• 6月10日・金曜日。曇り。梅雨特有のうっとうしい陽気である。前回の文章、やや加筆した。
    6月13日・月曜日。晴れ。一昨日から、テイラー『一九三九 誰も望まなかった戦争』(清水雅大訳・白水社)を読み始める。500頁をこえる大冊であり、まだ2割ほどしか進んでいないが、その限りでも、十分、面白い。ズデーテンをドネツク州に、ヒトラーをプーチンに置き換えれば、そのままウクライナ侵攻そのものである。当地のドイツ住民を扇動して事件を起こさせ、これに対してチェコスロバキア政府は弾圧と虐殺を行ったとのデマを大量に流し(ナチ宣伝相ゲッペルス)、それを口実に武力侵攻と戦争の恐怖を煽る。チェンバレン、ダラディエらはこれに恐怖し、チェコ政府の合意も得ずズデーテンの割譲を認め、辛うじて戦争を回避した。だがそれは、つかの間の休息でしかなく、ヒトラーは更なる譲歩を求め、半年後にはついにポーランドの半分を手に入れるのである。プーチンは、まるでその歩みをなぞっているようではないか。

    元来、ロシアはそうした敵国市民への残虐行為に対しては、「それについての調査や認識もなく、であればそれを罰することも無い」と記事にある。それゆえ、これらに対する独立した教育・研究機関も持たなかった。これは、ソヴィエト連邦時代からの政治的・構造的なロシアの問題だと言われている。恐らく、この点に他国とは決定的に異なる露軍、同時にロシア社会の歴史的・文化的な特徴があるのだろう。普通は、戦闘中の狂気に我を忘れても、そこに違反意識があれば、後には反省し、ためらいも生ずるのではないか。だが、戦争においてであれ、軍による無抵抗の市民の殺害は虐殺であり、犯罪行為だとの認識がなければ、抑制のしようも無かろう。それどころか市民の虐殺は、純粋に戦果であり、勝利への貢献である。となれば、「実際、ロシア政府―そして、ロシア社会の一部は、敵国市民に対する暴力を容認しているのだ」、との何とも悲惨な結論が添えられるのである。
    こうした暴虐は、結局は世界に晒される。その時ロシア当局は臆面もなく、断固として言い放つ。これらはウクライナ軍や西側諸国の露軍に成りすました犯罪であり、露軍は無実であるばかりか、かえってウクライナのナチ勢力から国民を救済する解放者なのだと。そして、多くのロシア国民は、ナチス時代のドイツ国民と同様、この嘘を信ずる。真の情報は権力的に隠蔽し、捏造した情報を一方的かつ大量に送り出しながら、それを検証する組織や機関を欠いた社会の怖さをここに見る。国民はこうして、政府、官憲の操り人形となるのである。
    さらに、露軍の敵国民への無差別な暴力行為は、それはそのまま軍内部における暴力の容認から生じていると言えそうなのである。軍内部での階級差による暴力は悪名高く、また毎年徴兵される新兵のしごきは激烈であった。それがために「新兵の何ダース」もが殺害される時代が続いて、さすがに2000年代にいたり是正されたという。人権意識の欠落は兵の人権を損ない、それは同時に敵国民への惨殺に向かう。つまりこれらは一続きのことであったのである。このことは、我が旧軍の戦地における蛮行を思えばよく分かるが、それであればこそ、平時における人権教育の重要さを忘れてはならないであろう(以下次回)。

  • 6月3日・金曜日。豪雨。このところ連日、正視しえないウクライナの惨劇、欧米の対ロシア制裁の乱れや、南洋諸島での中国の暗躍、コロナ禍の暗いニュースばかりにくわえ、今読んでいる本が『暁の宇品』(堀川恵子・講談社)である。太平洋戦争直前から終戦にいたるまで、参謀本部の無慈悲、無謀、無責任な作戦の強要をうけ続け、2,3千人の兵を乗せた一万トン級の輸送船が、護衛もなく、太平洋上で次々海の藻屑となる陸軍船舶輸送のこれまた悲惨な物語(過日、読了)。かくて我が疲労さらに極まり、精神衛生上すこぶる悪い。
    6月6日・月曜日。雨。関東地方、梅雨入りとか。この時期には珍しい冷雨であり、季語で言えば、梅雨寒か。

    露軍が丸腰のウクライナ市民に犯した惨殺、レイプ、拷問、略奪といった、地獄さながらの数々の残虐行為に、世界は目を剥き、震撼させられた(その詳報はニューヨークタイムズ5/24・火にもある)。これを目の当たりにしたドイツ政府が、従来の対ロ親和政策の転換と共に、即刻ウクライナへの武器供与を決断し、その抑制に動かざるを得なかったほどである。なぜかほどに凶暴でありえたのかと訝るが、ニューヨークタイムズ(4/19・火)は「ウクライナでの残虐行為の根は深い」として、今回の露軍の侵略行為に光を当てた。以下、これについて簡単に触れてみたい。
    記事によれば、戦闘の残虐性には、2種類あるようだ。1は作戦計画に基づいた、部隊や市民の戦意喪失を目指した攻撃に発するものである。これはこれで、今回も見られたように、軍事施設ばかりか病院、学校を含めた市街全域におよぶ徹底した殲滅戦であり、こうして敵国の戦意喪失を目指すわけだから、市民生活への侵害・破壊は計り知れない。
    2は、軍組織による軍事的攻撃と言うよりも、各兵士や各部隊が軍の作戦から逸脱し、市民に対して勝手に犯す個別的な残虐である。ここではしばしば、軍としての統制は消滅し、圧倒的な火力を持つ、凶暴な強盗集団に成り下がる。ブッチャでのそれは最たるものであろう。とは言えこれらの残虐は、露軍のみのことではなく、ベトナム、アフガニスタン、イラク戦争での米軍でも見られたように、あらゆる戦闘に付き物であるようだ(我われは、日本軍の南京虐殺の例を忘れてはならない)。そして、そうなる原因は、建軍の経緯やその文化的資質、軍事教育、軍兵士の戦闘上のストレス、故国での生活上の不満・抑

    圧、敵国の危険や悪逆に対するプロパガンダ等が折り重なって、眼前の無抵抗な敵国市民に対し一挙に吹き出るようだが、その説明は中々難しく、一概にこれと言い切ることは出来ない(以下次回)。

  • 5月23日・月曜日。晴れ。

    5月25日・月曜日。晴れ。昨日、藤井聡太五冠が、薄氷の終盤戦を制して、叡王タイトルを防衛する。これでタイトル保持の総数は8期となるが、いまだ十代の棋士としては未曽有のことである。恐らく、今後この記録を更新する棋士は出ない、あるいは今世紀中はあるまいと思う。他にも言うべきことはいくつもあるが、こうした大記録は、1,稀有なる才能、2,健康、3,幸運に恵まれた賜であろう。1,や2のみではなく、3もあってこその大業ではないか。昨日の勝負の終盤では、五冠の必敗の局面があったようだが、それを逆転した。将棋は完全に実力の世界と言われ、それをすべて認めたうえで、それでも「指運」という言葉がある。ぎりぎりの勝負では、運が決定的になることがあるのである。そして、筆者はつくづく思う。世には、このように必要なものをすべて手にする人は、確かにいるのだ。その逆の人がいるように。ここに、人の世の栄光と非情、酷薄さを思わざるを得ない。

    このところウクライナ侵攻に目を奪われ、他の問題が疎かになってしまったが、それでもコロナ感染の成り行きは気になってはいた。幸い、わが国での感染の勢いは収まりつつあり、これで一安心と思いきや、欧米では「サル痘」なる感染症が発症したとのことだ。その詳細は不明だが、すでにニューヨークタイムズ(4/30-5/1)は「疫病 促進。暑くなるほど」の見出しで、「気候変動は動物間のビールス拡大を促進するであろう、との新研究の所見」を報じている。長期的にみれば、温暖化は戦争以上に地球全体にたいして深刻な影響を及ぼしそうな恐れを覚える。
    こうして生ずるビールスの混交は人間にも飛び火し、新たなパンデミックを発症させるとある。その状況がどう進行するかをコンピューターでシミュレーションした結果、上記の所見となった。
    その仕組みはこうである。赤道近辺の歯止めのない気温上昇により、多くの種はより涼しく快適な環境を求めて高緯度や高地に逃れる。これによりビールスは新たな宿主を見出し、ふつうは起こりえない異種間での感染の機会を生み、その変種を促すと共に、感染力も増強する。のみならず、免疫システムをすり抜けて繁殖する。「2つの種が地域的に重なるほど、それらの種は同一のビールスを共有するようになる」からでろう。
    たしかに、これまでなかったような異種間の生物の遭遇と感染に関する知見は、今初めて得られたものではない。我われはすでにこのことをマクニールの『疫病と世界史』(上・下・中公文庫)で知ったことである。しかし、気温の上昇が、ビールスの伝播とそれを拡大させる推移をコンピューターを駆使してモデル化し、その過程を精緻化したことは、この時代らしい大きな発見であったのかもしれない。異なる生物が初めて遭遇したとき、ビールスの変異と伝播過程が予見可能な形で推定されるならば、今後の対策に少なからぬ意味を持とうからである。気温上昇と動物種の移動と遭遇が呼び起こす、「病原菌の流出」の連鎖を「できうる限り知ることは、大きな進歩である」とは、プリンストン大学のR・ベーカーの言である。
    筆者の言いたいことは、ここである。温暖化は自然災害の激甚化ばかりか、それはまた疫病の多様化と蔓延、しかもその途切れのない連続的で劇症性の発生を来しつつある。我われが現在目の当たりにしている、コロナ蔓延はその先駆けでなければ幸いである(この項、終わり)。

  • 5月16日・月曜日。雨。本日より5/6(金)の論題に戻る。

    5月18日・水曜日。晴れ。

     

    今となっては旧聞ということになるが、先月の4月22日辺りであろうか、「露軍はウクライナ南部沿岸の全域を確保する予定だ」と、一将軍が口走ったひと言は改めてモルドバの恐怖を煽った(ニューヨークタイムズ4/25・月)。欧州でも「最貧国の一つ」と言われ、大統領自身「我われは脆弱な地域における脆弱な国である」と認める、地政学的にも危うい地域の小国である。であれば、ソ連邦時代においても強大な圧政に苦しみ、何とかその軛を逃れようと、様ざま努力をしてきた。最近のEU加盟の計画もその表れの一例であった。

    2月末以来の、ロシアの残虐を見せ付けられた上での、この一言である。モルドバ政府が震撼させられるのも当然である。他方、ロシアのモルドバ侵略の意図は、いまや明白である。クルミア半島を含めたウクライナ東北・南部からモルドバの一部であるトランス二ストリア地域―ウクライナ西南部に接し、ロシア語人民による分離独立を狙い、ロシアに支配されている地域である―までの巨大な陸橋を造って、これをロシア化することである。かくて、ウクライナは黒海から遮断され、世界貿易への道を失い、内陸国家として実質的にロシアの属国とならざるを得ない。

    ロシアのそのための一歩は、すでに世界がよく知るあのやり方である。記事は伝える。ロシア陸軍少将、ルスタム・ミネカイェフは、「ウクライナ南部のロシア支配は、トランス二ストリアにとっても一つの解決策だ。そこでは、ロシア語を話す人々が弾圧されている事案があるからだ」と言った。その頃、同地方で何件か分けのわからぬ爆破事件の映像があったことを、ご記憶であろう。

    これにはさすがに、モルドバ政府も黙過できず、ロシア大使を呼びつけ、少将の言は「受け入れられないばかりか、事実無根であり、緊張の増加を来す」と抗議した。他に政府は、ロシアのウクライナ侵攻に対する非難声明をだすと共に、モルドバ国民には乗用車に親ロシアを示すシンボルの装着を禁止している。

    だが、当局の抵抗もここまでである。EUのロシア制裁には加われなかった。ここには安全保障上の問題ばかりか、電力および天然ガスのエネルギー問題も大きく影を落とす。例えばこうだ。主要発電所、ガスポンプ所は、ソビエト時代にトランスニストリアに建設されたが、この意味は地図を見ただけでは分からない。「それらは、モルドバが、万が一にも自立の道を歩むことがあっては、との危惧からそこに建てられたのである」。つまり、モルドバ側が少しでも反ロシア的な態度をとれば、即座に電力、エネルギーを遮断するとの警告であったのだ。これを知るにつけても、当地はすでに、ソビエト連邦時代から親ロシア住民を計画的に入植させ、モルドバのロシア離脱を阻止する鎖として位置付けられていたのである。

    であれば、同国の独立とEU加盟はほぼ絶望的であり、せいぜい軍事的、政治的中立性を目指すほかはなかったろう。しかし「この中立性がわが国の安全性を守るのかどうか、と訊かれれば、それは分からない。中立はこの30年を経てもなお、ロシアを説得してわが国から軍隊を遠ざける助けにならなかったのである」。これはサンデュ大統領の悲痛な叫びであるが、世界はこれと同じ言葉をフィンランド、スウェーデンのトップが発していたのを、昨日聞かされたのである。世界の懊悩は深まるばかりである(この項、終わり)。

  • 5月9日・月曜日。曇りのち雨。

    5月13日・金曜日。雨。前回を大幅に書き換えた。

     

    今回は、急遽、本筋から外れて、前回の馬渕氏の発言を筆者なりにケリをつけておきたい。同氏の「ロシア軍が掌握していた間、暴力行為に遭った(ウクライナの)住民は一人もいない」との発言は、いかにも異常であり、これをこのまま放置するには問題がありすぎると思うからである。これについては、とりあえず2点を言いたい。その1は,失礼ながら、氏はすべてを承知の上で、虚言を弄しているのだと仮定してみる場合である。とすれば、筆者はそれによって、氏は何か利益が得られるからではないか、といった程度には理解できる。そして、事の良し悪しはともあれ、同氏の行動はそれなりに納得できる。

    これに対して、その2は、彼が真心から、真剣にこれを主張しているとすれが、どうか。この場合、筆者は途方に暮れる他はない。彼をどう考え、いかに理解し、対応すべきか、といった筋道が絶たれて、彼に対して宙吊りにされるからである。なんと言っても、氏は外交官で、防大教授を歴任された方である。であれば、この件について我われ以上の情報量を持ち、それを咀嚼しうる知性も、十分お持ちであろう。その彼が、ウクライナの惨状とその経過に関する膨大な量の映像と情報を目の当たりにしながら、それはウクライナ軍、警察、当局の仕業だと、堂々と断言するのである。

    ロシア軍の侵攻の原因は、ロシアの安全保障上の問題によるとか、その他種々言われるにしろ、この度のウクライナの惨劇はロシア軍によるものであることは、国連決議に見るように、世界が認めており、ロシアの盟友・中国ですらこれを正面切って否定できないのが現実である。またわが国では、プーチンと4回会談してその人柄にほだされたのか、彼を「人情家」だと称賛して止まない、あの鈴木宗男参議院議員も、ロシアによる今回の侵攻は認められないと指弾しているのである(『アエラ』′22・3/14)。

    こうした事実を並べてみると、馬渕氏の発言は、ロシア軍の侵攻によるウクライナ市民への惨劇そのものを、明確に否定している点できわめて特異であり、何か常軌を逸しているように見える。その点で、筆者は何か言いようのない不気味さを覚える。

    馬渕氏がなぜこのような主張をするのかは、それが意図的な嘘ではなく、むしろ真剣なものとすれば、筆者には全く不明であるが、ここでは一つ、こんなことが思いつく。もしかしたら、我われ人間の認識には、ただ単に頭の良しあし、さらには偏りのない情報をいくら手にしても、それらとは関係のない、それ以上のなにか別の要因が作用しているのではないか、と。

    思うにそれは、自分の見たい、聞きたい情報のみを受け入れるという、偏向のようなものであろうか。情報機器の進歩とネット社会の到来により、我われは今や誰でも公平で幅広い情報をいつでも手に入れられるようになった。それにも関わらず、あるいはそれであるが故に、偏った情報で満足でき、批判的で不都合な情報は排除して、自分たちにとって快適な情報網の圏内で完結してしまうという、何とも皮肉な現象に直面しているのであろう。さらには、そうした集団が膨大な支持者を獲得すれば、政治力を持ち、政党を支配し、やがては国家の政策や経済をも決定するという、そうした社会を出現させる。というよりも、我われはそのような社会を、米国のトランプ氏の出現とその陣営の席巻という形で、目の当たりにしているのではないか。そこでは、誤解の余地のない、明々白々の事実を、あっさりとフェイクだと切り捨て、自分たちにとって都合の良い現象のみを事実として押し広げ、それを真実として押し通してしまう力さえある。これは実に危険な社会ではないか。それはまた、プーチンの支配している社会とどう違うのであろう。

    これは文明の発展が、より一層野蛮で、凶暴な社会を生んでいる一例である(以下次回)。