• 8月8日・火曜日。蒸し暑く、不快極まりなし。連日の記録的な豪雨はもはや日常なのか?破壊軍団・台風五号、なお東北地方を狙う。

    8月10日・木曜日。台風後、涼しいような、暑いような名状しがたい日和なり。

    私がこんな危惧を持つのも、もう20年ほど前に読んだ、だからあやふやな記憶に過ぎないのだが、渡辺一夫の次の一言、「キリスト教の草創期に、ローマ帝国からあれほどの弾圧を受けなければ、中世でのキリスト教は異端に対しはるかに寛容でありえただろう」と言う趣旨の言葉が、未だに引っかかっているからである(大江・清水編・渡辺一夫著『狂気について』岩波文庫・1993)。こんな知見を私が自然に持ちえるはずがなく、だからこれは氏から教えられたに違いない。そして、「汝の敵を愛せ」と説いたイエスの教えが、しばしば変節し、苛斂誅求を極めた理由を教えられた思いがしたのである。

    中国、朝鮮半島に対する50年前のわが国の振る舞いは、私にこの事を思い起こさせるのである。幼児期における性的抑圧や異常体験は長じてその人の人格に甚大な影響を及ぼし、満たされなかった欲求が嫉妬となり、あるいは自分に加えられた理不尽な懲罰に対する復讐心が周囲の弱き者、差し当たっては子供や老いた親に向けられるという話はよく耳にするところである。民族の歴史にも同様の問題を抱えることはないのだろうか。その国の困窮期には忘れられた自国の過酷で屈辱的な歴史は、そこからようやく回復し、順風の発展を謳歌する頃、改めてそれが想起され、そして過去の苦しみが噴き出し、怨念となって燃え上がる。わが国に対する、現在の韓国・中国の対応は、私にはそのように見えるのである。

    だから直ちに、双方が深刻な対立関係になるという訳でもないだろう。ここ数年間の日中・日韓の鞘当は、私としても不安であり、不快であった。しかしそれらは、互いの国内問題をその対策上外交問題に転嫁する、言わば政治的マヌーバーに過ぎず、十分承知の上でのやり取りとして、その限りでは抑制的であったようだ。事実、それによって決定的段階にまではならなかった。しかし、そうした一連の事件は、互いの不信感を醸成させたことは間違いない。そして、何に依らず火遊びは常に危険だ。ボヤがどこで大火になるか知れたものではない。盧溝橋事件はそんな一例ではなかったか。またその意味では、この二三日のトランプ・金正恩のやり取りはチキンレースの様相を帯び、非常に危険である。

    現在の日中関係にはそんな心理的、政治的な下地がある。ここに尖閣絡みか、南シナ海かはともあれ、領土問題が主題になれば、話はさらに深刻になろう。そこでは常に煽情的、過激なナショナリズムが台頭し、両政府の抑制を突き破り、制御不能になる可能性は大いにある。かくて日中は抜き差しならぬ隘路に嵌り、ついに戦争に突入したらとの思いは消えない。その足音は密やかだが、不気味な高まりをみせ始めている。その時こそ、日中戦争下のわが国への怨念、復讐心が一気に燃え広がるのではないかと、私は恐れるのである。

    私は改めて問いたい。現在、わが国は中国、韓国はじめ周辺諸国から許されてあるのだろうか。日中の関係は、今や経済力・軍事力共に、戦前とは逆転し、とくに昨今の中国は、ようやく準備が整ったとばかり、我々に昂然と牙をむき始めているように思うだが、それは私の杞憂に過ぎないのだろうか。これが単なる杞憂であれば、日本国民にとって、それほど幸いなことはないのだが。今後の日本政府の外交力が真に問われているのではないか。

     

    初めに戻って、731部隊の暴虐は、敗戦直後、米占領軍によって完全には把握されていなかった。部隊の細菌研究とそのレベルは知っていたようだが、まさか人体実験までは想定してはいなかった。それには、部隊が爆弾投下までして施設全体を無に帰そうとした徹底的な証拠湮滅、破壊工作が功を奏した面もあった。だから、石井四郎は当初、米軍の尋問にも差しさわりのない程度に答えて安心できた。しかし、ソ連軍の捕虜となった石井部隊の枝隊によって事態は全世界に暴露される。ソ連軍から戦犯として石井他責任者らの引き渡しを強要された占領軍は、部隊の蓄積した膨大な人体実験の現資料と交換で彼らの犯罪行為を免責したとされる。勿論、この一連の暴虐行為は中共政府の知悉するところであると共に、その惨状を再現した施設や資料館もあり、それらは反日教育の一環として活用されているようである(以下次回)。

  • 8月2日・水曜日。薄曇り。久かたぶりの涼しさ。

    だが、私はウィルバーの先の言葉に奇異な感を持たざるを得ない。実際、日本軍は当初、人畜を攻撃する細菌爆弾や枯葉剤の搭載を考えたが、そのいずれについても米軍の破壊力は圧倒的であり、計画通りの作戦を敢行すれば、枯葉剤によってわが国の穀倉地帯は壊滅し、一気に深刻な食料問題を呼び込む。これを恐れて、軍は自重せざるを得なかったという(常石敬一前掲書)。しかし、敵方の報復力を恐れた戦闘行為とはどういう事であろうか。攻撃に反撃は当然であり、それが戦争である。これが怖くて最善の作戦が採れないような相手とは戦争をすべきではなかったのである。戦争思想において敗北主義であり、こんなフラついた覚悟で、国民を焦熱地獄に引きずり込んだ戦争指導者の責任は、断じて免責されてはならなかった。国民は勝つ、勝たねば、と思って、自ら命を擲って玉砕していったのに、指導部は相手の報復が怖かった。こんな馬鹿げた戦争があったのである。

    しかし、中国に対しては、軍はそんな恐れを抱く必要は全くなかった。だから何をしようと構わなかった。逆に無力なはずの中国軍が抵抗し、日本軍に甚大な被害を齎せば、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)とばかり、敵意を募らせ、攻撃は執拗を極めた。南京事件のいわゆる「大量虐殺」は、盧溝橋以降の戦闘が上海に達し、そこでの中国空軍の日本艦隊への爆撃が尾を引いたことにもよるとの説がある(秦 郁彦『南京事件「虐殺」の構造』中公新書)。

    しかし、現在の中国は、もはや昔日のそれではない。米国に次ぐ世界第二位の経済力をバックに軍事力を増強し続け(原子爆弾270発の所有国らしい。因みに、米6800、ロシア7000発のようだ。2017年7/3、ストックホルム国際平和研究所報告書より)、留まるところを知らない。1972年ニクソン訪中以降からであろうか、中国は西側との関係を深め、以来人口15億と言われる巨大市場の魅力に惹かれて、先進諸国は競って膨大な資本投下・プラント輸出を行い、かくて民生から軍事に至る巨大な科学・技術体系を獲得した。高々4,50年の期間である。こうした資源を基に、近隣諸国には各種の経済支援・インフラ整備の名をもって進出し、だがその実態は属国化を目論んでいるかに見える。そしていまやそれは「一帯一路」、「海のシルクロード」に結実し、「AIIB」(アジアインフラ投資銀行)の設立に至った。かくて中国は「パックス・チャイナ」(中華帝国のもとでの平和・近藤大介『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』・講談社現代新書より)とも言われるほどである。

    こうした周知の事実をここで並べたてたのは、中国は今や米国と共にハワイを境に世界を二分し、帝国支配の完遂を本気で考えているように見える、と言いたかったからである。それを目指して、地図上に勝手に第一列島線、第二列島線を引き、南シナ海を埋め立て、世界の各種資源を買い占め、横奪に走っているのであろう。その手法は、当初、近隣諸国との善隣友好・相互利益を歌いながら、事が定まるにつれ「核心的利害」と称して、他国の容喙には戦闘も辞さずとばかり断固拒否する。ここには民主主義国家が則る自由主義的法の支配は微塵もない。それは国内の専制的、専断的な統治そのものを、まずは札束で、ついで武力によって国外に強要するものだと断ずる他はない。

    今や中国はそんな国に見える。秦の始皇帝以来近隣諸国の宗主国として君臨し、中華思想のもと、世界の中心であった。そうした歴史を体現している民族であり、国家である。それが1840年、アヘン戦争で英国に敗れ、清朝の没落が始まり、列強諸国によって支那大陸は蹂躙され、その止めを日本が刺した。まさにこの百年は忘れようにも忘れられない屈辱の歳月であったろう。しかし、1949年、毛沢東が中華人民共和国を建国し、今日「中華民族の偉大なる復興」を実現する時を迎えた。これこそ習近平の、そして民族の断じて果たさねばならぬ野望である。だが、それが実現された暁には、我が日本はどうなるのであろうか。これに対抗しうる力は我々にあるのであろうか。アレだけのことをした我々である(以下次回)。

  • 7月24日・月曜日。薄曇り。ただし、鍋底で蒸し煮にされているような暑さなり。

    それにしても、七三一部隊は何故あれほどの惨い実験をやってのけられたのであろう。彼らのほとんどは軍医か東大、京都をはじめとするトップクラスの医学部出身の医者であり、戦後はそれぞれの出身大学の重鎮として学部長等を歴任し、わが国医学界の指導的な地位につく人びとも少なくはなかったという。しかも彼らの学問的な成果は、密かに持ち帰った生体実験の資料・データに負うところも大いにあったようである(常石敬一前掲書)。

    とすれば、彼らには生命に対する畏怖の念は一片もなく、医者になる資格はまるでなかった。彼らの行状は厳しく糾弾され、その責任を問うのは当然であったが、同時にその状況に身を置けば誰でもそうせざるを得ないような戦争の狂気、恐ろしさをも思うべきであるかも知れない。

    しかし、彼らとて、最初から「鬼畜」であった分けではない。初めての実験に立ち会い、一連の処置を命じられた時には身は震え、おぞ気を覚えた。回数を重ねるうちに麻痺したとの報告もある。この麻痺と戦争の大義が人間として守るべき禁忌から彼らを解放し、恐るべき深淵へと追いやったのであろう。その背後には、軍部や日本人の抱く中国人に対する徹底した蔑視感情、それに基づく彼らへの優越感、つまり何をしても彼らは我々日本人の敵ではないとする夜郎自大な尊大さがあった。だから部隊は犠牲者たちを人間扱いする必要はなかった。彼らは単なる実験材料であり、そこでは名前を失い、番号化され、一本一本の「丸太」となった。こうして部隊や軍部の精神的荒廃は留まるところを知らなかった。

    次の証言はその事を間接的に証明するであろう。七三一部隊と共に今一つの極秘の研究所が1937(昭和12)年、現在は明治大学生田キャンパスの地に登戸研究所が創設されている(その前史はここでは省略する。なお本研究所の全貌が明るみになるのは、平成になってからの事で、それゆえか、私の所有する日本国語大辞典、広辞苑他にもいまだこれは収載されていない)。ここでも細菌研究はあったが、他に生物化学兵器などの特殊破壊兵器の研究がなされ、その中に風船爆弾の開発があった。これはかなりの数で製作され、実際にアメリカ本土に向けて飛ばされた。この風船には当初、毒性化合物や細菌爆弾を搭載する案が練られ、アメリカ軍もそれを恐れたようである。西部防衛軍W・H・ウィルバーは言う。風船爆弾が「1945年の3月のように、平均一日100個の割合で放流され続け、少数の大型爆弾の代わりに数百個の小型焼夷弾を付けるか、人間や牛馬に病気をまき散らす細菌、農作物や植物を枯らす薬剤がしかけられていたならば、全米は恐るべき惨禍に見舞われたに違いない」(木下建蔵『日本の謀略機関 陸軍登戸研究所』119頁・文芸社・2016)。日本軍はここで言われるように、あえて米本土の被害の拡大を抑制した対応を取ったが、それは米からの徹底的かつ広範な報復を恐れたからである。

    中国本土ではそんな事を危惧する必要は全くなく、だから軍はやりたい放題、まさに傍若無人にふるまえたわけであった。しかし、今や潮目は変わったのである(以下次回)。

  • 7月12日・水曜日。炎暑極まりなし。

    7月18日・月曜日。本日、晴れのような、曇りのような、そして、ゲリラ雨。

    だが、先の医師の言葉には考えさせられる。目的のためには手段は択ばぬ。目的による手段の浄化、という考え方である。これは私には、今なお悩ましく、解決され難い思考である。国家の生存をかけた戦争の場合、勝利は至上命題であり、敗北は考えてはならない。そんな敗北主義は、国家の消滅でしかないからだ。であれば、勝利のためにはすべてが許され、結局、原子爆弾はじめ大量破壊兵器の開発、使用も制限される必要はない。これは分かりやすい理屈であり、現実もそうなっている。現在、曲がりなりにも核爆弾の使用が自制されているのも、ただ相手国からの報復の恐れからだけであり、ここに核抑止力の理屈が成り立つ。これが正しければ、すべての国が核所有国を目指し、相手より一歩でも破壊力のある核開発に邁進する他はなかろう。こう見ると、現在の世界の平和(?)は誠に危ういバランスの上にある。

    この論理が支配するところでは、戦争というのっぴきならない事態のみならず、人間生活のあらゆる分野においても、これは正当化され、是認される理屈であろう。事業活動にしても、利益のためには脱法すれすれの如何なる商売も許される。そのようにして稼がなければ、他社に抜かれて、事業の存立が危うくされる、という訳である。そんな激烈な競争の結果は、われわれの生活基盤そのものの破壊に至りはしないか。地球温暖化、環境破壊はその一例に過ぎないだろう。というのも、現代人の駆使する科学技術、機械力は、どこか牧歌的であった19世紀のそれとはまるで次元を異にし、最早自然の自己回復力を遥かに越える破壊力を持つに至ったからである。そしてここにあるのは、結局、弱肉強食の世界であり、強者にはすべてが許されるばかりか、こうして喰いつくされるオマエが悪いという思考、論理である。「アメリカファースト」は、これを一語で表した見事な標語に見える。だが、そこに救いはあるのか。

    強者に食われる弱者は、しかし、ただ殲滅され、滅び去る他ない存在なのであろうか。強者とて彼らを食らうことでしか、生き残る他はなく、であれば強者の生存のためには、弱者は食い尽くされてはならないからだ。これが森林(海洋)の掟ではないのか。そのような互いの連鎖の中で自然の世界は守られているのだろう。この事実を動物界は良く知っており、彼らと生を共にしてきた民族はこの道を踏み外すことはなかったようである。だからそこでの生活は平穏であり、調和がとれ、持続的である(そうした彼らの生活を知ろうとすれば、ここでは先ず池澤夏樹『静かな大地』(朝日文庫)に描かれたアイヌの生活、その考え方を挙げておきたい)。

    この問題はここまでにし、話を元に戻そう。その話の始まりは、わが国が中国東北地方、つまり満州に進出し、満州国を建国して日中戦争(支那事変)の泥沼にはまり込む直前、ハルピンに広大な生体実験施設を建設し、そこで繰り広げられた、各種の細菌に絡む惨たらしい人体実験であった。では、時満ちて潮目が変わり、両者の立場が入れ替わるとき、事態はどうなるであろう。次回ではこれについて私なりに考えてみたい。

  • 7月3日・月曜日。早くも猛暑。日盛りを歩くと朦朧とセリ。

    これほどの人体実験を平然と大規模かつ組織的に行うというのは、軍関係の組織以外には考えられない。ならばヒットラーかスターリンか。彼らの暴虐も人後に落ちないが、ここでは違う。わが誉れ高き皇軍の許に、軍医石井四郎少将(敗戦時・中将)が、昭和8(1933)年、ハルピンに創設した731部隊(正式名称・関東軍防疫給水部本部)による、中国人に対してなされた多くの生体実験の一部である。

    当本部の規模と施設の充実ぶりは、想像をこえる。なにしろ、様々な資材や実験材料等の効率的な輸送を可能にする鉄道やら飛行場を持ち、大量の被験者(犠牲者)の収容所、多様な細菌培養、人体実験用の施術設備を擁し、これに研究者、家族、使用人の居住地が加わるのである。

    ここでなされた人体実験の概要は、常石敬一『七三一部隊 生物兵器犯罪の真実』(講談社現代新書・2015)をご覧頂きたいが、その例を2,3挙げれば、炭疽、ボツリヌス、コレラ、赤痢、ふぐ毒、ガス壊疽他25種に及び、犠牲者は850人が挙げられている(133頁)。その他生体解剖も行われたれたようで、その酷さは目を覆う。こうした酸鼻の極みとも言うべき惨状は、森村誠一『悪魔の飽食』(角川文庫・上下、1983)にも詳しい。

    常石氏は、こうした生体実験に実際に関わった医師の言葉を紹介している。「罪の意識はないんですよ。悪いとは思はないんですよ。だって天皇の命令で、その時信じてやったのだし、勝利のためなんだから悪くないんだと、細菌だっていいんだと私は思ったし、石井四郎に尊敬の念を持ったんですから」(100頁)。もちろん彼は、今なおこんな心情でいる分けではない。むしろ逆である。人々に対して彼がこうした告白を続けるのは、戦争の歴史を風化させず「日中の末永い友好を実現」するためである、と著者は言う。