• 3月7日・金曜日。晴れ。久しぶりに陽をみる。ただし、強風。冬がこうして押し出されていく。前回の文章、かなり修正した。

    3月10日・月曜日。晴れ。本日は予定を変えて、下記の文章を送る。

    それにしても、このところの報道には暗澹とするばかりである。米大統領のカナダ、メキシコへの理不尽な言いがかりと強圧はもとより、ウクライナに対する姿勢は、まともな外交ではない。まるでヤクザの強請りだ。英語ではそれをprotection racketと言うとは、ニューヨークタイムズで初めて知った。辞書には「見かじめ料」の訳語もある。広辞苑では、「暴力団が、飲食店などから監督・保護の対価と言う名目で取る金銭」のこととある。

    周知のように、ゼレンスキーがロシアの侵略に対する自国の安全保障を強く要請したのに対し、トランプは最後までその確約を与えず、結局、両者の対談は決裂し、ウ大統領は追放されるようにして、ホワイトハウスを跡にした。その対談で、トランプはウ国に眠るレアアースの50%を譲るよう持ち掛けたようだが、ゼレンスキーがそれをそのまま飲めるはずもなかった。

    米記者がトランプに訊いた。米国は何故レアアースを手に出来るのか。ウ国の安全はどう守られるのか。これに対する答えはこうだ。これまで米国がウ国に送った武器弾薬ほか戦争遂行のために払った膨大な支出の回収であり、多くの米国人が採掘のためウ国に滞在すれば、ロシアは攻撃出来ない。それが最大の安全保障だ。

    実体のない、ヤクザ紛いの「監督・保護」という保障と、だが利得だけは逃すまいとする彼の言い回し=ディールは、まさに「見かじめ料」の名に恥じないだろう。こんなやり取りを、米国大統領が臆面もなく世界にまき散らしたのだ。米国人はこのことを拍手喝采できるのだろうか。

    ここで一つ言っておきたい。ウ国は今日まで無償で米やEUから軍事支援を得てきたのか。米やEUがそれほど人道的で善意に満ちたお人好しとはとても思えない。ロシアに隣接するバルト三国等の諸国は、ウクライナの今日は明日のわが身と、深刻に捉えればこそ、ウ国を守護すべしと、国力を越えた支援を惜しまなかったのではないか。米国とて同じだ。露国の国際法を無視した侵略を放置すれば、世界秩序の崩壊であり、それは直ちに米国の安全を損なう。よって周辺国はウ国を支援し、他方ウ国は気の遠くなるような命の犠牲を払い、無数の破壊を引き受け、欧州の破壊を一国で守って来た。これを思えば、米、EUの支援はあまりに少なく、中途半端であった、と筆者は非難する。この度の戦争は、プーチンの独りよがりの妄想から起こったことだ。その経緯については、ロシアの国外逃亡者、ゲッセンがニューヨークタイムズに寄せた寄稿論文(3/3)「プーチン、世界を切り分ける準備整う トランプ そのナイフを彼に与える」からも多くを教えられる。

    トランプは、ウクライナには初めからロシアに対抗するカード(戦力)が無かったのだから、その言うとおりにしていれば戦争は起こらなかったと言っている。これが正義だと言うなら、これからの世界は「弱肉強食」の世界となり、各国はいやでも武力増強を目指すほかはない。それは結局、最強国である米国内においても同じ論理が支配し、国民は強者の餌食となって、幸せにはなれない。米国民よ、それで良いのか。とくと考えよ。

    天に満つ ゴルゴよ癌よ 疾く来たれ  よみ人知らず

  • 2月17日・月曜日。曇り時々晴れ。前回の文章、一部加筆した。

    現在、少数与党をバックとした石破政権は、何事も野党との丁寧な協議、熟議の上、その合意を取り付けなければ、自らの政策は一つたりとも実現できない。意思決定の遅滞と言えばそれまでだが、それは恐れるほどの悪事ではない。来年度の政府予算案の修正は、その最たるものだ。諸外国ではごく当たり前のそうした修正は、自民1強時代にはまるで考えられないことであった。これまでは政権党内部で策定され、審議の過程で浮き上がる疑問も何もかもそのままに、いよいよとなれば数の力で押し通した予算案が、この度は新たな視点から修正される。これは間違いなく、民意に即したものになる、と筆者は信ずる(「高額療養費制度の限度額の引き上げ」案の一部見直しは、その一例である)。国民はその意味するところを熟考する必要があるのではないか。

    2月21日・金曜日。晴れ。昨年末(11/16)、我が家で大怪我を負った甥が、3カ月の入院を経て、明日漸く退院の運びとなった。まだ杖が手放せないらしいが、先ずは回復を素直に喜びたい。

    承前。前回は、この度の下水道陥没事故は「街づくりに始まり、ひいてはこの国のあり様を一から見直そうとするほどの奥深い問題」にふれるような事案であると言った。以下、その意味するところを一、二記して、この項を終えたい。

    まず指摘すべきことは、120㎞にも及ぶ長大な下水道建設の在り方である。一たび建設された下水道は一続きの体系として完結し、その後の住民数の趨勢、工場等の増減に応じて、柔軟に伸縮(特に縮小)して作り直すことは難しく、硬直的な体系だと言えよう。だから、社会経済が想定を超えた成長過程にある下水道需要は、常に下水道の処理能力を超えたものになり、一転、衰退過程に入った社会の下水道は、その需要にたいして大きすぎることになる。

    後者のこの問題は、とくに深刻である。例えばこうだ。現在あちこちで見られる、劇的な人口減少に喘ぐ市町村を抱えた下水道需要は、一気に減少することがあっても、それをきちんと保全して下流に繋いでいかなければ、下水道機能は果たせない。長大になるほど、その危険性は高まるばかりか、維持費用は膨大になり、一自治体で賄うことは出来ないだろう。将来的に上下水道の維持管理が自治体の最大の財政負担になるとは、つとに指摘されていることであり、筆者もこれについてはすでに社会環境学会で報告したところである(その要旨は本欄でも掲載されている)。

    建設された下水道の耐用年数は50年を目安としているようである。八潮の場合、42年でまだ寿命はあったと行政は見ていたようであるが、それは承服できない。50年前に建設され始めた本下水道幹線は、関係する地域の社会経済発展と共に増大する下水道需要に応じて支線を繋ぎ、恐らく継ぎはぎしながら現状のもへと成長してきたのであろう。その結果が全長120㎞、直径4.75mの巨大さに行き着いたのではないか。

    だがその間の市域圏の発展は建設ラッシュやら交通量の増大を来すが、そうした巨大工事や車輛数量及び積載重量の指数関数的な増加もまた、下水道管に対して間断のない影響を及ぼし続けたに違いない。さらには、50年前の建設時には思いもしない、その後に頻発する集中豪雨といった過酷な気候変動が地中環境に及ぼす甚大な影響もこれにくわわる。要するに、平常的な環境下で算定された道管の耐用年数は、一つの目安に過ぎず、筆者の見る所、すでに寿命は尽きていた。むしろ42年間、よくぞ保ったと言いたい。ただ、費用面から見れば、まだ使える、と行政は言いたいのだろうが、人命にかかわる深刻な事故が生じたと言う冷厳な事実をこそ見据えるべきである。では、以上を基に、今後どのような対応、対策が考えられるであろうか(以下次回)。

  • 2月3日・月曜日。曇り。以下の下水道事故については、主に朝日新聞の記事に依っている。
    2月7日・金曜日。晴れ。寒波が続く。大分前に(1/17)、寒波は節分頃には緩むと言ったが、大外れであった。ゴメン。なお、わが神経痛はほとんど快癒したが、60年前の病患を変に思い出したせいか、背中の左肺あたりに妙なコリを意識させられる。生活に支障はないが、あまり嬉しくはない。

    八潮の道路陥没の拡大は何とか止まり、救出用の重機が投入され、ようやく運転手救出の準備が整ったようである。事故発生(1/28)から早や1週間。事態の深刻さを思えば、作業の一層の進捗を祈る他ない(これは2/3時点の話で、本日(2/7)もなお救出のための準備段階にあり、それだけ現場の窮状は言葉もない)。

    作業の遅れは、現場の怠慢ではない。このことを、先ず言っておく。地質はシルト層と称する砂よりも粘着性に欠け、崩れやすい上、大量の下水や湧き出た地下水が上から崩落してきた土を流して、周囲の土が次々奪われ、地表の陥没を拡大したという。これでは作業の足場が築けず、二次災害の可能性もあって、しばしば作業の中断を余儀なくされた。そのため、流入する下水を止めなければならず、当下水道線に関連する12市町の住民に下水道使用制限が要請され、ほぼ120万人の住民が大小の影響を蒙ることになった(これは全県民数の約16.4%に当たるようだ)。

    中川流域下水道と称する当下水道幹線は、地図によれば幸手、白岡、春日部、越谷、草加、川口東部そして八潮の各市を貫き、県東南部の全域に広がる比較的人口稠密な地域を含む。工場も多く、それだけに上下水道の使用流量は膨大であろうと推察される。

    陥没現場は八潮市大瀬6-5-1とある。三郷市下水処理場までは指呼の距離にあり、そこで処理された下水が中川に放流される。つまり、事故現場まで運ばれた下水は、それまでの旅路のほぼ最終地点にまで達しており、であれば事故現場は全ての下水の集約点にある。しかもここまでの当下水道線の総延長は、121㎞と長大であり、その間に多くの支線、幹線が接続され、その全ての下水を受け容れて現場に至るのであるから、その総量が膨大になるのは当然であった。

    とすれば、現場の下水道管が直径4.75mと、ゆうに大人二人が縦に立てる以上の巨大さであるのも頷けよう。しかも現場は直線ではなく、カーブして埋設されている。それだけ汚物は滞留し、硫化水素が発生しやすく、それがコンクリートを徐々に腐食し、ついには壁を破って陥没を来した。管内に堕ちた土砂は道管の大きさ、流量とその水圧に押し流され、崩落はさらに拡大した。そのことは、破損個所の探知のために投入した水中ドローンが、水圧のために押し流されて役立たなかった、という報道からも察せられよう(朝日新聞・2/5)。

    しかし、管内に落ちた土砂は全て押し流されたわけでもない。その一部は管内に滞留し、それが堰となって下水管の破損個所から陥没した穴へと逆流していく。そこに周囲から湧き出た地下水が加水し、こうしてすり鉢状の穴に湧き上がる水位を押し上げた。大量の汚水から発する汚臭と足場となるべき土台が崩れ、それが救出、補修作業を一層困難にしたのであろう。

    この崩落の拡大は、10mの深さに埋設された下水道管の位置とも関係していると思う。初め小さく空いた穴から少しずつ土が落ち込み、次第に周辺を巻き込むが、深みがあるほど地表面に生ずるすり鉢状の陥没域は大きくなる。それは丁度砂時計を立てた図に似ていよう。ただ砂時計と違って、この場合、下に土砂は止まらず、崩落する土砂を呑み込み続けた。

    同時に、地中には水道管、ガス管他も埋設されており、それらが微妙な均衡の上に収まっているのが、周囲の崩落により破壊され、それは別途の生活上の困窮を生みかねない。この度の事故はそうした多岐に及ぶ問題にも触れあうことであり、それに対応しようとすれば、街づくりに始まり、ひいてはこの国のあり様を一から見直そうとするほどの奥深い問題に行き着くものではないかと、私は思う(以下次回)。

  • 1月27日・月曜日。曇り。わが肋間神経痛は、鍼灸の効果か、ただ日数がたったからなのか、かなり楽になって来た。それにしても古傷とは恐ろしいと、改めて思う。もう64年前(18歳)になるか、当方、肋膜炎にかかり、それをこじらせ膿胸へと進行し、左肺をかなり痛めたらしい。当時はかなりの難病であったが、ともあれ完治したことになっている。だが、老年になって、それが障って来たのではないか、と鍼灸の先生に言われ、ハッとした。思い返せば、これまで非常な疲労の折に、患部であった背中辺りに筋肉痛とは別の痛みが張り付き、かなり苦しむことが度々あったからである。これを背中のコリだと勝手に決めて、医者にもいかず、ただサロンパスか何かを貼ってやり過ごしてきたのだが、とんでもない無謀を仕出かしていたのかもしれない。無知の気軽さと言ってしまえばそれまでだが、こんな養生法(?)は他人には勧められない、とは思う。
    1月31日・金曜日。晴れ。八潮市での道路陥没のニュースに、列島は衝撃を受けた。まずは、地中に取り込まれたトラック運転手の救出が急務である。そして、この事故の恐ろしさは、地震、テロ等の何か特別の変事によって生じたのではなく、平穏な生活の最中、しかも安心のよすがとなっている大地の奥深くから、音もなく突如発生したところにあるだろう。しかもそれは、さらなる陥没をよび、その収束が見通せない。これによる市民生活の侵害は計り知れない。同時に、こうした事故は日本中の大都市圏で今後頻発していくことだろう。老人大国に向かっている我が国に耐えられるであろうか。
    なお、下水道問題については、筆者にとって無縁な問題では無く、いずれ改めてここで論じてみたい。

    今年は阪神・淡路大震災(1995・1/17・M7.3)から数えて30年という節目の年であるせいか、その後の被災地の復興のあり様、震災に対する備え、教訓等に関する報道を多く目にする。しかも、その後東日本大震災(2011・3/11・M9.0)、熊本地震(2016・M7.3)、胆振東部地震(2018・9/6・M6.7)、近くは能登半島地震(2024・1/1・M7.6)と踵を接するように列島は大震災に見舞われ、さらに現在、南海トラフ「巨大地震」の発生の確率が高まっているとの報道(1/15。政府地震調査委員会による発表)に接するに至っては、何とも言いようのない不安を覚える。
    それとは別に、近年の温暖化が異常気象と巨大台風を頻発させ、列島中にこれまで例を見ない風水害をもたらしていることは、今さら言うまでもない。くわえて、我が国では年々出生数が減少し、少子高齢化の勢いはさらに強まっている。このまま行けば、我われは間違いなく老人国家の住人となる。その結果、国土の保全、国力の維持はおぼつか無くなるだろう。山河や平地、あるいは海岸線は人手によって常に整備されていなければ、脆弱になり、崩壊しやすく、また人間社会への自然の侵襲は容赦ないものとなる。その事態が如何なるものかは、福島県での住民の帰還困難な地域での猪他の鳥獣の繫殖力や植物の増勢からも、それと察することが出来るだろう。
    それに加えて、本日上で見たような八潮市で突如発生した道路陥没にみる、市民生活にもっとも密接な社会インフラ施設の劣化に対する維持管理、およびその更新の問題がある。政治とは本来そうした問題に日々向き合い、国民生活の安寧を守ることにこそ心血を注ぐべきことと考えるが、国政はこれらに対してどこまで本気になって関わって来たか。夫婦別姓は良いの悪いのと言った、どうでもいいことにうつつを抜かし(その裏で、裏金問題に情熱を注ぐ、そんな議員先生方に我われの人生に介入するような権利や資格はまったくない)、経済発展、オリンピック、大阪万博(能登復興が脇に置かれたような取り組み)、半導体等の華のある、票になりそうなことには赤字予算を組んでも、ふんだんにカネを着けながら、上記のような問題に対してはどうであったか。十分な予算と人員を確保していれば、こんなことにはならなかったはずである。
    筆者はこの国の先行きに対し、こんな漠とした不満、不安を感じていたところ、先ごろ石破首相の施政方針演説にふれ、その現状認識から地方から列島改造を図ろうとする施策、「防災・治安」(防災庁の設置)の方針には、私なりに共感するところが多々あった。ただ、首相の意思やその発言がしばしば反故にされ、あるいは変更されるのを目にしてきた一国民としては、どこまで実行に移されるかは覚束ない。また党内基盤の問題もあって、気の毒な面もあるが、誰あろう、ご本人が自ら首相に打って出、目出度くその座に就いたのであれば、身命を賭して思う理想の実現に一歩でも近づいて貰いたい。これは筆者からのエールである(この項、終わり)。

  • 2025年1月17日・金曜日。晴れ。現在(16;22)の温度、7度。深夜には1度辺りになるという。ただ、この冷え込みも来週一杯のことで、節分頃にはかなり緩む。これが筆者の見立て。それ以上に、今年の夏が不気味である。昨年の暑さは記録的であった、と過日の報道にあった。

    1月20日・月曜日。曇り。前回の文章にやや手を入れた。時間をおいて読み直せば、どうしても不満が出る。それは分かっているのだが、少しでも早く配信を、との思いから、多少の不備に目をつむる。だが結局は、訂正、加筆の憂き目となる。お許しあれ。

    謹賀新年。

    松もとっくに取れ、今さらながらの挨拶に気も引けるが、これが本年最初の「手紙」であれば、まずはこうご挨拶させて頂こう。

    こうなったには、丸々、当方の事情によるもので、年末の23日頃からか、左の脇腹から背中にかけて筋肉痛を覚え、気づけば左胸部から腹部にいたるまで、ヒリヒリした火傷でもしたような痛みが広がった。耐えがたいほどの激痛ではないが、かなりの痛みだ。これは皮膚の深部からではなく、表面に留まっているように感じられた。歩くとかなり痛く、寒いと辛い。風呂は良い。

    先ず、今流行りの帯状疱疹を疑った。ただ、10日以上経っても発疹はなく、皮膚表面に異常はない。患部は、さわると痛いと思い、出来るだけ触れないようにしていたが、それでも時々さすってみると、それによる痛みの侵攻が生ずる訳でもない。老人性骨折もあり、これはただ咳こんだり、布団をかぶっただけでも、骨折することがあると聞かされた。ただ、歩いても、風呂に入っても、それらしい痛みはまったくない。

     こんな思いと苦痛を抱えながら、年末年始は医者は休診で、ただ耐える他なしと思い定め、とくに正月は布団に潜り込んで、寝て過ごす。これは我がいつもの戦略だ(とこう書けば、なにかもっともらしいが、ただ医者に行くのが厄介なだけの話に過ぎない)。いよいよ耐えきれなくなるまで、ただ我慢の子(爺)を決め込む。それでも大晦日には、こんなことに負けてはならじと、寒夜を押して浅草寺に繰り出し、参詣の後、馴染みの食堂にて雑煮を食す。久しぶりに旨かったが、痛みも滲みる。だが、ザマア見やがれと、嗤ってやった。梶井基次郎が結核に弱った体を鞭打ち、夜中狂ったように彷徨したほどではないが、その気持ちは分かる。たしか啄木にもそんな気があった。彼もまた結核に侵された体をものともせず、貰ったばかりの給料をはたいて、友人と痛飲したのではなかったか。その後にくる病気からの容赦ない懲罰的痛苦を、彼らはどう受け取めたのだろう。「お前なんぞ怖くはない、ザマア見ろ」であったのか、それとも深い悔恨であったのか。

    かくて松も明け、皮膚科を受診。医者は患部を診て、ただ一言。帯状疱疹にあらず。2週間たっても疱疹が見られない。肋間神経痛ではないか、と。その後、神経科を受診せず、いまだ正式の診断は出ないまま、勝手に肋間神経痛と言うことにして、今にいたる。人に言われ、良く効くと評判の鍼灸に先日行った。少し通うつもりだ。   

     こんな次第で、うずくまる様にして日を過ごし、本日ようやく出社に及ぶ。いまだ痛みは残るが、負けてはならじ。これが老いの一徹というものか。その結果、体がどうなろうと、今更大したことではあるまい。過日読んだ谷川俊太郎『からだに従う』(集英社文庫2024)にこんなのがあった。「この世とおさらばするのは寂しいだろうが、死んだら自分がどうなるのかという好奇心もある」(271頁)。これは我が心情にも沿うものである。

    年改まり、はや半月余り。この短期間でも世間は馬鹿馬鹿しくも慌ただしい事件に事欠かない。今年こそ平和な年でありますようにと、祈るほか筆者には手立てもないが、それでも本欄で、「ソウか、そんな考えもあるか」と思って頂けるようなことが一つでも見つけられればとの思いで、筆ならず、キーを叩いてまいりたい。

    改めまして、本年もどうぞよろしくお願いいたします。