールに遥かに及んでいない。だから、かれの病理学はローマカソリック的迷妄と揶揄されたのである。要するに、病気の特定、それはやがて診断学として確立されるが、それは医学の進歩、発展と無縁ではないのである。

    以上、何処までホントで、何処から我がソウサクなのか分からぬ無責任な文章を綴ってきたが(何しろ、かつて書いた論文を思い起こしながらの難業であるから)、私がここで言わんとした事は、発症した症状から診断がなされ、それによって病名が付されるとしても、それはその時点で確立された知見のもので、しかもそれはその病気の発症、機序、転機に関わる一般的な知識――私流に言えば、それは実験室の中で、知ろうとする事柄のために、他の諸状況を固定化して得られた、まったく抽象的な一般的知識・法則知にすぎない、ということである。だが、それが個別事象の具体的な対応に即実行性があるかとなれば、これはモウ別の話になるのである。

  • 12月4日・金曜日。晴れ。 早や師走これを口にし幾年か。みつお。

     この問題を考えるに、やや唐突であるが、わが国最大の医学史家、川喜多愛郎の言葉に依ってみたい。氏によれば「医学は不完全な学問である」(『医学史と数学史の対話』より)。その意味は私には及びがたい深みがあると思うが、一先ずこんな風に考えたい。ある病症に対して病理的な解明がなされ、それゆえに治療方法も確立されている。そうであれば、それに基づき治療のあり方も自動的に決定されるように思われる。斯く斯くのデータを揃えた。であれば、処方の薬はコレコレだ。丁度、自販機にたいしてカネを入れ、パネルを押せば望みの品が出てくるように。だが、そう言う事は、まずありえない。どれほどの段階になればここで言う「完成」と見るかにも依ろうが、自販機ならいざ知らず、医学や経済予測のような少しく複雑な事象になれば、それはモウ不可能ではないだろうか。

    ソルジェニーチンの『ガン病棟』に、主治医が患者の子供に対し患部の病症よりも顔色やら声やら振舞いなどに注意を払い、トータルでその子を観察し、診断を下そうとする場面が描かれている。現在、待ち二時間、治療五分に比すれば、実に贅沢な対応ではないか(本日はこれまで。実は、他の資料等の作成に消尽したもので)。

  • 11月27日・金曜日・晴れ。

    キョウは前回の続きの心算であったが、ジャパン・タイムズで面白い記事を読み、その印象を忘れないうちにと、扱ってみることにした。だがそれは、やがてはこれまでの文脈にキッチリ収まるはずで、そうならなきゃならないで無理にもツジツマを合わせて見せますから、まずはご心配なく。なにしろ我が42年に渡る研究生活(?)はそんな事の明け暮れであったもので、それだけは大いに自信が有る。

    くだんの記事は11月21日・土曜日、「ドンナ食べ物が健康的かは、君しだい」(Which foods are healthy depends on you)と題して掲載された。結論を先取りして言えば、ある人に健康的な食料が他の人には肥満をきたすなどあって、だから「万人向けの減量方式は基本的に間違いである」ということだ。こうした所見を引き出したのは、ヴァイツマン科学研究所(イスラエル)の研究者・エラン・シーガル氏である。

    事の起こりは、ある女性がトマトを食べる度に血糖値が上がるという事実からであった。ナント、一般に低脂肪の健康的な食物とされるトマトによって。この結果に触発され、800人のイスラエル人を対象に組織的な実験が始まる。そこで得られた結論は実に驚くべきものであった。つまり、同一の食事を摂りながら、それに対する反応はまさに千差万別。実験参加者は一週間丸まるをかけて、五分間ごとに血糖値を測定され、さらに排泄物の腸内微生物の分析、摂取物の入念な記録が取られた。私には、これは身を捩るような恥ずかしさと苦行であるが、皆さんはドウか。

    被験者の中には、糖尿病患者はいなかったものの、その予備軍と思しき者や肥満の人びとは含まれ、とくに彼らの間で見られる同じ食事に対する代謝対応の異なる様相にはいたく驚かされた。たとえば、アイスクリームより寿司で血糖値をあげる人、前記のトマトの事例等々である。これらは結局のところ、栄養摂取の問題は個々人によってその反応は全く異なると言うことである。こうした知見は、栄養学における「大きな欠落」(a big hole)を浮き上がらせた。

    血糖値の問題はいまさら言うまでもない。曰く。糖尿、肥満、眼圧、心臓病、他の合併症等の発症にいたると言う。それ故、野菜、果物、玄米を摂り、白糖や精白小麦粉は避けるなどが推奨されてもきた。しかし、今やこうした教えは必ずしも万能でないことが明らかになりつつあるようだ。シ-ガル氏の共著者エリナフ氏は言う。「この研究は、我々の生存に関わる最も基本的な考え方の一つについて、ナント不正確であったかを、我々に明らかにしてくれた」。これを踏まえて、何が言えるか。彼は言う。栄養面から、ただ低脂肪の食事を摂るべきだというのではなく、「もっと個々人にあった手法――個人を中心に置いたアプローチ」こそが人々の健康改善に役立つはずだ、と。そのためには、彼の体質や腸内微生物の確定、それらが摂取した食物にたいしてどう反応するか、などが個々に認識される必要があろう。これは「個人化された栄養治療」(tailor personalized nutirition therapy)と言われる様だが、こうした治療法は栄養学に限らず、抗がん剤や病院食もこれまで以上に個人化された方向をとっているようである。つまり、事は様々な分野で一層個別化されているようであり、そうなると一般化的な理論・法則の認識やその確立をめざす自然科学、経済理論のような学問の意味と役割はどうなるのかと言う問題に行き着くのである(本日はここまで。腰痛に苦しんだ割にはよく頑張った)。

  • 11月19日・木曜日。晴れのち曇り。

    今日もまた、「ホントの終わり」の続きをやろう。一週間、あれこれ考えていたら、前回の末尾で言ったことは、実は、この今や長くなった主題(わが学問論のつもり)の出発点、イハバ振り出しに戻ったことに気づいたからである。もう、これまでに何を言ったかすっかり忘れてしまって、繰り返しになるかもしれないが、研究の主題選択は、本来的に研究者の自立性に基づいてなされるものである。つまり、研究者はそれ以前に、自立した独立の人格であり、これを前提されている、と言うことである。ヴェーバーの学問論を多少とも齧った者として、これだけはハッキリさせておかなければならない。

    勿論、彼には指導者がいる。彼の未熟を補い、当該分野でのそれまでに達した人類の知的成果を教え、そうしてそこでの課題や今後の見込み等々を厳しく仕込む。こんなことは研究分野だけのことではないが、そうした基礎的な鍛錬を積んだ研究者は、その後は眼前に広がる無辺際の荒野を一人歩むことになる。只ただ、自分の意欲と能力、そして有るか無きかの幸運だけを頼りに。自然科学分野での共同研究や大型プロジェクトはいざ知らず、人文系、社会科学系の研究の多くはそうである。村上春樹氏は「書きたいものを、書きたいときに、自由に書く。これこそ作家の楽しみである」(『職業としての小説家』)といったように記憶するが、その心は研究者のそれと全く同じである。

    研究の動機は多様である。カネや名誉、義務から強制等々。森村誠一『悪魔の飽食』を読んでみられよ。細菌爆弾等の開発のために、石井四郎は満州においてそれは惨たらしい「悪魔」のような生体・人体実験の数々を行い、「飽食」を知らなかった。その成果は、アメリカの同種の研究に及んでいなかったようであるが、人体実験というその特異性のゆえに、GHQに接収され、この取引により彼は戦犯をまぬかれた。彼の学問的な水準がどの程度のものかは、私には不明だが、これもまた研究であるに違いない。かかる恐ろしい研究はこれに限らず、ナチスにもアメリカにもあって、それが戦争と言ってしまえばそれまでだが、これらを含めて研究と言えば、それを推進する研究者の動機は知的興味を越えた別の実践的、義務的、強制的な何物かへの奉仕であろう。しかし、そうした研究に豊饒性と未来があろうか(今日はこれまで)