2017年8月2日

8月2日・水曜日。薄曇り。久かたぶりの涼しさ。

だが、私はウィルバーの先の言葉に奇異な感を持たざるを得ない。実際、日本軍は当初、人畜を攻撃する細菌爆弾や枯葉剤の搭載を考えたが、そのいずれについても米軍の破壊力は圧倒的であり、計画通りの作戦を敢行すれば、枯葉剤によってわが国の穀倉地帯は壊滅し、一気に深刻な食料問題を呼び込む。これを恐れて、軍は自重せざるを得なかったという(常石敬一前掲書)。しかし、敵方の報復力を恐れた戦闘行為とはどういう事であろうか。攻撃に反撃は当然であり、それが戦争である。これが怖くて最善の作戦が採れないような相手とは戦争をすべきではなかったのである。戦争思想において敗北主義であり、こんなフラついた覚悟で、国民を焦熱地獄に引きずり込んだ戦争指導者の責任は、断じて免責されてはならなかった。国民は勝つ、勝たねば、と思って、自ら命を擲って玉砕していったのに、指導部は相手の報復が怖かった。こんな馬鹿げた戦争があったのである。

しかし、中国に対しては、軍はそんな恐れを抱く必要は全くなかった。だから何をしようと構わなかった。逆に無力なはずの中国軍が抵抗し、日本軍に甚大な被害を齎せば、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)とばかり、敵意を募らせ、攻撃は執拗を極めた。南京事件のいわゆる「大量虐殺」は、盧溝橋以降の戦闘が上海に達し、そこでの中国空軍の日本艦隊への爆撃が尾を引いたことにもよるとの説がある(秦 郁彦『南京事件「虐殺」の構造』中公新書)。

しかし、現在の中国は、もはや昔日のそれではない。米国に次ぐ世界第二位の経済力をバックに軍事力を増強し続け(原子爆弾270発の所有国らしい。因みに、米6800、ロシア7000発のようだ。2017年7/3、ストックホルム国際平和研究所報告書より)、留まるところを知らない。1972年ニクソン訪中以降からであろうか、中国は西側との関係を深め、以来人口15億と言われる巨大市場の魅力に惹かれて、先進諸国は競って膨大な資本投下・プラント輸出を行い、かくて民生から軍事に至る巨大な科学・技術体系を獲得した。高々4,50年の期間である。こうした資源を基に、近隣諸国には各種の経済支援・インフラ整備の名をもって進出し、だがその実態は属国化を目論んでいるかに見える。そしていまやそれは「一帯一路」、「海のシルクロード」に結実し、「AIIB」(アジアインフラ投資銀行)の設立に至った。かくて中国は「パックス・チャイナ」(中華帝国のもとでの平和・近藤大介『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』・講談社現代新書より)とも言われるほどである。

こうした周知の事実をここで並べたてたのは、中国は今や米国と共にハワイを境に世界を二分し、帝国支配の完遂を本気で考えているように見える、と言いたかったからである。それを目指して、地図上に勝手に第一列島線、第二列島線を引き、南シナ海を埋め立て、世界の各種資源を買い占め、横奪に走っているのであろう。その手法は、当初、近隣諸国との善隣友好・相互利益を歌いながら、事が定まるにつれ「核心的利害」と称して、他国の容喙には戦闘も辞さずとばかり断固拒否する。ここには民主主義国家が則る自由主義的法の支配は微塵もない。それは国内の専制的、専断的な統治そのものを、まずは札束で、ついで武力によって国外に強要するものだと断ずる他はない。

今や中国はそんな国に見える。秦の始皇帝以来近隣諸国の宗主国として君臨し、中華思想のもと、世界の中心であった。そうした歴史を体現している民族であり、国家である。それが1840年、アヘン戦争で英国に敗れ、清朝の没落が始まり、列強諸国によって支那大陸は蹂躙され、その止めを日本が刺した。まさにこの百年は忘れようにも忘れられない屈辱の歳月であったろう。しかし、1949年、毛沢東が中華人民共和国を建国し、今日「中華民族の偉大なる復興」を実現する時を迎えた。これこそ習近平の、そして民族の断じて果たさねばならぬ野望である。だが、それが実現された暁には、我が日本はどうなるのであろうか。これに対抗しうる力は我々にあるのであろうか。アレだけのことをした我々である(以下次回)。


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