• 6月30日・月曜日。晴れ。

    7月4日・金曜日。晴れ。

    7月7日・月曜日。晴れ。例の大地震予告は当たったのか。この種の言葉が広がっても、ただ娯楽の一種として受け止められている分には罪はないが、政治・社会的な意図と結びつ時、その結果は思いがけない方向に流れかねない。社会の奥底に潜む恐怖や恨みや嫉妬を呼び起こすことがあるからだ。関東大震災のさなかに生まれた朝鮮人に対する根拠のない流言、飛語の狂暴な惨事はその一例であろう(吉村 昭『関東大震災』文春文庫)。筆者としては、こうした言葉がどう受け止められるかに応じて、その社会の健全度を測る一助となると考えている。

    まだ梅雨明け前の時期(6/30記)だというのに、凄まじい熱波が続く。これまでここで予告してきた通り、年々、暑さは厳しくなる。この分だと、「今年が一番涼しい」と言うわが冗談が冗談でなくなってくる。地球上のこの変調は、現在のグローバルな戦争以上に、人類を苦しめることになるだろう。頻発する巨大台風、旱魃、海洋温度・水位の上昇、飢饉、疫病、これらに起因する戦争の惨禍が見える。同一の河川に依存している国々の水戦戦争はつとに知られているところだが、今後その争いは別次元のものとなろう。特に、上流を中国によって抑えられているメコン川流域諸国がまず気になる。

    国連事務総長は、昨年、「地球は沸騰している」と、悲痛、絶望、祈りを込めて訴えたが、例によって国連は動かない。特に米中ロの巨大国家はこの問題の深刻さに見向きもせず、覇権の拡張や資源の侵略的な確保に狂奔するばかりだ。トランプ政権に至っては、温暖化問題は存在しない、石油は掘りまくれとまで言い放った。彼の関心事は、アーミテージ氏が言ったように、今日明日の損得だけにあり、やがて迫る危険は見えないのか、あるいはよほど勇気があるのだろう。だが、これらの惨禍は彼ら国民の上にも、間違いなく降ってくるのだ。 翻って我が国はどうか。迫る参院選を前に、これまた目先の税の還付、減税、米や経済問題に明け暮れて、今後の日本の在り方についての姿が全く見えない。確かに、政治とは、先ずは目の前の問題、難題に向き合い、その解決に全力を尽くすことにあることは認める。しかし現在の各政党の公約はあまりに近視眼に過ぎはしないか。こんな事では、現在の問題も解決できない。事を温暖化に限ってみても、この放置は環境破壊を介して農業、国民の健康、経済活動に甚大な影響を及ぼすことは必至であろうからだ。そして、各党の公約には、これに対して一言もないと言うのは、危機感の欠如、問題意識の欠落を指弾せざるを得ない(この項、終わり)。

  • 6月9日・月曜日。曇り。沖縄、九州地方、早くも梅雨明け。史上、最速とか。今夏の暑さが危ぶまれる。

    6月13日・金曜日。曇り時々晴れ。本日、イスラエルがイラン核施設を先制攻撃し、世界に衝撃が走る。イランの反撃は必至であろう。その規模次第では、中東情勢は別次元の危機に陥る。米はイスラエルへのコントロールを失ったか。その米自身の政治情勢が混沌とし、ウ露戦争の行方は知れず、中台の緊張は増している。くわえて地球規模での資源争奪戦がある。気候問題も不気味だ。かつて、2,3週間で終わるはずの戦争が第一次世界大戦の突破口となった。ささいな紛争が大戦につながる種はつきない。現下の世界の状況、危険極まりなし。

    6月16日・月曜日。晴れ。梅雨寒の日々が、いきなり夏日。しかもこれ、一週間は続くと言う。半蔵門線の冷房は効きすぎで、悪寒すら覚え、降りればじめッとした暑さにクラクラする。生きながらの地獄責めに、往生要集の場面が浮かぶ。

    6月20日・金曜日。晴れ/6月23日・月曜日。晴れ。前回の文章、後半を修正した。

    承前。農地を利用した汚水浄化の方式は、原野の農地化とその肥沃化、農産物の増産を可能とし、同時に都市には良好な衛生環境をもたらすという点で、まさに画期的な構想であり、対策であった。しかしそこには、すでに見たように、伝染病や重金属類の汚水への混入といった問題点にくわえて、急速な都市化の拡大による広大な農地の消失という決定的な難問にも見舞われ、農地灌漑方式は結局、中間的な対策として、その後に開発された多様な浄化技術によって代替されざるを得なかった。

    筆者がホープレヒト方式をここで紹介したのは、八潮の惨事に触発されたからであったが、それは彼の農地灌漑方式のゆえではない。そうではなくて、彼の積み木方式と言われた市街地の浄化方式に着目したからである。

    これについてはすでに見たが、それは以下のように纏められよう。市街は幾つかの区域に分割され(ベルリン市は、12区域であった)、それぞれ独立した下水道システムが建設される。下水道は自然な流水を確保するため、分けられた区域のそれぞれの地形を十分生かした構造になっている。そして、域内の汚水は最後に一点に集められ、圧力管によって指定された農地へと送られる。これが積み木方と呼ばれるのは、各区域の下水システムが独立していながら、それらが一体となって市全域の排水機能を果たすからである。一つ一つバラバラの積木が寄せられて、一つのまとまった形(フィギュア)を生み出すのと同じである。

    当方式の最大の狙いは、ホープレヒトが強調するように、市街に埋設される下水道線の最短化であった。その結果、建設費、維持費の低減といったメリットも見込まれている。では、こうした下水道思想から、何が言えようか。都市建設とその規模は、言うまでもなく、下水道システムのあり様によってのみ決定されるわけではない。しかしそれを無視して、ただ技術力を頼みに巨大都市を目指せば、今回のような八潮市のような事故は今後も免れない、と先ず言いたいのである。であれば、都市建設は積木方式が含意しているように、汚水の処理量、環境への負荷を考慮し、中規模の都市建設が相応しいのではないかということである。これは、現在、この国が直面している人口減少と大都市への一極集中による地方都市の疲弊に対する答えでもある。それは同時に、市域の、とりわけ上下水道のインフラ施設の維持管理の諸経費が今後の自治体財政を圧迫し、死活問題になってくると言う、近年とみに聞かれる警告にも対応している。

    筆者のこうした提言は、まだ十分に練られたものでないことは、よく承知している。ただ、都市造りには、ここで見たように、下水問題も考慮した発想で進められることを期待したいのである。繰り返すが、都市の巨大化は、それを許す技術力をすでに持とうとも、抑制的でありたい。実際のところ、都市建設において、これまでこうした問題意識ががどれほど働いていたであろうか。恐らく、先にみた林官房長官の言にみるように、都市プランナーの意識にはそれほどではなかったのではないだろうか。

    以上を踏まえてみると、筆者は、大平正芳内閣(昭和53~55年)のときに初めて閣議で政策課題として提示されたと言う、田園都市構想に注目し、これを支持したい。英国を故郷とする田園都市論の我が国への移植とそれなりの実践の歴史はここではおくとして、大平内閣の構想としては、「都市の持つ生産性と田園の豊かな自然、潤いのある人間関係を可能にする都市」(渡邊昭夫編『戦後日本の宰相たち』365頁。中公文庫・2024)社会の建設にあったと言う。大平氏の急逝により、ついに陽の目を見ることはなかったが、これが実現していれば、当時すでにビル街に埋め尽くされてきた巨大都市に歯止めがかかり、今少し豊かな自然に囲まれた都市社会への転換と、そして同時に、地方都市の活性化も臨まれ、その後のわが社会の発展史はまるで別物になっていたのではないかと惜しまれるのである(この項、終わり)。

  • 6月2日・月曜日。曇り。蒸し暑し。5/31(土)をもって、例のバーチャル・ウォーキングの最終記録は閉じられた。4月・5月の合計61日間の総歩数622,121歩、距離にして435㎞となり、東京を起点に円を描けば、北は釜石、西は大阪まで入るらしい。堂々の2位にくわえてコンスタント・ウォカー(一日に歩く歩数が安定していること)の1位と認定される。事実、60日間を、1日1万歩強をブレずに維持したのであるから、そうなろう。そして、昨日の6/1(日)は、久しぶりに8307歩に落として、休息の日としたが、今後はこのペースでいこうと思う。確かに、毎日、1万歩はきつい。それにしても、こんなに得意げに言うのも、チト、狂ってる。
    6月6日・金曜日。晴れ後曇り。この所、週の巡りが異様に早いと感じる。当方の老化のゆえか、それとも実際に世間の歩みが早すぎるのか。コメ問題やら、トランプ関税と、確かに世情は騒々しい。


    承前。以上は拙著からのごく手短かな要約に過ぎず、事態はそれほど簡単でないことは言うまでもない。それでも灌漑農地システムの考え方はお分かりいただけよう。こうして、世界の物笑いとされた不潔な都市、ベルリン市は、一挙に面目を改め、「世界で最も美しい都市」へと生まれ変わった。1878年1月1日、この日は灌漑農地での最初のポンプが稼働し、ベルリン市排水事業の誕生の日となったが、それから6年後、森鷗外が同市に初めて足を踏み入れ、市街の賑わいと美しさに目を瞠り、「ウンテル、デン、リンデン」(菩提樹下の意)(『舞姫』)と歌うようにして闊歩したのである。しかし、この意味を了解するには、新生児の3割が死亡するという同市の不潔に対する医学や行政の取り組み、また農民や都市住民らの対立する利害の調整と言った、人々の様々な苦闘の歴史を知らなければならないが、それらをここで示すことは出来ない。
    ホープレヒト方式が大々的に実施されたのは、先にも言ったように、まずB市周辺に広大な原野が残されていたからである。同時に、その土地を短期に農地化し、ポンプ場、排水パイプ網を張り巡らせるような技術や機械力の動員が可能であったこと、そしてそれらに要する資金を調達する金融の発達なども忘れてはならない。要するに、事がなるには、背後にそれを成り立たせる諸条件がなければならない。そうした背景の中で、彼の方式も成立しえたのである。
    とすれば、ホープレヒト方式の永続的稼働は、いずれ立ち行かなくなる宿命にあった。産業の発達による都市化のうねりが、容赦なくB市周辺に迫り、瞬く間に農地をのみつくしたからである。同時に、混合下水道に混入する化学工業からの重金属類の排水は農地への潅水を不可能にし、そしてさらには屎尿汚水に含まれる種々の病原菌も無視しえない問題になって来た。特にこの病原菌の問題は、医学的には19世紀末頃までは完全には決着がついていなかったが、コッホを代表とする細菌学者らによって伝染病の仕組みが明らかにされて、下水の潅水が危険視されるに至ったからである(以下次回)。

  • 5月26日・月曜日。曇り。この所、涼しい日が続いて、当方としては何よりのこと。願わくば、今後も、かくあれとただ祈る。

    5月30日・金曜日。雨。肌寒し。

    承前。さて、ホープレヒトに戻ろう。市街の汚水は圧力伝送管によって灌漑農地に送られるが、これはどう処理されるのであろう。勿論、農地にそのまま潅水されるのではない。広大な農地はいくつかの耕作区に分割され、入念な農地造成がなされる。各耕区ではまず高台地にスタンドパイプ場が設置され、そこから汚水は埋設された本、支管の導管網を介して沈殿槽、作付け区域に分けられた農地へと送られる。

    沈殿槽に達した汚水はヘドロ分を大方濾過されて、灌漑農地へと送られる。そこに植えられた農作物が汚水のあらかたを吸収し、その消費力は旺盛である。当初、継続的な大量の潅水は農地の泥土化を来すのではないかと懸念されたが、まったくの杞憂であった。それでも残る潅水後の余水は、各農地に掘られた側溝から隣接の川へと放流される。では、それによる河川の汚染は、心配ないのか。ホープレヒトは言っている。「排水される下水はまだ濁りはあっても、しかしそこには排水汚物は認識されず、それゆえ排水管から河川に放流される水はもはや浄化され、透明かつ無臭である」。

    ここで作付けされる農作物とその生育はどうか。膨大な量の汚水を吸収できる農産物であると同時に、市場性のある農業経済的に意味あるものでなければ継続できない。そこで次第に分かってきたことは、トウモロコシ、蕪、キャベツといった幅広の茎や大量の葉を持つ植物が最適とされ、その出来栄えも品評会の受賞を受けるほどであったと言う。「ある企業は、早速、酢キャベツの製造販売に乗り出し、馬車鉄道会社、王室厩舎、酪農家等からの飼料購入も相次いだ」。他にも野菜ではホウレン草、人参、玉ねぎ他、穀物では大麦、小麦、ライ麦、馬鈴薯等々、さらには果実類も手掛けられ、「実に多様な農作物が栽培作付けされていくのである」。

    ここで忘れてならないことは、汚水の灌漑農地法の第一の目的はベルリン市の限度を超えた環境衛生の悪化に対する解決策の模索であり、農業的成果を目指すものではなかった。しかし、関連する多様で大掛かりの実験がなされた後、ただ土地の濾過機能に期待した潅水では河川や地下水の汚染を回避できず、上にみた植物の育成と結合させた灌漑方式こそが最良であると結論ずけられたのであった。それは農業と汚水浄化の幸福な結合であったと言えようか(以下次回)。

  • 5月19日・月曜日。曇り。
    5月23日・金曜日。曇り。

    前回(5/12)、八潮市の下水道陥没事故に関して一言したが、この度、朝日新聞(5/17・土)に、今後の「復旧作業」の在り方についての言及があり、ここでの叙述にもかかわるところから、紹介かたがた論を進めよう。事故の下水道線は、すでに言ったように、一続きの大規模なものであり、その結果、事故は想定外の規模になった。そこで言う。
    「大規模な管路に集約させて処理をする方法を改め、管路を複線化したり、幹線同士をつなげたりするなどの下水道システムの再構築についても検討を促している」。確かに「複線化」と相互の連結により、損傷に際しても下水道の機能を止めずに、工事も大掛かりにならずに済む。だがこれは、すでに前回見たホープレヒト方式そのものであり、この点で我われは、彼に百年以上もの後れを取ったと言えよう。何故、こんなことが生じたのかと不思議な気もするが、思うに現代人の現代技術への過信から、行政、技術者らにはこの種の事故のありうることに思い至らず、「大規模な管路に集約する方法」を取らせたのであろう。経済性、効率性を考えれば、集約方式に勝るものはないからである。
    そして、これに付された林官房長官の談話が、現代人の下水道システムへの関心のあり様を示して、実に興味深い。「インフラの維持管理は国民の生活に直結する取り組みであると痛感した。老朽化対策をしっかりと進めたい」。今さら何を、と唖然とさせられる言ではないか。この国の最高位に位置する官吏の一人であり、しかも知性において並ぶもの無き政治家だと、常々、敬意を表しているが、その氏にしてこの程度の認識である。
    だが、筆者は同氏の関心の低さを非難したいのではない。むしろ言いたいのは、彼に限らず、政府や政治家一般の姿勢や意識の問題である。一たび完成した構造物は、現代の科学技術からすれば、メンテナンスに多少の遺漏があっても十分な堅牢さを保つといった過信であり、さらには眼前にされていないモノ、事共は、すべて平穏無事なことにしていたい。そもそも見えないことにカネをかけて、一体何票の票になろうか、といったソロバン勘定があったとすればどうであろう。それにしても、政府のインフラに対する、こうした認識を思うと、この所声高に唱えられている「国土強靭化」政策の実がどれだけあげられるものか、誠に心もとない。迫りくると言われる「南海トラフ巨大地震」を思えば、それは痛切である。そのような不安を、この度の事故は国民の前に改めて呼び起こしたのである。